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資格試験も政治家の評価も「満点主義」から脱却すべき

資格試験では最低限、試験に合格できるだけの点数を取れるだけの実力を、試験科目でまんべんなく身に着けるのが正解です。なぜなら、資格試験ですべての科目で満点を取れるだけの勉強をするのは、時間的制約から大変難しいためです。こうした「資格試験ノウハウ論」、冷静に考えてみると、政治家の能力を考察するうえでも、似たようなことがいえるのかもしれません。

偉そうに資格試験についてご高説を垂れる怪しげな自称会計士

山手線の駅名を冠した怪しげな自称会計士は、「ブログ」などのかたちでウェブ評論活動を開始して以降、今年で14年が経過します。

現在の当ウェブサイトは「政治家でもないくせに、やたらと偉そうに舌鋒鋭く政治を批評する」サイトとして知られていますが、過去には資格試験をテーマにした評論記事を書いていたこともあります。

ただ、ウェブ主である自称会計士が公認会計士試験に合格したのは数十年前の話であり、当時の自分自身のノウハウなどをもとに、試験科目ごとに「試験勉強はこうやれ」、などとご高説を垂れたところで、あまり意味はありません。

試験制度自体が当時と比べ、大幅に変化しているからです。

ただ、資格試験というものを「人生のなかで乗り越えるべきハードルのひとつ」と位置付けた場合には、その心の持ち様であったり、受験に向けた態度であったり、といった点については、普遍的なものではないでしょうか。

満点主義の間違い…そもそも資格業にも得意、不得意がある

そのひとつが、「満点主義からの脱却」です。

巷間でよく誤解される点があるとしたら、「公認会計士は会計・税務分野であれば、あらゆる論点に詳しい」、とするものでしょう。

しかし、この考え方は正しくありません。

そもそも企業会計自体、金融商品会計であったり、退職給付会計であったり、減損会計であったり、連結会計であったり、と、さまざまな分野があるからです。

また、ほかにもよく誤解される論点としては、「公認会計士は税理士だ」、とするものでしょう。

当たり前ですが、公認会計士は税理士ではありません。「公認会計士となる資格を持っていれば税理士として開業登録することができる」というだけの話であり、両者はまったく異なる資格です。

また、これに関連し、資格の書籍などを読んでいると、「公認会計士資格があれば税理士になれる」という点だけに着目し、「公認会計士は税理士の上位資格だ」、といった記載に出くわすことがあるのですが、残念ながらこれも誤りです。

公認会計士試験などに合格し、公認会計士として開業する資格を持っていたとしても、あくまでもそれは企業会計や会計監査の専門家であるという話であり、とくに実務上、税理士として開業登録した公認会計士が「良い税理士」になれるという話でもありません。

残念ながら、税務の専門家という観点からは、付け焼刃的な知識で税理士としての技能を積んだ人たちに太刀打ちできるというものではないでしょう。

資格試験では最低限の合格点を満遍なく取れるようになることが大事

同じようなことは、おそらく医師や弁護士などにもいえるのではないでしょうか。

とくに専門性の高い、大病院や大学に所属している医師と、ひとりで何でもこなさなければならない街中で開業している医師だと、求められるスキルがまったく異なるでしょうし、いわゆる渉外弁護士と離婚専門の弁護士では、必要となる知識分野はまったく異なります。

こうした観点は、とても重要です。

医師、弁護士、公認会計士、税理士といった職業に就く人は、たいていの場合、それぞれ非常に広い分野の中で自分の専門性を見つけて、それに特化していくものだからです。

そして、それぞれの資格試験はたいていの場合、「最低限の知識・技能を身に着けているかどうか」、という観点から実施されます。

たとえばA~Eという5つの教科から試験が実施される資格の場合も、それぞれの科目で満点を取る必要はありません。極端な話、それぞれの科目で最低限の「足切り点」以上の点数を取り、トータルして合格点に達していれば良い話です。

もちろん、これについては試験によっても微妙に事情が異なります。

たとえば税理士試験の場合、最終的には5科目に合格する必要がありますが、ひとつひとつの科目が難しく、1年で5科目のすべてに合格するのは一般に困難です。しかし、税理士試験の科目は一度でも合格すれば生涯有効でもあるため、数年かけて毎年数科目ずつ合格する、というパターンが多いようです。

