新聞業界が滅亡に向かっていることは、もはや誰の目にも明らかですが、ではなぜ新聞の部数がここまで激減したのでしょうか?なぜ新聞が広告媒体として落ち目で、なぜ人々は新聞を読まなくなっているのでしょうか?これに関し、ジャーナリストの田原総一朗氏は産経のインタビューに、「新聞が面白くないからだ」と述べたそうですが、これについてどう考えれば良いのでしょうか。
目次
新聞業界は滅亡に向かっている
どうして新聞は売れないのか―――。
当ウェブサイトではこれまで、新聞が猛烈な勢いで部数を減らしてきたこと、人々が新聞を読むのに使う時間が減ってきたこと、それから広告媒体としての新聞の魅力が急落していること―――などについて、具体的な数値を挙げて説明してきました(図表1~図表3)。
図表1 新聞の合計部数の推移
(【出所】一般社団法人日本新聞協会データ【1999年以前に関しては『日本新聞年鑑2024年』、2000年以降に関しては『新聞の発行部数と世帯数の推移』】をもとに作成。なお、「合計部数」は朝夕刊セット部数を1部ではなく2部とカウントすることで求めている)
図表2 平日の新聞の利用時間
年代 | 2013年 | 2023年 | 増減 |
10代 | 0.6分 | 0.0分 | ▲0.6分(▲100.00%) |
20代 | 1.4分 | 0.5分 | ▲0.9分(▲64.29%) |
30代 | 5.8分 | 0.5分 | ▲5.3分(▲91.38%) |
40代 | 8.6分 | 2.7分 | ▲5.9分(▲68.60%) |
50代 | 18.6分 | 7.6分 | ▲11.0分(▲59.14%) |
60代 | 28.0分 | 15.9分 | ▲12.1分(▲43.21%) |
全年代平均 | 11.8分 | 5.2分 | ▲6.6分(▲55.93%) |
(【出所】総務省『情報通信白書』データをもとに作成)
図表3 広告費の推移(新聞・折込)
(【出所】株式会社電通『日本の広告費』データおよび当ウェブサイト読者「埼玉県民」様提供データをもとに作成)
新聞部数は3000万部台・夕刊部数は300万部台を死守できるか
これまでにしばしば取り上げてきたとおり、これらのデータは新聞業界が滅亡に向かっていることを示しています。つまり、ここで重要なことは、「新聞業界の売上は落ちている」という統計的事実であり、そこから導き出される、「新聞は業界の終焉が見えて来ている」、という有力説です。
とりわけ図表1にも示した日本新聞協会のデータに関していえば、あと2~3ヵ月もすれば最新版(※2024年10月時点のデータ)がアップデートされるとみられますが、当ウェブサイトとしては、2024年時点で合計3000万部台(うち夕刊300万部台)を死守できるかどうかが大きなポイントだと考えています。
この点、今年はまだ、辛うじて「全体3000万部・夕刊300万部」を維持するものの、ここを割り込むのは時間の問題です。とりわけ夕刊が300万部を割り込めば、新聞業界はとしてはもう夕刊の発行を断念しせざるを得ません。東スポや日刊ゲンダイは(もし生き残っていれば)朝刊紙に移行するでしょう。
そのタイミングは、早ければ来年か再来年頃にやって来るかもしれません。
そして、新聞部数全体も、遅くとも2030年代に1000万部を割り込み、業界が自体がほぼ消滅するのではないでしょうか。
ネットの普及はひとつの要因だが…
なぜこんなことになってしまったのか―――。
著者自身はこれについて、大きく2つの要因が関わっていると考えています。
ひとつは、スマートフォンに代表する電子デバイスの急速な普及。
これは、一般的に指摘されている大きなものであり、一見するともっともな理由です。
たしかにインターネットはとても便利です。情報がリアルタイムで更新されますし、ここ数年は通信環境も劇的に改善しており、文字情報だけでなく、画像、動画、ポッドキャストなど、さまざまな媒体をオンデマンドで楽しむことができます。これは新聞(やテレビ、ラジオ、雑誌など)にはない特性です。
