当ウェブサイトでは、「インターネット=活版印刷」説というものを、最近、支持しています。1450年頃にグーテンベルクにより発明されたとされる活版印刷は、その直後、カトリック教会の免罪符というインチキを糾弾したマルティン・ルターの主張を全ドイツに広める役割を果たしました。いま、それに匹敵することが発生しています。インターネットの発達により、オールドメディアの偏向報道というインチキを糾弾する意見が、いままさに、全国に広がりつつあるからです。
目次
歴史に学ぶ情報革命
ルネサンス期の重要発明のひとつが活版印刷
世界史の教科書などによると、ルネサンス期の「3大発明」として火薬、羅針盤とともに挙げられるのは、活版印刷技術です。山川出版社『詳説世界史』(1997年3月31日検定版)151ページ目には、こんな記述があります。
「ルネサンス時代には、技術の分野でも、ヨーロッパの発展に大きな影響をおよぼす3大発明が成し遂げられた。火砲(火薬)・羅針盤・活版印刷がこれである」。
この活版印刷、通説によるとドイツの金細工師ヨハネス・グーテンベルクが1450年頃に発明したとされているようですが、この活版印刷は製紙法の伝播と結びつき、従来は写本などに頼っていた書籍の製作を飛躍的に低コスト化・迅速化したとされています。
カトリックの免罪符を糾弾したルターの意見がドイツ中に広まったわけ
すると、いったい何が発生したのでしょうか。
(あくまでも世界史教科書的史観によれば)中世西欧社会といえば、腐敗したカトリックが支配する、非常に閉塞した社会だったとされていますが、こうしたカトリックの権威に挑戦する出版物が増え、科学技術が一気に発展し始めたのです。
たとえば、マルティン・ルター(1483-1546年)による『九十五箇条の論題』(1517年)は、当時のカトリック教会による贖宥状(しょくゆうじょう、あるいは免罪符)の悪弊について議論したものですが、山川教科書にいよれば「たちまちドイツ中に広まり、大きな反響をうんだ」(P158)そうです。
また、同教科書によると、ニコラウス・コペルニクス(1473-1543年)が唱えた地動説は、「聖書の天地創造説話にもとづいて天動説をとっていた教会の世界観に挑戦」(P152)するものであり、地動説を支持したがために、イタリア人のジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600年)は処刑されています。
そして、これが広まるのを支えたのが活版印刷技術であったことは間違いなく、いったん発せられた説は、教会がいくら弾圧しても、広まるのを防ぐことはできませんでした。
その意味で、カトリック支配を打破したのが、活版印刷などに支えられた自由な言論であったことは間違いないでしょう。
ネットの出現は活版印刷の登場に匹敵する革命
それではなぜ、この21世紀、令和の時代に、こんな古いルネサンス期のことを述べるのか―――。
じつは著者自身、既得権益の崩壊の過程は、どの時代でもまったく同じではないか、という仮説を持っているからです。それは、「いままでまったく存在しなかったあらたなテクノロジーの出現」であり、ネットの出現は、まさに活版印刷の登場に匹敵する情報革命です。
日本では19世紀後半に出現した新聞と、20世紀後半に出現したテレビが、それぞれ長い期間にわたり、世論を事実上支配していました。世論を支配する大メディアが出現した時期は各国により微妙に異なりますが、こうした状況は日本以外でも、だいたい同じようなものだったのではないでしょうか。
ただ、諸外国と比べると、日本のメディアの問題は、かなり特殊なものだったのではないかと思います。
その際のキーワードが「クロスオーナーシップ」と「少数独占」です。日本では長らく、言論空間がごく少数の資本に支配されてきたのです。
このうち「クロスオーナーシップ」は、大手新聞社とテレビ局の多くが同一の資本系列に属している、とする問題です。全国紙と在京・在阪テレビ局の関係でいえば、こんな具合でしょう。
新聞、テレビのクロスオーナーシップまたは業務提携
- 読売新聞、日本テレビ、よみうりテレビ
- 朝日新聞、テレビ朝日、朝日放送テレビ
- 毎日新聞、TBS、毎日放送
- 産経新聞、フジテレビ、関西テレビ
- 日経新聞、テレビ東京、テレビ大阪
つまり、少なくとも「在京キー局」と呼ばれる5つの放送局は、「全国紙」と呼ばれる5つの新聞社とほぼ同一の資本に属している、というわけです。
なお、新聞社とテレビ局、どちらが優位にあるかについてはグループによって異なります。
たとえばフジテレビと産経新聞はフジ・メディア・ホールディングスのそれぞれ連結子会社、持分法適用関連会社であり、読売新聞グループ本社や読売新聞東京本社は日テレの親会社である日テレホールディングスの、朝日新聞社はテレビ朝日ホールディングスや朝日放送グループホールディングスの、それぞれ大株主です。
また、TBSと毎日新聞社の場合は、現時点で直接的な資本関係は薄まっているものの、TBSと毎日新聞は事実上の密接な業務提携関係にあり、加えてTBSをキー局とする系列局のなかには毎日新聞社が大株主というケースも散見されるようです。
ネットvsメディア
ごく少数のメディアが情報を独占していた!