これに対し公認会計士試験の場合も科目合格制が導入されていますが、合格した科目には「合格発表の日から2年」という有効期限があるため、「毎年少しずつゆっくりと合格を目指す」という税理士試験のような受験戦略を取ることは難しいといえます。

結局、資格試験では試験科目のすべてで満遍なく点を取ることができるようにすることが大切だ、ということなのです。

勉強曲線

いずれにせよ、資格試験ではそれぞれの科目で設定されている合格点をクリアすれば良い、という点については変わりません。

この点、あくまでも一般論ですが、たいていの試験の場合、合格するのに必要なハードルは、満点のうち6~7割程度とされています。

そして、ある科目で100点満点中60点を取るために必要な勉強時間数が100時間だとしても、「さらに追加で100時間勉強したら100点満点中120点取れる」、という話ではありません(そもそも100点満点の試験でどうやったら120点を取れるのかは知りませんが…)。

著者自身の経験上、6割正解するために必要な勉強時間が100時間だとしても、追加であと100時間勉強したところで、取れるようになるのは7割か、せいぜい8割程度です。さらに100時間追加で勉強しても、それ以上に点を取ることは困難でしょう。

つまり、どれだけ勉強したところで、取れる点数には上限があるのです。これをイメージ化しておくと、図表のような「勉強曲線具」が成り立つのではないでしょうか。

図表 勉強曲線=勉強時間と得点の関係(イメージ)

(【出所】当ウェブサイト作成。「合格点=60点」の場合のイメージ)

この図表の例でいえば、合格点である60点を取るために必要な勉強時間は100時間ですが、それ以上勉強したとしても、点数の上がり方は減っていきます。要するに、得点力を上げるために必要な勉強時間がどんどん増える、ということを意味しています(図の例だと70点取るためには倍の200時間の勉強が必要です)。

もちろん、この曲線の形状は、試験の種類によっても、あるいは受験する人の能力等によっても異なりますので、人によっては70点に達するまでの勉強時間が100時間、というケースもあるかもしれませんし、あるいは100時間勉強しても50点にしか達しない(つまり合格できない)、というケースもあるかもしれません。

百点満点を目指しても意味はないし効率的でもない

ただ、ここで重要なことは、「無限の勉強時間を費やして100点満点を取れるようになること」を目指しても、あまり意味はないし、決して効率的でもない、という点でしょう。

今回の設例だと、合格点は60点で、標準的な人ならば100時間で到達できる水準ですが、2倍の200時間を費やしても取れる点数は70点ですし、4倍の400時間を費やしても取れる点数は80点に留まります。

したがって、正直、この試験で高得点を目指してどこまでも勉強するのではなく、可能な限り短勉強時間でサクッと合格点の60点を取れるレベルに達すべきでしょう。60点だと心もとないという人は、もう少しだけ勉強して65点くらいを取れるようになっていれば、それで十分です。

なぜこんなことを申し上げるのかといえば、「資格業」そのものの特徴にあります。

資格試験とは、簡単にいえば、その人がその資格業に従事するうえで、最低限の知識レベルがあるかどうかを確認するためのものであり、その人の知識水準が試験合格レベルに達してしまえば、それ以降、資格試験自体の勉強をいくらやったとしても、その人の本質的な仕事能力を伸ばすことにはほとんど寄与しないからです。

資格業に従事する人は最低限の基礎知識水準を持っていれば、あとはそこからどれだけ実務経験を積めるか、という勝負になります。そして、税理士などの一部業種を除くと、一般に資格試験を受験している間は、その人はまだ実務に従事しておらず、したがって実務経験を積むこともできません。

結局、弁護士にせよ公認会計士にせよ、資格商売では「試験に合格すること」はゴールなのではなく、スタートに過ぎないのです。

だからこそ、「さっさとスタートラインに立て」という意味では、資格試験は「合格するために必要な知識を身に着ける」ためのものであり、「いかに効率良く勉強できるか」の勝負である、などと割り切ってしまうのが正解だ、というのが著者自身の持論です。

おそらく、試験制度がどう変わろうが、この「資格試験は業務に就くための最低限の知識を持ち合わせているかを確認するためのものである」、「あとは大所で間違えなければ、能力は実務経験を通じて研鑽していくべきものである」、といった大きな原則については、あまり変わらないのではないでしょうか。

