当ウェブサイトにシャープかつ無慈悲なコメントを残すことで知られる「農民」様というコメント主が、再び無慈悲なるコメントを放ってきました。「製造業の場合、図面や検査記録などは要求されればすぐに開示できるよう記録に残すことは当然だが、マスコミ業界では記事の存在や設計図に当たる取材ノートやレコーダー音源などをどう保管しているというのか」。無慈悲な正論です。こうしたなか、改めて考えておきたい論点が、「報道の自由化」です。
目次
切り取り報道とその顛末
豊田会長の「切り取り報道」
俗にいう「切り取り報道」とは、政治家や財界人などの発言の一部分を切り取り、その本人が意図していないような内容に仕立て上げることさします。
こうした切り取り報道、ネットなどで最近話題になったものに限定しても、たとえば、「上川陽子外相が出産していない女性を差別する発言を行った」だの、「トヨタ自動車の会長が日本から出ていくと述べた」だのといったものがありますが、これらはもちろん、メディアの「切り取り報道」が人々に誤解を与えている事例です。
ひと昔前、新聞、テレビくらいしか情報伝達手段がない時代だと、こうしたメディアの切り取り報道に対し、人々は「泣き寝入り」するしかなかったのかもしれません。
しかし、最近だと、こうした「切り取り報道」は、わりと簡単にバレるようになってきました。社会のインターネット化が進み、X(旧ツイッター)などのように、誰もが気軽に情報発信できるツールが発達してきたからです。
この点、一部の人は、「マスコミが最近、劣化して来た」と主張します(※ここでいう「マスコミ」には新聞、テレビなどが含まれますが、これらに限られません)。
著者自身は、こうした主張にはくみしません。
つまり、マスコミ報道というものは、もともとあまりレベルが高いものではなく、こうした実態が社会のネット化によってバレ始めたに過ぎない、と見ているからです。
日本のジャーナリストらは事実を正確に報じることを重視しない
これについては以前の『日本のメディアは客観的事実軽視=国際的調査で裏付け』などでも取り上げた、WJS(Worlds of Journalism Study)が公表した調査なども参考になるかもしれません。
これは、WJSが世界67ヵ国・27,500人以上のジャーナリストへのインタビュー調査結果をもとにした、世界各国のジャーナリズムの傾向で、その結果の概要については、現在でも “Country reports – WJS2 (2012-2016)” のページで閲覧・ダウンロード可能です。
調査自体が少し古いものではありますが、ここで日本のメディアに共通する特徴を改めて指摘しておくと、諸外国と比べ、日本のジャーナリストには、だいたい次のような傾向があります。
- 政治リーダーを監視・精査することを何よりも最重要視している。
- それら権力の監視と時事問題の分析、人々の政治的意思決定に必要な情報提供こそがジャーナリズムと捉え、それは事実をありのままに伝える責務以上に優先される。
- 人々が意見を表明できるようにすることへの関心は極端に低い。
- 政治的アジェンダ設定も人々に代わりジャーナリズムが主導するべきで、それは事実をありのままに伝える責務に比肩するほど重要な役割と考えている。
この4点、大変に重要な指摘です(指摘自体は『林智裕氏が公表の待望「ネチネチ論考」が素晴らしい件』でも取り上げた、ジャーナリストの林智裕氏のものを借用しています)。
つまり、日本のメディア産業関係者にとっては、事実をありのままにつたえることよりも、自分たちが正しいと(勝手に)思い込んでいる内容を人々に伝えることで、結果として世論誘導を行うことの方が、優先順位が高いのだ、といった仮説が成り立つのです。
「切り取り報道」は「切り取られる方が悪い」とする珍説
この点、「日本のマスコミ報道のレベルは最近になって低下した」のか、「日本のマスコミ報道はもともと大してレベルが高くない」のか、このいずれの説が正しいのかは、わかりません。
ただ、どちらが正しいにせよ、マスコミ報道がときとして極めて不正確であること、そして誤報、捏造報道、偏向報道などをやらかしたとしても、それらに対する責任の取り方が不十分であることに関しては、(マスコミ業界を除くと)おそらく衆目の一致するところではないでしょうか。