そして、もうひとつの問題点である「少数独占」の問題点とは、いうまでもなく、メディアの数が少ないことです。
先ほど挙げた5つの新聞は、「全国紙」と呼ばれる、とりわけ影響力が強いメディアであすが、これに加えて全国各地のブロック紙・地方紙・地域紙などに記事を配信しているのが共同通信社と時事通信社という2つの通信社です。また、民放キー局とは別に、「公共放送」を自称している放送局であるNHKがあります。
つまり、極端な話、日本の情報は、事実上、次の8つのメディアの強い影響下にあるのです。
日本において強い影響力を持つメディアグループ
- 読売新聞・日テレ系列
- 朝日新聞・テレ朝系列
- 毎日新聞・TBS系列
- 産経新聞・フジ系列
- 日経新聞・テレ東系列
- NHK
- 共同通信
- 時事通信
「全国に情報を配信するメディア」としては、だいたい上記8系列で説明がつきます(※ただし、中日新聞が強い東海地区のように、地域によっては上記以外にも強い影響力を持っているケースもあります)。
そして、極端な話をすれば、これら8つのメディアが結託すれば、「ある」ものを「ない」ことに、あるいは「ない」ものを「ある」ことにしてしまうことが可能なのです。
麻生太郎総理大臣と鳩山由紀夫・民主党代表(当時)の党首討論を主要テレビ局は生中継もせず、主要紙は翌日の記事でほとんど取り上げなかったという、2009年8月の「政権交代選挙」(『立憲民主党の先祖返り、今度のポスターは「変えよう」』等参照)などが、その典型例でしょう。
あるいは、「もりかけ」「さくら」「統一教会」と呼ばれる疑惑に関しても、著者自身は、おそらくは自民党政権を貶めるためだけに、新聞、テレビを中心とした一部のメディアが日本国民に対して仕掛けた「情報戦」のようなものだと考えています。
ネット出現で情報発信が限りなく低コストに!