同じことは政治家にも当てはまる

さて、なぜこんな話を掲載したのかといえば、同じ話はおそらく政治家にも当てはまるからです。

今年1月1日に発生した能登半島地震を巡っては、「政府の初動が遅い」だの、「岸田(文雄首相)や馳(浩・石川県知事)らはもっとうまくできたはずだ」、などと難癖をつける人が多数涌いています。

このあたり、『「岸田首相と日本政府の初動が遅かった」は事実なのか』などでもお伝えしたとおり、岸田首相や馳知事らの「初動が遅かった」とする指摘は、おそらくは事実に反する部分が多々あります。

ただ、それと同時に岸田首相らの対応がすべての被災者にとって、100%満足できるものとは限らなかった、という点についてはそのとおりでしょう。

ただ、それ以上に「百点満点の政治家」を求める人たちに申し上げたいことがあるとすれば、「そんな政治家はいません」、ということです。

「在任中になしたことは、すべての人を100%満足させるものではなかった」という意味では、菅義偉総理大臣や故・安倍晋三総理大臣についてもまったく同様だからです。

当ウェブサイトでは何度もお伝えしている通り、著者自身としては、「岸田首相よりも良い政治家がいるならば」、今すぐそのような政治家と首相を後退してほしい、というのが偽らざるホンネですが、これについてはべつに岸田首相にのみ当てはまる話ではありません。

菅総理や安倍総理も政治家としては優秀だったにせよ、在任中はいくつかの判断ミスもしていますし、閣僚や与党議員の不祥事、逮捕事例などもいくつか発生しています。

自民党政権は、完璧ではないのです。

岸田首相ら政治家の評価は「百点満点」ではなく「合格点にあるかどうか」

X(旧ツイッター)やヤフコメなどでは、岸田首相や自民党に対する批判の書き込みも数多いのですが、これらの書き込みを眺めていると、初歩的な事実関係を誤認している人、メディアの扇動的な報道に乗せられている人などを見かけることも多々あります。

この点、たとえば災害対策でいえば、その段階に応じてできることには限度があります。

今回の能登半島地震のように、地面が隆起するなど地形が大きく変わり、しかも道路や港湾などが損傷しているなかで、被災地である半島への進入経路が一方通行である、といった事例の場合、自衛隊を一挙に投入しようとすれば、道路が渋滞して現地を混乱させてしまいます。

だからこそ、一部で被害が拡大してしまうようななかでも、自衛隊を逐次投入せざるをえなかったわけですし、初動からこの状況を完璧に予想して百点満点の完璧な対応をしろ、などと要求するのは、少し無理があります。

このように考えていくと、「百点満点」を目指すのが難しい、という意味では、災害対策も資格試験と似ています。

すなわち災害対策の場合も、「まずは現地を視察し、続いて地上から現地に到達するための道路補修を行い、それと並行してヘリ輸送も実施する」、といった具合に、ひとつひとつの「科目」は満点ではないにせよ、最低限、現在できることを行い、トータルとして大所を間違えないようにすることが大切だからです。

いや、もっといえば、理想論だけをああだ、こうだと唱えるのではなく、現実を見ながら、「すべての人を100%納得させる」ということが難しいなかで、全体の6割程度を満足させるような政策を続けていくのが、政治としては正しい在り方なのかもしれません。

いずれにせよ、個人的に岸田首相が政治家として「合格点」なのかに関しては、100%そうだ、と言い切る自信はありませんが、少なくとも今回の地震の対応については文句なしに合格点ではないか、などと思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (51)

  • 政治家は、全科目満点でなくてもよいが、一科目でも零点があったら落第ではないでしょうか。もっとも、その科目をどう分けるか、その採点を誰がするのか、が問題ではないでしょうか。
    (自身が責任をもって、その問題を他に丸投げするのもありかもしれません)
    蛇足ですが、岸田総理が岸田派解消を検討しているとのことですが、岸田総理は(理屈では)岸田派とは関係ありません。その岸田総理が、関係のない岸田派を解消できるのでしょうか。現岸田派幹部(?)は解消に納得しているのでしょうか。

