著者自身、当ウェブサイトを8年間運営して来たなかで、新聞社、テレビ局、通信社、雑誌社などの大小さまざまな「報道不祥事」は、少なくとも毎月のように発生していたという印象があります。細かい者も含めれば、「毎月」どころの騒ぎではありません。こうしたなか、昨日も読売新聞で記事のタイトルが途中で改変された可能性が出てきました。そして、これに対し、「新聞記者」を名乗るユーザーが、これを擁護する立場から、「記事として注目を引くように書くことは当然」とする趣旨の内容をポストしているようです。
2024/07/30 14:45追記
豊田章男会長のお名前に誤植がありました。申し訳ございませんでした。
目次
日本のメディアの問題点
人々の関心は多様化している
先日の『ウェブサイト運営8年で見えたオールドメディアの未来』でも取り上げましたが、当ウェブサイト『新宿会計士の政治経済評論』は2016年7月にスタートしたサイトであり、早いもので、もうウェブサイトの立ち上げから8年が経過しました。
当ウェブサイトの運営にあたっては、これまでさまざまな狙いないし思惑があったのですが、ひとつブレていない点があるとしたら、それは「せっかく時間を割いて当ウェブサイトを訪問してくださった皆様に、可能な限り、知的好奇心を刺激する話題を提供することに努めたい」、というものです。
もちろん、当ウェブサイトの記事により、読者の皆さまに「あぁ、知的好奇心が満たされた!」、「面白い!」などと満足していただけることもあるかもしれませんが、ウェブ主側が「これは面白いに違いない!」と思って提供した話題が、結果的に皆さまに刺さらないこともあるでしょう。
当たり前です。
「興味のある話題」に関する感じ方は人それぞれですし、「面白かった!」などと思っていただけるかどうかは、ひとえに読者の皆さまの主観だからです。
また、自戒を込めて申し上げるならば、単独のサイトを運営していたら、どうしても「情報のタコツボ化」は避けられませんし、さらにいえば当ウェブサイトのスタイルは基本的に誰でも容易に模倣できるものえもあるため、ほかに面白いサイトがあれば、そちらに読者が流出していくことだってあるでしょう。
メディアに対するアンチテーゼとしてのウェブ評論
ただ、この8年間、なんとかウェブサイトを続けてこられたというのも、結局のところ、当ウェブサイトのやり方が見当はずれなものではないという証拠ではないかと自負しています。
それに、「当ウェブサイトよりも遥かに面白いサイト」がたくさん出現する、という状態は、じつは願ったりかなったりでもあります。
そもそも当ウェブサイトの出発点のひとつが、(新聞、テレビを中心とする)マスメディアの不適切な報道に対するアンチテーゼにあるからです。新聞、テレビは数が少ない「少数寡占」状態のなか、情報の多様性が確保されていないだけでなく、ときとして情報自体が不正確です。
普段から当ウェブサイトにて申し上げている通り、本来、情報媒体(メディア)の役割のひとつは、「事実を事実の通り、正確に報じること」にあります。蛇口をひねったら無色透明な水が出るのと同じく、新聞を開いたら、あるいはテレビを点けたら、正確な情報が流れて来るのが理想でしょう。
森羅万象をすべて報じることは難しいにせよ、国民生活に大きな影響が生じるような法制、経済・市場材料などに関する話題については最低限、報じて欲しいところですし、事実関係を不正確に歪曲して報じるなどもってのほかです。
そもそも情報が正確ではない
ところが、日本のメディアは多くの場合、そもそも情報が正確ではありません。
