日本人が英語を苦手としている(らしい)という話はよく耳にしますが、「EFエデュケーション・ファースト」という団体が公表したレポートによると、英語を母国語としない英語の熟練度に関し、日本は454点で世界116ヵ国中92位と非常に低かったことが判明したそうです。ただ、このランキングが意味するのは、「日本人の言語能力の低さ」なのか、それとも日本人が日本社会で生きる限り、英語を必要としないという状況なのかは議論が分かれるところかもしれません。
目次
語学はいくつになっても続けるべき
高校生のころだったと記憶していますが、著者自身、学校でこんなことを聞きました。
「語学はいくつになっても続けるべき」。
誰がどういう文脈でこの発言をしたのかについてはよく覚えていないのですが、ただ、語学の重要性を強く意識したことについては覚えています。
そう、ちょうど高校生になると、「現代の日本語」以外のさまざまな言葉に出会います。
多くの学生が学ぶであろう英語はその筆頭格ですが、それだけではありません。国語だと古文、漢文の授業がありますし、また、少し複雑な英文を読んでいると、フランス語やラテン語などの単語が混じっていることもあるため、「世の中には英語以外にもさまざまな外国語があること」を意識する機会が増えるのです。
今でも記憶に残っているのが、なぜか英語の授業で出て来た “la bestia senza pace” という文言で、出所はダンテの神曲だそうですが、英語の先生が「ら・べすちゃ・せんつぁ・ぱーちぇ」と発音していたのを聞いて、(それがイタリア語的に正しい発音なのかどうかは別として)えらく感銘を受けたのです。
欧米語をひとつマスターしたら芋づる式に学べる?
その後は英語の辞書を注意深く読んでいくと、たとえば “chapeaux” (帽子)だ、 “façade” (ファサード)だといった具合に、明らかに英語読みではない単語が多数英語に混じっているのに気付きました。
そして、大学に入ってから第二外国語を選択する際にドイツ語をかじり、その後は趣味でフランス語をかじり、イタリア語をかじるなどするなかで、欧米諸語はどれか1つをきっちりとマスターすれば、意外とそのほかの言語も芋づるで学べることにも気付いたのです。
たとえば「私は~である」を一人称で述べると、英語では “I am” ですが、ドイツ語では “ich bin” であり、オランダ語では “ik ben” 、デンマーク語では “jeg er” 、スウェーデン語では “Jag är” 、ノルウェー語では “jeg er” 、アイスランド語では “ég er” だそうです。
また、二人称単数は、ドイツ語では “du bist” 、オランダ語では “jij bent” で、デンマーク語では “du er” 、スウェーデン語では “du är” 、ノルウェー語では “du er” 、アイスランド語では “þú ert” 英語では “thou art” だそうですが、現代英語では “you are” です。
これについて疑問を覚えて良く調べてみると、じつは英語にも過去には二人称単数が存在しており、これについては “thou art” と表現していたらしい、ということもわかるのですが、現代英語ではほぼすべての文脈において “thou” が廃れているようです。
また、欧州主要言語(たとえば英仏独伊など)で、数詞(one-un-ein-uno)や月の名前(November-Novembre-November-novembre)などの比較表を作ってみるのも面白いですし、ちょっと時間のある人ならばフランス語、スペイン語、イタリア語を同時に習ったりしても面白いかもしれません。
(※ただし、著者自身は若いころ、「複数の言語を同時に習うとこんがらがるので止めておいた方が良い」、とアドバイスを受けたこともありますが…。)
英語と日本語はまったく違う言語
いずれにせよ、あくまでも著者自身の感想に基づけば、英語は日本人にとって、発音や綴りなどの面、動詞の不規則変化などに関しては非常にハードルが高い言語である一方、名詞の姓(男性名詞・女性名詞・中性名詞)や動詞の複雑な格変化などがないなど、他の欧州語より簡単な部分もあります。
しかし、総じて言えることは、日本語と英語は言語構造、文法、冠詞の有無、発音、その他さまざまな面であまりにも大きく異なっており、日本人が英語をマスターするのも、アメリカ人やイギリス人が日本語をマスターするのも、かなり骨が折れる作業である、ということでしょう。
当然、英語に苦手意識を持つ日本人が多いことも事実であり、街中で外国人観光客の人から道を尋ねられると慌てて逃げる人もいるほどです(※ちなみに著者の場合はなにか困っている外国人観光客を見かけると、ちゃんと日本語で案内してあげるようにしています)。
ちなみに学生の頃読んだ本で、こんな趣旨のエピソードがありました。
「ドイツ人のAさんは転勤族の夫の都合で欧州各国を転々とする生活を続けていた。ドイツ人なのでドイツ語はペラペラだが、オランダに2年暮らしたらオランダ語をマスターでき、ロンドンに1年暮らしたら英語もマスターできた。」
