フランス語では98は「四つの二十と十と八」と表現するそうです(フランス本国の場合)。なんとも理不尽です。ただ、英語でも11のことを “ten one” ではなく “eleven” という独特の単語で表現していますので、フランス語ほどではないにせよ、日本語と比べたら理不尽といえるかもしれません。こうしたなかで、Xでは「米国人のなかには、4分の1の方が3分の1よりも大きいと勘違いする人が多い」とする指摘があったようです。
マクド社のクオーター・パウンダーに対抗できなかった理由
Xにちょっと気になるポストを発見しました。
画像には、こう書かれています。
In the 1980s, A&W tried to compete with the McDonald’s Qarter Pounder by selling a ⅓ pound burger at a lower cost. The product failed, because most customers thought ¼ pound was bigger.
1980年代、A&Wはマクド・ナルド社のクオーター・パウンダーに対抗するため、3分の1ポンドのバーガーをより安い値段で売り出したが失敗した。多くの消費者は4分の1ポンドの方が大きいと考えたからだ。
要するに、アメリカ人の多くは「4分の1」の方が「3分の1」よりも大きいと勘違いしている、ということが言いたいのでしょう。
「アメリカ人はパーセントが理解できない」…のか?
このエピソードが事実なのかどうかはわかりません。しかし、この画像の元ポストを読みに行くと、こんなことも記載されています。
米国在住の方によると、米国では “Buy X get 1 Free” 、つまり「X個買えばもう1つ無料でついてくる」、といった売り方が多いらしく、その理由は「パーセント表示しても理解できない人が多いから」、というのです。
同じく、北米でスーパーなどのポイントサービスが浸透しない理由も、やはり米国人などは「パーセント」の計算ができないからだ、という指摘もあります。
理不尽な英仏独語などの数詞
このあたり、著者自身は残念ながら米国在住者ではない以上、これらの書き込みが正しいのかどうかを判断する材料を持ち合わせていません。
しかし、正直、英語やフランス語、ドイツ語などの数字の表現には強い不満を覚えていることも事実です。
たとえば、日本語でも英語でも中国語でも、10進数を採用する国であれば、1から10まではそれぞれ独自の単語が存在します。
数 | 日 | 英 | 仏 | 港 |
1 | いち | one | un/une | ヤッ |
2 | に | two | deux | イー |
3 | さん | three | trois | サン |
4 | し・よん | four | quatre | セイ |
5 | ご | five | cinq | ン |
6 | ろく | six | six | ロッ |
7 | しち・なな | seven | sept | チャッ |
8 | はち | eight | huit | パッ |
9 | きゅう | nine | neuf | ガウ |
10 | じゅう | ten | dix | サップ |
(【出所】著者調べ。綴りの間違い等はご容赦ください。また、広東語に関してはむりやりカタカナを当てているため、正確ではない可能性があります)
ここまでは良いと思います。
ところが、欧州諸国語の場合、11以降が、非常にわかり辛いのです。
たとえば11は日本語で「じゅういち」、広東語で「サップヤッ」、などですが、英語だと “ten one” ではなく “eleven” ですし、フランス語だと “dix-un” ではなく “onze” ですし、ドイツ語でも “zehn ein” ではなく “elf” です。
