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新潮「トーチュウが年内休刊」と報道…他紙の追随は?

中日新聞社系のスポーツ紙『トーチュウ』が年内で休刊する、とする記事が出てきました。報じたのはデイリー新潮ですが、記事によると近年、同紙は売上部数が数万部にまで落ち込んでいたのだそうですが、これは同紙だけの問題ではなさそうです。日本新聞協会のデータによると、2023年のスポーツ紙の部数は2000年と比べ3分の1以下に減っているからです。

著者自身が「櫛の歯理論」と呼ぶものがあります。

これは「とある衰退業界でその事業から撤退する社が続出すると、残った同業他社も事業継続が困難になる」とするものなのですが、その典型例を挙げるなら、新聞産業がそれでしょう。

一般社団法人日本新聞協会が公表する『新聞の発行部数と世帯数の推移』などのデータによると、新聞部数はピーク時と比べ、半分以下に減っているからです(※数え方によっては「まだ半分にはなっていない」との考え方もありますが、その場合も、「半分近くに減った」ことは間違いありません)。

そのなかでもとくに「消滅の危機」にあるのが、夕刊とスポーツ紙です。

たとえば夕刊部数(※ただし新聞協会データでいうところの「セット部数+夕刊単独部数」)は、2000年には約2001万部でしたが、これが2023年には約491万部にまで減りました。四半世紀で部数はざっと4分の1以下に減りました。このペースで減り続ければ、夕刊はあと数年で消滅する計算です。

また、種類別にみると、スポーツ紙は2000年時点で約631万部でしたが、2023年においては約192万部で、四半世紀で部数は3分の1以下に減った格好です(※ただし、「一般紙」「スポーツ紙」の区分は「朝刊・夕刊・セット」ときれいに対応しているとはいえませんが、この論点については本稿では割愛します)。

いずれにせよ、新聞業界が急速な衰退に向かっていることは間違いありません。

実際、先日の『産経も富山県で配送終了:櫛の歯理論に向かう新聞業界』などでも取り上げたとおり、全国紙のうちの毎日新聞や産経新聞が、9月末をもって富山県への配送を終了する、といった話題も出て来ています。

これに加えて大手全国紙の間でも地方などで夕刊から事実上撤退する動きが相次いでいるほか、北海道新聞のように、大手ブロック紙の間でも、夕刊を事実上廃止する事例も出て来ています。

こうしたなかで、当ウェブサイトでは以前から取り上げてきたとおり、『夕刊フジ』が年内をめどに紙媒体の発行を取り止める、といった観測報道もありますが、こんな話題も出てきました。

「東京中日スポーツ」事実上の“廃刊”か 「紙媒体をやめるということは“トーチュウ”ブランドが消えることに…」

―――2024/08/31 11:03付 Yahoo!ニュースより【デイリー新潮配信:『週刊新潮』2024年8月29日号掲載】

『デイリー新潮』が8月31日付で配信した記事によれば、「トーチュウ」こと『東京中日スポーツ』が、年内で休刊するのだそうです。

デイリー新潮はこれについて、「今のところ社内のごく一部しか知らされていない」としつつも、「トーチュウの印刷を担っていた埼玉の工場が閉鎖される」ので「もう後戻りできない」として、「休刊の決定は9月以降、順次、社内外の各部署に通達される見込み」としています。

ではなぜ、『トーチュウ』が休刊(あるいは事実上の廃刊?)に追い込まれるのでしょうか。

デイリー新潮によると、近年は売上部数が「数万部」にまで落ち込んでしまい、「廃刊は時間の問題」だった、などとあります。おそらくは、これがすべてでしょう。

というよりも、正直、スポーツ紙全体がトータルで200万部を割り込んだという状況にあるわけですから、多くのスポーツ紙において、すでに「採算ライン(損益分岐点)」を割り込んでいる可能性があります。

『トーチュウ』のような大手新聞社系のメディアであれば、まだしばらく余裕があるかもしれませんが、独立系のメディアであれば、ごく近いうちに事業撤退の判断を迫られる事例が出て来るのかどうかには注目したいところです。

新宿会計士:

View Comments (9)

  • 私自身スポーツ新聞を読まないが、ひいきのチームや日本代表が勝った翌朝に新聞記事でもっと詳しく知りたいという気持ちは理解できる。
    ただ今は出勤途中にスマートフォンで充分じゃないのか。しかも動画でみることも可能。
    こりゃあスポーツ新聞滅びるね。