「Aさんはパリに転居したが、ゲルマン語系のドイツ語、英語、オランダ語と異なり、フランス語はラテン語系であり、最初は苦労したが、それでも3年暮らしたら何とかフランス語をモノにすることができた。」
「フランス語をマスターしたAさんは、その後、ローマに転居して2年後にはイタリア語がペラペラになり、マドリッドに1年暮らしたらスペイン語もマスターし、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語といった各種言語をどれも完璧に話せるようになった。」
「そのAさんはその後、東京にやって来て30年暮らしているが、いまだに日本語が話せない。」
Aさんが暮らした場所やマスターした言語の詳細は間違っているかもしれませんが、「欧州各国語をそれぞれ数年でマスターしてきたAさんが日本語だけはマスターできなくて苦しんでいる」という点については正しいと思います。
(ただ、著者自身の知り合いだと、欧州出身者や米国出身者でありながら日本語がペラペラというケースも多いため、この著書の記述もやや一面的な気がしますが…。)
共通項が少なすぎる!?
ただ、いずれにせよ日本語を母語とする人が英語を完璧にマスターする(あるいは英語を母語とする人が日本語を完璧にマスターする)のは、それなりにハードルが高いことは間違いありません。
これについては韓国語や中国語で考えてみればわかりやすいでしょう。
中国語は日本と同様、漢字を使う言語であり、日中両語で使われる漢字自体は異なっているにせよ、また、同じ文字でも意味が異なっているケースもあるにせよ、漢字を知っている状態で日本人が中国語を、中国人が日本語を学ぶのは、英語圏の人が日本語や中国語を学ぶのと比べてハードルは低いはずです。
また、日本人が韓国語を学ぶ場合は、発音体系に加えて独自の文字をマスターする必要があるなどのハードルはありますが、文法が非常に似ていること、漢字由来の単語が多いなど語彙が共通していることなどの事情もあってか、やはり英語圏の人が韓国語を学ぶのと比べてハードルは低いでしょう。
逆に、英語圏の人にとっては同じゲルマン語系のオランダ語やドイツ語などを学ぶハードルは非常に低いでしょうし(※ドイツ語は若干語彙が難しいかもしれませんが)、また、フランス語圏の人にとってはイタリア語やスペイン語などのラテン語系の言語を習得するハードルは低いはずです。
英語ランキング、日本は116ヵ国中92位に留まる
こうしたなかで、「EFエデュケーション・ファースト」という団体が13日に発表した『各国別英語熟練度指数』なるレポートが、一部では話題となっているようです(※なお、原文のPDFファイルは次のリンクで読むことができます)。
EF English Proficiency Index
―――EFエデュケーション・ファーストHPより
これによると英語を母国語としない英語の熟練度に関し、日本は454点で世界116ヵ国中92位と非常に低かったことが判明したそうで、91位の中国(456点)と大差ない状況だったのだとか。これに対しトップは636点のオランダ、2位が610点のノルウェー、3位が609点のシンガポールだった、などとしています。
このランキングの信頼性などについてはとりあえず脇に置くとして、いろいろと興味深いと思います。シンガポールは英語圏じゃないのか、といった点は気になるところですが、ただ、非英語圏のなかでは英語にほど近い言語を話す諸国が上位に入ったのは、ある意味では当然ではないかと思えてなりません。
上位10位に関しては、ほかにも4位にスウェーデン(608点)、7位にデンマーク(603点)、9位にオーストリア(600点)が入っていて、これらの言語の英語との近さを考えれば、納得がいきそうなものでもあります。
ただし、上位10位圏内には、5位にクロアチア(607点)、6位にポルトガル(605点)、8位にギリシャ(602点)が入っているなど、ゲルマン語圏以外からも上位にランクインしているのは、ちょっと興味深いところといえるかもしれません。
一方で英語に近い言語を話しているはずのドイツは598点で10位、南アフリカは594点で11位だったほか、明らかに非ゲルマン語圏であるはずのルーマニア(12位、593点)、フィンランド(14位、590点)、ポーランド(15位、588点)などの姿も散見されます。
また、ほんの四半世紀前までは英国の植民地だった香港は549点で32位ですが、これを「非英語圏(=広東語圏)でこの点数は高い」とみるべきか、「旧英国領でこのスコアは低い」とみるべきかは、人により評価が割れるのかもしれません。
インド69位、韓国50位
一方で、かつて英国領で「準英語圏(?)」であるはずのインドの場合は490点で69位である一方で、非英語圏である韓国が523点で50位に入っているというのも印象的です。
インドについては「英語教育を受けていない層がそれなりの人数に達している」という可能性が示唆されるところですが、それ以上に興味深いのは、韓国が非英語圏でありながら非常に高いランクを得ているという点でしょう。英語教育に大変力を入れている国だ、ということでしょうか?
