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新聞は「価値がないから誰も読まないメディア」では?

大手ウェブ評論サイトに3日付で「新聞を読むほどバカになる」とする刺激的な表現を用いた記事が掲載されていました。記事には、「紙の新聞も『誰も見ていないからこそ価値がある』というメディアになりつつある」、とあります。はて、そうでしょうか?現実問題として、新聞部数は急減していますし、新聞広告費は低迷し、新聞購読時間は減る一方だからです。「誰も見ていない」のは「価値がない」からではないでしょうか?

新聞業界の衰退

ピーク時の半分以下になった新聞部数

新聞業界が近年、かなり苦しい状況に陥りつつあることは、ほぼ間違いありません。

というのも、部数が毎年、猛烈な勢いで落ち込んでいるからです。

普段当ウェブサイトでしばしば引用する通り、一般社団法人日本新聞協会が公表する新聞部数データによれば、2023年の新聞部数(※朝刊と夕刊のセット部数を「1部」ではなく「2部」とカウントした場合)は3305万部で、これはピーク時の1996年の7271万部と比べて半分以下です(図表1)。

図表1 新聞部数の推移

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データ【1999年以前に関しては『日本新聞年鑑2024年』、2000年以降に関しては『新聞の発行部数と世帯数の推移』】をもとに作成。なお、「合計部数」は朝夕刊セット部数を1部ではなく2部とカウントすることで求めている)

著者自身はこれを「新聞放物線」と呼んでいますが、それは部数が落ち込む速度が徐々に加速しているからです。直近、つまり2023年は前年比373万部落ち込んでおり(3677万部→3305万部)、減少率は10.14%(=373万部÷3677万部)と、史上初めて「二桁」を超えました。

数社の決算では値上げ効果は部数減で消し飛んだ

当然、部数が落ち込めば、売上高が減ります。

しかも非常にマズいことに、新聞業界はおもに昨年、ただでさえ部数が減っているなか、値上げラッシュが発生しました(『「業界衰亡期」なのに…「値上げ断行」相次ぐ新聞業界』)。最大手の読売新聞、「ブロック紙」の中日新聞などを例外として、主要紙がここ2年ほど、いっせいに値上げに踏み切った格好です。

では、それで新聞社の経営は、どうなったのでしょうか。

結論からいえば、値上げが成功しているようには見えません。

朝日新聞部数はさらに減少:新聞事業は今期も営業赤字』や『値上げなのに売上減の某中小企業は2期連続で営業赤字』などでも説明したとおり、個別の新聞社の事例で見ても、本業であるところの新聞事業が赤字に陥るケースが散見されるからです。

要するに、部数の落ち込みが激しく、せっかくの値上げ効果もあえなく消し飛んだ格好であり、それどころか、新聞事業自体が不採算化しているのです。

新聞事業が赤字となっている最大の要因として挙げられているのは、一般的には「コスト上昇」かもしれませんが、これまでの当ウェブサイトの分析では、単純に、部数の落ち込みが最も大きな理由です。

つまり、部数が落ち込むと購読料などの売上も減りますし、新聞社に入ってくる広告費、新聞販売店に入ってくる折込チラシ収入なども落ち込みます。

実際、株式会社電通が毎年公表している広告費に関するデータで見ても、新聞広告費と折込広告費は、減少の一途をたどっています(図表2)。

図表2 新聞広告費+折込広告費

(【出所】株式会社電通『日本の広告費』および当ウェブサイト読者「埼玉県民」様提供データをもとに作成)

営業赤字=本業が成り立っていないということ

ちなみに会計学の観点からは、「営業赤字」とは、「営業を続ければ続けるほど損をする」という状況であり、一般にその事業がすでに営業として成り立っていないことを意味しています。

新聞社の経営が苦境に陥っている理由が、単純に売上が足りないからなのか、それともコスト上昇を吸収し切れていないからなのかについては諸説あるかもしれませんが、いずれにせよ、少なくない新聞社において、新聞事業が赤字を垂れ流しているという状況は、この業界が末期的であることを意味しています。

