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政治家の実務能力の本質は「妥協で理念を実現させる」

政治家に最も必要なのは、実務能力です。これについては何度強調してもし過ぎではありません。自民党を良い政党に作り変えていくか、それとも新しい政党に「ためしに一度やらせてみる」のが良いか――。2009年には「一度やらせてみよう」と政権交代を成し遂げたところ、たった3年3ヵ月で日本がガタガタになったという苦い経験を、私たち日本国民は軽く見るべきではありません。ましてや、結党時点で党綱領を示せない政党は、極めて高い確率で失敗に終わることでしょう。

実務能力で読む政治家

政治家の4象限分類

当ウェブサイトで以前からしばしば言及してきた、そして今後も繰り返し言及するであろう論点のひとつは、「政治家として必要な資質は、志(こころざし)と実務能力である」、とするものです。

もちろん、政治家になるためには、志があるかどうか、実務能力があるかどうか、といった資質の問題以前に、いわゆる地盤、カバン、看板が必要だとされますが、政治家(たとえば国会議員)に選ばれた後で活躍できるかどうかは、政治家の資質によります。

当ウェブサイトが提唱する政治家の資質に関する考え方は、こうです。

「政治家としての志があるかどうか」という軸と、「政治家としての実務能力があるかどうか」という軸に分け、それと単純に「ある・なし」で分類すると、①志も実務能力もある、②志はあるが実務能力がない、③志はないが実務能力がある、④志も実務能力もない、という4類型に分けられます(図表1)。

図表1 政治家の資質に関する4分類
実務能力がある 実務能力がない
志がある ①志がある・実務能力がある ②志がある・実務能力がない
志がない ③志がない・実務能力がある ④志がない・実務能力がない

(【出所】著者作成)

とりわけ先月の『弁が立つ、しかし実務能力がない者ほど始末に負えない』でも詳しく触れたとおり、世の中の政治家(※選挙に出ている途中の人も含む)には、志と実務能力を両方兼ね備えている人は、決して多くありません(その稀有な例外といえば、故・安倍晋三総理大臣でしょう)。

①のような政治家は滅多に出現しない

①の象限に当てはまっている政治家は、まさに国の宝そのものでしょうし、私たち日本国民はこのような人物こそ政治家として見抜き、政治家としてのチャンスを与え、育て上げなければならないのです。日本国民が賢明で判断を間違えなければ、日本のすべての政治家が、いずれ①のような人たちに収斂していくはずです。

しかし、残念なことに、いくつかの理由により、日本では①のような政治家が育つとは限りません。

たとえばいつも当ウェブサイトで指摘している通り、日本では依然として、一部の新聞社、テレビ局などに代表される大手メディアの力が強く、正しいことを行っている政治家を排除しようとするバイアスもかかりがちです(インターネットの発達で、こうしたメディアの力はずいぶんと下がりましたが、まだまだ油断できません)。

ただ、「正しい政治家」の出現を阻む要因は、それだけではありません。日本のように「すでに発展し、完成している社会」の場合、どうしても既得権益を持つ勢力が多数出現しており、それらの既得権益の組織的な支援を受けた政治家も一定数は出現してしまうからです。

これについては、民主主義国の宿命のようなものでしょう。

そもそも論として、何も準備をせずに正論だけで既得権益を変えようとしても、世の中は簡単には動きません。中国のような強権主義的な独裁国家ならまだしも、日本のように日本は自由・民主主義国家で、かつ、議院内閣制を採用している国の場合は、行政のトップ(内閣総理大臣)の力は弱くなりがちです。

現実の政治は③と④で動いていかざるを得ない

だからこそ、「あまり志が高いとはいえないけれども、政治の現実を理解し、既得権益層との調整を進めながら、粛々と政策を実行していく能力がある」という、マトリックスでいうところの③の象限の政治家が幅を利かせるようになっていくのです。

この③の象限は、まさに「実務家型の政治家」そのものです。

また、④の象限、つまり「とくに志が高いわけでも、実務能力が高いわけでもない政治家」という人たちも、ずいぶんと多いのが実情でしょう。彼らの特徴は、「上から言われたことを粛々と実行する」という点にありますので、たとえば与党が数合わせで法案を採決しなければならないときに、④のような政治家も使い様では役立ちます。

すなわち、現実に日本で政治を動かしていけるとしたら、③と④の政治家の集合体である政党であり、それがまさに自由民主党なのでしょう。そして、この自由民主党に、高い志を持ったリーダーが出現すると、高い志と高い実務能力という、国に取って理想の状況が出現するかもしれません。