『上川発言報道問題で林智裕氏論考が「社会の停滞」警告』などでも繰り返し取り上げてきた、上川陽子外相が選挙応援で「うまずして何が女性か」と述べたとする件で、共同通信がこの発言を「出産」と関わらせて報じた問題などは、その典型例でしょう。
あるいは、つい最近の事例だと、トヨタ自動車の豊田章男会長が「今の日本は頑張ろうという気になれない」と発言したという「言葉尻」を捉えて、これを批判するかの報道も見られましたが、この報道は現実にはメディアに向けた苦言だったのです(『豊田会長の「問題発言」真意はメディアに対する苦言か』等参照)。
上川発言歪曲報道事件にせよ、この豊田会長問題発言事件にせよ、メディアによる著名人(政治家、財界人、専門家など)の発言の歪曲報道、あるいはそれ以外の問題報道などの事件は、著者自身の主観だと、2~3ヵ月に1回、いや、酷い時には毎月のように発生している気がします。
仮にもし、「報道不祥事が毎月発生している」のだとしたら、それを当ウェブサイトが見逃すはずなどありません。
そして、ウェブ評論サイトを8年間運営しているということは、月数になおせば「96ヵ月間、サイトを運営している」ということですが、仮に大規模な報道不祥事が毎月1件生じ続けていれば、当ウェブサイトの運営を開始して以降に限っても、私たちは100件近い報道不祥事を目にしている計算です。
8年間で100件近い不祥事―――。
「あれ?そんなに『少なかった』っけ?」
そう思った方は、じつは多いのではないでしょうか。
大谷選手の自宅をバラした日本のテレビ局
「報道不祥事」の定義にもよりますが、これを「誤報、偏向報道、歪曲報道、捏造報道」よりも広く、たとえば「報道機関(新聞社、テレビ局、通信社、雑誌社など)が一般常識からかけ離れた行動を取り、それによって第三者に迷惑をかけること」、と定義すれば、こうした不祥事の数は、もっと多くなりそうな気がします。
たとえば、「米大リーグの大谷翔平選手の新居をフジテレビや日本テレビが大々的に報じたため、大谷選手が結局、その新居に住めなくなりそうだ」、といった話題(『大谷選手がテレビ報道のせいでせっかくの新居を売却か』等参照)のようなものも、我々の一般常識に照らせば、メディアの不祥事にカウントできそうです。
ことに、大谷選手の事例でいえば、米国に居住するセレブは自宅をバラされると、その自宅に安全に住めなくなる可能性が指摘されているからです。
著名人の家族やペット、あるいは著名人本人が、犯罪者によって何らかの危害に晒されるかもしれないわけですから、防犯面でいえば、日本のテレビ局によってバラされた新居にそのまま居住することじたい、リスクを伴いかねません。
擁護意見もまたすごい!
メディアに対する擁護意見もメチャクチャ
しかもこの問題、元とある雑誌の編集長を務めたとかいう人物が、「野球選手の豪邸がどんなものかを知りたがるのは人間の『本能』だ」、などと述べ、この問題の火に油を注いだことも印象的です(『選手のプライバシーを知りたがるのは「読者の本能」?』等参照)。
しかもこの人物に言わせれば、「プライバシーを守りたいのなら、大谷夫妻はドジャース球場に付設している『宿泊施設』にでも寝泊まりしろ」、なのだそうです。
はて、「野球選手の豪邸を知りたがる」という浅ましい態度が、「読者の本能」なのでしょうか?
大変失礼ながら、それはこの発言をしたご本人が「その程度の知的レベルの人たち」を相手にしてきただけのことであって、一般の日本国民がそういうレベルだとは思えません。
少なくとも良識ある日本国民は、「野球選手の豪邸」とやらを根掘り葉掘り知りたがることはしないでしょうし、むしろ野球ファンの多くは、「野球選手の活躍は野球の試合を通じて楽しみたい」、と思っているのではないでしょうか?