  • 読者層の高齢化に伴って、紙媒体で見る「オとナのページ」の実需が減退・・。
    (。-人-。) ゴメンネ

  • 以前にこのサイトで話題になりましたが、アナハイムエンジェルス(現在は、ロスアンジェルスドジャース)で活躍する大谷翔平選手に対して、メディア各社の記者がおこなっているインタビューが、余りに低次元で、野球のことなんかろくに知らずに、まるで芸能人を相手にする感覚で(それにしたって、プロフェッショナルに対する敬意を欠く点は同様ですが)やってるんじゃないかと、呆れるような内容であったと。挙げ句の果ては、結婚した同選手が購入を予定していた新居の空撮を敢行して放送するという不祥事をやらかした日本のテレビ局が、取材拒否に遭う憂き目に(事実かどうかは不明だそうですが)なんて、野球とはまるで関係のないところで、大いに存在感を発揮してました(笑)。

    スポーツ紙の没落は、紙媒体からネットへという社会の流れの一例という側面も、確かにありはするでしょうが、それよりも、情報社会の成熟とともに、一般人と言えどスポーツへの関心の中身が、かつてとは比較にならぬほど高度なものになってきているという事実に気付かぬまま、メディアの側は自己研鑽を怠り続け、その必然的結果として「読む価値もない」と旧来の読者から愛想を尽かされる羽目に陥ったとみるべきかと思います。

    現代のアスリートは、持って生まれた才能だけでトップレベルで活躍できるなんてことは、おそらくないんでしょう。体づくりから、技術の習熟、戦術理解、そして実戦で最大限パフォーマンスを発揮する精神面の鍛錬、すべては、スポーツ医学、IT技術を駆使するスタッフの支援と、それらの助言をストイックに実践できる本人の心掛けなくしては、頂点に立つことは難しい、そういう時代になっていると思います。

    一般読者を相手にするスポーツ新聞の記事に、そうしたことまで盛り込む必要はないでしょうが、選手が一流になるまでの背景に、書き手が全くの無頓着とあっては、スポーツにそれなりの関心を持つ現在の読者なら、その内容の底の浅さなど一目で見抜いてしまうでしょうね。

    勝つか負けるか、記録を出すか出せないか。スポーツというのは、それに至る前段階での努力との因果関係がまことに分かりやすいから、それに携わるメディアの理解の程度も、記事を読めばただちに見て取れる。だから、メディア集団の魁となって没落していくのがスポーツ紙。

    「科学を振りかざすな」などと言ってたら、一般紙だって、その後を追いかけるだけの運命が待ち受けているでしょうね。

    • AD.20xx
      “ト学会”の歓視対象に「一般紙」が…

      …えっ? もう入ってる??

  • Sports Graphic Numberという雑誌があります。
    これは濃い内容で時々読みます。
    要は内容が読者の納得できるものであれば、今の時代でもやっていける可能性がある。
    そうでなければ暫くの間は惰性で買ってくれる(ヒステリシス効果っぽい)かもしれないがいづれ買ってくれなくなる。
    ということですね。

  • 通信代はネット利用者の財布から出ています。
    この通信代支出の構図に乗っかってジャーナリズム産業が儲けようというのであれば、今払っている通信代に上乗せ支出をするという形で利用者から都度払いなり月払いなりでお金を受け取るというビジネス構図になります。果たして日本のジャーナリズムは「貧相な情報商品」に追加料金を払ってもらえるでしょうか。
    無償で高品質な情報源はいくらもであり、国内はもちろん海をも越えて興味と熱意の赴くままに時間とお金を有効利用しようと、払っている通信代の元を取ろうと、ごみは掴まないようにしようと、そのような動機づけが働いている状況で、日本の出版社新聞社は果たして「情報提供対価」を受け取れそうでしょうか。こんな商品にカネなど払わない。そう切って捨てられて終わりではないでしょうか。

    • 情報提供対価を読者から直接得ることが望み薄なので、ポータルサイトでのPV数稼ぎに走るのではないでしょうか。

    • はい、ご指摘のようにその方向付けもあると思います。
      高品質商品を提供し続けて対価に見合う価値を認めてもらう以外には生き残る方策はありません。ですが現実には「インプレ稼ぎ・広告収入頼み・炎上話法・扇動論法」に日本の出版社や報道機関が走るであろうことは、これまでのかれらがどのようなことを実践して来たかを見れば明らかです。
      非を改めないジャーナリズムに対する読者利用者の対処方法は簡単です。タダ読みを続ければよいのです。袋とじ文章に興味はない。読ませたくないなら読まないだけだ。人の目にふれない文章にどんな値打ちがある。こんな帰結になると思います。

  • とてもシンプルな理屈として、スポーツは動画つきで見たい物ですしね。
    今後スポーツ新聞はネット以外でやるのはとても難しくなりそう。
    テレビは実況や解説の腕次第でまだ持ちこたえられそうだけど……