ただ、「マスコミ報道はおかしい」という点に気付く人が増えてきたためでしょうか、最近は、メディア人などを中心に、なんだかよくわからない主張が出てくるようになりました。昨日の『切り取り報道の責任は切り取られる側にあるとする珍説』でも取り上げた「珍説」など、その典型例のひとつでしょう。
以前の上川陽子氏の「産まずして」発言、あるいは豊田章夫・トヨタ自動車会長の「今の日本は頑張ろうという気になれない」発言は、いずれも全文をきちんと読めば、問題発言でも何でもないことは明らかです。しかし、これらの切り取り報道のせいで、あたかも問題発言であるかのように見えてしまっています。こうしたなか、「切り取り報道は、そのように発言を切り取られる側に問題がある」。こんな発言が、X(旧ツイッター)で話題となっているようです。専門家とわかりやすさ朝っぱらから小難しいことを言います公認会計士とは「監査... 切り取り報道の責任は切り取られる側にあるとする珍説 - 新宿会計士の政治経済評論 |
これは、とある新聞社系の雑誌での編集長などを経て、現在はフリージャーナリストとして活動しているとする人物がX(旧ツイッター)に投稿したもので、わかりやすくいえば、「切り取り報道の責任は切り取られる側にある」、とするものです。
これは、トヨタ自動車の豊田章男会長の発言は、正確に読むとマスコミに向けられているものだとする主張への反論です。
この豊田会長の発言については、先日の『豊田会長の「問題発言」真意はメディアに対する苦言か』(※当初記事タイトルは「豊田社長」となっていますが、正しくは「豊田会長」でした。申し訳ございませんでした)でも取り上げたとおり、マスコミ報道の在り方に苦言を呈したものと考えるのが妥当です。
また、このように考えていくと、トヨタ自動車がテレビ朝日の元看板キャスターである富川悠太氏を引き抜き、トヨタイムズを創設したという動きについても、スッキリと整合的に説明がつきます。
メディアが他人の発言を切り抜き、まったく違う意味合いに仕立ててしまうというのは、正直、私たちの社会で許容できるものではありません。
メディア業界関係者による自己否定
それなのに、この論者の方は、こんな趣旨の内容をXにポストして、メディアによる発言の切り抜きを正当化しているようなのです(文章については一部、当ウェブサイトの文責において、大意を変えない範囲で要約ないし補足している部分があります)。
- トヨタ会長の発言を報じた朝日新聞の記事は、発言の文脈や全文を伝えていないという点では、「切り取り」といえるかもしれない
- しかし、仮にそうだとしても、「切り取られた結果として失言になる」ような発言はすべきではなかった
- 記者の仕事は「ニューズバリューがある部分を見つけて切り取ること」であり、「メディアの前で何かを話す」ということは、本来そういうことだからだ
- 有名企業経営者や政治家は、「切り取られることを前提に話をすること」が必要であり、これは世界共通の常識であって、今回(の豊田会長の発言)では、「それができていなかった」ということだ
…。
なかなかに、強烈な認識です(この人物のポストはまだ続くのですが、これについては当ウェブサイトにおいて引用することはしません)。
もしもこの人物がいうとおり、メディア報道では「発言を切り取られ、歪曲される」のが当たり前なのだとしたら、それはメディアとしての役割の放棄そのものであり、メディア業界関係者による自己否定そのものです。
なぜなら、メディアがあなたの発言を切り取るのは「記者として当然」なのだとすれば、政治家や財界人、専門家などは、迂闊にメディアに露出して発言すべきではなく、最初からメディアを相手にせず、自分で直接、Xやブログなどで情報を発信した方が良い、という結論が導けるからです。
あるいは私たち一般人にとっても、新聞やテレビが報じる要人発言が切り取られ、本人の発言意図とは異なったかたちで伝わるのだとしたら、そのような報道など役に立たない、という可能性が濃厚です。
つまり、もしもメディア関係者が、「私たちは発言者の発言を意図的に切り取りますよ」、と宣言するつもりならば、情報源の側は誰もメディアに対して情報を出さなくなりますし、読者・視聴者の側も「ウソばかりのメディア報道」など、誰も見向きもしなくなるからです。
報道と製造物責任
製造物責任の考え方
こうしたなかで、ひとつ思い出しておきたい話題が、『『法的制裁受けないマスコミだが…経済的制裁は下るのか』などでも取り上げた、製造物責任の考え方です。