これに対し、新聞は紙媒体であるがゆえに、さまざまな制約があります。
紙に情報を印刷するため、いったん刷り上がった情報を差し替えることは難しい。
大量に印刷して配達する必要があるため、記事を書いてから読者に届くまでに時間がかかる。
発行するタイミングが決まっているため、最新ニューズを届けることが難しい(号外?)。
物理的な新聞紙を製造するために、印刷用の工場・機械、紙やインクなど多大なコストがかかる。
紙に印刷して物理的に配送するために、大量のエネルギーと労働力を必要とする。
どれも、ネット配信だと無関係なものばかりです。
余談ですが、昨今のネット技術の進歩などを踏まえれば、わざわざ高いカネをかけてまで紙に新聞を物理的に印刷する必要などありませんし、もし新聞業界に先見の明があれば、新聞のビューワーの規格を業界で統一し、それを読者に配布して、通信で新聞を送り届けることだってできたかもしれません。
ただ、新聞業界がダメになりつつあるのは、やはり、ネットの発達だけでは説明が付きません。新聞社にとっての「製品」が情報なのだとしたら、新聞紙はその情報を読者に届けるための手段に過ぎないからです。
逆にいえば、その「製品」であるところの情報をネット配信に切り替えれば、むしろ新聞社にとってはコスト削減と新たな読者獲得につながるものであり、むしろ紙媒体の新聞発行を取り止めたとしても、新聞社の経営上、まったく問題ありません。
事実、世界には米ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)や英フィナンシャル・タイムズ(FT)、米ワシントンポスト(WP)、さらにはブルームバーグなどのように、ネットを使って情報を有料提供するサービスでそこそこ成功を収めている企業はいくらでもあります。
クオリティが低い日本の新聞
ではなぜ「日本の」新聞は、紙媒体の激減と経営危機に直面しているのか。
そこで思い当たるのが、もうひとつの理由―――社会のネット化で、そもそも日本の新聞のクオリティの低さが可視化されてしまったこと―――にぶち当たるのです。
少しだけ、著者自身の主観を申し上げておきます。
著者自身は仕事でさまざまな年齢のさまざまな立場の人々とお会いするのですが、とくにここ10年ほどは、若い人を中心に、新聞を全く読まない人が増えていると実感しますし、新聞を全く読まない人が会社の中堅層にも広まり、「新聞を読まない若者」を注意しなくなっているのです。
かつて職場や営業現場などでは、「新聞でこんな話題を目にしたんだけど…」、などとする話題が頻繁に見られたのですが、最近だと「新聞で見た」、が、「ネットで見た」に置き換わりつつあるのです(その一方、50代以上の方は、「新聞でこんな記事を見たんだけど」、といった話の振り方をする人は一定数いらっしゃるようです)。
こうした「世の中で新聞離れが急速に進んでいる」とする著者自身の主観的体験は、先ほどの図表1~3などを見ていただいても、客観的な裏付けが取れている現象だと考えて差し支えないでしょう。
そして、根本的な問題点は結局のところ、新聞業界(やテレビ業界)が垂れ流す情報が正確ではないことに加え、自分たちの発信した情報に責任を取らないことに尽きるのではないでしょうか。
いわゆる自称元慰安婦問題や福島第一原発を巡る吉田所長の証言捏造報道事件、カメラマンが珊瑚に傷をつけて報じた事件や子宮頸癌ワクチンを巡る虚偽報道事件、最近の例だと政治家の「うまずして」発言の捏造報道など、事例はいくらでもあります。
(※ちなみに「報道の質が低い」という意味では、『子宮頸癌ワクチン巡りNHKがSNSに責任押し付ける』でも取り上げたテレビ業界の事例も酷いです。データで見る限り、テレビ業界に関しては新聞業界よりはもう少し「長生き」するものと思われますが、テレビ業界については別途、随時議論していきたいと思います。)
新聞各紙にくまなく目を通す田原総一朗氏
こうしたなかで、産経ニュースに3日、こんな記事が出ていました。