日本語と韓国語は言語構造としてよく似ているとされていますが、同じような言語を使う国でありながら、その韓国が日本をランキングで大きく上回っているというのは、日本人が韓国人と比べて英語力が低いという意味なのかもしれません。
ただし、こうしたランキングを見ていて思うのは、「日本人の英語力のなさ」は国力という点において良いことなのか、悪いことなのかについては微妙な気がします。
これは著者自身の私見ですが、海外だと自国語で高等教育を受けられない、という事例も多いようであり、英語力が低いこと自体が「その国の教育水準が低い証拠」と見るべきなのかどうかは疑問です。
外国語力が高いのは、その国において外国語教育にどこまで力を入れているか、という観点もさることながら、「人々が外国語を話す必要性をどこまで感じているか」、といった観点も重要ではないでしょうか?
すなわち英語力がないと高等教育が受けられない、高度な職に就くことができない、といった事情でもあれば、多少、英語に苦手意識があったとしても、全力で英語を学ぼうとするでしょう。これに対し、英語を学ばなくてもそれなりに高い収入が得られるならば、無理をして英語を身に着けようとしないかもしれません。
このあたり、「日本人の英語力が低い」ということが事実だとして、それが「日本人の言語能力が低い」ことの証拠と結論付けるべきではありませんし、著者自身にとってはむしろ、日本という国では英語力がなくてもそこそこ高い水準の生活を享受できるという証拠ではないかと思えるのですが、いかがでしょうか?
ただし、いずれにせよ著者自身は、語学を学ぶことは新たな知見を得ることにも通じるため、いくつになっても語学自体は続けるべきだと思う反面、外国語を学ばなくても日本語だけで生きていけるという状態は望ましいと考えている次第です。
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「米英を見よ、ホームレスまで達者な英語話者だ。」
さて"社内公用語"とかいうものをとんと聞かなくなりましたが、定着して自然なものになったのかそれとも……
トンチキクイズ面接だの改善提案だの、"必要も無いのに上辺だけ導入してあと知らんぷりの経営者"は淘汰されてきたのでしょうか。必要性があるところはとうに自然にやっているはずであって。
日本人の英語も似たようなものでしょうかね。
学びを継続するってのは良いことだと思うのです♪
順位については、そもそも同レベルの教育を受けた人を対象にしてるのかな?って思いました。
あと、日本に来る人は、英語は通じないという前提で、基本的なやり取りを勉強するなり、翻訳機器を持ってくるなりして欲しいと思います
駅とかで英語で道を聞かれたりしたときは、可能な範囲で英語で受け答えするけど、日本語やボディランゲージとのチャンポンになっちゃうのです
南国の英語能力が記述してある通りあるのかは
おかしな点がある又は調査方法がおかしいのかの
どちらかなのかもしれません。
1)日本の交通関係や大規模店舗で南国語表記・案内が多すぎる事
2)外国で中共語・南国語で禁止標識が多いとされる事
の2点からです。
アサヒ新聞や日経が宣伝しているわりに、何故同じような事が
違う雑誌等で出てくるのでしょうか? 不思議です。
尚、日本人の英語能力が低い事は当然の事だと思います。
日常生活で英語を使用しなければならない場面なんて
学校内しかないのですから。
それに対し、他国が日本より能力が高いのは当然です。
他国と国境が陸続きなのですから。
今後、自動翻訳が発達していくことが予想されるので、言語そのものより、思考のしかた(?)が重要になってくるのではないでしょうか。
蛇足ですが、どんなにAIが発達しても、そこに入れるデータ次第で、どんな結果も導きだせるのでは、ないでしょうか。