いずれにせよ、このままでいけば、早ければあと10年、いや、下手をするとあと5年もすれば、主要紙がバタバタと廃刊・倒産に追い込まれる可能性があります。

いや、廃刊ラッシュであれば、すでにいくつかの地方紙・地域紙で始まっていますし、「ブロック紙」と呼ばれる主要紙の間でも、たとえば北海道新聞のように、夕刊を事実上、廃止してしまうという事例が出て来ていますので、その「兆候」は、すでに始まっているといえるでしょう。

購読時間が急減する新聞

新聞の購読時間は全年代で減少の一方

こうしたなか、新聞業界の苦境を示す、もうひとつの興味深い指標が出てきました。昨日の『ネットが好調、新聞・テレビは苦戦=メディア利用時間』でも触れた、総務省『情報通信白書』の最新調査についても振り返っておきましょう。

総務省が5日に公表したデータによれば、新聞の購読時間の落ち込みは激しく、2013年に11.8分だった新聞の購読時間は、2023年にはなんと半分以下の5.2分にまで短縮。2013年にすでに77.9分だったネット利用時間は、2023年には2.5倍となる194.2分にまで増えています(図表3)。

図表3-1 全年代・メディアの平均利用時間(平日)

図表3-2 全年代・メディアの平均利用時間(平日)(※グラフを見やすく変えたもの)

(【出所】過年度の『情報通信白書』等を参考に作成。ただし図表3-2に関しては、わかりやすくするため、新聞を左軸に、ネットを右軸に設定したうえで、新聞の目盛りをネットの10倍に調整している点に注意)

この図表、「図表3-1」だと少しわかり辛いため、「図表3-2」では見やすくするために、新聞についてはネットと比べ、目盛りを10倍に拡大している点についてご注意ください(この点を除けば両者は同じです)。

これによると、すでに2013年時点で新聞の購読時間(11.8分)はネットの利用時間(77.9分)よりもはるかに短かったわけですが、この格差がますます拡大し、現時点において「利用時間」という点では、すでに新聞とネットには埋めがたい格差があることは間違いありません。

なんと10代の新聞購読時間は「ゼロ」!

これが最も極端な形で出ているのが若年層であり、たとえば10代のメディアの平均利用時間を調べてみると、2013年の時点ですでにネットが99.1分に対し、新聞はたったの0.6分に過ぎませんでしたが、これが2023年になるとネットが257.8分に拡大する一方、新聞はなんとゼロになってしまいました(図表4)。

図表4 10代・メディアの平均利用時間(平日)

(【出所】過年度の『情報通信白書』等を参考に作成)

また、社会の中堅層であると考えられる20~50代においても、年代ごとの微妙な違いはありますが、すでに2013年の時点で、新聞購読時間はネット利用時間を大きく下回っていて、その差が現時点において、数十倍から数百倍にまで拡大してしまったという状況だと考えておいて良いでしょう。

高齢層でも徐々に進む新聞離れ

そうなると、「新聞というものは、高齢層のみに支持されているメディアである」、というイメージを持つ方もいるかもしれませんが、実際、これも必ずしも正しいとはいえません。

60代のメディアの平均利用時間(平日)を調べていくと、やはり新聞の購読時間は50代以下と比べて長いものの、その時間は2013年の28.0分から2023年には15.9分にまで減少する一方、ネット利用実感は2013年の36.7分から2023年には4倍近い133.7分にまで増えています(図表4)。

図表4 60代・メディアの平均利用時間(平日)

(【出所】過年度の『情報通信白書』等を参考に作成)

すなわち、新聞はまだ高齢層からは見捨てられていないにせよ、その購読時間はこの10年で間違いなく短くなっているのです。

この点、新聞部数が落ち込んでいたとしても、電子版の契約が伸びていれば、まだ話はわかります。

素人的な発想に基づけば、やたらとコストがかかる紙媒体の新聞の発行を止めて、全面的にネット化・電子化したら、新聞社にとっては原価や経費が飛躍的に下がり、利益率が大幅に改善しそうなものです。