また、12はそれぞれ英語で “twelve” 、フランス語で “douze” 、ドイツ語で “zwölf” ですし、13以降も独自の表現が存在しますが、日本語や広東語などのアジア圏だと、それぞれ「じゅう」+「に」、「サップ」+「イー」といった具合に、十の位に一の位をそのまま足して読めば済みます。
二十進数?のフランス、98は「四つの二十と十と八」
さらに20以降になると、英語は “twenty” 、ドイツ語は “zwanzig” 、といった具合に、それに対応した単語を覚える必要がありますし、フランス語やイタリア語などに至っては20進数で “vingt” だの、 “venti” だのという単語が登場します。
ちなみにフランス語(フランス本国の場合)では、70だと “soixant-dix” (直訳すれば「六十と十」)、80だと “quatre-vingt” (直訳すれば「四つの二十」)、90だと “quatre-vingt-dix” (直訳すれば「四つの二十と十」)で、98は “quatre-vingt-dix-huit” つまり「四つの二十と十と八」です。
(※なお、知り合いのベルギー人によると、ベルギーやスイスなどのフランス語では、70は “septante” 、80は “huitante” ないし “octante” 、90は “nonante” などと表現することもあるそうですが、これについては調べてみても国・時代によりその通りではないこともあるそうです。)
そう考えたら、これも想像するに、欧米圏の人から「日本人は暗算が速い」と思われている要因のひとつは、もしかしたら欧米圏の数詞の理不尽さにもあるのかもしれません。いっそのこと、英語も11を “eleven” と呼ぶのをやめて “ten one” などと呼ぶようにすれば、もう少し数学が得意な人が増えるのではないでしょうか。
ちなみに分数は、⅓は “one third” と呼ぶそうですが、これも日本語などに倣い、 “one devide three” などと呼べば、もう少しわかりやすくなるのになぁ、などと思っているのはここだけの話です。
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イギリス人の九九は9x9(Times Tables)が最後ではなく12x12までやるようだ。
経理にいた関係で会計士とはよく雑談した。
1970年代にアメリカの提携会計事務所にトレーニングに行ったことのある会計士がいた。
アメリカ人会計士について監査現場に行ったところ、どう見ても会計士には見えない「おばちゃん」がメンバーに入っていた。何をしているのかと見ていると足し算の検算を筆算でやっている。
日本ならソロバン、または当時発売されたばかりの電卓(ただし初期は6-8桁で使い物にならない)を使うだろう。
ちなみにその検算係のおばちゃん達は「コンピューター」(計算する人)と呼ばれていた。
「コンピューターおば(あ)ちゃん♪」を思い出しました(^^;
2でも3でも4でも6でも割り切れて整数表示できる12進法の方が2と5でしか割り切れない10進法よりも機能的ではありますね。
毎度、ばかばかしいお話を。
①アメリカ人:「アメリカ人は分数ができないから、代わりにAIに計算させよう」
②アメリカ人:「アメリカ人は分数ができないかもしれないが、日本人は英語を話すことができない」
③ある日本人:「表示する時に、わざと複雑な分数で表示しよう」
おあとが、よろしいようで。
こどもに小学生の初歩の算数を教えるときに難儀したのを思い出しました
りんごが9つ、みかんが7つどちらがどれだけ多いですか?という問題の式と答えを書いて、って言うんですが
息子は9-7が2であることは理解してたのですが、式に9-7と書く意味が分からないと泣いていました
りんごからみかんを引く、ってそんなことできない意味が分からないと
それでみかん7つと同じ数のりんごは7つ
9つのりんごから「みかんと同じ数である7つのりんご」を除く
すると2つ残るでしょう?あくまでりんごからりんごを引くんだけど結局りんごの「数」からみかんの「数」引くと2だよね?