  • >ただ、それ以上に「百点満点の政治家」を求める人たちに申し上げたいことがあるとすれば、「そんな政治家はいません」、ということです。
    全く以てその通りだと思います。
    そして、岸田政権に対して妙に厳しい人達は、合格点が非現実的なレベルで高かったり。それで、合格点に達していないから落第だとか言っていると思います。
    個別に詳細に説明すると長くなるので割愛しますが。

    >X(旧ツイッター)やヤフコメなどでは、岸田首相や自民党に対する批判の書き込みも数多いのですが
    こういう書き方は、マスコミによる「ネットのフェイクニュース」という、フェイクニュースがネット上にしか無いことにしようとする意図と同じものを感じます。
    名指しはしませんが、テーマによってはこちらのブログでも同様と判断する主張や書き込みを見掛けているからです。

    >全体の6割程度を満足させるような政策を続けていくのが、政治としては正しい在り方なのかもしれません。
    最大多数の最大幸福を求めるという点で、これは正しい認識だと思います。
    これは、以前にもコメントしたと思う例えですが。では、それをサービスに置き換えるとどのようなものになるかという話です。
    それは「多くの人が手を出せる価格で」「多くの人がそれなりに満足出来る味で」「多くの人が食べたい料理のレパートリーを揃えた」チェーン店の定食屋や大衆居酒屋のようなものになるイメージです。
    こういうところに対して「私が考えた最高のサービスを提供しろ」というのは、自分の都合しか見ていない要求だと思います。

    大衆居酒屋でワインを出されて「このワインは出来損ないだ。飲めないよ」とか、バイトが切った刺身を見て「女将を呼べ」とか言ったところで、「お客さん。あんた、来る店間違えているよ」としか言えません。そこまでは言わなくても、他には高級な食材や料理のレパートリーを増やせとか安くしろとか。
    政府に対してやたらと攻撃的に文句を言う人達というのは、この手の自己の理想としか比較出来ない、政治に対して過大なサービスを要求をするお客みたいなものだと思います。

    • 追記。この最大多数の最大幸福を求める政治は、外食チェーン店に似ているという論では、同時にどうやっても、誰もが完全には満足しきれない。各人は多かれ少なかれ不満を抱え続けなければいけないという問題を内包しているとも言えます。
      あるメニューがある客には好みで満足出来るものであっても、別の客にとっては好みではない味付けだったりするように。

  •  政治家の評価を「満点主義」から脱却すべき、との新宿会計士さまのご主張に全面的に賛同致します。神さまでもない限り、満点なんか求める方がおかしい。
     但し、岸田政権の発足以来の諸政策を顧みるれば、合格点には到底達せず(とりわけ一人4万円の所得減税は最悪)、早期の退陣を求めます。根源的には、総理になってやりたいことが見えず、軸がない政治家だ、と思っています。
     そのうえで、昨日の「岸田派の解散を検討」発言を評価致します。安倍派(限定していいのか疑問ですが)の裏金疑惑に端を発した政治改革において、党内でも両論あるなか、いち早くより困難な方向へ一歩踏み出したことは素晴らしい。こんな決断が出来る政治家とは思っていなかった。麻生さんとの仲もこじれるだろうけど、ぜひ進めて欲しい。
     これを機に、岸田・菅の改革派と麻生・茂木の守旧派の争いになっていかないかな。
     

    • 合格とか不合格とかじゃなくて
      「相対評価」
      の世界ですよ、選挙は。

      競争原理と健全な淘汰は、必要だと思います。

      • 毎回の合格者数若しくは合格率の変動が小さい試験は、相対評価で採点されていると思われます。

      • CRUSHさま
         選挙が、相対評価であることは否定しませんが、それにしても岸田さんは総理の器ではない、anybody but Kishidaだ(岸田以外なら誰でもいい)と、思っていました。まだ総理総裁候補に名前は挙がっていなくても、自民党にはそれなりの人材がいるはずだと。
         政権を任せるとなると、自民党に代わり得る政党は現段階ではなく、そこが悩みの種ではあります。
         でも、今回の裏金問題の根本的な原因が派閥にあると思ってはいませんが(原因の一つだとは思っている)、両論相半ばするなかで、派閥解消に踏み出した岸田首相の決断には、若干見直したとの気持ちを、抱いております。

        • こういう例えを出すのもどうかと思いますが。
          自民党というボックスガチャの中で安倍晋三とか菅義秀といったネームバリューのある、SSRキャラ、SRキャラが出尽くした中で、岸田さんです。
          個人的には岸田さんをSRキャラくらいには評価していますが。あなたから見て、代えられるような、より優秀なSSRキャラって自民党残っていますか?

