櫛の歯が欠けていけば、どこかの段階で、その櫛は使えなくなります。これは、産業にも同じことが言えるのではないでしょうか。すなわち、ある産業を成り立たせるためには多くの人が関わっていることが一般的であり、その産業を成り立たせるだけの十分な需要や供給がなくなれば、ある日突然、その産業が維持できなくなってしまう可能性すらあるからです。この理屈で現在の新聞業界を眺めると、興味深いところです。最近、夕刊の廃止事例が相次いでいるからです。こうしたなか、朝日新聞が福岡など3県で夕刊発行を取り止めるようです。
目次
製品をビジネスとして成り立たせるためには?
さまざまな製品に囲まれ暮らす現代人
現代社会に生きる私たちの身の回りには、とてもたくさんの製品があります。
とある家庭の事例で考えてみればわかりやすいかもしれません。
朝、ベッドか布団から洗面所で顔を洗い、トースターで焼いたパン食べ、お父さんは電動シェーバーで髭を剃り、お母さんはドレッサーの前に座って髪を整え、大人はスマホを見ながら通勤し、子供たちはランドセルを背負って学校に向かう―――。
ベッドも布団も、洗面所も電動シェーバーも、ドレッサーもランドセルも、どれも製品です。
布団くらいなら江戸時代にもあったかもしれませんが、少なくとも電動シェーバー、スマホ、トースターなどが出現したのは近現代ですし、とりわけ私たち現代人がこれらの電化製品を便利に使いこなしているのは、本当に多くの人々によるさまざまな仕事があってのことです。
まず、電力を使うためには発電所が必要であり、発電所で生み出された電力をうまくコントロールして各家庭に届ける機能が必要です(この調整に失敗したら容易に停電が発生します。先進国で停電が滅多に発生しない理由は、十分な電力が生み出されていて、かつ、この調整がうまくできているからです)。
続いてトースター、電動シェーバー、スマートフォンにはそれぞれ多くの部品がありますし、それらの部品をうまく組み合わせて組み立てる人が必要ですし、それらを店頭に並べてくれる人も必要でしょう。冷蔵庫などの大型家電の場合、購入したらそれを自宅まで運んで設置してくれる人も必要です。
このように考えていくと、私たち現代人にとって、身の回りでさまざまな道具を使えるような状況が生じているというのは、なんとも奇跡的なことといえるのではないでしょうか。
産業として成り立つには十分な需要と供給が必要
ただし、こうした状況も結局、経済学的には需要と供給のバランスで成り立っている、と説明されることが一般的です。
ある製品を開発・生産し、世に送り出すためには、メーカー側には開発者や技術者・研究員、工場労働者、工場設備などが必要ですし、それらを流通させるためには物流業者も必要で、さらに家電の販売店(最近だと量販店やeコマース業者などでしょうか?)、アフターサービス要員なども必要でしょう。
つまり、ある製品を成り立たせるためには、これらの製品に関わる人たちにとっても、自分たちの生活が成り立つくらいの収入が得られる、という状況が必要であり、こうした収入が得られなくなれば、この製品の市場そのものが縮小せざるを得なくなります。
その典型例が、音楽用レコード・プレイヤーであったり、CDプレイヤーであったり、レコード(LP盤など)・CD・DVD・カセットテープなどであったりするのかもしれません。
昭和生まれが子供のころ、あるいは若いころであれば、音楽というものは自宅のステレオセットやカー・オーディオなどで、CD、カセットテープをセットして聴くものでしたし、1980年代から90年代であれば、ウォークマンやCDウォークマンのようなポータブル音源も出現していましたが、やはりテープやCDが必要でした。
しかし、現代だとどうでしょうか。
ステレオセットやミニコンポなどを自宅に持っている人もいるかもしれませんが、正直、音楽というものは、(とりわけ都市部の通勤電車などでは)ストリーミングなどを使ってワイヤレスイヤホンで聴くことが一般化しつつあるのではないでしょうか。
もちろん、自治体の公営図書館などにいけば、LP盤、カセットテープ、CD、DVDなどを貸し出してくれる場合もありますが、体感的には、そもそもLP盤やカセットテープは再生するためのデバイスが世の中から絶滅しつつあり、CD、DVDなどもこれらに続いて消滅しつつあるように思えてなりません。
