上川陽子外相が「赤ちゃんを産まずして何が女性か」と発言したかのように報じられるなどした件を巡り、JBプレスに掲載された、福島県出身・在住のジャーナリスト・ライターの林智裕氏の論考が秀逸です。というのも、同論考ではこの共同通信の報道の件に加え、メディアの印象操作が社会の停滞を招くことを指摘しているからです。とりわけ注目すべきは、同論考でも詳述されている、事実よりも権力の監視を重視する日本のジャーナリズムの特異性に関する指摘でしょう。
目次
上川氏「うまずして」発言の真相
先日の『上川発言報道で共同通信「全くひるむ必要なし」講評か』を含めてこれまでに当ウェブサイトで何度となく取り上げて来たとおり、上川陽子外相が「うまずして何が女性か」と発言した、などとする件の本質とは、「共同通信の不適切報道の問題」、と見るべきです。
この「上川発言報道」、上川氏が女性の出産と絡めて発言したかのような誤解を与えかねないものですが、そもそも上川氏は「赤ちゃんを産まずして何が女性か」、などと述べたという事実はありません。
上川氏の発言は今月18日の静岡県知事選での応援で行われた演説のなかで出てきたもので、「うまずして」の「うむ」とは、もちろん、「自民党が応援する候補者を静岡県知事に当選させること」を意味します。
それを敢えて「うまずして」部分のみを切り取り、あたかも上川氏が「出産」と絡めて発言したかのように報じたことが、適切な報道だったとは到底いえません。むしろ「政治家の問題発言」として「炎上させよう」とする意図がありありだったと批判されても仕方がないでしょう。
実際、一部の新聞は、上川氏の発言を「またぞろ問題発言」などとして批判。あわせて「政治家はなぜ懲りない?」、「SNSでは論点をすり替えてまで(上川氏の)擁護に走る動き(が見られた)」などとして、この共同通信の報道に「悪乗り」する記事を配信する始末です。
共同通信の英語版記事は「確信犯」か?
しかも共同通信の記事の問題点は、それだけではありません。
当初は漢字で「産まずして」と報じていた記事を、途中でひらがなの「うまずして」に(サイレントで)改題したほか、内容自体についても複数回の差し替えがなされていたことが、『事実を整える』というウェブサイトに5月19日付で指摘されています。
共同通信が上川大臣発言切り取り報道「(この方を)うまずして何が女性か」タイムスタンプも改竄
―――2024/05/19付 『事実を整える』より
これに加えて大きな問題は、英語版です。
Japan minister queries women’s worth without birth in election speech
―――2024/05/18 20:46付 共同通信英語版 “KYODO NEWS” より
記事のリードは、こうです。
Foreign Minister Yoko Kamikawa on Saturday asked central Japan constituents how “we women can call ourselves women without giving birth,” equating the importance of childbirth to electing a new governor in a speech ahead of a gubernatorial election.
こちらの記事だと記事表題部分に “birth” 、つまり「出産」という言葉が使われており、記事本文にも “childbirth” 、つまりやはり「出産」という表現が出てきますので、どう考えても事実ではない内容を報じている格好です。
ここまでくると、好意的に見ても「誤報」または「誤訳」、下手をすると「捏造報道」、「報道犯罪」というレベルですが、それだけではありません。共同通信はこの英語版記事で “childbirth” の文言を使用したことに関し、産経新聞の取材に対して、こう答えたそうです。
「一連の発言は『出産』を比喩にしたものと考えられます。上川氏が『出産』と明示的に述べなかったとしても、発言の解釈として『childbirth』という表現を用いました」。
原文は、次の記事で読めます。
外相「うまずして」英訳記事、男性に言及あり「明示なくても『出産』比喩」 共同通信回答
―――2024/05/21 19:04付 産経ニュースより
ここまでくると、共同通信が「確信犯」でこうした虚報を繰り広げているのではないか、などとする疑いも生じてきます。
林智裕氏「メディアの印象操作は社会の停滞にもつながる」
さて、メディアの虚報問題について、当ウェブサイトでは『【総論】腐敗トライアングル崩壊はメディアから始まる』を含め、「これは社会全体の問題だ」と指摘して来たつもりですが、こうした問題意識を持っている身としては、心から共感せざるを得ない記事を発見しました。
上川法相「うまずして」発言の本当の問題点とは?メディアの印象操作は社会の停滞にもつながる
―――2024年5月31日付 JBプレスより
執筆したのは福島県出身・在住のジャーナリストでライターの林智裕氏です。林氏といえば、これまでもさまざまな問題を精力的に報じて来たことで知られています。今回の記事も3000文字弱ですが、大変読みやすい内容ながら、内容自体もじつに濃厚で有益です。