毎度、ばかばかしいお話を。
海外特派員:「日本人が全員、ネットで英文の記事を読めるようになったら、我々の価値が下がるではないか」
蛇足ですが、先入観のない外国人記者に、自動翻訳機能で日本のマスゴミ取材方を取材して欲しいものです。(ジャニーズ問題を取材したBBCが、朝日新聞を取材してくれないかな)
韓国は、高麗や李氏朝鮮時代にあまりにもチャイナ化とモンゴル化の影響を受け、近代化にはあまりにも日本の影響を受けてしまいました。特に漢字諺文混じり文からの諺文一本化と言う退行の影響は深刻で、今後朝鮮語が維持できない気がします。今日からでも早急に、自ら朝鮮語を廃止して全部英語に一本化したら良い。
韓国がその気になれば英語の影響の歴史はずっと古いインドやその周辺より速く徹底した英語圏になれるかも知れません。
就職に英米豪に出稼ぎも容易になるし、大学になったらいきなり外国語授業と言う事もありません。文学もいきなり英語圏。キーボード入力も今よりスムーズに。
そう言う後顧の憂い無く、全取っ替え出来てしまうフットワークの軽さがあるのが韓国のメリット。日本では到底無理です。
簡単に自国の歴史を修正する姿に表れていると思いますが、韓国が自国の文化に拘りながらもその実はなんとも思ってないことを「情けない姿」として見てきていましたが、ちょっと視点が変わりました。
彼らの中で今流行ってる「アイデンティティ」「自身の文化への拘り」も日本の影響によるものかもしれません。
そんなもの気にせず、経済的な成功のために見かけの文化なんか捨ててしまえばいいじゃないか、彼の国ならそれはできるんではと。
彼の国の経済圏は英語圏全てに一気に広がる。彼の国独自の生存戦略として、とても合ってるような気がしました。彼の国の歴史も周囲の大国に全てを委ね、いくらでも豹変してきました。合ってる。
自信を持って迷わず突き進め。幸福なんて相対的なものだ。
>簡単に自国の歴史を修正する姿に表れていると思いますが、
>韓国が自国の文化に拘りながらもその実はなんとも思って
>ないことを「情けない姿」として見てきていましたが、
>ちょっと視点が変わりました。
純粋なハングル表記を徹底した教育により、一般の民衆にうは自国に伝わるの歴史的文書が理解出来ない事態になっているのは歴史捏造には都合が良いと思います。
また純粋なングル表記では漢字語由来の単語を理解し難くなるので、複雑な文章は英語表記であるほうが理解し易いかも知れません。
「放水」と「防水」、「放火」と「防火」が同一表記になってしまう言語で書かれた消防士の訓練マニュアルはどうなっているのか…
EFエデュケーション・ファーストのデータは使用しない方がよいようです。
https://terasawat.hatenablog.jp/entry/2024/11/12/233020
私もこのブログを読んで「EFエデュケーション・ファースト」がインチキであることを知りました。
私も英会話は出来ませんが、Kindleのwordwise機能を使い、読むことには支障が余りありませんので最近は英語の本ばかり呼んでいます。
日本人は英会話は出来ませんが、読み書きに支障があまりない人が多いのにこれだけ日本人の英語力が低いのは変だなぁと思っていたらやはりめちゃくちゃな指標のようです。
外資の多国籍企業にいて会議などでいろいろな国の人と話す機会があった。
その肌感覚でいうと;
北欧諸国の順位が高いのはうなずける。
シンガポールは英語が母国語に近くなっているのでまあ順位は高いだろう
ギリシャの順位8位。 こんなに英語うまかったっけ?
ドイツが南アフリカよりも上か?
スイスは接している国の地域で言語が違い共通語が英語になっている。こんなに低いか?
