見たところ、SNS上での反応は冷ややかです。一昨年から昨年にかけ、西村博之氏や浜田聡氏らが相次いで訪れた「辺野古の座り込み現場」で、今度は看板自体がなくなってしまったとの話題が出てきました。何者かに盗まれたのでしょうか。ただ、なにをどう取り繕ったところで、その看板がなくなった時点で、「その場にいなかった」ことは間違いなさそうです。
西村博之氏の笑顔が「物議」
沖縄県辺野古といえば、「不屈」、「新基地断念まで座り込み抗議」などの看板で知られています。
そして、この看板を巡っては、匿名掲示板『2ちゃんねる』の創設者などとして知られる西村博之さんが2022年10月3日付で現場を訪れ、ニコニコ笑いながら「座り込み抗議(をしている人)が誰もいなかった」などとする内容をツイッター(現X)に投稿したことで、ちょっとした「物議」を醸しました。
西村氏に続き浜田聡氏も!
「物議を醸した」、といっても、べつに賛否両論が巻き上がった、といった話ではありません。
あくまでも抗議活動家や彼らを応援する一部メディアが、この問題を「沖縄差別」などとすり替えて大騒ぎした、という方が実態に近いでしょう。
なにせ、西村氏以降も、たとえばNHK党の浜田聡・参議院議員が昨年1月3日に同じ場所に来た際も、やはりその場所に「誰もいなくて平和な感じ」だったというツイートを発しています。
偉そうに「毎日抗議している」とかいうわりには、実際、その場に誰もいなくて、日数もろくに変更されていなかったほどです。
「その場に誰もいなかった」のは、紛れもない事実でしょう。
座り込みの定義に合致していますか?
こうしたなか、この「例の看板」を巡っては、なにかと話題が尽きません。昨年1月末には実際、看板が「ゼロ日」にリセットされる、という「事件」も発生しています(『例の辺野古看板、何者かによって今度は「ゼロ日」に!』等参照)。
これもいわば、「座り込んでいると偉そうに称しているわりに、実際には誰もいないことが多い」という実態を、定期的に掘り下げるようなものでしょう。
一般に座り込みとは「その場に座って動かないこと」を意味し、とりわけ争議などでは「(目的を達するまで)ある場所に座り続けて気勢を上げること」をさします。したがって、「座り込み3011日」とは本来、「活動家らが(もちろん交代しながらも)3011日間、休まずその場に座り続けていること」を意味するはずです。
活動家側がなにをどう言おうが、西村氏や浜田氏がその場を訪れた際、「その看板の周りに誰もいなかった」ことは厳然たる事実ですし、ましてやゼロ日に「リセット」されたときには、そもそも誰もいなかったからこそ、そのような「イタズラ」をすることが可能だったわけです。
正直、「座り込みをしていませんでした」、「座り込みをしていない期間があったのでカウントをリセットします」、などと素直に認めるのだったら、話はまだわかります(もちろん、その場に座り込んだり、公道上を占拠したり、勝手にバラックや看板を設置したりすること自体が違法ではないか、という論点もあるのですが…)。
しかし、「座り込み」だ、「不屈」だなどと偉そうに宣言しておきながら、いざそれをやっていないということがバレた際、それを取り繕うかの発言が出てくること自体、なにかと理解に苦しむ行動です。
今度は看板自体がなくなる!