ただ、『新聞部数減を電子版増加でカバーできず=メディア指標』や『日経ですら苦戦か…新聞の「電子媒体化」が難しい現状』などでも指摘しましたが、現実問題、最大手である朝日新聞や日経新聞ですら、電子版の契約拡大には苦慮している、といった情報が、私たちの耳に入ってきます。

多くの新聞各社が電子版の契約数を積極的に開示しようとしていないという事実を踏まえるに、おそらく各社ともに、電子版の契約数は伸び悩んでいるのではないでしょうか。

すなわち、新聞が急速に部数を減らす一方、現在の新聞の紙面をそのまま電子化しても売れない、ということであり、突き詰めていえば、現在の新聞が売れない「理由」があるはずです。

新聞が売れなくなった「理由」

では、なぜ新聞がここまで急速に部数を減らしているのでしょうか。

そしてなぜ、新聞の電子版契約が伸びている形跡が見られないのでしょうか。

ここで考えられる仮説は、2つあります。

まず1つめは、単純に、テクノロジーの進化で、紙媒体で得られるのと同じレベルの情報が、ネット上で、極めて低いコストで手に入るようになったから。

次に2つめは、ネットの進歩で、新聞報道のクオリティの低さがバレ始めたから。

どちらももっともらしい理由です。著者自身はこの2つについて、どちらもある程度は正鵠を射ていると考えているクチですが、前者に関しては理由付けとしての説明力は不十分です。

もし他社がネットに記事を無料配信することで、結果的に「ネットで情報が溢れ返っている」という状況が実現しているのだとしても、自社の情報に自信があるならば、自社は記事を無料配信せず、有料化すれば良いだけの話だからです。

米ウォール・ストリート・ジャーナル、あるいは日経新聞社の子会社でもある英フィナンシャル・タイムズのように、記事は基本的に無料公開せず、有料契約している読者にしか提供しない、というスタンスは、新聞社経営としてはアリでしょう。

両紙の場合は英語メディアという事情もあり、世界中に読者がいて、ネットさえあればどこにでも配信できるため、むしろ紙媒体で発行するよりも、ネット契約を主体とする方が合理的です。

ということは、ネットに記事を無料配信しているメディアの場合は、その記事では「カネを取れない」ということの裏返しだ、という仮説が成り立つのであり、先ほどの2つの仮説のうち、とりわけ後者の要因が大きいのではないか、という考察が、説得力を帯びてくるわけです。

新聞は役に立つのか

報道の役割を勘違いする日本のジャーナリスト

これに関し、ここでもうひとつ、重要な証拠を挙げておきましょう。

先週の『林智裕氏が公表の待望「ネチネチ論考」が素晴らしい件』などでも取り上げて来ましたが、新聞業界、あるいは新聞業界を含めた日本のジャーナリストたちは、ジャーナリズムに本来求められる役割を、盛大に勘違いしているフシがあるのです。

たとえば、フランスに本部を置く「国境なき記者団」(RSF)が毎年公表している「報道の自由度ランキング」によると、日本は180ヵ国中70位と非常に低いランキングに留まっています。アフリカのガボン(56位)などと比べても、大変に低いランキングです。

しかし、このRSFランキングは採点基準があいまいであり、また、客観性や透明性がありません。

米NGO「フリーダムハウス」が公表している「社会の自由度」という評価では、日本は100点満点中、96点という非常に高い点を得ているのですが、かたやRSFランキングの方で日本より上位のガボンの評点は20点に過ぎない、という奇妙な「逆転現象」などが、その典型例でしょう。

また、さまざまな調査に基づけば、日本のジャーナリストらは、自分たちの役割を「権力の監視」だと考えているフシがあるのですが(たとえば先日の記事でも紹介したWJSの調査など)、正直、これは一般国民が求めているものとは、かなりのズレがありそうです。

