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切り取り報道の責任は切り取られる側にあるとする珍説

以前の上川陽子氏の「産まずして」発言、あるいは豊田章夫・トヨタ自動車会長の「今の日本は頑張ろうという気になれない」発言は、いずれも全文をきちんと読めば、問題発言でも何でもないことは明らかです。しかし、これらの切り取り報道のせいで、あたかも問題発言であるかのように見えてしまっています。こうしたなか、「切り取り報道は、そのように発言を切り取られる側に問題がある」。こんな発言が、X(旧ツイッター)で話題となっているようです。

専門家とわかりやすさ

朝っぱらから小難しいことを言います

公認会計士とは「監査および会計の専門家」であり、その社会的使命は、「独立した立場において、財務書類その他の財務に関する情報の信頼性を確保することにより、会社等の公正な事業活動、投資者及び債権者の保護等を図り、もって国民経済の健全な発展に寄与すること」にあります。

これは、公認会計士法第1条の文章をそのまま持ってきたものですが、恐らくこの文章を読んだ方のうち、99.7%程度は、こう思ったに違いありません。

まったく、朝っぱらから小難しいことを言いやがって」。

この点、本稿では別に、著者自身が読者の皆さまに、乏しい知識をひけらかす目的で執筆しているものではありません(というより、著者自身、会計監査の世界からもう20年近く遠ざかっており、「監査の専門家」としてのスキルは、大変怪しいものです)。

ここでひとつ申し上げたいことは、「専門家ほど、慎重な言い回しを使う」、という特徴です。

自分自身で読み返してみても、普段、当ウェブサイトでは、なにやら小難しい言い回しを使い、奥歯にものが挟まったようにわかり辛い言い回しが、頻繁に出てきます。気を付けているつもりですが、やはりこれは職業病のようなものかもしれません。

意見と事実はハッキリ分けよう!

しかし、著者自身の持論ですが、専門家であればあるほど、言葉を吟味して、より慎重な言い回しをすべきであり、もっといえば、できるだけ正確な表現を心掛けるべきです。

そして、極めて重要な点が、「事実と意見の峻別」だと思います。

「事実」とは、たとえば、「2024年7月25日に、東京都〇〇区にお住いの山田一郎さんが60歳の誕生日を迎えた」、といったものです。

これに対して「意見」とは、たとえば、こんなものです。

山田一郎さんも60歳になったのだから、健康面で不安をたくさん抱えているに違いない」。

この「山田一郎さんは60歳になった」というのは、誰がどう見ても変わらない「事実」ですが、「健康面で不安をたくさん抱えているに違いない」は、この発言者の「意見」です。

人間であれば多くの場合、中高年になってきたら、若いころでは考えられなかったような体の不具合が出て来るものですが、それと同時に身体的健康状態には個人差もかなりありますし、生活習慣なども大きな影響を与えることが知られています。

なかにはもちろん、「健康面で不安をたくさんの抱えている60歳」もいらっしゃるでしょうが、現役バリバリに仕事をこなし、飲酒・喫煙習慣があるにも関わらず、定期健康診断でもとくに指摘事項がない、という人もいらっしゃいます(そのような実例を存じ上げています)。

専門家の仕事のひとつとは、事実に意見を反映させていくこと

専門家の仕事も結局、専門的な知見を使い、なにが「事実」で、なにが「意見」かを判断していくことにあるのかもしれません。つまり、何らかの事実に適合するような意見を出していくことが、専門家の仕事のひとつなのです。

たとえば、とある企業が何らかの取引を行ったとき、その取引に対しどんな会計処理を適用するか、その会計処理を適用するための条件としてはなにが求められるかを考えるのは、「企業会計の専門家」の仕事のひとつでしょう。

ここで、「何らかの取引」は、「事実」です。

しかし、その「事実」に対して適用できる会計処理は、その会計処理を適用する人(法学的にはその企業の経営者、実務的には経理担当者ら)の「意見」です。

実際、ここ数十年の粉飾決算の動向などを見ていると、2000億円を超える利益水増しが発覚した某電機メーカーの例を挙げるまでもなく、「発生した『会計事実』に対する不適切な会計処理が続き、損失が隠しおおせなくなって、巨額損失が顕在化する」―――、といったパターンもよく見かけます。