こうしたなかで、再び思い出しておきたいのが、世界史の教えです。
免罪符の販売を巡るカトリック教会の腐敗を糾弾するルターの論考をドイツ中に広めることに寄与したのが、書籍の製作コストを劇的に引き下げ、印刷を高速化した、グーテンベルクの発明品である「活版印刷術」だったのです。
これとまったく同じことが、まさに現代社会において、実現しつつあります。
おそらく、活版印刷術の登場に相当するものが、先日の『ネット時代に情報伝達コストは十万分の1以下に低下か』でも取り上げた、インターネットによる出版の低廉化と爆速化です。インターネットを使えば、自分自身の思いの丈を、それこそ無限に低いコストで表現でき、それを(うまくやれば)世界中に届けることができます。
インターネットが出現する以前、たとえば某歌手グループの「僕のラブレターには62円の価値しかないの?」とする歌が流行っていた時点だと、紙に自分の思いをしたためて郵送するためのコストは、封書ならば1通62円、はがきなら1通41円でした(今年10月1日以降、封書は110円、はがきは85円に値上げ予定)。
しかし、現代は、そうではありません。
月間3GBで1,000円弱という格安SIM契約を使っていれば、ちょっとした文字情報をSNSにポストするための通信費や電気代は1円未満でしょうし、それが数十万人に閲覧されたとしても、そのために必要な通信費は、日本全体で100円にも満たないものです。
その気になれば、文字情報だけでなく、スマホなどから撮影した写真や動画も、ネットに流すことができます(もちろん、ネットに流す前に、本当にそれを流して問題ないか、よく確認する必要はありますが…)。
情報が正確ではないマスメディア報道
そして、カトリック教会の免罪符に相当する「インチキ商売」が、さしずめ、マスメディア各社による不適切報道の数々です。
日本のメディアは多くの場合、そもそも情報が正確ではありません。
『上川発言報道問題で林智裕氏論考が「社会の停滞」警告』などでも繰り返し取り上げてきた、上川陽子外相が選挙応援で「うまずして何が女性か」と述べたとする件で、共同通信がこの発言を「出産」と関わらせて報じた問題などは、その典型例でしょう。
あるいは、つい最近の事例だと、トヨタ自動車の豊田章夫会長が「今の日本は頑張ろうという気になれない」と発言したという「言葉尻」を捉えて、これを批判するかの報道も見られましたが、この報道は現実にはメディアに向けた苦言だったのです(『豊田会長の「問題発言」真意はメディアに対する苦言か』等参照)。
さらには、つい最近も、国費を投じたNHKの海外向け放送で、中国人アナウンサーが日本の国益を大きく毀損する内容の発言を行っていたことが判明したばかりです(『NHK不適切放送に対する「報道資料」の内容も不適切』等参照)。
上川発言歪曲報道事件にせよ、豊田会長問題発言事件にせよ、NHK不適切放送事件にせよ、著者自身の主観だと、メディア不祥事は最近、毎週のように発生しているような気がします。
ただ、これも根源を探ると、メディア報道の問題も、「メディアが発信する情報の正確性を担保する仕組みが存在しないこと」にたどり着くのではないでしょうか。
カトリック教会の免罪符に関しても、もしかしたら当時からその存在に疑問を持つ人は多かったのかもしれませんが、それをマルティン・ルターという人物によって「可視化」され、それが活版印刷術のおかげで安価に広まったことで、社会全体で「カトリック教会、おかしくない?」という問題意識が、社会全体で一気に共有されたのです。
メディアの偏向報道に関しても、これとまったく同じことがいえます。
「新聞、民放、NHKの報道、変じゃない?」
「メディアの不祥事、ちょっと多すぎない?」
これが、インターネットという、「誰もが極めて低いコストで情報発信でき、しかもあっという間に情報共有できる仕組み」が出現したことで、社会全体で「メディア報道、おかしくない?」という問題意識が一気に共有されようとしているのが現在ではないでしょうか。
だからこそ、新聞部数や広告費、新聞購読時間など、さまざまな調査で、新聞が滅亡のいまわにあることが示されているのかもしれません。
テレビ視聴時間は依然として長い
