野村修也氏の発言意図をメディアは正しく伝えたのか
NHKは26日、例の不適切放送問題で、5分間の謝罪放送を行ったそうです。これを巡り中大法科大学院教授で弁護士の野村修也氏はNHKが「誠実な対応をした」と述べたとして、批判意見が出ているのですが、これについてはそう報じたメディアのタイトルがミスリーディングなものだった可能性が濃厚です。その一方、NHKの不適切放送は、やはり氷山の一角と見るべきではないでしょうか。そして、当該放送はNHKの「特殊負担金理論」の前提となっている視聴者の信頼や放送法の立法趣旨を裏切る行為でもあったのです。
目次
NHKが5分間の謝罪放送=26日に
先日より、国費を投じたNHKの外国語国際ラジオ放送で、中国人外部スタッフが著しく不適切な内容を話した、とする問題を取り上げています。
しかも、『不祥事次々発覚…和田政宗氏がNHK改革必要性を提言』などでも取り上げたとおり、NHKは本件について、8月19日、22日、25日の3日間、延べ4回にわたってプレス・リリースを出しているのですが、毎回、内容が微妙に異なっているなど、NHKの対応は、とうてい誠実なものとはいえません。
まるで、NHKは最初から情報の全容を公表しようとしておらず、批判を受けて情報を小出しにしているかのようであり、これなどまさに「隠蔽体質そのもの」と批判されても仕方がないようなレベルの対応です。
しかもNHKは本件不祥事に関連し、5分間の謝罪放送を行ったのだそうです。
NHK、中国籍外部スタッフの尖閣発言問題で5分間の謝罪放送 「極めて深刻な事態」
―――2024/08/26 18:26付 産経ニュースより
これなど、従来のNHKの「完全黙殺」という姿勢と比べれば、見方によっては多少の誠意があるという言い方もできなくはないのですが、むしろ実態としては、さすがのNHKも批判の高まりから報道発表のみで済ませることができなかったものだ、などと考えた方が正確ではないでしょうか。
いずれにせよ、NHKは受信料という(著者に言わせれば)事実上の税金(のようなもの)で運営されていて、しかも国際ラジオ放送には国費も投じられているという状況に照らし、私たち一般国民の負担で、堂々とわが国の国益を棄損したことは、許せるものではありません。
野村修也氏が「NHKは誠実な対応」と発言=メディア報道
さて、ちょっとした話題をひとつとりあげておきましょう。NHKの不誠実極まりない対応を、「誠実な対応」だとする意見が出て来たとして、ネットではこれに対する批判が出ているようです。
NHKは「誠実な対応をされた」と野村修也氏「尖閣は中国」の謝罪放送 38億円の補助金も指摘
―――2024/08/27 16:04付 Yahoo!ニュースより【日刊スポーツ配信】
日刊スポーツによると、中央大学法科大学院教授で弁護士の野村修也氏は27日放送の日テレ系『情報ライブミヤネ屋』なる番組に出演し、NHKが総合で5分にわたり謝罪放送を行い視聴者に謝罪したことについて「NHKは誠実な対応をされたんだなと思います」と述べた、というのです。
「これの、いったいどこが誠実なんだ」。
ヤフコメを見ると、そんな非難で溢れ返っています。
NHKを擁護するなんて、とんでもない、といった風潮でしょう。
ただし、記事では、野村氏は番組内でこんな趣旨のことも述べた、と伝えています。
- 放送法では、番組基準というのを策定してそれに従って放送することを求めている
- とくにNHKの場合、国際放送に限っては政府見解を正しく国際社会に発信するために約38億円の補助金が投入されている
そのうえで、記事タイトルにもなっている「NHKは誠実な対応」云々のくだりは、「NHKがその部分を正確に、もういちど、日本の立場をしっかりと伝えている」という点に限定して述べた、というものであり、ちょっと記事のタイトルが若干、ミスリーディングでもあります。
このように、記事を正確に読むと、記事タイトルとご本人の発言の伝わり方にズレが生じているというのはままある話です。
野村氏自身がメディア見出しに苦言を呈する
そして、本件記事を巡っては、野村氏本人が自身のX(旧ツイッター)に、こんな内容をポストし、メディア見出しに苦言を呈しています。
野村氏はポストの中でハッキリと、「私は先週、NHKの謝罪の仕方を強く批判した」と強調。自身がこうした強い批判をした直後だけに、NHKが今週に入って5分間の訂正放送を行ったことに関してのみ、評価したに過ぎない、と説明しているのです。
この野村氏の説明、非常に筋が通っています。