このような粉飾決算事件などは論外ですが、やはり専門家であるならば、「会計基準に照らしそのような会計処理は適用できない」と止める勇気を持たねばなりません。あるいは逆に、どこまでならばOKで、どこからがアウトなのか、という「線引き」を明確にすることも、こうした専門家の仕事のひとつなのでしょう。

専門家の仕事にもうひとつの事例があるとしたら、それはお医者さんでしょう。

私たち素人にとっては、病気になったときに、お医者さんからは「大した病気じゃありません!」「絶対治ります!」、「安心してください!」、という言葉をもらうことを期待してしまいがちではないでしょうか。不治の病に侵されたときは、なおさらそうです。

しかし、誠実な医師であれば、そのような言い回しは決して行わないでしょう。むしろ「現在の医学では助かる可能性は低いですが、最善の治療を試みます」、といった具合に、(言葉は慎重に選ぶかもしれませんが)医学の限界については率直かつ正確に説明するのではないでしょうか。

わかりやすさvs正確さ、そして新聞記者の限界

いずれにせよ著者自身も専門家の世界の端くれに身を置いていると気付くのですが、やはり、専門的な知識については、深く正確に理解したうえで、可能な限り、正確に説明しなければなりません。

もちろん、「わかりやすさ」は大切です。

また、自分自身が深く理解している分野であれば、かなりわかりやすく説明することができたりすることもあります。しかし、新たな分野であったり、自分の専門知識と近接する(しかし少し離れた)分野であったりすると、やはり、どうしても言葉遣いは慎重になりますし、また、言葉が増えてしまったりすることもあるのです。

こうしたなかでひとつ思い出すのが、とある専門分野に関し、日本の某経済新聞の取材を受けたときの話です(何の話題か、いつ頃の話題かを記すと、それだけで特定されてしまう可能性がありますので、このあたりは少しボカします)。

とある基準の変更が問題となっていた際に、その基準の概要とそれがもたらすインパクトについて、その記者の方に「可能性」をお伝えしたのですが、ところが、翌日のその新聞の記事を見てみると、著者自身が「こうなる」と「断言」したかのように書かれてしまっていました。

これには正直、驚きました。

著者自身は取材中、何度も何度も、「これはあくまでも可能性ですよ」、と強調したにも関わらず、この「可能性」という最も重要な表現がすっぽり抜け落ちていたからです。

その経済新聞の記者の方はまだ大学を出て数年の若手の方だったらしく、残念ながら、企業会計基準にはあまり詳しくなかったようなのですが、それでも可能な限り、噛み砕いて説明したつもりだったのですが、本当に残念でしたし、新聞社に抗議したものの、その後はなしのつぶてでした。

正直、(たとえば産経系の『zakzak』編集部の記者さんなどのように)正確に記事にしてくれる人物もいらっしゃることを思い出しておくと、なんだか残念と思わざるを得ません。

もちろん、その某経済新聞の記者は、おそらくは上司(いわゆる「デスク」でしょうか?)から命じられて取材を申し込んできたに過ぎず、何らかの悪意をもって当方の説明を曲解したわけではないと信じたいところですが、当時、著者自身は「あぁ、新聞記者って信頼に値しない連中だな」、と思った次第です。

メディアのトリミング報道

上川陽子氏の発言をトリミング報道した共同通信

こうした思いは長年、ウェブ評論を行っていて、確信に変わりつつあります。新聞、テレビなどが報じた要人発言などについて、後日、冷静になって調べてみると、「切り取り」(トリミング)が酷く、まったく違う意味で伝わってしまっている、という事例が、わりとたくさんあるからです。

その典型例が、上川陽子外相が今年5月に行ったとされる、「産まずして何が女か」発言でしょう。

これは、上川氏が当時行われていた静岡県知事選の応援演説で発言した内容ですが、共同通信の配信記事を見ると、上川氏が「出産」と絡めてこの発言を行ったかのような誤解を生じ得る内容で、しかも共同通信は記事の「産まずして」を後日、こっそりと「うまずして」に訂正しています。

さらには、英語版記事では「出産」を意味する “childbirth” の用語を使用し、これについて産経新聞の取材に対し、「一連の発言は『出産』を比喩にしたものと考えられる」(からこの用語を使った)、などと回答しているのです。