雇用分野で高い成果安倍・菅政権、FOIPは歴史に残る偉業

こうしたなか、このマトリックスを「肉付け」するために、「志」と「実務能力」の2つの軸で、安倍・菅両政権をざっと振り返っておきましょう。

2012年9月に安倍総理が当時野党だった自民党の総裁に返り咲いてからの9年間は、自民党が「デフレ脱却」「経済成長最優先」「日本の安全保障体制の再構築」という、ある意味では高い志を持つ政党に変化した幸運な時期だったのではないでしょうか。

実際、当ウェブサイトでは何度も指摘している通り、安倍総理やその後継者である菅義偉総理大臣の時代を通じ、経済でも安全保障でも、極めて大きな成果が出ています。

まずは雇用分野で見てみると、有効求人倍率と失業率が堅調です(図表2)。

図表2 完全失業率(反転表示)と有効求人倍率

(【出所】完全失業率は総務省統計局『労働力調査 長期時系列データ』、有効求人倍率は政府統計の総合窓口『一般職業紹介状況(職業安定業務統計)』データをもとに著者作成)

有効求人倍率は、リーマン・ショック直前の2008年3月以降、民主党政権時代を通じてずっと1倍を割り込み続けていましたが、第二次安倍政権発足後約10ヵ月目となる2013年10月に1倍を突破して以降、2014年5月を例外として、常に1倍以上となっています。

また、一般に3%を割り込めば完全雇用状態にあるとされる完全失業率については、2016年9月に3%を達成して以降、コロナ禍最中の2020年10月を例外として、常に3%以下で推移している状況にあります。早い話が、現在の日本では「働きたい人は、仕事さえ選ばなければ、誰でも働ける」のです。

安倍・菅政権時代の成果は、これだけではありません。外交・安全保障面でも、歴史に残る偉業が達成されています。

民主党政権時代に「史上最悪」とまでいわれた日米関係は安倍・菅政権時代を通じて好転しただけでなく、新たな次元に昇華しました。安倍総理が提唱し、菅総理が形にした「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想では、日米豪印4ヵ国、つまり「クアッド」と呼ばれる連携が実を結んだからです。

著者自身の私見ですが、安倍・菅政権がこのような成果を残したのは、やはり安倍総理の卓越した志の高さに加え、とくに菅総理(安倍政権時代は官房長官)を含めた、高い実務能力を持つ政治家が、要所要所で良い仕事をしたからでしょう。

安倍・菅政権でも増税や各種利権が!

ただし、安倍・菅政権にも、やはり至らない点は多々ありました。

たとえば財務省の力はまだまだ強く、アベノミクスは中途半端なものに終わりましたし、消費税・地方消費税の合計税率も2014年4月に5%から8%へ、2019年10月には8%からさらに10%に引き上げられました。現在の日本は増税を必要としていないにも関わらず、です。

これには安倍・菅両政権下で副総理兼財相を務めた麻生太郎総理大臣が、せっかく重要閣僚として入閣していながら、機動的な財政政策にブレーキをかけ続けた、という事情もあるのでしょう。もしも金融緩和と財政政策が両方発動されていたら、日本の経済成長率はさらに高いものになっていたはずです。

また、菅総理自身が高い実務能力を持つだけでなく、自民党・二階派や公明党などとの太いパイプも活用し、政権の安定化に大きな貢献をしていたことは間違いないにせよ、再生エネルギー利権やインバウンド利権など、「よからぬうわさ」も頻繁に耳にします。

なにより、安倍、菅両政権は9年近く続いたにも関わらず、結局、日本国憲法の改正は成し遂げられませんでした。多くの保守派がそれを望んだにもかかわらず、です。

したがって、憲法改正を渇望していた有権者の期待を、安倍・菅政権は、結果として裏切ったのです。

「高市総理」?過度な期待は禁物

この点、現在、保守派とされる人たちからの人望も厚く、人気が高い政治家の筆頭格といえば、高市早苗氏でしょう。

しかし、想像するに、もし「高市総理」が実現したとしても、そもそも派閥などの党内の基盤を持たない高市氏に政権の安定運営が可能なのかは疑問ですし、そうなると、高市氏が高い理想を掲げたところで、それらの理想を実現する前に政権が倒れてしまうという展開もあり得ます。ちょうど第一次安倍政権がそうだったように、です。

したがって、当ウェブサイトとしては、政治家の資質を決めるのは、第一義的にはやはり「高い実務能力」であり、「志が高いかどうか」は二の次とならざるを得ない、という判断を下してしまうのです。

いちおう誤解しないでいただきたいのですが、当ウェブサイトとしても、高い志を持った政治家が出現してほしいと考えていますし、そうした政治家を発見したとすれば、当ウェブサイトとしても全力で応援したいとも考えている次第です(といっても、読者の皆様に、「この人に投票しなさい」と強要することはしませんが…)。