こうしたなかで、約1年ぶりにこの「看板」の話題が出て来たようです。
辺野古の座り込み看板、突然なくなる 抗議日数を記録 製作者の男性「心当たりある人は返して」
―――2024年01月10日 11:06付 琉球新報より
琉球新報が10日付で配信した記事によると、今度は新基地建設反対の座り込み抗議日数を記録した看板自体が「なくなっていることが9日までにわかった」のだそうです。
なんでも看板を制作した男性によると、看板自体はゲート前で抗議していた「市民」が4日午後の時点で存在を確認していたそうですが、「5日朝になくなっていた」、ということだそうです。
すなわち、記述自体は妙にややこしいのですが、「4日午後までは存在していたのを確認していたが、5日朝になくなっていたことが、9日までにわかり、それを琉球新報が10日に報じた」、ということでしょう。
記事に掲載されている写真から判断するに、なくなった看板は西村氏や浜田氏らが記念撮影をしたものとはべつの看板っぽいのですが、いずれにせよ、琉球新報はこの男性が次のように述べたと報じています。
「看板はこれまでのみんなの抗議が刻まれた大事なもの。心当たりのある方は、早く返してほしい」。
そもそも看板のようなものを道路上に放置するということ自体が道路法などの法令に違反しているのではないか、といった論点も重要です。
【参考】道路法第102条第1項
次の各号のいずれかに該当するときは、その違反行為をした者は、一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
一 第三十二条第一項又は第九十一条第二項において準用する第三十二条第一項の規定に違反して道路又は道路予定区域を占用したとき。<以下略>
SNS上では擁護意見よりも冷ややかな意見が目立つ
ただ、それ以上に、もしもそれがそんなに「大事なもの」なのだとしたら、それを誰も見ていない場所に長時間放置しているという点で、なくなったとしてもあまり同情できない気がします。
また、これに関してはX上で見る限り、活動家側を擁護する意見よりも、冷ややかに見る意見の方が多いように思えます(ただし、X上の反応は常々変動しますので、このあたりについて、現時点で評価を決めつけるべきではありませんが…)。
いずれにせよ、誰も座り込んでいないところを写真に撮られてSNSで拡散されたり、カウンターが勝手にリセットされたり、挙句の果てには看板自体がなくなったり、と、さんざんな状態ですが、SNSなどネットの発達で活動家らが冷ややかな反応を浴びる時代になるというのも、なかなかに興味深いことだと思う次第です。
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そもそも、こういう活動をする人間達の素性が分からない。地元の人間なのか、プロ「市民」なのか。抗議活動に参加すると、日当が出るという記事を見かけたこともある。何の為にやっているのか、何か良く分からない。
静岡の知事もそうだが、こんな活動をする人間達は、「全体適合」という思考が出来ないのか?いい大人になって。
基地に反対して誰が利益を得るか。
中国でしょう、バックにいるのは。
大多数の日本を支える多数は国民良識層には
日本のよりよき姿の「全体適合」で考えるので
その手の人たちの口先言葉を弄した喚き立て主張は
まったく不思議です。
ただ、
「日本社会」というもののよりよい姿を思うのではなく
ご自身の思い上がりの鬱憤のどぶサヨさんの
「オレサマを認めない日本社会なんて潰れてしまえ!」とか
民団新聞読めば容易に伝わってくる
「ふつうにまじめな日本人を押しのけて
自分たち!に住みよい国にしてやりたい」とかの
そうした よこしま な目的がある人達が
かといってそんなおかしなこと正直に言えるはずもなく
「市民があ」?とかアホくさい言いぐさで
みっともないデマのようなデモだとか
ゴネ得活動に走ってしまうのは哀れに感じます。
大切なのは、そうした そんなこんなの人たちに
「偉そうにしょもないわめきたてする前に まずは
己のみっともない生きザマをなんとかせい!」との
当たり前の指導を社会でしてあげることだと思います
たぶん近くの粗大ごみ置き場にある。
次の回収日までに見つけないと。もう海上投機済みかもしれないけれど。
素朴な感想ですけど、辺野古に看板ではなく、活動家がプラカードをぶら下げた人間看板にすれば、問題なかったのでは。邪魔になれば移動できますし、いなければ移動したとことで。
朝日新聞や琉球新報あたりが、辺野古の看板がなくなったことで、「日本国民の民意が低い」と書くのでしょうか。
毎度、ばかばかしいお話しを。
朝日新聞記者:「日本国民の民意の低さを批判する記事を書くために、自分で辺野古の看板を持ち去ろう」
まあ、沖縄のサンゴ事件もありますから。
いつも感じるのですが、この種の看板、プラカードなどの醜悪さ。実におどろおどろしい。
失礼ながら、看板周辺に集う方々の性根をご自身らの手で表現されているように見えるのです。
醜悪なものは処分されて当然に思いますが、その面倒をされた人、ご苦労さまでした。
同感です。彼らの
『怨念文字』字体のポスターも、
「アベ政治を許さない」?でも見られるように、
生きザマをよく現していると映ります。
何年か前まではそのポスターは
毎月3日には党員さんの家に掲げられてて、
不動産を買ったり借りたりする下見には
住み始めてからの近隣との無用の迷惑や
トラブル避けるため
掲げられるその日に行くのがよい(?)
