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「新聞版BPO」創設よりも自由競争貫徹の方が現実的

毎日新聞を相手取って2019年以降4年半の訴訟を戦ってきた株式会社政策工房代表取締役の原英史氏が6日付で『アゴラウェブ』に「報道評議会」の仕組みを創設することを提案する記事を寄稿しています。これは報道各社が共同して設ける、報道被害の検証・勧告などを行う外部機関のことで、報道被害の救済機関を意図しているそうです。ただ、原氏と共著を刊行した髙橋洋一氏は「ネットメディアが拡大しているから新聞は不要」とする立場を取っているのだそうです。これに関し、当ウェブサイトの立場は、どちらかといえば高橋氏の見解に近いです。

報道自体、問題の多い権力である

以前から『林智裕氏が公表の待望「ネチネチ論考」が素晴らしい件』などでも取り上げてきたとおり、当ウェブサイトとしては、新聞やテレビを中心とするマスメディア(あるいは「オールドメディア」)については「権力者」だと考えています。

オールドメディアは「報道」という名の、非常に社会的影響力の大きな「権力」を持っているからです。

しかも、彼らはただの権力者ではありません。敢えていえば、「独裁者」に近いのではないでしょうか。

外部監査の目が入らぬマスコミ業界が腐敗するのも必然』などでも指摘してきたとおり、彼らには任期もなければ国民から審判を受けるプロセスもなく、また、専門知識や高い倫理観などを兼ね備えているわけでもないからです。

これについては岸田文雄首相を含めた日本の政治権力者の例で考えてみるとわかりやすいでしょう。

当ウェブサイトでも岸田首相のことはずいぶんと批判して来たつもりですが、それと同時に岸田首相は2021年10月に行われた衆院選で、自民党総裁として同党を勝利に導いた人物でもありますし、また、今年9月に自民党総裁としての任期をいったん終えます。

もし自民党が岸田首相を再び総裁に選んだとして、私たち国民がそのことに不満を持つのであれば、私たちが有権者として、岸田首相を総裁に再任した自民党を次の衆議院議員総選挙で下野させるという選択肢を持っています。

もちろん、私たち日本国民が「岸田首相の続投で構わない」と思えば、国民の総意として、自民党を引き続き政権の座に就け続けていれば良い話です。

マスコミ各社を「民主的に解任」する方法はない

ところが、新聞、テレビなどのマスコミ・マスメディアの場合は、報道というかたちで事実上の権力を行使し得る立場ですが、その彼らを「報道という権力者の地位から民主的に解任する」という手段を、私たち日本国民は持っていません。

敢えていえば、新聞社、テレビ局の報道に国民の多くが呆れれば、国民がその新聞、そのテレビを「まったく見ない」という選択をすることで、新聞社、テレビ局の経営を行き詰まらせ、倒産に追い込む、という選択肢がないわけではありません。

ただ、この選択肢は最も極端なものであり、しかもこの選択肢を取ることができる相手は新聞社、民放テレビ局などに限られ、国民の多くがテレビを持っている現状、NHKに対してこれを適用させることは難しいのが現実です(あるいは人々がいっせいにテレビを捨てれば良いのかもしれませんが…)。

これについては、どうすれば良いのでしょうか。

報道機関に対し、報道という権力を適正に使用させるためには、新聞社・テレビ局の記者らが自主的に高い倫理観を持ち、自主的に猛勉強して高い専門知識を身に着け、自主的に精緻な取材を敢行し、自主的に素晴らしい記事を書いてくれるのを期待するしかないのでしょうか。

政策工房・原英史氏の「報道評議会」創設の提言

こうした問題意識について考える際に、ちょっと興味深い「提案」を発見しました。

なぜ「報道評議会」が必要か?

―――2024.07.06 06:50付 言論プラットフォームアゴラより

記事を執筆したのは株式会社政策工房代表取締役の原英史氏で、端的にいえば、「新聞は『社会の公器』として軽減税率適用なども受けているのだから、信頼性を担保する仕組みを欠いているのはおかしい」、「テレビ・ラジオでいうBPOのような外部検証の仕組みが新聞にも必要だ」、と主張するものです。

ちなみに原英史氏といえば、数量政策学者の髙橋洋一氏とともに先月、『利権のトライアングル』なる書籍を敢行されたそうですが、この「利権トライアングル」、もしかして当ウェブサイトの『【総論】腐敗トライアングル崩壊はメディアから始まる』あたりをご参照になられたのでしょうか?(笑)