フロッピーやCD、DVDなどは不要になりつつあるPC
こうした事情は、PC周りでも似たようなもので、フロッピーディスク、CD-ROM、DVD-RWなどの媒体がそもそも急速に消滅しつつあるのです。
著者自身もここ数年に関していえば、新しいPCなどを購入した際のセットアップ、あるいはMicrosoft Officeやウイルスソフトなどのインストールは、すべてネットでライセンスを購入するという方式によっていて、CDやDVDでソフトを購入するということが、ほぼなくなりました。
というよりも、最近のPCには、そもそもCDやDVD、フロッピー等のドライブが内蔵されていないケースも多い、というのが実情です(少なくとも著者自身が使用しているWindowsノートPC、WindowsデスクトップPC、Macbookに関してはすべてそうです)。
いちおう、現在でもフロッピードライブ、CD/DVDドライブなどは外付けのものが家電量販店などで手に入るようですが、そのうちこれらは媒体自体が手に入らなくなっていくのではないでしょうか。
もちろん、世の中には古いオーディオ機器のファンという方々もいらっしゃいますので、そうしたニッチな需要に対応するために、古いオーディオ機器を修理する専門の業者の方もいらっしゃるようです(関東だと秋葉原あたり、関西だと日本橋や元町高架下あたりでしょうか?)。
しかし、これもあくまでも「需要ありき」であって、時代が進み、古い機器のファンがおそらくは何らかの事情で減っていけば、そのうちこれらの専門業者もビジネスが成り立たなくなっていくかもしれませんし、あるいは高齢化に伴い廃業するケースも考えられます。
最近だと、古いデバイス(レコード、カセットテープ、ビデオテープ、CD、DVDなど)に残された音源や映像をメモリスティックに出力するというサービスもあるようですが、古いデバイスを古いままで楽しもうとしても、それは次第にできない相談になっていくのではないでしょうか。
ちなみに著者自身も古いゲーム機(ファミコン、マスターシステム、メガドライブ、PCエンジンなど)の本体やカセット、ディスクシステムやディスクカード、Huカード等を自宅に保管したままですが、そのまま朽ち果てていくくらいなら、どなたかにお譲りしても良いな、などと思っている次第です。
「櫛の歯理論」とは?
いつも通り、くどくどと長ったらしい前振りで、大変申し訳ありません。
じつは、時代の変化に応じて、ある製品が世の中から消滅するときのパターンというものは、大体似たようなものではないかというのが、著者自身の最近の仮説です。
つまり、ある製品をこの世に存在させるためには、その製品について、十分な量の需要者と、十分な量の供給者が存在している、という条件が必要であり、これらの条件が充足されなくなってきたら、その製品は順番に「死んでいく」ことになるのだ―――、といった仮説です。
これを本稿では便宜上、「櫛の歯理論」とでも呼びたいと思います。
「櫛の歯」がいくつか折れると、その櫛は使い物にならなくなるからです。
そしてこの「櫛の歯理論」という仮説、案外、正鵠を射ているのではないかと思います。
ある製品をビジネスとして成り立たせるためには、大変多くの人々が関わる必要がある。
ということは、その「大変多くの人々」の生活を成り立たせるだけの市場規模が必要である。
これは、当たり前の話だと思うのです。
新聞業界と「櫛の歯理論」
新聞業界:従業員数は半減も…店舗数はまだ多い
そして、その製品に対する需要が減れば、ある日突然、その製品のサービスを続けることが不可能になるかもしれません。その典型例が、新聞産業です。
一般社団法人日本新聞協会が公表する統計データに、『新聞販売所従業員数、販売所数の推移』というものがあります(図表1)。
図表1 新聞販売所店舗数と従業員総数
(【出所】一般社団法人日本新聞協会『新聞販売所従業員数、販売所数の推移』をもとに作成)
データが存在する期間で見て、従業員数は464,827人から220,457人へと、ほぼ半分以下に減った計算です。ところが、店舗数に関しては、たしかに21,864店から13,373店へと大きく減っているのですが、減少した店舗数は8,491店であり、「半減」まではしていないのです。