私たちが水道に求めるのは、蛇口をひねったら無色透明の清潔な水を出してくれることだと思います。

しかし、現在の日本のジャーナリズム、メディア(※これには新聞だけでなく、テレビや雑誌、通信社なども含まれます)がやっていることといえば、メディアの側で勝手に色や味を付けて水を供給しているようなものだといえます。

はっきり言って、一般国民から見て、これは邪魔です。

しかも、日本の新聞(やテレビ)については、情報を独占的に入手し得る「記者クラブ」などの制度でガチガチに守られていて、少し厳しい言い方をすれば、日本の新聞記者らに取材力がある人は多くありません。

もちろん、優れたジャーナリストの中には、日本経済新聞社出身の鈴置高史氏、朝日新聞社出身の峯村健司氏などのように、新聞社出身という事例もありますが、それらはあくまでも例外であって、やはり新聞には「カネを払っても読む価値がある」記事を書ける人は少ないのではないでしょうか。

「新聞には価値がない」?これに対する反論

いずれにせよ、新聞部数が落ち込んでいる(しかも最近になればなるほどその落ち込みが大きくなっている)理由は、ひとえに、インターネットの発達によって新聞などの報道が非常に不正確であることが一般人に大々的にバレ始め、証拠付きで拡散しているからでもあると思います。

そして、これまでの当ウェブサイトにおける考察からは、こんな仮説が成り立つのです。

とくに日本の新聞は情報のレベルが極めて低く、情報は不正確であるうえに歪んでいる事例も多いため、『カネを払ってでも新聞を読む』ことの需要が、社会全体で急低下している」。

要するに、新聞には価値がない、ということです。

もちろん、これは当ウェブサイトの勝手な仮説ですので、異論、反論等がある方は、読者コメント欄なり、X(旧ツイッター)なりで、どうぞご自由に批判なさってください。その際、当ウェブサイトにおいて読み飛ばしているデータなどがあれば、あわせてご教示くださると大変助かります。

ただ、想像するに、新聞業界の側からは、有効な反論はあまり出てこない気がします。

いや、むしろ、新聞記事を巡っては、正直、「じっくりと読む」だけの価値がないと、ある意味開き直って認めてしまっているような人もいるようです。

伊江太様という読者の方から先日教えていただいたのが、こんな記事です。

「新聞を読むほどバカになる」と思ってる人へ。新聞は「めくる」ものです

―――2024.07.03 06:00付 ダイヤモンドオンラインより

ウェブ評論サイト『ダイヤモンドオンライン』に掲載された、なかなかに刺激的なタイトルの記事です。

ちなみに当ウェブサイトでは、新聞の報道には総じて否定的なスタンスを取っていますが、さすがに「新聞を読むとバカになる」といった直截的な表現を使った記憶はありません(結果的には、間接的にそれと同じような内容のことを述べたことはあるかもしれませんが、もう少しマイルドな表現を使ってきたつもりです)。

この記事は(金融業界では内容のデタラメさに定評がある)「某マンガ」を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の方が「経済の仕組みをイチから解説」する連載コラムだそうですが、この回では「『会社四季報』や新聞など紙媒体からの情報摂取のノウハウ」を伝授する、というものです。

新聞は「誰も見ていないからこそ価値がある」

記事では冒頭で、おもに就活生などが会社四季報を紙媒体で通読することを巡り、「確実に視野を広げる」などとして推奨しているのですが(その理由については記事をお読みください)、そこから唐突に、こんな文章に繋がります。

そういう意味では今や、紙の新聞も『誰も見ていないからこそ価値がある』というメディアになりつつある。新聞を読む人の割合は10代では1%前後、20代でも3%程度まで落ちている」。

ちょっと待ってください。

「誰も見ていないからこそ価値がある」とは、なんだかおかしくないでしょうか?

「新聞は誰も見ていない」、が、事実だったとしましょう。

ではなぜ、「誰も新聞を見ていない」のでしょうか?