一流の野球選手が著名人であるということは当然かもしれませんが、その野球選手らを、球場の外でも「パパラッチ」する行為に公益性があるとも思えません。
読売新聞の一見マトモな記事
さて、なぜこんなことを改めて述べるのかといえば、報道機関による不適切報道の事例が、最近、とみに増えたと思えてならないからです。
ここで紹介しておきたいのが、こんな記事です。
石川県の馳知事「所得の低い方が1次避難所で滞留、いかに支えていくかも使命」
―――2024/07/29 06:46付 読売新聞オンラインより
読売オンラインは石川県の馳浩県知事が25日、都内の会合で、次のように述べたと報じました。
「自宅にも戻れない、障害のある方など、所得の低い方が1次避難所で滞留している。この方々をいかに支えていくかも私どもの使命だ」。
至極、まっとうな発言です。
2024年の正月に発生した能登半島地震では、地形的な特徴もあり、甚大な被害が生じましたし、いまだに復旧が十分ではない地域もあります。
著者自身が見る限り、馳知事だけでなく、岸田文雄首相を筆頭とする政府関係者・関係閣僚らの行動は大変に迅速でしたし、適切でしたが、それと同時に「日本海側で最大の半島」が被災したという事情もあり、とくに災害初期は支援物資が足りない状況にあったことも間違いありません。
そして、この能登半島地震では、「岸田(首相)が無能だから、人々が苦しんでいる」、といった具合に、災害を政治利用する者たちがいることも事実です(敢えて「誰がそうだ」とは実名を挙げませんが、俗にいう「左」も「右」も、こうした者たちに含まれています)。
だからこそ、こうした馳知事の、「社会的弱者が取り残されないよう、しっかりと支えていくのが我々の使命」という趣旨の発言は、県政のトップに立つ者としての責務に対する高い意識のあらわれでしょう。
Xにポストしてみると…!?
ところが、この読売オンラインの記事のリンクを、X(旧ツイッター)にポストしてみると、不思議な現象が発生します。
先ほどのリンクでも示した通り、記事のタイトルは『石川県の馳知事「所得の低い方が1次避難所で滞留、いかに支えていくかも使命」』、ですが、Xにポストしたときに出てくるサムネイル画像下部には、『石川県の馳知事「所得の低い方が1次避難所で滞留」…都内の会合で発言』、という文字列が表示されます。
このように、サムネイル部分に記事タイトルと異なる文字列が表示されるときは、多くの場合、「記事タイトルを途中で改変した」という証拠です。この場合、サムネイル画像に表示されている文字列は、「改変する前の原題」、です。
そして、改題前のタイトルだと、「馳知事が問題発言を行った」かのような印象を抱きかねません。
実際、Xでこの読売記事のURLを入力して調べてみると、記事が公表された29日午前7時前以降、「記事タイトル」に対する複数名のユーザーのツッコミが確認できるのですが、同日の夕方ごろまでに記事がシレッと修正されたのか、「記事表題が訂正されている」とする趣旨の指摘もチラホラ出て来ています。
この点、敢えて読売新聞を弁護するなら、読売新聞は馳知事を「わざと貶める」目的でこの記事を付したのではなく、単純に、記者がうっかり、誤解を招きかねない記事タイトルを付してしまい、ネット上などの指摘を受けて改題した、という方が実情に近いのかもしれません。
実際、当ウェブサイトでも記事のタイトルを付す際に、後から振り返ったら「もう少し、こういう文言を入れるべきだった」、「ちょっと言葉足らずだった」と思ってしまうことがありますので、限られた時間で記事タイトルを考えていけば、多少なりとも誤解を招きかねない記事タイトルを付けてしまうこともあり得る話です。
ただ、その場合であっても、もしも記事表題を変えるなら、「タイトルを途中で変えました」という断りくらいは入れるべきではないでしょうか?