これを図示したものが、次の図表2です。
図表2 新聞販売店や従業員数の変化(2001年vs2023年)
比較項目 | 2023年 | 2001年との比較 |
新聞販売所店舗数 | 13,373店 | ▲8,491店(▲38.84%) |
従業員総数 | 220,457人 | ▲244,370人(▲52.57%) |
(【出所】一般社団法人日本新聞協会『新聞販売所従業員数、販売所数の推移』をもとに作成)
新聞部数は販売店以上に落ち込んでいる
これは、個人的には意外な発見だと思います。
日本の新聞産業を裾野でしっかりと支えているのはこうした新聞専売所やその従業員らですが、新聞部数の減少にともない、新聞専売所もどんどんとなくなっているのではないか、などと思っていたら、それほどでもなかった、というわけです。なにせ、店の数は38.84%減と、従業員数の52.57%減と比べれば緩やかだからです。
では、同じ時期の新聞部数はどうなっていたのでしょうか。
同じく日本新聞協会のデータを見てみると、図表3のとおり、朝刊が45.76%減、夕刊が75.23%減、合計すると53.91%の減少です。
図表3 新聞部数の変化(2001年vs2023年)
区分 | 2023年 | 2001年との比較 |
合計 | 3305万部 | ▲3865万部(▲53.91%) |
朝刊部数 | 2814万部 | ▲2374万部(▲45.76%) |
夕刊部数 | 491万部 | ▲1491万部(▲75.23%) |
(【出所】一般社団法人日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』データをもとに作成。ただし、朝刊と夕刊のセット部数を2部とカウントしている)
すなわち、新聞の合計部数の減少率と、従業員数の減少率が、ほぼ見合っている、というわけです。
やはり、新聞販売店にはチラシ収入などがもたらされるため、従業員数を削減することでコストを圧縮している、といった事情でもあるのかもしれません。
夕刊の世界で「櫛の歯」状態になるのか?
ただ、朝刊部数については45.76%減に留まっていますが、夕刊に関しては75.23%も減っており、しかも(図表では示していませんが)夕刊はこの1年で154万部も落ち込んでいます。減少率に直すと23.85%というすさまじい落ち込みぶりです。
このように考えていくと、先ほどの「櫛の歯理論」に照らし、まさに新聞業界でいま、足元で発生しているのが、この「櫛の歯が欠けるように、働き手が居なくなる」、という現象ではないでしょうか。
先ほどから何度も強調している通り、ある製品・サービスをビジネスとして成り立たせるためには膨大な人が関わっていることが多く、したがって、需要、供給の量がともに、ビジネスとして成り立つ程度には十分でなければなりません。
これを新聞に当てはめてみると、新聞の題材を集め(新聞記者)、それをチェックし(デスク)、編集し、紙面のレイアウトを決め(制作)、紙媒体に印刷し(新聞工場)、各専売所に配送し(輸送トラック)、それを各家庭に配る(配達員)、という流れです。
ところが、夕刊がここまで減ってしまうと、たとえばひとりの配達員が受け持つ区域の部数が極端に減るか、その配達員が受け持つ区域の面積が極端に広くなるなどして、配達が物理的に不可能になる、という可能性はありそうです。
新聞夕刊の休・廃止に関しては、たとえば▼毎日新聞(昨年4月・東海地区)、▼朝日新聞(昨年5月・東海地区)、▼北海道新聞(昨年9月)、▼朝日新聞(今年4月・北海道)、▼東京新聞(東京23区以外、今年9月)、といった事例が生じています。
また、あくまでも観測報道ベースですが、「3大夕刊紙」として知られる夕刊フジが来年1月以降、紙媒体の発行を取り止める、といった情報・話題もあります(『新聞業界「印刷配送共通化」で高まるドミノ倒しリスク』等参照)。
とくに夕刊フジのケースだと、ライバル2紙(日刊ゲンダイ、東京スポーツ)にとっては、「配送コスト増大」という打撃が生じかねません。報道によると、これら3紙はいまや配送を共通化することでコスト削減を図っている状況にあるからです。