外相「うまずして」英訳記事、男性に言及あり「明示なくても『出産』比喩」 共同通信回答

―――2024/05/21 19:04付 産経ニュースより

しかし、上川外相の発言の全文を読み返し、前後の文脈とともにあらためてこの「うまずして」発言を考察すると、この「うまずして」は「女性が子供を出産する」の意味ではなく、「私たちが推す候補を静岡県知事に当選させる」という意味で使っていることは明らかです。

日本語版で「産む」を「うむ」にサイレント修正し、英語版では堂々と “childbirth” の語を使っている共同通信の報道姿勢は、政治家の発言をなかば意図的に切り取り、問題発言に仕立て上げたという意味では、大変に悪質であり、看過できません。

報道に対する信頼性を根本から傷つける行為だからです。

なにより個人的に驚いたのは、産経新聞を除く主要メディアが、共同通信に対してあまり抗議している様子もなければ、この問題を大きく取り上げている様子もないことです。

ネット上ではこの話題、ずいぶんと騒がれましたし、なかには客観的な証拠を丁寧に積み上げたうえで、共同通信などの報道の問題点を指摘した、林智裕氏のような優れたジャーナリストもいます(『林智裕氏が公表の待望「ネチネチ論考」が素晴らしい件』等参照)。

しかし、大手メディアなどを眺めていると、これが「大きな問題である」ときちんと指摘したメディアはさほど多くなく、それどころか、一部のメディアはあえてダンマリを続けているフシもあります。

これだけ新聞の部数が激減していて、テレビも視聴者数が急速に減り始めているとの懸念が広がっているなかで、この共同通信の問題報道事件については、むしろマスメディアの側から、きちんとした批判意見が出て来て然るべきです。

それなのに、こうしたマスコミ業界の報道不祥事に関しては、多くのメディアはノーコメントを貫くのです。

本当に不思議な業界ですね。

トリミング報道を擁護する意見

ただ、ネット上ではこうしたマスコミの姿勢に対し、最近だと市井の専門家らを中心に、「政治家や専門家の言葉を切り取り報道するな」、といった批判がわきあがっているいるなかで、ごく稀に、一部のメディア関係者(やメディアの擁護者)らからは、こんな趣旨の主張が出てくることもあります。

メディアというものは、大衆にわかりやすく物事を伝える使命を負っているのだから、その報道の過程で、誤解される報道をしてしまうことは避けられない。政治家や専門家、経済人らがメディア報道で誤解されるのは、メディアではなく彼ら自身の責任がある」。

これは、いったいどういうことでしょうか。

先ほどから申し上げている通り、専門家であればあるほど、発言は断定を避け、慎重な言い回しに終始しますし、可能な限り断定は避けます。

ただし、これだとその専門分野の知識に疎い一般読者に、情報が正しく伝わらない可能性もあります。

だからこそ、正確性とわかりやすさを両立した発言が求められる、というわけであり、そのことは「読者の代表(?)」である新聞記者に対しても同様に当てはまるのだ、という意味なのかもしれません。

この点については、著者としても、無碍に否定するつもりはありません。

たしかに専門家のなかには、わざとわかり辛い言い回しを多用するなどして、素人をケムに巻くような事例もあるからです。

しかし、昨今のように言葉狩りが激しい世の中、政治家や専門家、あるいは経済人らは、なにか意見を述べるときには慎重な言い回しとならざるを得ませんし、メディア人も「俺たちは報じる側だ!」、といった傲慢な姿勢を持たず、相手が述べた内容をできるだけ正確に報じて欲しいものです。

豊田会長の発言はメディアに向けられたものだった!