詳細はリンク先記事を直接読んでいただきたいのですが、今回の「上川発言報道」問題をざっと振り返ったうえで、共同通信の福島処理水を巡る報道の問題などと併せて、メディアの問題の「本質」を鋭く指摘しているのです。
とりわけ次の一文には、まるごと同意する人も多いのではないでしょうか。
「マスメディアには専門的な知識と責任を担保する資格が不要かつ民主主義的な選挙で選ばれたわけでもない。任期はなく弾劾もできない。相応の責任を求められる制度すらない。情報開示の義務もない。これら巨大な権力が責任も問われず野放しにされたままでは、社会は国民主権ならぬメディア主権、法治主義ではなく『報治主義』にさえなりかねないのではないか」。
ネチネチネチネチ…「読みたい!!」
そして、この記事を巡って、林氏本人はXで、こんなことも述べています。
林氏によると、当初はこの倍くらいの分量で、「共同通信がこれまでやらかしてきた見出し詐欺や風評加害の事例」を「ネチネチネチネチ」と(ついでに朝日新聞のことも「ネチ」っと)書いていたとのことであり、こんなことを知ると、思わず「そのカットされた部分」についても読んでみたくなってしまいます。
これについては近いうちに、是非とも読ませていただきたいと思ってしまう次第です。
日本のジャーナリストの特異性
なお、林氏の論考では、WJS(Worlds of Journalism Study)が発表している、世界67ヵ国・27,500人以上のジャーナリストへのインタビュー調査結果をもとにした、「日本のジャーナリズムの特異な傾向」、という論点が出てきます。
林氏はこれについて、「日本のジャーナリストを諸外国と比較すると、以下4点の傾向を読み取ることができる」と指摘しています。
- 政治リーダーを監視・精査することを何よりも最重要視している。
- それら権力の監視と時事問題の分析、人々の政治的意思決定に必要な情報提供こそがジャーナリズムと捉え、それは事実をありのままに伝える責務以上に優先される。
- 人々が意見を表明できるようにすることへの関心は極端に低い。
- 政治的アジェンダ設定も人々に代わりジャーナリズムが主導するべきで、それは事実をありのままに伝える責務に比肩するほど重要な役割と考えている。
想像するに、この記事で出て来る調査とは、当ウェブサイトでは以前の『日本のメディアは客観的事実軽視=国際的調査で裏付け』でも取り上げた、WJSの “Country reports – WJS2 (2012-2016)” のことではないでしょうか。
これによるとたしかに、日本のジャーナリストは外国の同業者と比べ、「政治指導者の監視や精査(Monitor and scrutinize political leaders)」を重視する割合が91%で1位である反面、「物事をありのままに伝える(Report things as they are)」を重視する割合が65%にとどまっていることが確認できます。
調査自体が少し古いという点に注意は必要かもしれませんが、それでも日本のジャーナリストが総じて、「物事をありのままに伝える」ことよりも、「権力の監視」を重視している傾向があることは間違いないでしょう(『新聞は権力の監視役自称も…監視されるべきは新聞の側』等参照)。
ただ、正直、私たちが新聞社などのマスコミ、ジャーナリストらに「権力の監視」を依頼したという事実はありません。
林氏の指摘する、「専門性や責任を担保する仕組みもないメディアが巨大な権力を持っている」という状況は、早急に改善されなければならず、その意味で、既存メディアを経由しないウェブ評論などの力が強まることは、メディアの社会的影響力に対抗し得る有力な手段ではないか、などと思う次第です。
View Comments (17)
日本の大手新聞社は、そもそも政治に影響を与える事を目的に産まれた(敢えてこの変換にしてみましたが、別に女性を連想しませんねぇ)結社だと感じています。
間違って停滞させているのではなく、停滞こそが本懐なのでは?彼らは国民に正しく政治参加させたいのではなく、彼ら自身が(民主主義を経ず)政治に影響を与えたいのです。それに必要なのは事実ではなく印象、最悪は偽情報ですから。邪推でしかないかもしれませんが、WJSの調査数値(監視>事実)と整合するのでは。
"精査"とやらなんて主観だけでやってますし、彼らが"監視"者を気取るたびに、じゃあ監視者を誰が監視するんだというツッコみをせざるをえませんが、権力や政治と(一応は)無関係に発生したネットが自然に監視機構になってきたのかなぁ。まさに本件の指摘のように。
そして、自称監視者を監視するネットの存在が自称監視者の存在をおびやかすに至り、必死にネットは偽情報に満ちているというキャンペーンを自称監視者業界一丸で打ち出している、というのが現状ステータスですね。
明治時代に作られた有名私立大学とマスコミのいくつかは
「自分が大臣になれなかった」恨み節を込めて「薩長政権批判」のために作ったもの
板垣死すとも自由は死せず
>林氏の指摘する、「専門性や責任を担保する仕組みもないメディアが巨大な権力を持っている」という状況は、早急に改善されなければならず、
どうしたら、この状況が改善されるのかは分からないが、改善されなければならないことは、確か。
と、同時に、政治家の資格試験制度も設けなければならないのでは?