ただし、新聞が滅亡するであろうことは避けられないのですが、その一方で、オールドメディアのもうひとつの柱であるテレビに関しては、(業績は下降傾向にあるとはいえ)まだ「滅亡」には近づいていません。とくに、高齢層だとテレビ視聴時間はさして減っていなかったりもします(図表)。
平日のTVの利用時間
年代 | 2013年 | 2023年 | 増減 |
10代 | 102.5分 | 39.2分 | ▲63.3分(▲61.76%) |
20代 | 127.2分 | 53.9分 | ▲73.3分(▲57.63%) |
30代 | 157.6分 | 89.9分 | ▲67.7分(▲42.96%) |
40代 | 143.4分 | 134.6分 | ▲8.8分(▲6.14%) |
50代 | 176.7分 | 163.2分 | ▲13.5分(▲7.64%) |
60代 | 257.0分 | 257.0分 | ±0.0分(±0.00%) |
全年代平均 | 168.3分 | 135.0分 | ▲33.3分(▲19.79%) |
(【出所】総務省『情報通信白書』データをもとに作成)
総務省の調査では、全年代の平均視聴時間(平日)は、2013年の168.3分から2023年には135.0分へと、約20%減少。若年層だと4~6割ほど減っているのですが、60代だと視聴時間はまったく変わっていないことがわかるのです。
こうした状況を見る限り、非常に残念なことですが、テレビを中心に2009年の偏向報道のような問題報道がなされ、それによって有権者の意思が捻じ曲げられる、といった事態は、もうしばらく続くのではないでしょうか。
岸田政権の手のひら返しに見るメディアの腐敗
こうしたなかで、ちょっと興味深い事例があるとしたら、アベマタイムズが配信した、こんな記事かもしれません。
退陣表明後に手のひら返し?「岸田政権、実は良かった」の声…リーダーに求められる“見せ方”とは
―――2024/08/23 19:00付 ニュース【ABEMA TIMES | アベマタイムズ】より
アベマタイムズは岸田文雄首相が9月の自民党総裁選への不出馬を表明した件に関連し、岸田政権の3年間を「総括」するとして、こんなことを述べています。
「退陣表明後、中国やロシアの脅威を踏まえた防衛力、安全保障の強化、原発再稼働や福島第一原発の処理水海洋放出を改めて評価する報道も」。
「再評価の動きに対しては、『さんざん文句言って、やめるとなったら再評価って手のひら返しが過ぎる』『岸田さんになった時も菅さんがよかった論が出ていた』との声も上がっている」。
まったくそのとおりでしょう。
当ウェブサイト的には『岸田首相「総裁選不出馬」を表明』などを含め、これまでも指摘してきたとおり、岸田政権には「良くないこと」もいくつかあったにせよ(また、すべてが岸田政権の功績とはいわないにせよ)、総合的に見れば、非常に大きな成果がいくつかあがっていると考えています。
アベマタイムズによると、コメンテーターらの間では「政策は高く評価されるべきだと思う一方で、見せ方や根回しがヘタだった」「すごい人柄が良くて、仕事もしっかりやる方だ(が)したたかな進め方をできる方ではなかった」、といった評価が出たのだとか。
これに関しては正直、岸田首相本人の伝え方の問題というよりも、メディアの報じ方の問題です。
いや、憲法改正にせよ、原発再稼働・新増設にせよ、「悪い円安」論にせよ、「国の借金」論にせよ、メディアの普段からの論調を見ていると、専門知識をろくに持たないコメンテーターらが科学を無視し、「お気持ち」だけで、問題の良しあしを決めつけているフシがあるのです。
あるいは、「メディアの腐敗の問題」というべきか。
宗教改革に匹敵する
福島第一原発の処理水海洋放出を巡る、一部メディアによる、「科学を振りかざすな」、「科学を隠れ蓑にするな」、といった主張は、マスメディアが科学を無視し、感情だけで非科学的な主張を垂れ流す傾向があることを示唆しています。
ちょうど、科学的に提唱された地動説を、カトリック教会が非科学的に否定したようなものでしょう。つまり、科学を否定するメディアをネットが否定するようになったという意味では、まさには宗教改革に匹敵する変革です。
その意味では、オールドメディアも(とくに一部のメディアに関しては)一種の宗教のようなものなのかもしれません。それも、「宗教改革」でいずれ改革・淘汰されていく運命なのだ、と考えると、歴史の知見からしても整合的だと思うのですが、いかがでしょうか?