こうしたなかで考えておきたいのが、昨日の『豊田社長の「問題発言」真意はメディアに対する苦言か』でも取り上げた、トヨタ自動車の豊田章男会長の、「今の日本は頑張ろうという気になれない」という発言です。

これについてはネット上で、「豊田(氏)は思い上がった経営者だ」、「トヨタ自動車は日本から出ていけ」、といった罵詈雑言に加え、現実に豊田氏が発言してもいない、「豊田氏は国交省に不信感を抱いている」、といった解釈などが溢れていました。

ところが、『ベストカー』というウェブサイトが23日付で配信したこんな記事では、豊田会長の発言の全容とその背景から、じつは豊田会長の発言の真意は、マスメディアに向けられたものだった、と明らかにしているのです。

豊田章男会長「今の日本は頑張ろうという気になれない」の本当の宛先は…メディアだった

―――2024/07/23 10:49付 Yahoo!ニュースより【ベストカーWeb配信】

記事の概要は昨日取り上げたとおりであり、また、リンク先記事もさほど難解なものではありませんので、ご興味があれば、直接お読みください。この記事を読めば、豊田会長の誠実な人柄に加え、なぜトヨタ自動車が『トヨタイムズ』を創刊したのか、その背景が見えて来るのではないかと思います。

「トリミングされる側にも問題がある」

ただ、本稿で取り上げておきたいのは、この記事に対する、X(旧ツイッター)上で出て来た「反応」です。

敢えて実名は出しませんが、こんな趣旨のことを主張する人がいたのです。·

  • 豊田会長の発言を報じた朝日新聞の記事は、発言の文脈や全文を伝えず、その一部を「切り取り」したものであるという意味ではたしかに問題だったかもしれない
  • しかし、そうだとしても、「切り取り」された結果として失言になるような発言を、そもそもするべきではなかった
  • 記者の仕事は「ニューズバリュー」がある部分を見つけて切り取ることにあるからだ。「メディア記者の前で何かを話す」というのは、本来、そういうことだ

…。

なかなかに、おどろく発言です。

つまり、豊田会長の発言が誤解されたのは、メディアの責任ではなく、豊田会長の責任だ、ということです。

なんだか、困惑してしまいます。この方のロジックが正しければ、発言の「切り取り報道」は、「切り取った側」ではなく、「切り取られた側」に問題がある、ということだからです。

先ほど挙げた上川陽子氏の発言に関する報道も、メディアによる「切り取り」です。

「うまずして」の部分だけを切り取り、それに「産まずして」の漢字を当てれば、あたかも上川氏が「出産していない女性を差別する発言」を行ったかのような印象操作をすることができます。

一般人の感覚からすれば、(とある有名記者の言を借りるならば)「それはフツー、捏造と言いまぁす」、といったところだと思いますが(笑)、極論すれば、「捏造報道された側に問題がある」、という主張にもつながりかねません。

正直、この「切り取られる側に責任がある」とする考え方がメディアの主流を占めているのだとしたら、もうメディアに対して何かを語ること自体が、危険な行為に他ならなくなった、ということでもあります。

メディアは相手にしないのが正解

実際、著者自身は某経済新聞の一件以降、一般紙に対し、実名でインタビューに応じることは絶対にしないようにしていますが、想像するに、似たような経験を持つ専門家も多いのではないでしょうか。

いずれにせよ、「色水が出て来る水道」が信頼されないのと同様、メディアが勝手に味を付けた記事が信頼されないのは、ある意味で当然のことでもあります。現在の特定メディアの報道記事は、この「切り取り」がひどすぎるからです。

そして、「切り取り報道は切り取られる側に責任がある」、などとする考え方が罷り通るのだとすれば、取材を受ける側としては、新聞、テレビを中心とするマスコミ(オールドメディア)を最初から相手にすべきではない、という結論になりそうなものですが、いかがでしょうか?

新宿会計士:

View Comments (31)

  • >それなのに、こうしたマスコミ業界の報道不祥事に関しては、多くのメディアはノーコメントを貫くのです。

    与党には「説明責任がーがーがー」と粘着し、自分達が「こうである筈だ」と信じる事を言うまで「疑惑は更に深まった」と粘着する、そんな特定メディアが仲間内には姿勢が違うのは、「やったらやり返されるから」なのかなぁと。

    • ネロナムブルの人達が仕切っているからだと思いますけど。。。

      • はっ!
        そう言えばネロナムブルと血盟関係にある連中も居ますもんね

  • >「あぁ、新聞記者って信頼に値しない連中だな」、と

    中学生のころ新聞を読み始めてしばらく経って気が付いたことは、記者のアタマの出来で報道の品質は制限されるのだなという率直な感想でした。なんだつまらない、早くにそう結論できて本当によかったです。