と教えると漸くら納得してくれました
大人になると数字が抽象的概念で具体的でないという認識がなくなってしまうので、なかなかこどもの思考は理解できないんだなと、そんとき思いました
同じものを見てても個々の認識も実は結構違うんでしょうね
田舎の一市民様
違う種類のものを引き算するというのは納得できないという
お子様の感覚に一理あると思いました。
当方は、運動会の玉入れを思い出しました。
勝敗を確認するときには、赤玉と白玉を別々に数えて
引き算するのではなく、同時に、ひとーつ、ふたーつ、
みっつと数えていきますよね。
だから、上記の場合だったら、りんごとみかんを並べてみれば、
りんごがみかんよりもふたつ多いことは一目瞭然ですね。
お子様に式と答えを書いて欲しければ、
「A君はりんごを9個、B君はりんごを7個持っています。」
と言ってあげれば、素直に引き算の式と答えを書いて
くれたのではないかと思いました。
コメント55号様
返信ありがとうございます
>上記の場合だったら、りんごとみかんを並べてみれば、
りんごがみかんよりもふたつ多いことは一目瞭然ですね。
確かにまさに絵に並べて書いて、理解してくれました
思考プロセスとしては、りんごとみかんは果物としてみた場合は別のものだけど
数としてみた場合はイコールである
そして数のことを問われている
ということを認識したということなんだと思うんですよね
ただ単に「何でこんなことがわからないんだ」ではなくて、わからない理由を把握して、わからないを分かるにする方法の模索が大事なのかと思いました
>9-7が2であることは理解してたのですが、式に9-7と書く意味が分からないと
9-7が2だと理解できてるなら、式の「9-7=2」の「ー(マイナス)」を「引く」と読み、「=」を「は」と読むと理解させてはどうでしょう。
「9引く7は2」、あるいは「9から7を引いたら2」と読む。
日本語は漢字とひらがなとカタカナとローマ字と数字と記号があると教えたらどうでしょう。そして全部日本語の読み(発音)できると。
これは、息子さんが正しいように思います。
そもそも、引き算をするときには、引き算の左側と右側の単位が一致していなければなりません(たとえば、9[m] - 7[kg] というような引き算をしてはいけません)。
では、9-7=2 という場合の、9,7,2の単位は何でしょうか。9はリンゴの個数、7はみかんの個数だとしたら、単位が違うので引き算が成立しません。それに、2は何の個数なのでしょうか。
この問題を真面目に解決するためには、「くだものの個数」という(新たな)単位を考える必要があります。つまり、9も7も2も、くだものの個数だという意味です。
そもそも問題文は、くだものの個数という概念を暗黙のうちに導入しています(しかし、それは明示されていないため、息子さんが戸惑うのは無理ありません)。答の「2個」は何の個数か(単位は何か)といわれたら、りんごでもみかんでもない「くだものの個数」としか言いようがないはずです。これ(くだものの個数)をもっと抽象化すると、田舎の一市民さんのおっしゃる「数」の概念に至るわけです(単位が何であっても、9から7を引けば2になる、ということ)。
ある本(書名失念)に書いてあった例では、「リンゴ9個からリンゴ7個を引くと2個残る、みかん9個からみかん7個を引いても2個残る、自動車でも、スマホでも、みんな2個残るので、これを9-7=2というのだ、どうしてもわからなければ、全部をリンゴで考えなさい」というような趣旨で説明していました(元の本では、リンゴの個数とみかんの個数を足す話だったように記憶しています)。こういう過程が、理解が進めるために必要だと思います。
アメリカ人の4分の1が地球の公転を知らず、5分の1が天動説を信じ、成人の50分の1が地球平面説を信じているのだとか。これらは宗教的な要因が強そうですが。2分の1がニューヨークの位置を知らないというのは……まぁ日本人でも日本地図が壊滅している人はそこそこ居るし。
そして上記を挙げたら、一定数は地球平面説信者が一番多いと解釈するわけか…カオス。
葬儀屋が日本の地理地名を理解していないと分かり、とても不思議に思っています。父のときも母の時もそうでした。
全くの当て推量だけれども、英語やドイツ語で12まで特有の数詞があるのは、某水をワインに変えたりする教祖さんの使徒が12人いたという宗教的ないわれとかが関係してるんでは、と妄想。裏切り者の13番目さんには特有の言い方なんてしたくないよね、みたいな。