毎日新聞との訴訟を受け「報道冤罪」に危機感抱く原氏

というのは冗談として、原氏が今回の記事で述べているのは、毎日新聞との訴訟経験です。

原氏によると「毎日新聞による事実無根の誹謗中傷キャンペーンの被害」を受け、2019年、次のように考えて訴えを起こしたのだそうです。

名誉毀損などの場合、いちおう訴訟で争う道はある。しかし、判決が出るのは何年も先だ。しかも、勝っても賠償額はごくわずかだ。だから、報道被害者の多くは泣き寝入りしてしまう。結果として、ますます『報じたもの勝ち』になり、杜撰な報道は繰り返される」。

原氏の訴訟は4年半後の今年1月、ようやく最高裁で勝訴が確定。

その後は毎日新聞社に設けられた設けられた「開かれた新聞委員会」に対して2月に申し立てを行い、同委員会が6月24日付で『国家戦略特区報道、開かれた新聞委員会が見解 個人に焦点、反省を』とする記事を掲載するに至った、などと説明しています。

ただし、原氏によると同記事を巡り、「こうした検証を行い、紙面で読者に伝えたことは、素晴らしい」としつつも、「検証結果の内容は、全く不十分」と指摘。一連の報道について「重大な問題点は見当たらない」との同委員会の結論には「甚だ失望した」として、こう苦言を呈するのです。

これでは、今後も報道冤罪を生む可能性が否めない」。

おそらく、これが原氏の記事の執筆動機でしょう。

これに関して原氏が提案しているのが、記事タイトルにもある、いわゆる「報道評議会」―――報道各社が共同して設ける、報道被害の検証・勧告などを行う外部機関―――の創設の必要性です。

原氏によれば、主要国の多くではこのような外部機関が設けられており、これらの機関は報道被害の申立を受け、報道内容を検証して各社に勧告などを行い、報道各社はこうした勧告に服するなどの仕組みが取られているのだそうです。

報道評議会とはなにか

正直、著者自身も、報道機関自身が「第四の権力」を持つ「権力者」であるという現状にかんがみるならば、「もしも新聞社の『権力』構造が続くならば」、その権力の行使を適正化するための外部機関の存在が必要だと考えている人間のひとりです(それが原氏の提言する「報道評議会」という組織であるかどうかは別として)。

この「報道評議会」を巡って、原氏はその意義を、こう指摘します。

日本では、テレビ・ラジオでは放送倫理・番組向上機構(BPO)が存在するが、新聞では外部検証の仕組みがない。本来、新聞は『社会の公器』として軽減税率適用なども受けているのだから、信頼性を担保する仕組みを欠いているのはおかしなことだと思う」。

このうち、「新聞の信頼性を担保する仕組みが欠落している」という点については、まったくそのとおりでしょう。

ただ、大変申し訳ないのですが、この記述の前半部分には、同意しかねます。

BPOは放送法違反などの事案があっても、調査して発表するだけであり、テレビ局に懲戒処分を下す権限など持っておらず(『BPO「NHK放送倫理違反」指摘も…肝心の処分なし』等参照)、BPOは放送内容の正確性を担保する仕組みとしては、まったく不十分だからです。

もしも新聞業界が「日本新聞評議会」のような機構を創設したとしても、第二のBPOが出来上がるのが関の山でしょう。

この点、原氏が受けた報道被害を巡っては、同じような被害を誰もが受ける可能性があるという点において危惧すべき事態だとは思うものの、現在の日本では報道という「権力」を持つ新聞、テレビの暴走を止めることはできず、今さらその権力の行使を適正化させるような機構を作るという段階を越えてしまっているのです。

「ネットメディアが拡大すれば新聞は不要に」

この点、原氏自身は「ネットメディアが拡大しているからこそ新聞の役割が重要になる」と考えており、これに対し、『利権のトライアングル』の共著者である髙橋氏は、「ネットメディアが拡大しているから、新聞はもう必要ない」とする立場を取っているのだそうです。

当ウェブサイトの立場は、どちらかというと、高橋洋一氏の意見に極めて近いです。

端的にいえば、日本において新聞、テレビが不当に大きな権力を握る原因のひとつが「少数の社による情報独占」にあるわけですから、ネットを中心にメディア事業者の数を無限に増やせば、新聞、テレビの相対的な権力が削ぎ落されることになるはずだからです。

これに関しては昨日の『【総論】「報道の自由度ランキング」信頼性を検証する』、あるいは以前の『日本の報道の自由度を引き下げているのはメディア自身』などでも取り上げた、「国境なき記者団」( Reporters sans frontières, RSF )による『報道の自由度』ランキングの指摘が参考になるかもしれません。

RSFによると、2024年における日本の報道の自由度を世界180ヵ国中で70位と大変に低いのですが、その要因については、「ジャーナリストがSNSなどで圧迫を感じる」といった、なんだかよくわからない理由と並んで、「記者クラブ制度」を挙げていることを忘れてはなりません。