  • 有力政治家の講演会があると新聞記者はボイスレコーダーを持って「切り取り」に行くのだろう。こういう態度が世の中の不寛容を生み出す。19歳の体操選手が喫煙でオリンピック辞退。
    新聞記者は高級官僚と賭けマージャンやっても「注意」ですむのに。
    あのニュースを耳にしたときの感想「カネ賭けないでマージャンする人いるの?」

    • 直近の体操選手某氏については「国費投入されとる強化費使ったナショナルチームの強化練習拠点で年齢関係無く禁酒の取り決めのもと活動中に飲酒」とバラされ自認した時点でアカンのちゃいます?
      まー“今回の”酒煙草はシアを開放しただけで既にテンションかかってたちうハナシもあるようですが…

    • sqsq様

      >新聞記者はボイスレコーダーを持って「切り取り」に行くのだろう。

      この指摘を見て、ふと頭に浮かびました。そういや、昔は速記術なんてのがあったなと。多分まともな新聞記者なら、それくらいのスキルは持っていたんじゃないでしょうか。

      速記を担当する者と質疑応答をおこなう人物、役割分担はあったかも知れませんが、速記を担当すれば、先入主無しで、只管話された言葉を漏らさず紙に書き取っていき、またそれを、あとで記事に供せる形に直すために再読するのが必須です。取材した話の内容への思い入れとか、リスペクトの度合いは、今とは全然違ったんじゃないかという気がするんですね。だから、槍玉に挙げられてるような低次元の「切り取り」なんかは、そうは起こらなかったんじゃないかなと。

      ボイスレコーダーのスイッチを入れておけば、後は居眠りしてても、スマホでツムツムしてても、社に帰っておざなりにでも録音内容を聞けば、それで一応記事は書ける。まあ、そんな背景もあるのかなと(笑)。

      • 伊江太さま
        もはや自分で書かなくてすらよいのかもしれません。
        音声録音→AIに流し込んで文字数制限通りに要約。
        記者さんは風味付けのプロンプトくらいは入力するかも?

  • 新聞記者の切り取りで思い出すのが朝日の「吉田調書」
    切り取りを通り越して「創作」に近かった。
    朝日のスクープだったのだが直後に産経新聞も吉田調書を入手して読んでみて最初に上がった疑問は「朝日のスクープの基となった吉田調書と今我々が読んでいるものは違うのではないか?」
    同じ新聞記者が読んでもそのような感想をもつほど朝日の記事は酷かったということ。

  • 「朝日新聞の記事の一部を切り取って批判しても、切り取られた朝日新聞が悪い」ということでしょうか。

  • 問題なのは切り取りをすることではない。新聞なら地の文や見出しで印象操作してくるし、テレビは字幕をつけたり発言者の映像にナレーションを重ねて言ってもない事を言ったことにされたりする。
    印象操作の問題を切り取りの問題にすり替えているかぎり、既存メディアの衰退は止まらないでしょうな。

  • 「切り取り報道」
    「記者クラブでのソース独占」
    「密室協議ダイスキ体質」

    あたりが既存メディアの病気かとおもいます。

    これらにお金をかけずに対抗するには、
    「ノーカットのオリジナル動画を即日公式に上げる。」
    「動画撮影中以外の場所では協議しない」
    「勝っても負けても逃げずに真摯に対応する」
    ことですかね。

    おっと、どこかの市長が4年間やってきたこと、そのまんまですな。

  • 上川外相の発言が「女性が子供を出産する」ではなく、「私たちが推す候補を県知事に当選させる」というのは前後から明らかなはず。どこをどう曲げて聞いても、捉え方がオカシイ。

    『新聞・テレビ・ラジオは、大衆に分かりやすく伝える使命を負っている』その為、中学3年卒業程度の学力、知力で理解出来るよう報道する、と大学生頃に習いました。しかし、今やマスメディア側から「その過程で、誤解される報道をしてしまうことは避けられない」「政治家や専門家、経済人らがメディア報道で誤解されるのは、彼ら自身の責任がある」「豊田会長は、切り取りされる失言になるような発言を、そもそもするべきではなかった」というのは傲慢でしょう。いや、断末魔か。

    言葉狩りが激しいですね。だから、言う方は慎重になるし、聞き手はマスメディアを信用しなくなります。

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