          自分には、自民党にはもう代えることの意味が無いRキャラやNキャラしか残っていないと思います。そして、岸田さんがSR~Rキャラだったとしても、日本を維持出来る程度には能力を発揮しているので、特に不満は無いです。
          民主党政権という、それまで当たり前だと思っていたレベルの仕事すら出来ない政治を見た後なので。
          あれでつくづく思いましたよ。第一次安倍政権後の福田元総理や麻生元総理のように、当時は総理としてSR、Rキャラレベルだと思っていた政治家ですら、実はかなり貴重な存在だったんだって。

          • 匿名さま
             匿名の方には原則返信しないのですが、気になったので申し上げます。
             よく地位が人を作ると言いますが、それなりのポジションにいて、それなりの責任を果たしていると、成長もしますし、周りから見ると、それなりの人に見えてきます。匿名さまは、岸田首相を総理になる前から、高く評価しておられましたか?
             用語の使い方から見て、匿名さまは比較的お若いのだろうと推測しますが、過去の総理総裁から見ると、岸田さんは私の評価では、かなりレベルの低いところに位置します(ご指摘の麻生さんや福田さんより下、安倍さんや小泉さんには遠く及ばない)。
             岸田さんの実績をそれなりに評価し(新宿会計士さんも同意見とお見受けしますが)支持するというのであれば、見解の相違というしかないのですが、代わりになるべき人がいないから(岸田支持ではないが)、変えられないという考えは、違うように思います。
             もっとも、政党レベルになると、私も、とても今の野党に政権を任せられないと考えてしまうので、同工異曲かもしれません。

          • 返信有り難うございます。

            自分は、岸田総理については総理就任頃はさして高くも低くも評価していませんでした。
            ただ、こちらのサイトではあれこれ言われているようですが、安倍政権時の外相としての仕事も問題無くこなしていたと考えていました。
            特に、対韓外交については。自分は複数のウォッチャーの集合知を見て判断する方針なのですが。韓国人の性格を分かった上で、外交上問題の無い手段で、綺麗に彼らを罠に嵌めつつ情報収集したと考えています。

            そして、総理就任後はあくまでも様子見という具合でした。このサイトでは、そういう態度でも、当時は岸田総理による工作員かみたいな。あらぬレッテル貼りをされ続けましたけどね。
            また、自分にとってはtakuさんが重要視している「総理になってやりたいこと」「軸」なんてものは単なるロマンでしかないと考え、評価ポイントではありません。
            そんなことより、日本を大過なく運営さえしてくれれば、充分だという考えです。

            というのもあって、総理の実績を考えれば、法原則に則って事務的に。ある意味ではパフォーマンスも無く合理的な政治を続けていると、就任当初から割と早い段階で評価しています。
            そういう、パフォーマンスに頼らない、無難に徹して面白みの無い政治を少しずつ評価してきたという具合です。
            また、風評には反して、就任の宣言通り安倍・菅路線は踏襲していると考えています。安倍元総理とは、問題の解き方が少し違って見えるというだけです。

            まとめると。
            岸田総理は、就任前からそこそこの評価はしていました。
            就任してからの割と早い時期から、代わりを託せる、岸田総理以上の器を持った後任はいないと考えていました。安倍さんが存命でも、順番から考えて次は安倍さんという流れはとても厳しい。
            そして、日本を大過なく運営して欲しいという、そこそこの期待には応え続けてくれていますし。評価もしています。それだけの真似を出来る人も貴重だと考えているので、今では就任当初よりも支持しています。
            なので、仮に代わりがいたとしても、今の自分は岸田総理を支持します。

            あと、全く関係無い話ですが。
            あらやだ。自分ってそんなに若く見えるのかしら?
            まあ確かに? 老けるの遅いみたいだし? 髪の毛ふさふさ遺伝子持ちだし? 健康診断では実年齢よりもかなり若い肉体年齢叩き出しているし。精神年齢も若い(ガキとも言う)けどさ~。
            とか、柄にもなく少し浮かれました(笑)。