「製造物責任」、わかりやすくいえば、自分が製造したり、販売したりした製造物に欠陥があり、その欠陥について製造業者等が「自分の責任ではない」と証明できなかったときは、損害賠償の責任を負う、とする考え方のことです。
日本では「製造物責任法」、あるいは俗に「PL法」と呼ばれる法律で、いわば「立証(挙証)責任」が転換されています。
製造物責任法第4条
前条の場合において、製造業者等は、次の各号に掲げる事項を証明したときは、同条に規定する賠償の責めに任じない。
一 当該製造物をその製造業者等が引き渡した時における科学又は技術に関する知見によっては、当該製造物にその欠陥があることを認識することができなかったこと。
二 当該製造物が他の製造物の部品又は原材料として使用された場合において、その欠陥が専ら当該他の製造物の製造業者が行った設計に関する指示に従ったことにより生じ、かつ、その欠陥が生じたことにつき過失がないこと。
PL法第4条にいう「前条の場合」とは、同第3条にいう製造物責任のことです。これにより、民法上の不法行為責任を追及する際に、「加害者の過失」を立証する必要がなくなった(消費者庁『製造物責任法の概要Q&A』等参照)、というわけです。
「農民」様の無慈悲なコメント
こうしたなかで、昨日の記事には、当ウェブサイトにいつもシャープかつ無慈悲なコメントをしてくださることで知られる「の民」様というコメント主の方が、こんな趣旨のコメントを残していきました。
「農家に転身する前は製造業に勤めていました。当時でも、図面は◯年保管、検査記録は◯年保管し、要求があればすぐに開示せよ、と徹底されていました。やって当然だし、そんなことも出来ない企業など仕事を貰えるわけもない」。
これは、製造業者だけでなく、ほかの多くの業種にも共通しています。
たとえば会計監査業界では、公認会計士(あるいは監査法人の従業員など)が会計監査を行った場合、その結果については「監査調書」のかたちで、「監査を行った証拠」を残しておかなければなりませんし、銀行業界などでも、融資を実行するに至る審査プロセスなどについては文書化がされていることが一般的です。
ところが、農民様のコメントは、こう続きます。
「これ、報道業界ではどうなっているのでしょうか?」
「取材ノートやレコーダー音源が記事の素材や設計図にあたるでしょうし、編集過程でも責任者が明確になっていなければおかしい。責任を担保するにはそれらの保管と開示が必須に思えます」。
言われてみれば、確かにその通りです。
マスコミにとっての「製品」とは、報道される情報―――すなわち、彼ら自身が取材などの結果得た情報であったり、それらの情報に対する彼らとしての見解(社説など)であったりするはずです。
ということは、報道という「製品」に欠陥が含まれていないことを立証するプロセスが本来ならば必要であり、誤報、捏造などの報道不祥事が生じた際には、自分たちの報道に何らかの間違いや問題などがなかったのか、立証ないし検証することが可能であるべきです。
PL法の対象に報道は含まれていない
ただ、農民様のコメントは、これで終わりではありません。
追い打ちをかけるように、こう続きます。
「不良品へのクレームに対して『原因わかんないけどすんませーん気をつけまーす』などという態度は、日本の製造業ではあり得ない」。
「それとも、”記者のつける角度”だの”社の思想方針”こそが設計図であり製品なので、素材などどうでも良いということでしょうかね。であれば、記事が低質だろうが偽造捏造だろうが、彼らにしてみれば誇れる製品になるでしょうから」。
なかなかに、辛辣です。
人間、年を取ってくると、夏の暑い日に辛口の日本酒を呑みたくなるものですが、こうした「無慈悲かつ辛口な読者コメント」が投稿される当ウェブサイトが、一部のメディア人から嫌悪されているのも当然といえるのかもしれません。
ただ、それと同時に改めて指摘しておくと、このPL法の対象には、「報道」は含まれていません。PL法第2条第1項では、製造物とは「製造または加工された動産」と書かれており、「情報」とは書かれていないのです。
製造物責任法第2条第1項
この法律において「製造物」とは、製造又は加工された動産をいう。
報道の正確性を担保するために、PL法に「報道」を書き込むのが良いのか、それとも報道そのものを規制する法律を別途作るのが良いのか―――。
新聞版BPOという提言もあるが…報道の自由化の方が早い!