著者自身も、どこかのメディアなどを強く批判した際、後日、そのメディアが多少はしおらしく謝罪したならば、評論家としてのバランス感覚から、その謝罪に限っては公正に取り上げたうえで、その謝罪に限定して「誠意がある」と述べることがあります。結果的に批判が強くなりすぎている点に対するバランスを取るためです。
野村氏の発言も、この27日放送回では、前日にNHKが謝罪放送を行っていることに言及し、「NHKが謝罪も何もしていないわけではない」という点を指摘したものに過ぎず、先週までのNHKに対する批判を全面的に撤回したわけではない、と見るのが妥当でしょう。
ガバナンスの問題の一環で、氷山の一角
さて、話題をNHKに戻しましょう。
やはり本件、NHKがたった5分、謝罪放送をおこなったからといって、今回の事件が許される、というものでもありません。
(和田政宗参議院議員の説明によれば)NHKは先週の段階で自民党に対し、放送の全容を開示するのを拒絶していたこと、そしてNHKの説明が後出しでどんどんと出て来ていることなどを踏まえると、これはNHKのガバナンスを巡る「氷山の一角」と見るべきでしょう。
当ウェブサイトでもこれまでさんざん指摘してきたとおり、そもそもNHKを巡る放送法の規定自体が、さまざまな意味において、矛盾を来しているのです。
放送法第64条第1項
協会の放送を受信することのできる受信設備<中略>を設置した者は、同項の認可を受けた受信契約<中略>の条項<中略>で定めるところにより、協会と受信契約を締結しなければならない。<後略>
放送法第64条第1項の規定によれば、NHKの放送を受信することができる設備(チューナー付きテレビなど)を設置した場合、NHKと「契約を締結しなければならない」とされていて、いわば、「法により契約を締結することが強要されている」格好です。
私たち自由・民主主義国の住民としては、「契約自由の原則」、つまりそもそも契約というものは、当事者同士の自由意思で締結するものが通常のルールではないか、と思ってしまう人が多いと思いますが、放送法はそうではなく、「法律で契約締結義務を課している」のです。
役所?民間企業?良いところ取りをするNHK
そして、もしもあなたがNHKと受信契約を締結すれば、その契約に従って、あなたはNHKに対し、いくばくかの受信料を支払う義務を負うことになります。この受信料は、あくまでもあなたがNHKとの間で締結した契約に従って発生するものであり、形式上は、公租公課ではありません。
しかし、その経済的実質は、税金です。
法律で受信契約を結ぶことが義務付けられていて、その受信契約を締結したら契約に従って支払う義務が発生し、あなたがNHKの番組について、どんなに不満を持っていたとしても、その受信料を支払わなければならないからです。
ついでにいえば、NHKの予算は国会決議事項でもありますし、NHKは監査法人の会計監査に加えて会計検査院の決算検査を受けています。NHKの受信料は「税金」と名乗っていませんが、事実上の税金のようなものなのです。
しかもNHKの職員は国家公務員ではないため、役所と民間企業の「良いところ取り」をしているフシがあります。その「事実上の税金」を乱脈に使い、異常に高額な人件費を計上したり、蓄財をしたりしているからです。
このように考えていくと、視聴者から半強制的に巻き上げた受信料と、国際放送に関しては国家予算を使って、日本の国益を大きく毀損する内容が放送されてしまったこと自体、NHKという組織の業務の在り方に、深刻な欠陥がある証拠です。
実際のところ、NHKのテレビ放送でも、それらが「公共放送として相応しいものであるかどうか」を担保する仕組みはありません。
極端な話、非常に問題のある内容であっても、国会といった国民の代表者の監視の目なしに、どんなコンテンツでも放送できてしまっているのです。
NHK受信料「特殊負担金」理論の破綻
しかも、それが新聞や民放テレビ局などであれば、問題がある、あるいは反社会的なコンテンツを掲載・放送し続けていけば、やがて経営に行き詰まり、最悪の場合は誰からも相手にされなくなって倒産という末路が待っています。
しかし、NHKの場合は放送法の規定に基づき、どんなつまらない番組を作り続けたとしても、あるいはどんなに問題が多い番組を作り続けたとしても、視聴者が合法的に不視聴運動などをしてNHKを倒産に追い込む、といったことができません。
法的には、視聴者はNHKに受信料を払い続けるしかないからです。
このあたり、著者自身は「いっそのこと、地上波が映るテレビそのものを捨てておしまいなさい」、などと提唱しているわけです。地上波が映るテレビを手放せば、放送法の定義上、NHKに受信料を支払う必要がなくなるからです。