フランス語やスペイン語では16進法になりそうですね。
フランス語:
un, deux, trois, quatre, cinq, six, sept, huit, neuf, dix, onze, douze, treize, quatorze, quinze
スペイン語:
uno, dos, tres, cuatro, cinco, seis, siete, ocho, nueve, diez, once, doce, trece, catorce, quince, dieciséis, diecisiete, dieciocho, diecinueve, veinte
日本人は十進法で数、大きさを考えるが、欧米人、とくに英国人は十二進法で考える、なんて、半ば都市伝説みたいなはなしがあります。このはなしにはおまけがあって、十進法ではものを分ける際に2等分、5等分にしかできないが、十二進法でいけば、2,3,4,6等分が可能なんだから、こちらの方が合理的と、彼らは主張するとも。
確かに日本でも、たとえばビールのケース。ビンでなら3×4本入りの1ダース。缶ビールだと2×3の、6本半ダース入りが普通。ケースの形状、収納の利便を考えれば、5本入り、10本入りなどのケースはどう考えても不便。
コンピュータデジタルの業界では10進数ではなく16進数が便利。0~9999より、0000~FFFF=64Kの方が視認性に優れる。
昔のことを言えば、尺貫法なんて十進法とは無縁。ひと頃はヤミでしか手に入らなかった尺の定規、永六輔さんの熱意の甲斐もあってか、今ではと言うべきか、未だにと言うべきか、通販で堂々と合法的に出回ってる。
江戸時代の通貨単位、両分朱文、時刻の数え方。時代小説を理解する上では必須の知識でありながら、未だピンと来ない。でも当時の人にしてみれば、それが合理的だったんでしょうね。
本家本元の英国にしたところで、ヤードポンド法の諸単位は、すべてが十二進の繰り上がりではありません。後の国民国家の成立過程でおこなわれた度量衡の統一を経たものにせよ、元々は生活と交易の利便のために自然発生的に生まれ、地域的に広がっていったものに違いないと思います。十進法だ、十二進法だと言ったところで、所詮後付けの理屈っぽい気がします。
で、日本人と欧米人の数的感覚の違い。インド人には引けを取るようですが、どんな度量衡単位を扱ったとしても、欧米人よりは暗算処理が得意という、世評が当たっているとするなら、おそらくその理由は、日常感覚での数量と純然たる数の世界を、密接に結びついてはいるものの、別個の独立した概念として捉えることができる点にあるのではと考えています。
これが日本人の身についているのは、長い間、算盤が身過ぎ世過ぎの手段として、修行、教育の過程に組み込まれてきたからではないでしょうか。でも今は珠算教育と言ったら、小学校でほんの少しかじるだけ。ちゃんと生徒に教えてやれる教諭の数だって限られている。
日常の買い物で量り売りなんてのは、今ではほぼなくなりました。支払いも大抵はカード払い。現金使うにしても、最近は札を挿入すれば,即座に釣り銭が出てくる自動精算機を使う機会が増えてきています。日本人の数的感覚の優位性と言っても、もうそれほど長くは続かないのかも知れません。
分数計算ができない東大生なんてはなしが以前ありましたが、大福の餡1/4量増量の宣伝文句が、1/3増量よりお得なんて勘違いが、そのうち罷り通ることだってないとは言えないかも。
大福の餡くらいなら、目くじら立てるほどの問題じゃないでしょうが、いつぞやどこかの新聞社がやらかしたような、日本円と米ドルの違いを良いことに、全然対応しない数値軸を併用したグラフを使って、米国に比べて日本の状況はこれだけ悲惨なんて印象操作に、コロッと瞞される日本人がこれから増えていくとしたら、これは笑い事では済まされないように思えます。
イギリスでの以前の貨幣は、12ペンスが1シリング、20シリングが1ポンドでした。さらに、21シリングが1ギニーでした。古い小説とか読むとこのようなことがたくさん出てきます。こうなると、簡単に計算はできず、商品とお釣りの和に、釣り合う金額を支払うということも合理的であったようにも思います。イギリスの貨幣が10進法になったのは、それほど昔ではありませんので、中年以上の人は覚えているかと思います。
算盤。
小中学生の6年間、何とはなしに近所の珠算教室に通っていました。指先不器用でしたが、日本商工会議所の検定で2級までは取りました。そのあと1級は3回ほど挑戦しましたが受からず、高校入試を言い訳に珠算教室はやめました。