もしも「本来は価値があるのに、社会のネット化により、誰も見向きもしなくなった」のだとしたら、「誰も見ていないからこそ価値がある」というのは間違いありません。

しかし、「価値がないからこそ、だれも見向きもしなくなった」のだとしたら、「誰も見ていないからこそ価値がある」、は、酷い論理矛盾です。

記事ではこの「新聞は誰も見ていないメディアに成り下がりつつある」という点について、こう述べます。

ニュースを読むのはもっぱらネットという時代だから、この数字にいまさら驚きはない。ネット上で新聞やテレビを指す『マスゴミ』なる言葉が定着して久しい。偏向報道や記者クラブ制度への批判も根強い。そんな評価とスマホ依存が相まって、新聞離れが進んでいるのだろう」。

最後の「スマホ依存」云々については、いまひとつ意味がよくわかりませんが、新聞が人々に見向きもされなくなりつつある理由は、新聞業界自身にあるのだ、という意味でいえば、この指摘は正鵠を射ています。

タコツボはネットではなく、新聞のことでは?

しかし、記事では、次のように、新聞が有用だと述べるのです。

だが、紙の新聞という情報パッケージの有用性は侮れない」。

まず『脱タコツボ』。AIによるキュレーションとトラフィックを稼ぎたいメディア側の都合で、SNSやネット媒体はエコーチェンバーにはまり込みがちだ。その点、紙の新聞にはいろんな分野の硬軟・大小多様なニュースが盛り込まれている」。

お言葉ですが、「タコツボ」はネットではなく、新聞のことではないでしょうか。

日経新聞自身が経済理論的にはデタラメな「悪い円安」論、「国の借金」論を紙面でゴリ押ししてくるのも、新聞業界自身がこうした「タコツボ」化している証拠でしょうし、「偏向報道」というかたちで「エコーチェンバー」に嵌っているのは多くの場合、新聞自身です。

左派メディアの多くは、自民党議員がやると舌鋒鋭く批判する「裏金」問題や選挙違反問題も、立憲民主党などの野党議員がやると、「報道しない自由」で徹底的に守ろうとしますし、これなど、この記事が批判する「メディア側の都合」そのものです。

そのうえで、記事ではこんなことも述べています。

『読みたい記事』は少ないかもしれないが、毎日10分、パラパラとめくって見出しを読むだけで、タコツボ状態は緩和できる」。

要するに、「新聞にはさまざまな情報が掲載されているから多様な視点が身に着く」といった言い分でしょう。

ですが、政治、社会、文化、芸能、スポーツ、果ては『虚構新聞』などのネットの面白情報に至るまで、ネット上ではそれこそ多種多様、雑多な情報や意見が流れていますので、新聞社が勝手に情報を取捨選択した新聞の紙面を読むよりも、ネットを直接読んだ方が、遥かに多様性が身に着きます。

ちなみに記事タイトルにある「めくる」とは、こんなくだりに関わっているのかもしれません。

私自身は朝食時に日経新聞を『めくって』いる。気になった記事はとっておいてスキマ時間に読む。総接触時間は20~30分程度。同等のニュースチェックにはネットなら数倍の時間がかかるだろう。<中略>紙の新聞は便利で頼りになる」。

はて、そうでしょうか?

報道しない自由を駆使する新聞は「不便だし頼りにならない」

じっさい、かつてどの家庭でも新聞を取っていた時代であれば、その前日のニューズについては、新聞を一通りチェックしているという人が多かったのかもしれません。

しかし、そもそも論として、新聞は「報道しない自由」を行使して、重要な情報を私たち読者から隠蔽したりします。現に東京都知事選では「主要候補」ばかりを取り上げている一方、桜井誠、ひまそらあかねの各氏ら、ネット上で注目されているはずの候補については、主要メディアではあまり流れてきません。

(※なお、当ウェブサイトとして、東京都知事選で桜井誠氏やひまそらあかね氏を支援しているというものではありません。これはあくまでも「もののたとえ」です。)