という話を聞いたことがあります。
便利な目印だったのに、どうして
やめちゃったのでしょうね?
商品やサービスは景品表示法で虚偽表示・誇大表示が禁止されているが、報道や政治活動についてはどうなんでしょうか?
まあ、あの看板は、実態とは関係のない「精神的勝利のモニュメント」なのかもしれませんが。。
日本語の読めない方が焚き付けに使ったか
鉄くずとして売り飛ばしたんじゃないんですかねえ
これが、一番正解に近いかもしれないです。
活動家の皆様方は、看板が無くなった事よりも、世間の誰も気に留めず味方をしてくれていないという事を気にされた方がよろしいかと思います。民草の支持を受けていて政府や外国の横暴と戦っていたのであれば、今頃そこら中で怒りの声があがって、むしろ活動に勢いがつき、かえって好都合だったことでしょう。そういった自作自演すら手法としてありえるはずです。
まはなから世論など気にしておらず活動の効果も期待しておらず、自分たちの実績作りや上からの指示なだけというのならば話は別ですが。("上"っていうか"中(チュウ)"ですかね?)
むかし婆ちゃんが言ってたことがあります。
嘘をつくんじゃない、人を騙すんじゃない、人を威圧してお金を儲けるような人間になるんじゃない。
そういう人間は天国にも地獄にも行けないんだよ、と。
わたしが、じゃあどこに行くのかと尋ねると婆ちゃんは言いました。
中国。
お茶噴いて台無しだよ婆ちゃん……
齢65年となりますが全身全霊で此処まで笑えたのは貴殿のコメントが始めてで御座います。
うがった見方ですが、予算の都合かもしれませんね。
活動家さんたちは、年度予算に基づいて反日活動をしているのだとしたら、本国の国家予算逼迫をうけて、
「2024年度はサクラの動員予算ゼロ」
「ええーっ」
「どう説明すんだよ?」
「看板が盗まれたことにして、それを口実に動員をなし崩しで中止にしよう」
「それなっ!」
なーんて。
どうあっても活動はどうでも良さそうですね(笑)
しかし推論や冗談から評価しても仕方ないのですが、彼らを信用・支持できない最たる理由は、やはり地元の負担や正義といったものに興味がないというのが透けて見える所だと改めて感じます。
いっそのこと「誰もいなかった日 〇〇〇〇日」の看板を地権者に賃料を払って設置したらよくない?
そんなに大切なものだったら毎日家に持って帰るか、チェーンでつないでおけばいいんですよ。
警察に被害届を出すといってるが「そんなもん放置しとくのが悪い」と言われるのがオチ。
sqsq さま
>そんなに大切なものだったら
なくなったから 辺野古の看板が大切なものになったので、それまでは大切なものではなかったのではないでしょうか。
彼等の高等戦術です。
彼等が一番恐れるのは「忘れられる」事です。
この様に定期的に騒ぎを起こせばネットで非難される。
非難されると彼等は「我々は攻撃されてる。沖縄を守るんだ」と団結できる。
令和の山本氏が行っている「動く千羽ツル」と同じです。
自分たちだけの支援者に一番聞こえる事をしているだけです。
これって凄いよねえ。ここまでやるんだ。
普通の日本人さま
>彼等が一番恐れるのは「忘れられる」事です。
ということは、忘れられないために、本当に自分で辺野古の看板を持ち去った可能性が出てきたのではないでしょうか。