          • 匿名さま
             きちんとしたご返信ありがとうございます。
             岸田政権のやってきたことを、匿名様なりに評価し、支持するということであれば、それは、私とは違いますが、ひとつの考えかと存じます。
             あと本件とは関係ありませんが、”匿名”には、何か拘りがおありになるのですか?HNを使っていただけると、知的好奇心を刺激できるやりとりが、なお一層楽しめると思うのですが。

          • 匿名についての話ですが。HN的には、ひょっとしたら自分の正体に気付いている人もいるかとも思います。
            我ながら、自己主張が激しいと思っているので。
            当時もHNを使うことを勧められたので、それで話がスムーズに進むならと考えて付けるようにしたんですよ。

            実際のところ、一時期は匿名ではなくHNを使っていたのですが、あらぬレッテル貼りをされ続けていました。
            やっていたことは、事実とは確認出来ない情報であることや、各事実との辻褄が合わないという、あくまでも論に対する指摘をしていただけです。「きちんとした」と書いて頂けてますが、当時もこういう書き方しています。

            しかしそれが、当時のこちらの人達が信じていた主張を真っ向から否定するものになったためか、反論ではなく誹謗中傷が返ってくるという具合でした。
            挙げ句は、HNを使えなくして言論封殺までされました。
            役に立つかどうかはともかく、これらについては、書き込み内容とそれが消される様子を動画で証拠を保存しているくらいです。それくらいに不信感は拭えません。

            今はまた、HNを使えるようにされているのかは、試していないので分かりません。
            ただ、HNを見ただけで、例え当たり障りの無いことを書いたとしても、何を言っているかではなく誰が言っているかで判断する人達が、絡んでくる懸念が消えていません。
            当時もそんな具合で、こちらが全くそんな意図していないことを悪意的に解釈し、その解釈前提で絡まれたので。本当に、何度説明しても話聞かないし。

            今回の記事では、珍しく気が向いたのであちこちでコメント書いていますが。
            頻度やメリットデメリット、リスクを考えると、HNをまた使おうという気にはなれません。
            本当に、先入観無く何を言っているかで話が通じそうだと感じられるようになれば、またHNを使うかも知れませんが。

  • *政権担当能力(実務経験)の無さ故に迷走した民主党
    *政権執行ではなく、政権交代がゴールだった民主党
    ・・・・・

    >資格商売では「試験に合格すること」はゴールなのではなく、スタートに過ぎないのです。

    その通りですね。
    私も、若かった?頃にいくつかの検定・資格を取得したんですけど、実務経験の伴わぬものは役立たずばかりですね。
    ただ、スタートラインに立つまでのプロセス(知識の取得・知見を広める)は、今後の「活かしよう」だと思っています。

    個人的な感想を述べれば、資格試験の場では最低点合格で十分です。
    実務の場で「指南書を存分に参照」し満点を目指す気概があれば・・。

    • >*政権執行ではなく、政権交代がゴールだった民主党
      私もその通りだと思います。
      同様に
      ・選挙では「当選すること」はゴールではなくスタートに過ぎないのです。
      ・受験では「合格すること」はゴールではなくスタートに過ぎないのです。
      などいろいろな場面で言えそうですね。
      でもゴールしたままの状態から進歩せずにそのまま通用してしまう場合も多いのだろうなあ。

  • 珍しくコーヒーブレイクみたいなエントリーですね。(笑)
    満点主義について2つ。

    1)政治家
    たしかコリン・ウィルソンが引用してたかと思うのですが、
    「偉人は、その人生の最高地点で評価される」
     (如何に善を為したか)
    「罪人は、その人生の最低地点で評価される」
     (どんな悪事をやらかしたか)

    現役政治家や政党を、犯罪者みたいに評価するのはナンセンス。
    潔癖なバカよりも、愛人が3人居てたとしてもマトモな人が、政治をやるべき。

    これまでの野党の問題点は「最高地点が低すぎること」に尽きますね。
    そこまで潔癖さは求めませんが、バカは困るのです。

    2)システム
    昔の大型2輪免許を思い出しました。
    教習所では取得できず試験場での実技試験のみが関門。

    僕は、何度も何度も不合格をくらって不満タラタラでした。
    試験は、スキルを問うというより、試験コースや車両への慣熟度での優劣で決まる側面が大きかったからです。