ただ、現行の法制だと、「民放の番組は見たいけれどもNHKは見たくない」という人には対応することができません。NHK(や総務省)は、受信料は「放送の対価」ではなく「NHKという公共放送を支えるための特殊な負担金だ」と騙っているからです。
そして、その「特殊な負担金」が公共放送に相応しい放送を支えているのだ、とする視聴者の信頼、そして立法趣旨を、今回のNHKの放送は完全に踏みにじったわけですから、すでにこの「特殊負担金」理論自体が成立しないことは明らかです。
やはり、NHKと総務省は、受信料が番組の対価であるという事実を認めることからスタートすべきでしょう。
つまり、受信料が番組の対価であるならば、アマゾンプライムやNetflixなどと同様、それは「見たい人だけがおカネを払って見る」という性質のものであるべきなのです。
実際、NHKは今後、ネット事業にも参入しますが、ネット上ではNHKを視聴できる環境を整えた場合に受信料の負担が発生するものと見込まれ、この場合は経済的実質として、受信料は、限りなく「放送の対価」性を帯びて来るのです。
NHKや総務省がどんな屁理屈を述べようが、「受信料=放送の対価」という構図は、NHKネット課金の開始とともにますます明らかになってきますので、社会正義の観点からも、やはり「NHKは見たい人だけが見る」、すなわち「スクランブル化」が必須となってくるのです。
NHK改革を進めるべき
あくまでも個人的には、NHKは商業放送部門と国営放送部門に分け、国営放送部門は政府インターネットテレビと統合したうえで、税金によって運営する(たとえば教育番組は文教予算を投じて運営し、天気予報番組は気象庁が、国会中継は衆参両院事務局が、それぞれ運営する、など)のが筋でだと思います。
そのうえで商業放送部門はNHK自身が保有する莫大な資産(金融資産や土地・建物など)を全額国庫に返納したうえで、放送施設を改めて時価で国から賃借し、通常の民放や衛星放送局などと同様、CMで賄うなどすれば良いだけの話です。
あるいは、スクランブル化の技術はNHKであろうが民放であろうが同じですから、これまで広告収入だけに依存して来た民放のなかにも、地上波有料放送を開始するメディアが出現したって良いのではないでしょうか。
チャンネル数を抜本的に増やし、事業参入の自由度を高めたうえで、有料・無料を含めさまざまなチャンネルが地上波テレビに出現するようにすれば、現在はネット上でVODを運営する業者も地上波テレビ事業を開始する(かもしれない)など、テレビ業界は息を吹き返すのではないかとおもいます。
もっとも、その過程で現在の主要民放各局や民営化後のNHKは、生き馬の目を抜くがごとき業界で勝ち抜いてきたVOD各社に勝てず、生き残れない可能性もありますが、それは正直、「知ったことではない」というのが実情である、という点に関しては、ここだけの話です。
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NHKに先日メールフォームでこの件の抗議を送りましたが返信はありません。
以前にも紅白歌合戦で朝鮮人の選出が多いので抗議を送りましたが、それも返信がありませんでした。
本当に解体してほしいです。
メールより電話のほうがまだマシかも。メールはゴミ箱直行でNHKとしては無影響だが 電話だと応対が必要。電話が話中ばかりだと 視聴者の声に答えていないとさらに突っ込まれる。
この際地上波 TV 放送なんか民放産業ごと清算廃止すればいいと思います。巨大な権益構造が生む『社会害悪』は明白ではありませんか。これが濫用でなくてなんでしょうか。電波帯という貴重な社会資産が非効率に利用され続けて言いわけがありません。総務省と放送産業のなれ合いもたれあいを許すな。
検索のキーワードに「うそのしんぶん」とキー入力すると「XX新聞」と勝手に出てくるように、今後は「うそのてれび」と入力すると「NHK」と何故か表示されてしまう時代が来ることを願っています。
にしても、受信料、払いたくない。
日本国民から高いカネを強制的に徴収しておきながら、反日報道が多すぎる。
株価急落で日銀植田総裁を国会によんだんだから(このせいで国際会議に出席できなくなった)HNK会長もよんで質問しろよ。
NHKは番組内で中国企業のCMに勤しんでるそうですね。
CMやるなら受信料いらなくね?、と思いますがどうでしょうか。
商品名を出すことには異常に気をつかっていて、歌詞まで変えさせた事例があるのに、中韓のステマにはやたら甘いですね。
ホントそれですね。いつから解禁したのやら。
民放もCMとってやっているんだからNHKもそうしろと言いたいです。
有名なポルシェの車名どころか歌詞の中に歌手自信の名前が出てくる所も改変させたNHKでしたね。
松本伊代さんでしたっけ?