こうした実態が人々にバレ始めているからこそ、新聞は「便利で頼りになる」存在であるとは認識されていないのであり、だからこそ、新聞の部数が激減し、若年層を中心に新聞を全く読まない人が増え、新聞を全く読まない人が中高年層にも拡大しているのではないでしょうか。

重要な情報を読者から隠す新聞など、「不便だし頼りにならない」のです。

いずれにせよ、新聞業界などから新聞の効用を説く意見が多少出てきたところで、新聞業界の衰亡はもう止めることはできません。

もし新聞業界がこの流れに抗おうとするならば、まずは少なくとも記者クラブや消費税の軽減税率、日刊新聞法や再販価格維持制度といった特権をすべて返上したうえで、ジャーナリズムとしての原点に立ち返り、読者が求めている「多様で正確な情報」を提供し得るよう、真摯に努力すべきではないでしょうか。

新聞業界の寿命が尽きるまでの間にそれができるかどうか、

じっくりと眺めてみても良いかもしれません(新聞業界が「じっくりと眺め」られるくらい存続するかどうかは別として)。

新宿会計士:

View Comments (21)

  • SNS 批判、ネット批判をするレガシーメディア産業人は、当人の使い方こそがエコーチャンバー効果を引き起こしていることに気が付かないのです。自分と同じくらい社会は愚かだとそう考えてしまうのならば、致命的です。

  • 新聞記事の見出しと触りを読み上げる仕組みを新聞社のWebサイトに設置すれば、記事を読んでくれる人が増えるかもね。っていうか、一々読んでらんないって感じ。

  • > 「とくに日本の新聞は情報のレベルが極めて低く、情報は不正確であるうえに歪んでいる事例も多いため、『カネを払ってでも新聞を読む』ことの需要が、社会全体で急低下している」。
    そうではなくて,ニュースソースが記者クラブなどの記者会見が多く,大半のマスコミでソースが共有されていて,内容が横並びで,わざわざお金を払って新聞を買わなくても,無料でネットから入手できるからでしょう。設定によってはプッシュ配信で。
    記者の素質として,取材力より文書力が重視されるようで,結局,政府や警察の広報機関の気がします。スポーツ記事や芸能記事は別として。情報の正確性は,政府や警察の発表者に依存していて,それを要約している記者の能力を超えるものでしょう。大本営発表だから裏付けは確かである,というスタンスでしょう。「○○によると」と付け加えておけば鬼に金棒。それで,明らかに変な発表でも,そのまま載せてしまう傾向はあります。
    個人的な話をすると,1990年以前は,囲碁や将棋の棋譜とか,株式欄なども大切な情報でしたが,それも1990年代半ばからネットに移行しました。
    新聞が無くなった後は,スマホのプッシュ型ニュース配信や,ChatGPTみたいなAIが,メインのニュースソースに変わっていくのでしょう。ただし,フェイクニュースの割合は,新聞よりずっと高くなると思います。あと,ニュース配信会社のニュースの量が,海外の情報機関(軍部を含む)の発信するニュースがより少なくなるかも。

  • >もし他社がネットに記事を無料配信することで、結果的に「ネットで情報が溢れ返っている」という状況が実現しているのだとしても、自社の情報に自信があるならば、自社は記事を無料配信せず、有料化すれば良いだけの話だからです。

    広告を視聴する事で読めるケースも出て来てますし、有料化と言っても取る相手が読者以外に居ない訳ではなく。

    紙面での広告よりページ上での広告の方が、そのランダム性から広告主への忖度や配慮となり難い気はしますね。

    • >お言葉ですが、「タコツボ」はネットではなく、新聞のことではないでしょうか。

      自由競争下では消極的理由で自社を選ぶのではなく、積極的理由で自社を選ぶ“ロイヤル”カスタマーを生み出す事で利益を確保するものだと理解していますが、

      他紙との読み比べがほぼ無い新聞では自由競争状態になり難いからタコツボとなり易いと考えますけどね。

      • 新聞が蛸壺とか、貴方は失礼な人ですね
        謝りなさい
        謝れんほうの人はこの先生
        きのこれませんよ
        しっかりと蛸壺に謝罪しなさい