ちなみに当ウェブサイトの場合だと、先日の『豊田会長の「問題発言」真意はメディアに対する苦言か』については、当初、記事のタイトルが『豊田社長の「問題発言」真意はメディアに対する苦言か』と誤記していたのを、途中で修正しています。
(校正には気を付けているつもりですが、この手のミス、当ウェブサイトでは多発していますので、自戒を込めて再度引用しておく次第です。)
とあるユーザーの擁護意見
ちなみにこの記事の原題を批判するコメントに対し、「新聞記者」を名乗るユーザーが、こんな趣旨の反論を試みています(あえてリンクは示しませんが、「新聞記者」を名乗るわりに日本語表現が少し雑だったように見えるので、原文については表現を少し整えたうえで、表現を穏当なものにしています)。
「記事として、注目を引くように書くのは当然のこと。/読売の記事タイトルはニュアンス的にも間違っていない。/ところで、記者を批判するほどあなたは立派な仕事に就いてるのかな?」
このポストをした方が本当に新聞記者なのかどうかはわかりません。
が、仮にそうなのだとしたら、これも火に油を注ぐような行為でしょう。「注目を引くために、ニュアンスを捻じ曲げて良い」、という話ではないからです。
それに、Xという空間で、ご本人の素性が正確に判明していないというなかで、あまり軽々に決めつけるべきではないにせよ、以前から当ウェブサイトにて取り上げて来ているこれまでの「メディア関係者」の発言とも、非常に整合するものでもあります。
大谷選手の自宅を報じたテレビ局のうちひとつが謝罪したことについて、「野球選手の自宅を知りたがるのは読者の本能」と決めつけたうえで、「自宅を知られるのが嫌なら球団の宿泊施設に夫婦そろって寝泊りせよ」と言い放った元雑誌編集長氏。
トヨタ自動車の会長の発言をメディアが切り取り報道したことを、「切り取られるのは本人の責任」、「新聞記者の仕事はニューズバリューがある部分を見つけて切り取ること」と述べ、あたかも切り取り報道された側に問題があるかのごとく発言した某ジャーナリスト氏。
メディアによる偏向報道を擁護するかのような発言には、正直、困惑してしまいます。
(なお、「新聞記者を批判できるほどの立派な仕事に就いているのか」、のくだりに関しても、「不適切な報道」を批判するのにその人の仕事は関係ないと思いますが、いかがでしょうか?)
インチキ論説から見える新聞の終焉
さて、先日の『【インチキ論説】新聞版「特殊負担金」で民主主義守れ』では、いかにも新聞業界などから聞こえてきそうな、さまざまな要素をちりばめたうえで、「インチキ論説」を展開してみました。
ここでいう「さまざまな要素」とは、たとえば、こういった具合です。
- 新聞記者の仕事はニューズバリューがある部分を見つけて切り取ること
- 新聞記者は国民の代表として、政治家と対決するのが仕事
- 新聞記者は情報選別のプロであり、新聞には政治的に正しい主張が掲載される
- 新聞が消滅すれば、民主主義が危機に陥りかねない
このインターネット時代、素人が情報を発信する楽しみを覚えてしまった
…。
自分で書いていて、なかなかにぶっ飛んでいると思いましたが、ただ、残念ながらこのインチキ論説も、当ウェブサイトを8年間運営して来たなかで蓄積されてきたメディア人のさまざまな発言をベースとしたものであり、おそらくピント外れではないはずです。
ただ、繰り返しになりますが、インターネットが発達し、(メディア人がいうところの)「素人」が情報発信するようになったことで生じたのは、情報の多様化です。
そして、メディア人が「素人」だと決めつけている人たちのなかには、じつは経済・金融の専門家もいますし、産業、技術の専門家などもいます。福島第一原発のALPS処理水の海洋放出においても、さまざまな専門家がネット上で、「科学的知見」に基づき「処理水放出は安全だ」と主張し続けました。
それなのに、「科学を振りかざすな」だ、「科学を隠れ蓑にするな」だのと叫び、処理水が「危険だ」とする風評を頑なに垂れ流し続けたのは、むしろ一部のメディアでしょう。
これにより、科学技術に疎い一般読者をまんまと騙せたと思っているのかもしれません。
ですが、実態は異なります。
むしろ、まともな人ほど(あるいは知的水準が高い人ほど)新聞、テレビを見なくなり、そんな新聞、テレビは自分たちを相手にしてくれるような層をターゲットに、さらにコンテンツの質を下げ、結果的に読者、視聴者の層はさらに切り下がっていく―――。
こんなスパイラルが生じているように思えてなりません。
そういえば最近、夕刊の休刊・廃刊などに関する情報が(観測報道も含めて)絶えませんが(『新聞業界「印刷配送共通化」で高まるドミノ倒しリスク』等参照)、今後は櫛の歯が欠けるかのように、まずは今後、主要な夕刊が消えていくのかもしれません。
こうした見立てが正しいかどうかは、案外、あと2~3年以内に判明するのではないかと思いますが、いかがでしょうか?