韓国は明らかに過大評価。
仕事で三沢市へ訪問する機会が頻繁にありますが、
米軍基地があることで日常に英会話が存在していることに実感します。
(もちろん、沖縄や佐世保、福生も同様と思います)
必要になれば異なる言語を習得するでしょうし、
必要でなければ、異なる言語の習得は趣味の世界と思います。
なお、弘前大学医学部では「地域医療学講座」があり、その中で「医療用 津軽のことば」というテキストで
津軽弁の理解を促進しているようです。
ちなみに、英語圏内の旅行に限れば、それほど不自由なく過ごせると感じるのは
義務教育に英語があるからと感謝しています。
>必要になれば異なる言語を習得するでしょうし、必要でなければ、異なる言語の習得は趣味の世界と思います。
途上国では、子供が外国人観光客相手に土産物を売っていたりするけど、英語がペラペラの子もいて、驚くことがある。
ただ、あれは 「場面シラバス」 といって、売り買いの場面で使う英語を丸暗記しているだけで、それ以外の場面では全く話せなくなるんじゃないかと思う。
明治政府が外国から知識を吸収はできるけど、外国に人材が行ったりしないように英語のカリキュラムを組んだという話を聞いたことがあります
あの当時なら、そのような考えをして実行に移してもおかしくない気はします
日本語は文法構造自体が、英語やその他の欧州語そして中国語とは、全くことなる言語体系であるために、やはり外国語を習得しづらいこともあろうかと思います。
またそれ以外の理由として、私は日本の翻訳出版文化と日本語の持つ造語機能等が、外国語習得の妨げになっているのではないかとも考えています。例えば年間の書籍発行数ですが、直近の令和4年では66885点数となっています。そのうちの社会科学や自然科学、そして文学書には多くの翻訳版が含まれていると思います。(その数の内訳については未確認ではありますが)
https://view.officeapps.live.com/op/view.aspx?src=https%3A%2F%2Fwww.stat.go.jp%2Fdata%2Fnihon%2Fzuhyou%2Fn242600500.xlsx&wdOrigin=BROWSELINK
例えば社会科学の分野でいうと、AMAZONで書籍検索すればわかるように、P・クルーグマンやB・バーナンキ等の書籍(それも入門書のような新書版から専門書に至る迄)も数多く翻訳されています。おそらく自然科学の分野でも似たような状況ではないかと推察しております(これまた私自身がド文系のため未確認ではありますが)。文学書に至っては相当広範囲の言語の作品が翻訳されているのではないでしょうか。(これも未確認ですが)
以上かなり適当な推測ではありますが、当たらずとも遠からずではないかと、自分では勝手に納得しています。
次の日本語の造語機能の件ですが、これは明治期の先達のご苦労のおかげで、殆どの外国語が日本語に置き換え可能となってきたという歴史があります。以降和製漢字熟語は年々歳々増え続けています。それもあって日本で暮らしている分には、日本語だけでも高等な専門知識を学習することに、さほど不自由はしないのではないかと考えています。一例としては、英語も独語もまったくできないという噂のある(?)ノーベル物理学賞受賞者といった、珍しい方もいらっしゃるのではありませんか。
私自身も英語はまったく駄目ですが、年齢を考えればもうこれ以上オツムに負担をかけず、残されているであろう時間を有効に使わねば、などというような言い訳を自分に言い聞かせている、そんな今日この頃です。
今年の7月くらいに出された論文。再度ご紹介。
産業革命をキャッチアップしてその後に高所得国となった国は、「英語圏」「イギリスに地理的に近い国」「産油国」の他には「日本とその植民地」しかないそうです。日本がそれを達成した要因の一つに単なる単語の翻訳ではなく技術知識体系の日本語化の取り組みがあることを、過去に発行された書籍の大量解析によって数値的に示したものです。
世界の最新技術知識に、母国語日本語でアクセスできること。この重要さを語っていました。
結構面白かったです。
https://shinjukuacc.com/20240720-00/#comment-324600
この母国語で、高度な教育を受けられること。これは決定的な理由だったのだろうと明治から100年以上経って証明されている思います。
仕事柄英文情報にもアクセスしますが、これらが全て日本語でなければ相当時間を英語に接することになるでしょう。
インドは英国圏ですから英語を話せる人は多いです。ただスッゴク訛りが強く聞き取りにくい。結構困っています。