  • 毎度、ばかばかしいお話を。
    新聞社:「新聞は読むことではなく、新聞をとることに意味がある」
    これって、笑い話ですよね。

    • (進歩的日本人が好きな)朝日新聞の本日の社説は「英政権交代で、政治的分断を解消せよ」でした。しかし、日本の新聞が、どう主張しても、イギリスは変わりません。新聞を読むということは、この社説も読まなければならないのでしょうか。

  • 大手新聞社の中では最も経営が厳しい群の一社であろう毎日新聞社。
    コア読者層の心を鷲掴みにする「精鋭された」記事を提供する、という方針だったのでしょうが、昨日見かけた記事の見出しをみた印象では、
    一応現状把握はしており、それを踏まえ、「失敗だった。路線変更はもう手遅れ、もうだめだ」と思っている様子。
    記事で引用しているようにライバル会社の朝日新聞社にも志ある人はいたようですが、組織の意向に抗うことはできなかったのでしょう。
    その筋の方々が組織を絶対支配しており、造反者は許さない、というその筋の組織で共通にみられるルールで組織を縛っていたのでしょう。

    再掲します。
    「新聞社の「内向きの論理」にあらがう 元朝日・外岡秀俊さんの信念」
    https://mainichi.jp/articles/20240703/k00/00m/040/294000c
     東京編集局長時代に直面した「官僚気質」
     吉田証言の検証呼びかけるも…深い後悔
     信用度ビリ マスコミが生き残る道とは

    • こんな週刊誌風見出しが心に浮かびました。
      「本誌独占手記
       凶行の果て
       あさま山荘立て籠もり犯の言い分」

    • 自己レスです。
      この毎日新聞の記事ですが、「外岡秀俊という記者がいた」(及川智洋著)という本の内容を引用しているようです。
      で、アマゾンのHPを覗くと著者のまえがきが載っていたのですが、引用すると
      「日本のリーディングペーパーであった朝日の知性と良心を代表しうる最後の記者であったこと、また新聞が生活必需品であり民主主義の主柱とされた時代の掉尾を飾るジャーナリストであった」とのこと。

      いちいち鼻につく修飾語に辟易しますが、いずれにせよ、一線を画す存在であったようで、地元図書館に蔵書があるようですので読んでみようと思ってます。(現在、美術好きなおばさまやシンシアリー氏が推奨された「THE NEW KOREA 朝鮮が劇的に豊かになっt時代」を借りてきたところ)

  • >『報道しない自由を駆使する新聞は「不便だし頼りにならない」』
    新聞やメディアに対する不満を端的に言うとしたら、この一文がピッタリな気がします。

    偏向や捏造や誘導が多い中、1万歩譲って書いてあることを斜め読みすれば、それなりに有用な情報もあるかもしれませんが、本当に『有用』な情報は、書いてないこと、隠してあることにこそあると思います。こればかりは、新聞やテレビを見ていても絶対に知ることができません。
    (不思議な事に、メディアはスクラムを組みます)

    また新聞やテレビから情報を得ているだけだと、「統一教会」「裏金問題」「海外援助」などの問題やニュースに間違った(偏った・本質ではない)情報で洗脳される危険があります。

    こんな役に立たないどころか危険な媒体をまぁ、金まで出して好き好んで読むやつも減っていくのも頷けるものです。
    有用な商品は、ほっといても売れるものです。手前味噌で擁護しなければならない記事が出てくる事こそ、終わりが近付いている証拠なのかもしれないです。