この「記者クラブ制度」こそ、当ウェブサイトでもしばしば指摘して来た「腐敗トライアングル」の温床のひとつであり、新聞社、テレビ局に情報が集まるしくみとして、非常に決定的なもののひとつです。

記者クラブに所属していない人(フリーランスの記者、外国人の記者、あるいは私たち一般人)がアクセスし得ない官庁の機密情報に、大手マスコミ(新聞社、テレビ局、通信社など)の関係者は自由にアクセスできるわけですから、これがオールドメディアの情報統制を支えているのだ、という言い方もできます。

利権の3大法則は新聞業界にも当てはまる

ただし、当ウェブサイトにて指摘している通り、利権には常に3つの法則が働きます。

それは、①利権は大変に理不尽な仕組みであるとともに、②それを外から壊すのが難しい、という特徴がありますが、それと同時に③利権を持っている者の怠惰や強欲が高じる余り、利権というものはあっという間に自壊する、というものです。

利権の3大法則
  • 利権の第1法則…利権は理不尽な仕組みである。
  • 利権の第2法則…利権は外から壊すのが難しい。
  • 利権の第3法則…利権は怠惰や強欲で自壊する。

©新宿会計士の政治経済評論

じつは、オールドメディアもこの法則からは逃れられません。

インターネットの普及と発達に伴い、さまざまなネットメディアが台頭したことも相まって、すでに有力な地上波テレビ局、有力な新聞(全国紙、地方紙など)も、その社会的影響力の低下が隠し切れなくなっているからです。

もちろん、ネットの台頭を手放しで喜ぶことはできません。これについては原氏もアゴラの記事で、「ネットメディアは優れたものも多いが、やはり玉石混交だ」としたうえで、こう指摘します。

野放図な言論の自由市場では極論やデマの拡散も起きがちだ。だから、信頼性の高いメディアが求められると私は思う」。

非常に残念なことですが、この点については原氏の指摘通りでしょう。

ただ、それと同時に、「野放図な言論の自由」における「極論やデマの拡散」は、ネットだけの減少ではなく、むしろ新聞、テレビを中心とするオールドメディアにおいても発生していた現象でもあります。

どうせなら徹底的な自由競争はいかが?

このように考えるならば、どうせ言論の自由を取り締まることができない以上、徹底的に自由競争原理に委ね、自由経済競争のなかから信頼できるメディアが育つのを待つ方が、結局は「報道評議会」などの仕組みを作るよりも手っ取り早いうえに確実なのではないでしょうか。

著者自身も2016年以来、これまで8年間ほどウェブ評論サイトを運営してみた感想を申し上げるなら、それなりのクオリティの記事を書き続ければ、そのうち誰かが注目してくれるものですし、情報発信者と読者の間に、それなりの信頼関係も生まれて来るというものです。

むしろ(どこの社とは言いませんが)一部の社ではすでに新聞刊行事業が完全に赤字となっていますし、見る人が見たら、継続企業の前提に関する疑念が付されるようなケースもありそうです。

当然、新聞も部数が減れば「報道という権力」は弱くなりますし、発行部数が数百万部だった時代だと裁判所すらも新聞社敗訴判決に及び腰だったかもしれませんが、その発行部数が100万部を割り込むと、裁判所としても遠慮なく、法にのっとって新聞社を裁くことができるようになるかもしれません。

(ただし、著者自身の経験に基づく見解に基づけば、裁判所も一種の官僚機構のようなものであり、かなりの腐敗が認められますが、この点についてはまた別の議論です。)

案外、あと10年もしたら、この世から「新聞による」報道被害というものは、極めて少なくなっているのではないか、などと期待してみても良いのではないでしょうか。

新宿会計士:

View Comments (13)

  • 新聞は「自由競争貫徹をしたくないから、新聞版BPOを創設する」ということでしょうか。

  • 「コスト意識が無い!」

    これに尽きますね。

    市場原理に任せておけばよいものに何故リソースを突っ込むのかな。
    その間接費は誰が負担するのか?
    誰がジャッジして誰が責任を負うのか?
    監督機関を監督する機関は要らないのか?

    公金チューチューしたい人たちは、こういう無駄な外郭団体がダイスキですな。

    万引き防止のためにガードマンを雇ったら、その費用の方が実害より高い、みたいな?