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どこのブログのどこのコメントがどうとかは、ネット上でもサンプルが多すぎる上に、本人の名誉もあるでしょうし、いちいちピックアップする気はありませんが。
岸田総理が総理に就任されてから、2年ほどはネット上でも以下のような評価だったという印象です。
「早稲田大学卒で学歴コンプレックスが」「宏池会だから」「財務省の飼い犬だ」「無能で決定力が無い。親韓媚中に全力になる」「安倍・菅路線を否定することで名を上げようとしている」「顔つきが気に入らない」
彼らに言わせれば政治力が無くて、無能なはずの岸田総理が。何故、親韓媚中路線や増税といったものには悪魔的頭脳と豪腕を発揮させて実現させられるというのか。
この時点で、根拠にならない主観による理由、矛盾しまくり、噴飯ものの陰謀論なのですが。そんな指摘をしても、こういう話を声高に唱えていた人達は、一切耳を傾けようとしませんでした。岸田総理は再評価されると言っても「あり得ない」と言っていました。
そして、一方では彼らは同じ口で、コロナワクチンに対する陰謀論を冷笑し、揶揄していました。岸田総理の実績を提示しても、持論に都合のいいように解釈すして批判材料に転化するところも、コロナワクチン陰謀論者達と同じ反応でした。
また、同じ口でマスコミの偏向報道について批判していましたし。今も批判しています。
この事から言えるのは、マスコミは情報に色を足してばらまいている一方で。ネットの情報も、発信者達によって往々にして色が付くと言うことです。
マスコミとの違いは、発信者の主観を介さない真水に近い情報もネットにはあるということです。
マスコミの胡散臭いコメンテーターと、ネット上でウケている発信者達の意見。どれほどの違いがあるというのか?
色水は嫌だと言って、別の色水に染まりに行く人達の滑稽さを見たというのが、自分の感想です。
ネットで情報を集めているから安心。などと考えるのではなく。
どこまでが事実で、どこからが意見や推測なのか? 認知バイアスによる錯覚や論理の飛躍を起こしていないか? 持論と違う意見は何を見てどう結論を導き出しているのか?
そういった、論指的思考のための知識が、これから生きる人達にとって必要だと思います。
でないと、ネット上からも情報の真水を選ぶことが出来ないままですから。
認知バイアスが働くと、色水が真水に見えてしまうので、それもまた難しい話だとは思いますが。
要するに、メディアの報じ方の問題の他に、ネットの情報発信の仕方や、受信の仕方にもまだまだ課題があるということです。
増税路線の財務省、二階派など親中派の存在から、難度は増税>減税・対立>媚中とみるのが論理的です。
コロナワクチン陰謀論は全体の文脈に関係がありません。
記事はマスコミの情報発信の問題とインターネットによる改革が主旨で、ネット上の情報の正誤を論じていません。
このコメントのように記事を読めない受信、論理もない発信がインターネットの問題といえるでしょう。
あと、こんな素性がバレる文章で匿名にするなら、AIで匂いを消すくらいの工夫をしたほうがいいと思います。
>増税路線の財務省、二階派など親中派の存在から
こういう、所属に属性を見出して、属性によって行動が決定されると考える錯覚が、まさしく基本的な帰属のエラーという認知バイアスです。
あなたが論理的だと主張した考え方は、実は非論理的な錯覚の代物です。
>記事はマスコミの情報発信の問題とインターネットによる改革が主旨で
記事のテーマは、トップにある様に「歴史に学ぶ情報革命」です。
更に言うなら、インターネットによる改革の結果、今後はどうであろうか? 現在何が起きているかを考える一例としてコロナワクチン陰謀論等を取り上げています。
コメントの内容は情報革命について語っていて、またマスコミの情報発信の問題とインターネットによる改革の問題を説明しているのですが?