ただ、現在のところ、こうした「志も高く、実務能力も兼ね備えた政治家」というのは、正直、あまり目にしないのです。

たとえば高市氏は岸田内閣に経済安保担当相として入閣していながら、批判をものともせずに靖国参拝を敢行するなど、なかなかに「信念のある人物」かもしれませんが(このあたりも保守層からの支持が厚い理由でしょう)、ただ、彼女が実務家として優秀な人物かどうかの判断は、現時点では留保せざるを得ません。

また、初代経済安保担当相として経済安保法制の成立に尽力した小林鷹之氏などは注目に値するかもしれません。財務省出身者にしては珍しく頭脳明晰で、経済安保の専門家でもありますが、その反面、小林氏はまだ40代と若く、所属も二階派という弱小派閥です。

なかなか都合の良い人材というものはいないのかもしれません。

現実を見ることの重要性

岸田再選シナリオが高そう

結局のところ、現実に来年9月の自民党総裁選に出馬し、当選する可能性が最も高いのは、「残念ながら(失礼!)」岸田文雄・現首相でしょう。個人的に岸田首相のことは嫌いだという人も多いかもしれませんが、「現実的には」岸田首相の続投が、現時点で判断する限り、最も可能性が高いのです。

その岸田政権は、対韓外交で致命的な譲歩を行ったこと、LGBT法という岩盤保守層を敵に回すかのような法制を強行採決したこと、隙あらば増税を画策しているフシがあることなど、正直、当ウェブサイトの読者層の方々からすれば、失望を禁じ得ないような政権であることは間違いありません。

ただ、それと同時にこれも普段から指摘している通り、自民党は「集団指導体制」に基づく派閥均衡型の政党でもあり、「岸田カラー」を全面的に出すことはできません。

先ほど、安倍総理ですら、アベノミクスの3本柱のひとつである「積極的な財政」を打ち出すことに失敗し、アベノミクスが中途半端なものに終わったとする話、菅総理をまつわる再生エネ、インバウンドなどの利権絡みのよからぬうわさの話を持ち出しましたが、岸田首相にも似たようなことがいえます。

財務省や韓国などへの配慮やLGBT法に見られるとおり、反社会的な動きが見られる反面、岸田政権下では原発の再稼働や新増設の方針が打ち出され、さらには安保関連3文書の制改定がなされるなど、安倍政権時代ですらできていなかったことが、あっさりと実現していたりもします。

また、憲法審査会も(あまり目立ちませんが)衆院では最近、常会の期間中は毎週のように開催されていますし、ガソリンに対する補助金や電気・ガス料金の激変緩和措置を継続するなど、(リフレ派にとって不満はあるにせよ)いちおうは経済対策も行っています。

加えて岸田首相自身がウクライナを訪問し、ウォロディミル・ゼレンシキー大統領もG7広島サミットにあわせて来日するなどしており、日宇首脳会談が複数回持たれ、日本としても地雷除去や発電機提供などのかたちで、地味ながらもウクライナに対し、重要な支援を行っています。

どんな政権にも良いところ、悪いところがある

つまり、どんな政権であっても、たいていの人にとって「100%支持」、「100%不支持」ということはあり得ません。現実の政治というものは妥協の連続だからです。

もちろん、政治家である以上、高い理想を掲げることは忘れてはなりません。

たとえば自民党の結党の理念は「憲法改正」にあるはずですから、「何が何でも憲法を改正する」という理想については常に掲げていただきたいところですし、それを以前からずっと掲げているはずなのに、いまだに憲法改正が実現していないのは、じつに情けない話です。

ただ、世の中のイシューは憲法だけではありません。

まずは国民生活を成り立たせること、持続的な経済成長を達成することに加え、国土の強靭化を通じて自然災害への備えを強化すること、そして日本を侵略しようとする危険な隣国などに対する抑止力を強化すること、米国、豪州、台湾、英国、欧州など、基本的価値を共有する諸国との連携を強化することも大事です。

安倍・菅政権は改憲を達成することはできませんでしたが、雇用の最大化と経済成長を伴った継続的インフレ、「価値観外交」を通じた国際社会に対する仲間づくりなどで顕著な成果をあげましたし、その基本方針は(怪しいながらも)岸田政権にも「一応」引き継がれています。

自民党を改善?それとも政権交代再び?