    「そこそこ操作できてたら、さっさと公道に送り出して実践経験すればエエじゃん。」
    「それで事故率が増加する訳なかろ」

    で、外圧で教習所で資格取得できるようになって事故率が増加したのか?
    してません。
    同じようなバカな規制として「2輪は高速道路で2人乗り禁止」てのもありました。

    「満点とるまで許さん!」
    てのは、不条理だし不経済だし不合理ですわ。

    ほどほどの政治家を選んで、競争と淘汰が作用する環境を維持管理すればよろしい。

    • ちょうど重い会議が終わってブレークしているところ。なので脱線します。
      私の場合、5回目でやっとこさ大型二輪の技能試験を合格したのですが、社会人だったこともあり、一回ごとの間が空いてしまい、最後までコースを覚えられず、合格したときもミスコースしてしまい余計に走ることになってしまいました。季節は一回転。一年かかりました。
      で、試験官のコメントは、「基本操作や安全走行はできているから、減点は少なくすんでいた。でもコースぐらいは覚えてこい。公道でも今の走りを忘れずに」みたいなことを話されてました。
      県警で開催している走行会で走り込んでいたのが良かったみたいです。
      お陰様で無事に生きてます。。

    • コーヒーブレイクに便乗します。

      自分は大型免許を買ったクチ(教習所にて取得)です。
      限定解除試験を見学し、その合格率の低さに断念しました。
      なので、限定解除組にはリスペクトしかありません。

      「フェラーリ?ランボ?そんなん、金で買えるわ」
      「俺たち、金で買えない合格率2%(注)の超難関資格だぜ」
      (注 80年代当時、愛知県ではそう言われていました)

      ちょっとカッコよかったです。

      • 転勤族様。

        高校1年の時、軽四輪の免許を取りました。昔は排気量360ccまでの免許が16才で取得できました。この免許が廃止になり、コレに付随する原付が自動二輪になりました。原付も運転出来ないワタシは、限定解除やでぇ、と自虐的に友だちに云っていました。

        • タナカコーヒーさま

          16歳で4輪OKとは素敵な時代だったんですね。
          更に自動二輪付と。
          16歳の自分が聞いたら「タイムマシンにおねがい」するところです。

        • タナカ珈琲さま

          そろそろ宅建の法定講習の案内が届いていませんか?
          なんとなく同期合格のような気がしましたので・・。

          使ってないんですけど捨てるには惜しいんですよね。

          • カズ様。

            ありがとうございます。

            2022年だったか、講習の連絡が来ました。以前は皆んなで集まって講習を受けてましたが、22年の講習はコロナ禍で、教材が自宅に送って来ました。自宅で勉強しなさい、という事でした。で、教材の中にテストがあり、解答して送り返しました。5問程だったと思います。がボロボロでした。教材を見ながら解答するのに、2問間違えでした~。でも、免許証は送られてキマシタ。メデタシ、メデタシでした。

            宅建は一生モンと思います。私は宅建業はしていませんし、コレからも予定は有りませんが、更新するのが正解と思います。

          • タナカ珈琲さま

            返信ありがとうございます。更新することに決めました。
            m(_ _)m

    • 僕も金で買いました。
      (京都で12回、府中で同じくらい不合格で、心が折れた)

      感想その1)
      絶対に不条理不経済。無意味。
      教習コースで40psと70psの差異なんか出ません。
      (そんなもん5000rpm以上回してから)
      どちらも燃料込み250kgほどあるし、
      「イジメ」
      としか思えませんでした。

      感想その2)
      役所がイジメしてるのは(納得できないけど)理解はするとしても、ワケワカランかったのは、
      「大型2輪免許の敷居を下げること」
      への最大の抵抗勢力は
      「実技試験クリヤで限定解除した先輩たち」
      だったこと。