つまり、夕刊フジが廃刊となれば、ドミノ倒し的にライバル2紙も発行断念に追い込まれる可能性がある、ということでもあるのです。
朝日新聞が3県で夕刊休止へ
こうしたなかで、こんな話題が出てきました。
静岡県、山口県、福岡県で夕刊を休止します
―――2024-08-02付 株式会社朝日新聞社HPより
株式会社朝日新聞社は2日、静岡、山口、福岡の3県で、10月1日以降、夕刊を「休止する」と発表しました。
その理由として同社は▼新聞用紙など原材料の高騰、▼みなさまにお届けする経費の上昇、▼朝刊のみの購読やデジタルサービス利用者が増えていること―――などを挙げていますが、要は採算が割れていて、これらの地域での夕刊発行に耐えられない、ということではないでしょうか。
ちなみに共同通信の次の記事によると、8月1日時点の朝日新聞夕刊部数は静岡が約1.7万部、山口と福岡を合わせた西部本社管内で2.3万部だったそうで(ということは4万部でしょうか)、今回の「休刊」にともない夕刊発行エリアは「関東と関西のみの11都府県」となるそうです。
朝日新聞が3県で夕刊休止 10月から静岡、山口、福岡
―――2024年8月2日 15:06付 日本経済新聞電子版より【共同通信配信】
最大手の一角を占める朝日新聞ですらこういう状況ですから、やはり、「夕刊危機」は本物ではないでしょうか。
夕刊は消滅するのか?そして朝刊は?
そして、ごく近い将来(下手したらあと数年以内で)、夕刊は東京、大阪などの大都市圏で少数の新聞社が細々と刊行を続けるのみとなり、それ以外の地域では、それこそ「櫛の歯」理論で絶滅してしまうのではないでしょうか。
ただ、この「櫛の歯」の恐ろしいところは、それだけではありません。
多くの地域で夕刊配達がビジネスとして成り立たなくなるのは仕方がないとして、さらにその次に控えているのは、いよいよ「本丸」である朝刊かもしれないからです。
特に朝刊に関しては、毎日新聞が今年9月以降、富山県への配送を取り止める、とする話題も出ています(『毎日新聞が富山県での配送を停止へ:他紙への波及は?』等参照)。
全国紙各紙は、もしかすると今後、新聞滅亡への荒波に抗うために、印刷工場や配送事業の共通化などに踏み出すのかもしれませんが、それらは多少、新聞業界を延命させるのに寄与するかもしれませんが、やはり本質的な解決になっていません。
なにより、「櫛の歯」理論が正しければ、全国紙において、どこかの社が特定の県から撤退すれば、その県からはほかの全国紙も撤退せざるを得なくなるかもしれませんし、極端な話、ある地方では、その地方の県紙すら発行が難しくなるかもしれません。
その意味では、この「櫛の歯」理論は、ある瞬間で新聞業界の「突然死」をもたらすリスクもありそうであり、こうした観点からも、新聞業界の動向からは、もうしばらく、目が離せないのではないか、などと思う次第です。
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「月に3軒新規解約
ニュースペーパーレス社会実現まであと〇年
真価問われる文字を印刷して収入に換える職業の意味」
夕刊を休刊するとき、新聞社内では建前として、「何年後になるか、何十年後になるか分からないが、いつか必ず、夕刊を復活させる」ということになっているのでしょう。
蛇足ですが、新聞社は、世間から「夕刊をやめるな」と言う声が出るのは待っているのでしょう。
>店舗数に関しては、たしかに21,864店から13,373店へと大きく減っているのですが、減少した店舗数は8,491店であり、「半減」まではしていないのです。
これは紙の新聞の宿命かもしれない。
朝の1-2時間で配り終えなくてはならないので、いくら部数が減っても隣の市までは配れないという事かな。
一昨年、義両親が共に介護施設入所となった際、配達差し止めと購読料支払に販売店に行きました。以前の場所と違うので教えられた通り行くと、読売、朝日、毎日の販売店となっておりました。どういう経営形態かはわかりませんが、各新聞の販売店舗としてそれぞれカウントしているのであれば、減少率はゆるやかとなるのではないか、と思った次第です。
家内は辺鄙な村の出身だが、数十戸の村でも新聞を購読する家はある。
こういう所の朝刊の配達はどうするか?