    すでに今ある諸法規をきちんと使えば、ゼロ円でもとりま80点は取れると思うので、まずサッサと淘汰を始めてあとは走りながら微細な法改正をすればよろしいかと。

    とにかくコスト意識の無さには呆れます。
    活動家とか福祉や教育業界に多い感じ。

  • 「報道評議会・BPO(内輪検証)」の問題点

    口では「申し訳ない!」と ”うそぶいて” はみせても、
    内では「申し分(もうしぶん)ない」と結するところ。

    言い分(いいぶん)は聞けても、
    言い訳は聞きたくありません。

  • 都知事選を振り返って、改めてメディアの権力ってすごいな、と思った。
    不正は徹底的に隠したり、応援候補はこれでもかってくらいよいしょしたり、まずいと思ったらまったく報道しなくなったり、まさにやりたい放題でした。

    これ何とかしないとまずいよな、改めて強く思いましたが、全く妙案が浮かばないのだけれど、BPOはちょっと違うような気がします。テレビのBPOが機能しているようには見えないのと、下手にこういう機関があると却って権威を与えかねないように思います。

    新聞社OBが所属するネットの「ファクトチェック」がそうであるように、彼らに自浄作用は期待できません。仰るように完全自由化の方が望ましいように思います。確か安倍総理が報道の自由にうるさいマスコミに自由化の法改正を提案したら徹底的に反対されたように記憶してます。道のりは厳しそうです。

    あと10年くらいで、新聞やメディアの権威が失墜するのが先か、日本が他国勢力に乗っ取られるのが先か、きわどいところにあるような気がいします。

  •  日本ファクトチェックセンターがその誕生から既にそうであるように、何らかの組織に任せるようではダメです。そこを乗っ取れば終わってしまう話な上に、日本の左派は乗っ取りが常套手段なので。

     ところで、この文章の"誕生"を"Child Birth"と翻訳してしまうほど言語能力の無い業界なんて、まーさーかー存在しませんよね?

  • 安倍元首相の暗殺事件
    これってマスコミの責任もあるのではありませんか。
    確たる証拠もなしにモリカケで安倍元首相は悪い人間であるとの印象報道を数年も繰り返し安倍元首相には何をしても許される空気を作り出す。
    統一教会問題では報道の前に必ず安倍元首相の画像をインサートし、さも教団と関係があるかのような報道を繰り返す。
    山上被告が逆恨みで安倍元首相を襲ったとしても何の不思議もありません。
    これってマスコミを糾弾することはできないのでしょうか。

  • こんな週刊誌風見出しが心をよぎりました。
    「時間もカネも使ってもらえない
     凋落ニッポンの出遅れ産業
     紙の新聞社を待ち受けるまっ暗な未来」
    「新聞社員が待ち望むスーパー経営者
     今度こそ正義の味方は降臨するのか」

  • BPOのような組織も「被害を申し立てる場所がある」程度の意味はあるかと思いますが、信頼できる報道機関を作る目的では不十分だろうと思います。
    もっと強力な十分な独立性と牽制機能を持った組織によって、マスコミが十分信頼に足る存在となるなら私はむしろ歓迎ですけどね。まあ、難しいだろうなとは思いますが。
    新聞業界は改善の前に寿命が尽きちゃうかも。

    自由競争の中で信頼できるメディアが育つ可能性があるだろうと思います。ニーズがある以上は埋めるものが出てくる。ただ、今の時点では「確実に」育っていく道筋が私にはちょっと見えてこないかな。
    ドキドキワクワクはしますけど、しばらくは個人にとっては厳しいシンドイ時代になっていくイメージの方が強いです。

  • ふとあたまに浮かんだのが
    「ファクトチェックセンター」
    既存メディア側は先回ってネット側を牽制する仕組みを作ってるということですね。
    まあ、まずはネット側から既存メディア側を牽制するような組織、仕組みを作ることでしょう。
    これが、ネット特有のテキトーなやり方では既存メディア側に潰されて負けてしまいますので、やり方として検察、司法レベルの慎重さを備える必要があります。なんなら民事訴訟にされても勝てるレベルの強さが必要。

    こういうのを一般側から作るってのは難しいんでしょうかね。趣旨が理解されれば出資も集まるだろうし、サイトは支えたい人のPVで維持出来ると思うんですが。

  • 「なんらかの組織を作るよりも自由競争に任せた方が良い」に賛成です。
    どんな組織も、競争がなければ腐敗してしまうもの。
    だからこそ隙を見せたら「あそこは腐っている!」と競合他社から攻撃される業界に
    すれば、「面倒くさいなあ」と思いながらも一定の純度を保つ様努力するはず。

    ただ、「腐っているからこそイイ」と言う需要もあるので(自分の代わりに
    荒唐無稽な大嘘をついて欲しい、と言う読者層は居るでしょう)、
    上手くいっても「そこそこまともなマスコミ」が競争しあう業界と、
    「特定の需要に応える為のマスゴミ」が存在する業界の二つに分かれそうな気がします。