あなたとは会話が成立しないように思うので、これ以上は返信されても返信しないつもりです。
ネット界の情報は玉石混交であること、悪質な情報を淘汰するのに受け手のリテラシー向上が必要なこと、それらは散々会計士氏の過去記事で書いてますのにね。
なんでこんなに長々と書きこんでいるんでしょうかね。
コメントの最後の一文の、「要するに~」の所なんかここの読者の大半はすでに前提条件として備えてる意識だろうに…。
>なんでこんなに長々と書きこんでいるんでしょうかね。
意識しているつもりなだけで、具体的にどうすればいいのかという知識を持っていなかったり、実践出来ていなかったりと。
結果が伴っていないコメントや記事をネット上のあちこちで見掛けたからですよ。ここに限った話ではないです。
宗教革命の当初は、教会が革命が起きていること認識できていなかったように、マスゴミは、今、インターネット革命でマスゴミが否定されかねないことを認識しているのでしょうか。
インターネット革命とは、「一般人が、マスゴミがなかったことにしたい過去の発言を探したして、拡散することが可能になった」ということでしょうか。
新しい資本主義も新しい公共も何をやりたかったのか全然わからなかったな。それ以外は色々やってて意外と仕事してた内閣だった。まあ、もう少し後継者育ててからやめろやと思ったけど。
野党とマスコミメディアがあらゆる手段を以て保守政権のやろうとすることを妨害した安倍政権菅政権時代。その数々の妨害が無ければもっと成果をあげることが出来たでしょうし、更に言えば安倍元総理も身体を害することもなく、途中降板しないで済んだかもしれません。そのストレス重圧たるや私の想像の範疇を超えています。
岸田総理はその点において、前政権と比較し生温い政権運営という印象を感じ満足できない保守岩盤層からはボロクソにこき下ろされましたが、巨大既得権益を持つマスコミメディアからの攻撃はふた周りはトーンダウンで済んだ印象です。要はあまり警戒されていなかった。
これは岸田政権が周囲からの圧力を比較的受けることなく岩盤保守層の印象以上に実績をあげた要因の一つのように思います。
岸田首相が安部元首相ほどオールドメディアに攻撃されていなかったのは、
「アベに比べればマシ」と見なされていたのも一因だとは思いますが、
もう一つの要因として「オールドメディアが意気消沈し、自信を失った」と
言うのもあると思います。
彼らがあれだけ執拗に攻撃しまくった第二次安部政権は、結局かなりの高支持率のまま
最長記録を打ち立てて終わりました。あれは彼らにとって「屈辱的な敗北」であり、
「自分達の無力さ」と「もはや限られた寿命」を思い知らされたのではないかと。
製造業界からするとカルテル組んでたところをどこかが技術のブレイクスルーで顧客をかっさらわれている感じになるんですかね。はたまた別の業種に突き崩されていってるのか。
記者クラブとか電波利権なんかの有様は他の業界だったらカルテルと同義にしか思えないし独占禁止法適用してほしいと思いますわ。
気色悪い横並びで技術研鑽を怠っているから停滞(劣化?)してるんでしょうね。全業種の中で最も旧時代的な思考で動いてると感じます。
まずはお互いの企業研究として、テレビ屋ブンヤ同士で炎上するような記事書いてる記者とかふざけた振る舞いする記者にしつこいインタビュー凸して記事作ってみるとこから始めてみてほしい。
横並びで研鑽を怠っている上に、その状態を役所が積極的に保護してますからねぇ。
そりゃ自発的な改心なんてできんでしょうね。
マスコミからは得られない重要情報の数々はインターネットより得ました。
社会党が拉致は無いと主張していた事実
沖縄密約こそジャーナリストの鑑、実際は女性の人権を蔑ろにする物
雲仙普賢岳でジャーナリストは命を賭けて取材した、実際はマスコミのエゴで消防団など民間人を巻き添えにした
ジャニーズや統一教会など横並びでやっと報道を始めます。
そしてそれを顧みる報道などしません。
そうなれば既存マスコミの情報は疑ってかからなければ行けないな、と思うのは当然でしょう。
自分たちを愚民どもに情報を与えてやっている特権階級と驕り高ぶっているのですから。
noindex も魚拓で対処。風化ができなくなりました。
マスコミが垂れ流すそばから答え合わせされるのは、
ネットリテラシー(理・照らし?)の為せる業ですね。