これについては悩ましいところです。
この点、株式会社政策工房代表取締役の原英史氏が「新聞にも内容の正確性を担保するための『報道評議会』のようなものを作るべきだ」と提唱している(『「新聞版BPO」創設よりも自由競争貫徹の方が現実的』等参照)ことを思い出します。
原氏といえば、毎日新聞を相手取って2019年以降4年半の訴訟を戦ってきた人物ですが、こうした実戦経験に基づいた提案には、説得力があることは間違いありません。
ただ、当ウェブサイトの意見は少し異なります。
「新聞、テレビによる報道被害を救済する仕組みは必要」とする点では原氏の意見はまったくその通りかもしれませんが、「新聞報道の正確性を担保するために、新聞版のBPOを作るべき」とするアプローチには賛同しません。
その理由としては、現にテレビ版のBPOがまったく機能していないという事実(『BPO「NHK放送倫理違反」指摘も…肝心の処分なし』等参照)を踏まえると、新聞版BPOを設立したところで、結局はBPOの二の舞になることは避けられない、という点が挙げられますが、それだけではありません。
そもそも新聞・テレビなどによる報道がここまで歪んでしまった理由のひとつは、「少数の事業者による独占体質」にあるわけですから(※この点は著者の私見です)、この「少数事業者の独占」という構造が壊れれば、それだけで、少なくとも報道は現在と比べ、健全な姿になるはずです。
端的にいえば、インターネット上で大手新聞社、大手テレビ局などとはまったく無関係のメディアが乱立すれば良いのです。
これが、「報道の自由化」です。
コツを掴めば難しいものではない
この「報道の自由化」、いったい何が必要なのか―――。
じつは、これには政府による規制改革も必要ありません。「報道」あるいは「論評」と呼ばれる活動に従事する人が増えれば良いだけの話です。そして、それらは一般の人たちが思うほどには難しいものではありません。
普段、当ウェブサイトにて指摘している通り、世の中の報道や論評には、基本的には「客観的事実」と「主観的意見」という2つの種類が存在し、このうち「客観的事実」については、インターネットの発展にともない、入手するためのコストがどんどんと下がっているからです。
当ウェブサイトの場合は山手線の駅名を冠した怪しい自称会計士が運営しているわけですが、著者自身はべつに記者クラブに出入りしているわけでも、ジャーナリストとして独自取材などを行っているわけでもありません。
客観的事実に関する情報源は官公庁や日銀、国際決済銀行(BIS)や国際通貨基金(IMF)、世界銀行などが公表する各種統計資料(一次ソース)、政府・国際機関・企業などの報道発表などをもとに入手しています(これらの多くは誰にも簡単に手に入れられるものです)。
ネット上に豊富に存在するこれらの情報をうまく活用すれば、「読んでくださった方々の知的好奇心を刺激する」ような内容を論じることは容易です。
この点に気付く人が増えれば、ウェブ評論の世界に事業参入する人はもっと増えていくはずですし、当ウェブサイトとしても、ウェブ評論の裾野が広がることを歓迎したいと考えています。
(なお、当ウェブサイトの読者の皆さまのなかで、ご自身のブログやXアカウント、評論サイトなどをお持ちの方はそのURLを当ウェブサイトにおいて積極的に宣伝していただいて構いません。)
その意味では、製造物責任を決して取ろうとしないオールドメディアは今後、衰退の道を辿るでしょうし(新聞部数、テレビ視聴時間、これらの広告費などのデータから見るに、実際にその衰退は急速に進んでいます)、ウェブメディアが無数に乱立すれば、その分、人々の情報入手手段も多様化するはずです。
こうした見立てが正しいかどうかについて、人生を終えるまでに何とか見極めてみたい、などと思っている次第です。
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数値データの可視化表現に平面グラフだけではなくって立体図示があるといいですね。どんな事業分野でもそうなのですが、進化するツールを用いてグラフィック表現術を磨き続けることはとても重要です。
立体図示しても「詳細」にはなるが
「正確」にはならない
データは嘘をつかないが、データを使う奴は嘘をつく
「情報」も「対価」をもってやりとりされる性質がある以上『動産』とすべきなのでしょうが…立法府構成員の或いはそれを選ぶ我々の作為が不作為か
毎度、ばかばかしいお話を。
①マスゴミ:「報道の自由化などされたら、結果的にメディアの製造物責任につながる」
②マスゴミ:「報道の自由化などされたら、今以上に現場での競争が激化する」
③マスゴミ:「そもそも我々のごみ報道を喜ぶ国民が悪い」
ありそうだな。
>>「切り取り報道」は「切り取られる方が悪い」??
とする珍説については、苦笑するしかない以上に
その方たちの立ち位置の方のありようが
透けて見えるようで、それをご自分たちで
言ってしまっているのが滑稽です。
話を転じて、もし
万引きの常習犯にそんなことする理由を尋ねたら
「なんで万引きするかって?