せめて、高卒程度の学力が証明される必要がある。
今の時代、論理的思考力や、高校普通科レベルの理系知識が無きゃ政治的な判断も出来ないだろう。
これは、マスゴミ界隈に棲息する自称ジャーナリストも同じ。
政治資金規正法という簡単な法律の意味も理解できないのが、法律を作る立法府の議員だというのは、ブラックユーモアか?
自称ジャーナリストが、演説の内容も正確に報告(報道)出来ないなんて、小学校からやり直して来い、ということだろう。
>政治的アジェンダ設定も人々に代わりジャーナリズムが主導するべきで、それは事実をありのままに伝える責務に比肩するほど重要な役割と考えている。
ということは、ジャーナリストではなく、扇動者ということですね。
わかりやすいです。
先ほど、N社の記者会見の生中継をヤフーニュースのweb中継で見てました。
この下請け云々でマスコミが報じた案件も専門知識の無い記者がやらかした案件という疑念が更に深まりました。マスコミにとっては都合が悪そうな絵なので消されてしまうかもしれませんね。
東大卒が久しく就職していない新聞業界。
これを聞いていたのでじゃどこの大学から入ってる?
気になる~
孔子学院卒では?
>「何が問題か」「誰が弱者か」を恣意的に誘導するアジェンダセッティング
「裏金」「モリカケ」「統一教会」、これらの何が問題なのか、どの程度重要な問題なのかを曖昧にしたまま「茶の間の社会問題」を設定してしまう。
視聴者の「嫉妬心」などをくすぐって。火が付けばラッキー。
いつまでたっても、何度でも繰り返されます。毎回ウンザリ。
これもあと10年くらいかなー、なんて期待はありますが。
大衆を操り時の政権(自民党限定)に圧力をかける快感が忘れられないのでしょうね。
残念ながら現在のマスコミには日本を良くしたいという前向きな姿勢を感じることはできません。
まるで騒動が起こることを楽しんでいるかのようです。
まさに反社会的勢力ですね。
誤情報を出してもマスコミは庇いあいます。
不祥事もお互い隠し合います。
少数のネットメディア程度でしかマスコミの横暴は報じられません。
玉石混交のツイッターのようなSNSの方が信頼度が上になっているマスコミの膿がひどい状況です。
>林氏はこれについて、「日本のジャーナリストを諸外国と比較すると、以下4点の傾向を読み取ることができる」と指摘しています。
4点の傾向を読むと、世論形成能力の誤用や濫用にまとめれる気がします。
いわゆる人権派とかリベラルと一緒ですね。
事実か否かではなく、正しいかどうかを自分が決めれる事に執着し、身勝手な正義感で「悪」と決めつけた相手をタコ殴りにする、という。
ジャーナリスト自身がこうして警鐘を鳴らし、オールドメディアの未来を警告しているのに、
当事者のオールドメディアはまるで聞く気配がない。
これはやはり、「そんな基準に合わせたら生き残れる会社・人材はごくごくわずか」で
「切り捨てられる側の方が多いので生き残れる側を押さえつけている」と言う事ですかね?
何と言うか、「国民の怒りによって革命が起きそうなのに、禅譲を受け入れるべき王族も
特権はく奪を受け入れるべき貴族も滅びの瞬間まで玉座にしがみついている」……
そんな光景を想像してしまいます。
実は、古の昔の聖王堯舜の禅譲も、全く赤の他人への譲位ではないのだよね
舜様は堯様の娘と結婚しているので、これは「娘婿」への譲位
イギリスの名誉革命も、王女様と娘婿様が来たので無血革命ができた