暗算は昔も今も苦手で、それじゃ算盤習っていた効果あれへんやん!とよく言われますが、算盤のおかげで一つだけ、買い物のお釣り計算(引き算)だけは会得しました。皆さんもご存じでしょうが、これに関しては計算ではなく、パターン認識の一種です。
算盤の見取り算(加減算)では答えがマイナスになる(計算の途中、入っている玉からは引けない)時があるのですが、その時には、引きたい数の1桁上の数、例えば345,678だったら1,000,000を借りてくる、実際の算盤上では最上位桁に1を置いて計算を続け、最後に算盤のウラ玉(という言葉があるのかどうかは知りませんが)、つまり入っていない玉を読むことでマイナスの答えを出すのです。
で、実はこれがお釣り計算と同じアルゴリズムなのです。
例えば7,654円の買い物をして1万円札を出した時のお釣りは2,346円ですが、7,654円を算盤上でみると上の位から順に、
7は、5の玉が1つと1の玉が2つ入っていて、1の玉が2つ入っていない
6は、5の玉が1つと1の玉が1つ入っていて、1の玉が3つ入っていない
5は、5の玉が1つ 入っていて、1の玉が4つ入っていない
4は、 1の玉が4つ入っていて、 5の玉が入っていない
つまり7654のウラ玉は2345で、これに1を足した2,346円がお釣りということになります。
算盤のイメージを書いていると却ってややこしくなりしたが、算盤抜きに説明すればこうです。
上の位から順に、足したら9になる数字を並べる。9→0、8→1、7→2、6→3、5→4、4→5、3→6、2→7、1→8、0→9。ただし最後1の位だけは足したら10になるようにする。
これならもう引き算ではなく、単なるパターン認識です。
私もそろばんを習っていましたが、フランス語で読み上げ算(ねがいましては、abc円なり、・・・)はできるのでしょうか?
一の位と十の位が逆転するドイツ語も難易度が高そう。
どうなんでしょうね。
「フランス そろばん」で検索かけたら、フランスでそろばんを教えている日本人のHPがヒットして、その中の「出張授業事例のご紹介」のページにはフランスの子供相手にそろばんを教えているところをニュース取材された映像が貼ってありました。残念ながら読み上げ算をしている様子は映ってませんでした。
https://fujimotosoroban.web.fc2.com/course.html(動画 2分10秒あたりと15分から)
ノインウンノインツィヒ ルフトバルン♪~ という曲は1980年代に日本でも流行りました。99(きゅうじゅうきゅう)がドイツ語は「9と90」という言い方になるんですよね
URLの貼り直しです
https://fujimotosoroban.web.fc2.com/course.html
(動画 2分10秒あたりと15分から)
>英語も11を “eleven” と呼ぶのをやめて “ten one” などと呼ぶようにすれば
本題からかなり脱線してしまいますが、
日本や日本人のことを蔑称で「イレブン」と呼ぶ某アニメがあって、あれはアニメの中の世界設定で日本が11番目の植民地だからということになっており、そこからネット世界で日本人=イレブンはそのアニメが起源ということになっているそうですが、実はそれ以前の由来というか元ネタがあります。
昨年亡くなった元NHKキャスターの磯村尚徳氏の著書に『ちょっとキザですが』(講談社文庫 1982年)というのがあるのですがその中に
ニューヨークでは日本人商社マンのことを俗に「イレブン」と呼ぶ
理由は、あの金儲けであくどいユダヤ人(Jew:じゅう)よりも一枚上手だから
※ 10(じゅう)+ 1 = 11(イレブン)と言う訳ですねw
というような話が紹介されていました。当時の日本人商社マンの世界各地での活躍(暗躍)ぶりから付けられた俗称が「イレブン」ということのようです。
どうでもいい雑学で失礼しました(汗)
13歳から19歳迄が「ティーンエージャー」と纏めてしまうのも12進法の賜物なのですね。
石原都知事が同趣旨のことをざっくばらんに言ってしまい、提訴されたことがありましたね。
「かつて外交官の公用語として幅をきかせたが、科学技術の討論をしたりするときに非常にやっかいなんで、だんだん外れていった」、「批判が当たっているか当たっていないか真摯に考えるべきではないか。文句があるならフランス政府に言えばいい。」などと述べ、発言撤回はしませんでした。
https://www.afpbb.com/articles/-/2325873