そりゃそこに万引きしたい商品があるからや。
そんなものを並べる店が悪いに決まってるやろ!どや!」
と答えが返ってくるのかもしれません。
もちろん、
お店が商品並べるのは買ってくれる消費者のためで
万引き犯のために並べているわけではない
という当たり前のことがその回答にはないという
お話にならないものであるのです。
マンボウさま
万引きと言えば、カリフォルニア州では一定額以下の万引き(暴力行為なし)は逮捕されないそうです。すると特に都市部から小売店が多数撤退、地域の人たちが買い物に困っているとか。
もともと、刑務所パンク問題から決められた法律のようですが、場所が「カリフォルニア州」というのがなんとも含蓄あります。
その法律に関する続報で、全米展開する小売チェーンがカルフォルニアから撤退しようとしたら、撤退を禁止する法律を制定して撤退させまいとしてるそうですね。
米国らしいなぁって。
2023年、日本では年間150万人近く亡くなっています。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai23/dl/gaikyouR5.pdf
表6-1でありますが、大半が70代以上のお年寄りです。お年寄りがテレビ新聞の主要な顧客層なんで、まあ衰退していくでしょうね。
>責任を担保するにはそれらの保管と開示が必須に思えます
晴川雨読氏の取り上げた東京新聞社説をふと思い出しました。
「新幹線ストップ 作業に緩みなかったか」だってさ。ゴミ社説ですね。
https://seisenudoku.seesaa.net/article/editorial_20240723.html#%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%96%B0%E8%81%9E
保守車両事故の原因が全くわかっていない中での「作業に緩みなかったか 」との指摘が、何ら具体性のない精神論でしかなく、その精神論にしたってJR自身も運休が収益悪化につながるので自律的に回避に努めるはずで無意味、ということをおっしゃっているのだと思いました。
何の役にも立たない社説。まったく同意するところです。
「保管と開示」から私が連想するのは「現状把握→原因究明→対策→定着・チェック」のような実業に携わる企業では当たり前のサイクルです。
原因もわからないのに責任を問う上記のような無意味な社説が出てくるのを見ると、そんな概念のない浮世離れした業界なのではないかと疑いが強くなるばかりです。
上から目線で説教し、犯人捜しをし、その後に経営者一同に頭を下げさせる謝罪茶番の絵を何度も見せられた過去も蘇ります。
失敗を受けた企業や社会の進歩・成長からはほど遠いだけでなく、無責任な野次馬を引き寄せるばかりで、それらを妨げる有害性すらありえると思います。(今更感)
農民様、良く『マスコミの製品』に気が付かれましたね。さすが!です。
夏の暑い日には私は冷えたビールと辛口の日本酒が呑みたくなります(控えろ! 笑)。そういうこのサイトに、まさか嫌がらせや暴言紛いをしているメディア人や偏向志向の人が居るのでしょうか?居るだろうね。テレビ局も局用の高価なビデオテープやカメラ、器材が十分無い頃、撮影して放映しては次の撮影に回して、上書き保存で対応していたそうです。だから古いメディアの報道の証拠は殆ど現存していません。それを悪用してきたと思ってます。現在は素人でもパソコン、タブレット、スマホ、周辺機器が手軽に手に入り、YouTubeだろうがXだろうが参加出来る。つまり、インターネット上で誰もが自由に意見を言い、参画できる。その点は時代は良くなりました。
情報の出元を明示しないくせに本来守るべき内部告発者の情報を告発先にリークする
時に人の命がかかる事案なのにあれはなんでしょうね
製造物責任という切り口ならば、工業製品よりも食品の産地偽装の方が、イメージが近い気がしますね。
一応はそれらしく食べられる。
でも、松阪だとパッケージに書いてあるけどホンマかいな?
(取材元の秘匿のため産地は非公開。)
そもそも牛なのかどうかすら、怪しい。
クロマトグラフ分析にかけたら(追跡検証してみたら)社長がゴメンなさいして引責辞任。
でも、品質を担保するための再発防止はとくに無し。
そういえば昔にミートホープ事件てのがありましたが、あそこの社長は、
「安い肉を高い肉だと思い込んで買うから、騙されるユーザーの方が悪い」
みたいなコメントを出してましたな。
今のメディア関係者は、笑ったらダメですよね。
新聞には【訃報欄】がありますよね。
いっそのこと新聞紙上に【誤報欄】をつくり、各紙の誤報を定期的にまとめて掲載するというのはどうでしょうか?
WJSの「人々が意見を表明できるようにすることへの関心は極端に低い」ことへの反省として、行儀のよいコミュニティーノート的なコメントを併せて載せる、というのはどうかな?
購読部数の低下率を少しでも抑えるための方策として、マジに各紙に提案したい。老婆心です。
『誤報欄』
それは面白そうですね。
きっと読者の人気が沸騰して、新聞売り上げ部数が激増するのではありませんか。そのうち人気目当ての誤報捏造が発生する未来が透けて見えます。そして誤報虚報の果てにもはや真実を誰も気にしなくなり post-truth age が現実化するとすれば、一体誰のせいでそんなことにと。