      新宿さんとこの文脈で言うならば、限定解除してナナハンに乗れるのいうステイタスは
      「利権」
      みたいな麻薬だったのかと。

      つくづく、ああいうイヤな先輩たちのようには、なりたくないものだと思います。

      • CRUSHさま
        自分の場合、元々乗っているのは車重が半分しか無い250ccオフロード。なのでその辺りについてはやっぱり最初のうちは苦労しました。
        少しあてハンドルすることを覚えたら楽になりました。
        肝心の走り方はスラローム訓練の時と同様、ガンガンアクセル開けて攻めました。なので、その合格した時も、曲がるべき所をあっという間に通り過ぎてミスコース。という状態でしたが、ガッと加速してガッと減速して、という感じが良かったみたいでした。殆ど1速たまに2速までだったと思います。
        今こうして振り返ってみても、白バイ隊員先導のもと、というか食らいついてスラローム訓練していたのが実践的で良かったようです。
        ただ重心の高いオフ車なこともあり必死で追いかけているとグリップ限界を超えて何度もスリップダウンしたので、あぁロードバイクならなぁ。。と思いました。

  • リーダーには無謬性が求められます。集団が大きくなればなるほど判断ミスの影響も甚大となるため、その傾向は強くなるのが当たり前ですが、民主主義国の政治家は或る意味楽ちんです。判断ミスを犯したとしても、批判は受けつつもリカバリーのチャンスはあります。
    対して独裁制に近い権威主義国のリーダーは常に100点満点であることを要求されていて、たとえ95点であってもミスを認めることは自身の失脚どころか命までが危険となるので凄いストレスだろうと思います。それ故に内心誤りに気付いていたとしても容易には認めず、ミスを指摘して批判をする分子は抹殺せざるを得なくなります。
    日本の政治家は、特に野党議員は怪しげな発言や行動があってもマスコミから責任を徹底的に追及されることも少なくて、ぬるま湯に漬かっている感じです。少しは独裁者並みの緊張感を持って国民から託された使命を果たしてもらいたいのですが、他人の足を引っ張るだけやパフォーマンスだけとかが多いなー

    • 理想や理念が立派な社会主義系の政党は、政権を取ってそれを実現できる段階になると、必然的に理念や理想に同意しない人に対してもそれを強制する必要が出てきます。つまり、理想や理念が立派な左系の政党は、それを実現する段階になると、強権政治にならざるを得ないという事です。
      左系の人が政権を取る意欲に欠けるのは、政権運営が非常に難しくなるという事を感じているためではないでしょうか?
      政権政党の揚げ足取りをやっているほうが気楽で良いと思っているのでしょう。

  • 無謬性を求めるものの資格について、聖書にも書かれていますね。

    「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」

    • この話には、こんな事例も起こり得ると考えています。
      罪を犯した意識が無いが故に、女に石を投げる者もいるのではないかというね。
      心理学で言うダンニング・クルーガー効果のように。他者に無謬性を求める人ほど、自身は無謬の存在だということにして、己の罪に自覚が無いものです。残念ながら。

  • 今回の能登地震に対する岸田政権の対応について論評するのに、資格試験の話から説き起こす、この説得力ある発想は、どこから生まれるのか?
    先ず、これに感心しました。
    これを持って来て、岸田政権の対応が合格点と判定されれば、反論出来るものはなかなかいないと思います。
    が、もし仮に、反論するとすれば、どの点が合格点ではないか、とそのように判定する基準点を示さなければならないはずです。
    いずれにせよ、マスゴミ界の自分勝手な妄想に基づく批判に少しは対抗できそうです。

  • 自分の経験では、図表でいうと70点ぐらいが合格ラインのイメージです。50~60点くらいまではそれなりに勉強すれば到達するが、ボーダーラインの受験性にとっては、あと10点を上積みするのがとにかくキツい。もちろん、あっという間に超えていく人もいれば、箸にも棒にも掛からぬ人もいます。

    試験は、実務家のスタートラインに立つための手段に過ぎず、オリンピックやコンクールではないので、完璧を目指さない(すなわち、捨て問を見極める)という割り切りが必要です。中には、「合格歴」が目的になっている人もいますが、合格するための素養と努力を一概に否定するつもりはありません。

    なお、他人に満点を求めて、自分は0点というのは論外です。

    • > 他人に満点を求めて、自分は0点というのは論外です。

      他人に対しては満点でないことを腐せば、零点の人間でも『満点でない』ことをもって、対等の土俵に立っていることに出来ます。案外、騙されるひとが居るのでは....

  • おっしゃる主旨とは逆の感想なんですが、会計士の資格を維持するのは大変だということだと理解しました。
    さすがです。

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