ヒマな早起きのばあさんに家の前に新聞の束を置いていく。そのヒマなばあさんが朝早く各戸に配るという事らしい。小遣い程度の報酬で。
飯田線の秘境駅に関する記事を読んでいたら、住人が極めて少ない場所での新聞配達は『郵送扱いの新聞』にしているようです。
これが、一日当たり3万部以上(2018年の調査)、多いですね。
ちょうど今日のBSTBSで奄美大島とその離島間をドローンを使っての配送が実用化されているという特集をやっていた。
新聞もドローンで運ばれ80台とおぼしきおばあさんが配っていた。
朝日新聞の西部本社の夕刊撤退は、同社にとってかなり大きな決断です。過去最大影響力の時期もあった全国紙ですし、博多ではなく小倉(市)に拠点を構えて、配送は福岡県内と関門トンネルで行き来しやすい山口県に絞ってたんですね(ちなみに山口県出身の知人によると、県民の少なくとも西半分は広島では無く、福岡志向らしいです)。2県で公称2.3万部という事は実数は?(笑)。
これで朝日新聞夕刊は九州から完全撤退。西日本では四国、山陽、山陰も朝刊のみ、関西だけ朝夕刊体制(京阪神都市部とその周辺のみ)です。行く行くは東西のみ朝夕刊で、まず夕刊が廃止、朝刊もあと5年持つかな?と思います。最近私の周りでは「新聞の文字が読みにくい」とこぼす人が増えた。離れるきっかけになるでしょう。スマホなら文字拡大して読めますから。ただ、スマホのニュースをどれだけ閲覧シフトしているのか、相変わらずテレビの嘘ニュースで洗脳されているかは分かりません。
つげ櫛屋さん曰く。櫛の歯、修理がきかないそうです。接着自体は出来ても、接着面が小さく負荷がかかる部分なのですぐ折れてしまうため。修理すれば良いやではなく、常日頃から大事に扱って油等で手入れをしてくださいとのこと。
新聞社さんも、「接着したり誤魔化せば良いや。」とばかりに売上や思想優先の偏向捏造記事を出し続けてきました。もう信用という歯はボロボロ、今更直せません。歯が無くなるまで「私は立派な櫛である。」と突き進むよりありません。もう結構ありませんけど。
櫛の歯理論、色んな意味で正鵠を射ていますね。
長野県では、
1)読売新聞は2024年秋より、長野県内発行分の新聞印刷を信濃毎日新聞社へ委託
https://www.yomiuri.co.jp/national/20221026-OYT1T50351/
2)朝日新聞は2025年春より、長野県内発行分の新聞印刷を信濃毎日新聞社へ委託
https://media-innovation.jp/article/2024/02/02/141337.html
コスト削減効果はありそうですが発行部数減少を止める効果は無さそう。
延命効果があるのかな?
理系の私には「臨界質量」という考え方がしっくり来ます。