View Comments (27)
>ところで、記者を批判するほどあなたは立派な仕事に就いてるのかな?」
記者は立派な職業であるというおごりが見えますけど私の読解力が悪いのかな?
この方が思っている立派な職業って何でしょね?
これも立派な職業差別ですね。
情報媒体の役割は「事実を事実の通り、正確に報じること」だが、蛇口をひねったら赤い水や身体に悪い物質を含む水が出て来る。飲めませんので、高機能の濾過装置を付けるか、安全な水をまとめ買いして防ぐしかありません。情報媒体は新品の蛇口でも水自体が汚染品です。
切り抜きやマナー違反の拡大報道なんて、上川法相や豊田会長、大谷翔平選手などビッグ以外を含むなら、8年で100本では無いでしょうに。馳知事のXも故意に曲げ、数年前の大阪府北部の結構大きな地震で、他人宅に勝手に侵入した記者も居ましたね。
メディア側と思しき(または元関係者か)方の言う「ところで、記者を批判するほどあなたは立派な仕事に就いてるのかな?」という居直りは、馬脚を表してます。『記者はそんじょそこらの庶民層では無い!仕事の質が高いんだよッ頭が高い!』って言う物言いに聞こえます(嘲笑)。
読者を小ばかにし社会につばきし続ける新聞記者の性根は一貫しています。業界に深く浸透している病理でしょう。ではどうできるでしょうか。タダ読みを続ければいいと考えます。
>「ところで、記者を批判するほどあなたは立派な仕事に就いてるのかな?」
この発言をした方、川勝前静岡県知事の最後の爆弾発言の時はどのような主張をされていたのかが気になるところです。
>記事として、注目を引くように書くのは当然のこと。
100歩譲って好意的に解釈するならニュースを伝えたい、知ってほしい、との思いからだと思うのですが。
全く違う意味に改変することは違うと思います。
世間の耳目を集めるために上川陽子外相発言や馳知事発言のようなニュースにもならない普通の発言を改変してニュースにしてしまうことが立派な職業なのでしょうかね~
マスゴミも炎上商法なのでしょうか。
「アテンションエコノミー」と言う言葉を最近覚えました。
簡単に言うと、マスゴミ行為を意味するようです。
(視聴数稼ぎ狙いのyoutubeと変わりません)
以下、心の声
(炎上系YouTuberは垢Banされる。)
(炎上系TVは停波したら?)
後日に改正の過程が確認できる訂正方法は、会計士様らしく、
相殺であやふやにしない総額主義の原則に準じたものですね。
・・・・・
*豊田会長のお名前が誤植のようです。
カズ 様
>豊田会長のお名前が誤植のようです。
ご指摘の通りです。
人様の名前を間違えるとは、大変に無礼なことです。本当も申し訳ございませんでした。
また、貴重なご指摘を賜り大変ありがとうございました。
マスメディアが読者に判断材料となるような客観的事実を伝えることよりも、世論誘導に勤しんでいるから事実を歪曲したような報道が出てくるのでしょう。ひどいもんです。被害者を量産してます。
都知事選挙でもメディアは蓮舫推しでしたが、実際は全く人気ないことが明らかになりましたし、今は総裁選の石破推しが酷いなと感じてます。
売上が下がり続けている組織では、管理が難しくなりま
す。人はどうしても減るので、効率化や兼務などでカバーしますが、それでも限界があります。臨界値のようなものがあるのです。特になおざりになるのが品質を担保するためのチェック機能です。生産に直結していないように見えるからです。
対策は経営側でしか出来ません。経営理念に沿った優先順位の明確化や部分的縮退なのですが、厳しい経営環境に対応せずに偉くなった幹部にはなかなか難しいことだと思います。
“朱に交われば…”たぁ云いやせんが、『羽織ゴロ』的DNAはレンメンと継承されとるンかもシレヤセン…
連中がナニゲ居丈高なのはコンプレックスの裏返し??