  • 記者クラブがある限り官僚から既に色付きの情報を貰ってる記者は少ーし可哀想だとは思う。

  • >同等のニュースチェックにはネットなら数倍の時間がかかるだろう。
     執筆者はネット端末を使い慣れていないのでしょう。大変ですね。ちなみに私は逆です。

     さて"メディアの利用時間"をどう定義して調査したのか気になります。
     新聞は明確に「紙を手に持ち内容に目を通している時間」ということでしょう。ただネット利用とは?ストリーミング視聴やオンラインゲームといったものであれば時間は明確ですが。この調査ではネットニュースに目を配っている時間だけとは思えない時間数なので、ネットを利用したあらゆる行動なのかと思います。この時点で比較の妥当性がありません。
     自分の日常の利用法を考えますと、ネットニュース各種に目を通している時間で限定してしまうと、はそう多くありません。趣味的にこちらを閲覧したりゲームに興じている時間はそこそこ長い。ただそれらと別に、仕事をしているほぼ1日中、頻繁に天気予報をチェックしたり、農薬の登録情報を確認したり、農機具の操作や整備について調べたり、目についた害虫の名前を調べたり……腕時計はしないので、時間のチェックすらネット経由と言えます。断続的にかなりの回数スマホ(ネット)を利用します。"かなりの回数"を時間に換算するのも曖昧ですし、そのくせその情報量と適時性は高く、かつそれらを新聞や辞典や資料、数時間前の予報の印刷など持ち歩いていては話になりません。新聞の天気予報欄など本当に何の役にも立たない。
     利便性や影響範囲が文字通り比較にならない。利用時間などよりもこちらが問題ですし、本記事の通り「価値がない」とまで言えてしまう要因です。メール普及後に必死に手紙の良さを説いたり(もはやメールすら廃れているが)、自動車普及後に慌てて馬車の良さを説いてもね。

     なんか「若者は新聞なんぞ存在を認識してすらいない」くらいしか有意義な情報が無い調査ですね。ある意味十分有意義ですけども。

  • 今朝、久しぶりにコンビニに寄り、産経新聞を買いました。プライスカードも無く、昨年以来買って無いので値段が分からない。電子マネーだから別に聞かなくても良かったんですが、空いてたので店員さんに「これ、今いくらですか?」と聞いた。「ええと、、200円です」驚!いくらなんでもそんなに上がらんやろう。買う人居なくなる。でも、はいと伝え、店員さんがスキャンしたら「140円でした、ごめんなさい」と。もうそれぐらい、マジで新聞の売価など知らない人、居るんですね。

    たぶん、地元K紙、Y紙、A紙、N紙、M紙(あるんかな)、スポーツ紙、英字紙の価格も知らないでしょうし、買う高齢者層は皆値段を知っているのではないか。ちなみに産経新聞を買った理由は、「データセンター建設ラッシュ」と「中国が日本大陸棚にブイ、津波観測の為と返答(嘘やろ)」「川崎重工業接待疑惑で特別監察」という記事を読みたかった為です。各社とも電子版は、見出しと数行だけ掲載して「記事はあと10本無料、この続きは月額購読料要です」とかになってます。アレならわざわざクリックするだけ無駄。各新聞社は更にウェブ版の普及には、知恵を出すべきと思います。今のままならしんどいでしょう。

    ところで、「就活生の通読には紙バージョンを、しかも就職用四季報ではなく通常の四季報を勧める」件について。私事ですが、次男が転職する時(高収入で私は羨ましいなと思ってた企業を退職予定でした)次男宅で2冊とも積読(つんどく)してました。蛍光色の付箋を付けてましたが、「もう要らんわ。二度読み?せえへん。やろか?」と言われ「要らんわ」(この歳で何故就職用が要るか?通常版なら株か?)と言ったのを覚えています。運よく希望企業に入社し、うち2年間は福島原発事故の避難指示解除準備区域や居住制限区域の除染、再開発・復興業務に単身赴任していましたが、無事家族の元に戻りました。

    私も通常の四季報を就活時に携えていれば、また違った人生が送れたかも知れません(笑)。しかしネットで探す方が時間がかかると言うのは、ちょっと意味が分かりません。

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