魔改造の夜でも企業名を必死に隠すのにプロジェクトXではあからさまに社名連呼するとか…
ご都合主義なんだよなNHK
リンク先、野村氏へ批判の矛先が行き、金をもらってるんじゃないかだの認識が甘いだののコメントで溢れかえっていますね。配信された文章だけを読んでの感想とすれば無理もありませんが……野村氏の事は存じ上げませんが、反論を信じるのであれば、メディア側はNHK(というか放送法か)を擁護するためにまた事実を捻じ曲げたことになります。事件を反省するどころかスケープゴートを仕立てた形で、不実を働いておいて誠実だという評価を捏造するという、重ね重ねの不実で醜悪そのもの。
事件の火消しにもならない上に、さらにマスコミ全体へのヘイトを稼ぎ、今後メディアの不祥事へのコメントをするとこういう事をされるという事例をデカデカと作り、味方が減ることでしょう。稚拙すぎて何がしたいのかというレベルです。
崩壊しつつある利権ってそういうものです。
くるくる変わる釈明は組織腐敗と統治不全の証左。
公益通報者保護法に則った「ネットへの」通報が活用されそうな。もちろんオールドメディアは火病を起こすことでしょう。なぜなら同じ穴の狢だからです。
NHKは本当に(彼らにとっての)最低限中の最低限の対応をしたみたいですね。
この程度では批判を鎮める事はできない(どころかむしろ火に油を注いでいる)のは
百も承知で、政治家達が介入しにくくなる効果だけを狙っている様に見えます。
>しかもNHKの職員は国家公務員ではないため、役所と民間企業の「良いところ取り」をしているフシがあります。
権利に関しては「日本に住んでいるんだから日本人と同じにしろ!」と言い、
義務に関しては「日本人じゃないんだから日本人と同じにするな!」と言う、
良いところ取りを要求する連中の事が何故か思い浮かびました笑
NHKは都合に合わせてアーカイブを残さないので有名です。
ドラマ部門でも驚くほどアーカイブされていません。
「ビデオテープが高価だったから上書きした」と言い訳していますが上書きされて消される番組は恣意的です。
まるで毛沢東が尖閣は日本の領土と語り掲載された人民日報のような
「バックナンバー残って無いから事実じゃない」
みたいな言い種です。
実は全国の自治体が抱える外郭団体やらも、そのための在るんじゃないかと思う程証拠隠滅が激しい。
既にコンピュータが導入されていたつい20年ほど前ですら収支の明細を破棄し一応でっち上げた決算だけ遺せば良いだろうみたいな姿勢です。
一応抗議した事があり可能な限りのデータを遺すべきだと申言したところ
「一度遺そうとしたらフロッピーディスク数十枚にもなった」
とか言い訳された事がありますが…フロッピーディスクで遺すとかボンクラな事が当時でも言い訳になっていませんでした。
フロッピーディスク2HDの容量は1.4Mですが、当時でもMOディスクやDVD-RAMディスクは普通にありました。
楽勝で一年分が一枚で足ります。
取引先との経緯や内訳明細を破棄する為だけのデータ削除でしかありませんでした。
紙の資料は確かにかさ張りますが放送済みのものも含めデジタルデータ化されたもののを容積不足を理由にしたりメンテナンスの煩雑さを理由にするのが困難な時代になってきているのに。
平安時代だろうが司馬遷の時代であろうが、事実をありのままに遺そうとしてきた無名の官吏が粉骨砕身して遺した歴史の結果として今の我々は存在すると思うのですが…