「新聞は大事」だとアピールしてきたか なぜ売れない? はっきりいえば面白くないから
―――2024/10/03 10:00付 産経ニュースより
おそらくはシリーズ連載と思われる、『話の肖像画 ジャーナリスト・田原総一朗<3>』という副題が付されていますが、これは産経新聞社が田原総一朗氏にインタビューをした記事と思われます。
この記事では田原氏が、新聞については読売、朝日、毎日、産経、東京といった一般紙、経済紙である日経に加え、日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』、さらに創価学会発行の『聖教新聞』に至るまで定期国土駆使、毎日、目を通していると紹介します。
こうした新聞各紙に目を通している田原氏だけに、視点は独特で、とりわけ「産経新聞が朝日新聞を批判するのに、朝日新聞が産経新聞を批判しないのはなぜか」、といった論点は興味深いところです(その答えは本稿で引用しませんので、産経の記事を直接読んでください)。
それはともかくとして、本稿で注目しておきたいのは、田原氏がネットと比べ、新聞には長所があるとしつつも、現在の新聞の質が低下していると指摘する一連の発言です。
田原氏はまず、こう述べます。
「僕はね、新聞をはじめとする活字文化、紙の文化がとても大事だと思っています。<略>それに、ネットの情報は右から左へと、すぐに消えて(忘れて)しまうけど、一枚一枚紙をめくって、じっくり読んだ内容は記憶に残って消えないでしょ」。
「何より大事なのは、新聞には『いろんな情報がたくさん詰まっている』こと。『大人の知的好奇心』を刺激してくれる存在なんだよ。今の若い人たちは、ネットで『関心がある情報』しか見ませんし。だから、どんどん視野が狭くなってしまう。これは危険ですよ。新聞には見たくない情報や嫌いなことまで入っている」。
このあたりに関しては、賛否両論あるところだと思います。
「じっくり読んだ内容は記憶に残って消えない」というのは、紙だろうがウェブだろうが、同じではないか。
新聞に「いろんな情報がたくさん詰まっている」のくだりに関しては、ウェブの方が遥かに多様ではないか。
そんなツッコミも聞こえてきそうな気がしますが、ただ、それでもこの田原氏の発言は、「新聞を文化として残すべきだ」とするひとつの見識の表れだ、と見えなくはありません。
新聞が面白くない?
しかし、それに続いて田原氏はこうも述べます。
「新聞がなぜ売れないのか?はっきり言えば、面白くないからですよ。(情報として価値がある)面白い記事が載っていれば売れるでしょう。/ではなぜ面白い記事がなくなったのか?それは記者の取材力が低下しているから」。
この「情報として面白い記事が載っていれば売れる」、は、個人的には正解だと思います。
実際、著者自身も長年、ウェブ言論の世界に身を置いていますが、たしかに本当に知的好奇心が刺激されるような記事は、長い時間をかけてしっかり評価されるという点は間違いないと思います。
ただ、その次の、こんなくだりについてはどうでしょうか。
「20年前、30年前の記者は(各界の要人と)1対1で会って取材をしていた。今の記者はそれをやらない。記者会見にパソコンを持ち込んでカチャカチャやっているだけ。要するに〝会う力〟が無くなったんですね。そんな記者に面白い、突っ込んだ記事が書けるはずがない」。
俗にいう「コタツ記事」、ということでしょうか。
お言葉ですが、「本来ならば取材による裏取りが必要な論点なのに、ろくに取材をせずに記事する記者がいる」、という点に関しては、今も昔も変わりません。より正確にいえば、ネットの普及で新聞にも多くの「コタツ記事」が掲載されているという事実が可視化されただけではないでしょうか。
いずれにせよ、現在、新聞業界で発生していることは、新聞業界がこれまでやってきたことの集大成のようなものであり、もしも新聞業界が「滅亡」を避けたいと思うなら、やはり真摯に読者に向き合い、「報道の質」を高める以外に方法がないような気がするのですが、いかがでしょうか?