オールドメディアの腐敗堕落の実態が、インターネットの普及によってますます露わにされ、その没落を加速している。この今日的状況に、ヨーロッパ中世の終焉を画した宗教改革と、活版印刷がそれに果たした役割という歴史的事象を重ねるというのは、壮大にして、慧眼とも言うべきかと思いますね。
ただ、ヨーロッパ史について言うなら、カソリックの退潮、プロテスタントの伸長というのは、紆余曲折は伴いつつも、不可逆的な流れであったと理解しているのですが、世界史的にとなると、カトリック内部から興った反宗教改革、とくに極めて戦闘的性格を帯びたイエズス会の存在は、宗教改革に比肩できるほどに大きなものだったのではないでしょうか。
スペイン王国の世界制覇の野望と手を結んだイエズス会は、その先兵として東方(フィリピン~中国、日本)へ、西方(南北アメリカ)へと布教活動を拡げていきます。フィリピンではスペインによる植民地化、イエズス会による住民の精神支配の目論見はうまく行ったんだが、日本ではそうはいきませんでした。当初交易の利を求めてイエズス会に甘い顔をして見せた織豊政権も、その「精神的麻薬」としての危険性は早くから認識しており、伴天連追放に始まって、徳川期に掛けて耶蘇教信者への迫害は次第に強度を強め、島原の乱の後の凄惨な弾圧などのエピソードを伴って,ついにはキリスト教国との交易禁止、厳格な禁教政策が導入されています。
アメリカ大陸でスペイン/イエズス会が為した悪行に比べたら、フィリピンのケースなどまだマシだったと言えるかも知れません。キリスト教ともに彼等が新大陸に持ち込んだ悪疫、痘瘡、麻疹、インフルエンザは、土着の人口の9割を消滅させ、ヨーロッパからこの地に来たった支配者、布教者への抵抗をほとんど不可能にしてしまっています。
カソリックの影響力は、今では中南米諸国でも弱まってはいるようですが、替わってこの地で時折猛威を振るうのが、欧米では今ではとうに時代遅れとなったコミュニズム、極左ポピュリスト政治。「神の恩寵」の否定と引き換えに、「人民の守護者」たる絶対的指導者に、無条件の服従を強いるという点で、両者にたいした違いはないんじゃないかと思います。一旦精神的に去勢されてしまうと、そんなのに簡単にイカレちゃうようになるんですかね。
こんなことを書いてみたのは、中世的精神世界で安逸を貪っていたカソリック教会が行き詰まり、状況を打開すべくおこなった内部改革の中で、イエズス会という鬼子を産んだという歴史的事象を考えれば、言論の守護者然として特権意識を持ってきたマスコミ界が、没落を前にして、まともに自己改革に努めるならともかく、口先巧みなデマゴーグを生み出し、無理押しにでもそれを推奨するような動きが、今後ひょっとして出てくる可能性はないものかって懸念を抱くからです。
地球環境の危機を声高に叫ぶエコロジスト。人の博愛精神につけこんで不合理な主張を押し通そうとする、ジェンダー平等論者、多文化主義者。世の中との折り合いが付けにくい人に向かい、ありもしない救済を約束するカルト的教団。「神の恩寵」だの「人民の守護者」だのの戯言には、容易に耳を傾ける者が居なくなった現在の日本ですが、瞞くらかそうとすれば、ネタなんていくらでも転がっています。
あの麻原彰晃の使徒の列に並んだのが、世間的感覚で言えば、無知蒙昧の輩ではなかったという事実を忘れるべきではないでしょう。そして、地下鉄サリン事件に至るまで、マスコミの内部には陰に陽にオウム真理教に肩入れするような人物も確かに存在し、中には国会議員に上り詰めた人間までいるというのも,事実なのですから。
このサイトを見てから、ツッコミの癖がついてしまった。
ツッコまれる癖、の間違いですね。貴方の場合。
いつもお疲れ様です。
会計士さんのおっしゃる通りなのですが、日本のマスコミはカトリック教会のように生き残ることができるのでしょうか。
宗教改革のあとカトリック教会も自分たちの腐敗に気づいたのか改革をしたそうで、その結果現在でも多くの国でカトリックが信仰されています。
ですが日本のマスコミ…「社会の公器」だ「第四の権力」だと思い上がり、ロクな知識もなくデタラメを撒き散らし果ては「切り取りも捏造も、されるほうに問題がある」と悪びれもしていないフシがあります。我々にとって害悪なら、どうなっても構わないのですけどね
ネットユーザーから買った恨みが比較的少ない読売や産経あたりは
ネットメディアとして生き残れるかも知れません。
前者は今と比べてだいぶ規模が縮小しそうですが。
テレビの方は……キャスターや識者を思いっきり入れ替えまくれば、
まだ路線変更が間に合うかも知れませんね。
それくらいの経済力(時間)はまだ残っていそう。