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新聞を読んでも過度に偏向された情報しか取得できません。
マスコミが各社をそれぞれ相互批判、多様な意見を提示するのであれば価値がありますが。
身内のマスコミ不祥事はダンマリ
ネットでなければそうした不祥事を知る術がありません。
また専門的な事柄を解説するのであれば価値があります。
残念ながら新聞記者の能力が低くそれができません。
一般的にそれは失敗といいます。
MUST講読者にとって必要な情報が提供されている。...✕ 報道しない自由を駆使
MUST情報を正しく提供されている。...✕ 情報をあえて誤解させるように意図された改竄
WANT講読者の興味深い情報を提供 ...○ 左派メディアは左派講読者に寄り添った情報を提供
という感じに思います。
>お言葉ですが、「本来ならば取材による裏取りが必要な論点なのに、ろくに取材をせずに記事する記者がいる」、という点に関しては、今も昔も変わりません。
ろくに取材せずに官房長官に聞くのが褒めそやされる時代ですしね。
田原総一朗氏は、産経新聞のインタビューで「(産経新聞を含む)新聞が面白くない」と言っているのでしょうか。
蛇足ですが、田原総一朗氏は、「最近の若い新聞記者は、取材力が落ちている。まったく(自分より年下の)最近の若い者は」と言っているのでしょう。
氏の語る新聞の売れない理由が正しいかはよくわかりませんが、氏が"論題の専門家でもないのに、科学的な分析も経ていない私見を、一方的にさも絶対の事実のように説いて押し付ける"典型的なマスコミ人である、ということだけはよくわかりました。
面白いかどうかは関係ないと思う。
情報が隠蔽されず、改竄も捏造もされてなければ新聞にも価値は出る。
あるがままを伝えれば良いのに。
「おもしろくないから」
と言ってる時点で田原もダメですね。
面白いかつまらないとか、耳に痛いか優しいかなんかどうでもよくて、
「当たってるかどうか」
が、本質かと思われます。
取材力が無い。
分析ツールも能力もチープ。
過去についての記憶や資料が整頓不足。
なにより活動のモチベーションが歪んでる。
耳に痛いことでも結果的に当たってるならば、1日遅れの情報であっても分析を知りたいからみんな購読する。
とにかく当たってない。
止まってる時計ですら1日2回は正確な時刻を示しますから、たまに当たってるなんてのは言い訳になりませんしね。
テレビも同じなんだけど、田原は老人なので将来性よりは無視して逃げ切りに全力疾走してるぽいですね。
新聞が面白くない、というのはその通りだが、それ以上に、自社の思想や主張を押し付けようとしている。特に、朝日、毎日、東京などは、反政府、反自民であることを党是としているようにすら感じられる。時には、事実に反する記事を捏造さえし(拉致問題、慰安婦問題など)、謝罪をしてもこっそりと。
ネットでファクトを調べる方が余程面白い知的作業である。
今や、低品質と偏向ぶりが可視化された新聞記事で、世の中を全てを知った気になっているほうが逆にこわい。論点のとっかかりになる部分は、インターネットやAIで簡単に調べることができる。
新聞業界に限らず、必要とされないモノ・サービスはどんどん消えていく。
たとえ必要でも、優先順位の低いモノ・サービスもどんどん縮小していく。
ベースに可処分所得の低下があるから致し方ない。
私は子供の頃、新聞を読むのが結構好きだったので、成人してからも
新聞を取っていましたが、だんだんつまらなくなり自宅に固定回線を
引いた時に解約してしまいました。
その後、再び新聞購読しようかと、喫茶店で新聞を試読するのですが
そのたびにやる気が失せてしまいます…なぜかと考えたところ
・配達負担を減らすためか、昔よりページ数が減っている
・読みやすくすると言う建前で文字数が減っている
・広告が増えている
つまり量的に内容が激減しており、それに伴い質も低下
デフレ下で色々な物が安くなりましたが、新聞ほど品質が
悪化し高価になった製品は無いと思います