このように考えていくと、日本をさらに良い国にしていくために必要なことは、いったい何なのか、私たち有権者の側も考えていかねばなりません。これにはいくつかのアプローチがありますが、大きく分けて(1)自民党を改革していくか、(2)自民党以外の政党を育てるか、があるかもしれません。

このうち(1)は、「永遠の与党(?)」である自民党に、「①志も実務能力も高い」という政治家を増やしていくべく努力する、というものです。自民党はたしかに腐敗体質という問題を抱えているかもしれませんが、長年の与党経験もあってか、なんだかんだで実務能力は高い政党でもあります。

もしも有権者がその気になり、選挙のたびに自民党内の「ダメな政治家」の皆さんを落選させ、「見込みのある政治家」を当選させるなどして自民党の体質を変えていき、公明党なしでも政権が維持できるようになれば、今より少しだけ政治が良くなるかもしれません。

その一方で(2)のアプローチは、高い理想を掲げ、実務能力が高いような政策集団を見つけ、その政党に未来を託す、というものです。自民党はどうせダメだから、いちど下野させたうえで、愛国・保守的な政治家に「おためし」で理想的な政治を行ってもらいましょう、といった考え方がその根底にあるのかもしれません。

さて、「おためし政権交代」なら、その候補は、どこでしょうか。

現在、自民党に続く「最大野党」でもある立憲民主党でしょうか、それとも立憲民主党に代わって「最大野党」を目指すと宣言している日本維新の会でしょうか、あるいはそれ以外の「保守」を掲げる政党や新党などでしょうか。

2009年に「自民党にお灸を据えよう」、「民主党に一度やらせてみよう」で政権交代を実現させたところ、お灸を据えられたのは自民党ではなく、私たち日本国民自身だったという苦い記憶を忘れてしまったのであれば、民主党の後継政党たる立憲民主党もその候補のひとつになるかもしれません。

正直、何が理想かについては、当ウェブサイトごときが答えを提示すべき筋合いのものではありません。結局のところ、次回国政選挙でどの政党に政権を担ってもらうかについては、私たち有権者ひとりひとりが自分の頭で考えるべきことだからです。

新興政党が直面すべき「壁」

ただ、おこがましいようですが、当ウェブサイトなりにその「ヒント」となり得るものを申し添えておくならば、結局、ゼロから結党された政党が国会に議席を得、そこから政策を提言する立場になるためには、それなりの歳月がかかることを覚悟しなければならない、ということでもあります。

まず、衆参両院では選挙制度が異なります。

比較的、議席を得るうえでハードルが低いのは参議院ですが、それでも比例代表で1議席を得るためには、全国でだいたい100万票以上を獲得する必要があります。もしもSNSなどで300万人の支持者を集めていれば、比例代表で2~3議席は獲得できるかもしれません。

次にハードルが低いのは衆院の比例代表ですが、全国11に分けられたブロックごとに議席が配分されるため、全国で満遍なく議席を獲得するのは難しく、1ブロックあたり最低20~30万票程度を固めなければなりません。

最悪の場合、全国の比例で100万票以上を獲得しながら比例で1議席も当選しなかった社民党(前回・2021年の衆院選の事例)のように、各ブロックで票を獲得しても、議席にはつながらないという可能性だってあるでしょう。

さらにハードルが高いのは参議院の中選挙区(たとえば東京や大阪のように複数の当選者がでる選挙区)で、ハードルが最も高いのは衆院の全国289の小選挙区、参院の全国32の1人区です。これらの小選挙区・1人区で、新興政党が議席を獲得するのは至難の業でしょう。

では運良く議席を獲得したら、どうなるでしょうか。

少なくとも1議席以上を獲得したら、その政党は晴れて「国政政党」です。しかし、そもそも論として、議席を1つや2つ獲得しただけでは、ろくに政治活動すらできないことが一般的です。たいていの場合、泡沫政党の議員は、有権者の目から見て、「いったい何をやっているのかよくわからない」という状況に陥りがちです。

もちろん、「NHKから国民を守る党」の浜田聡・参議院議員のように、鋭い視点から国会質問を投げかけるなどの個性的な活動で知られる国会議員もいないわけではないのですが、たいていの場合は国会で埋もれてしまい、ろくに活動もできずに終わってしまうのが関の山でしょう。

結論的にいえば壁が多すぎる

それに、「政党要件」を満たすためには、たとえば政党助成法などいくつかの法律で、「国会議員が5人以上」か、「所属議員が1人以上、過去1回の衆議院議員総選挙または過去2回の参議院議員通常選挙で有効投票総数の2%以上を得たこと」などが必要とされています。

このあたり、国民民主党のように、少数政党であっても政党としての主張がしっかりとしていて、主張すべきをしっかり主張していれば、それなりの存在感を示せるかもしれませんが、それも結局はリーダーの個性や他党の勢力など、その時の政界の条件次第、といったところです。

また、政党要件(※法律により微妙に異なります異なります)を満たしたところで、保有議席が5議席程度だと、残念なことに、依然として「泡沫政党」の域を出ることは難しいでしょう。その典型例が、議員立法提出権にあります。

議員立法を単独で提出するためには、衆議院の場合は20人以上、参議院の場合は10人以上の賛同が必要です。ちなみにもしもその法案が予算を伴うものであれば、このハードルは衆議院で50人以上、参議院で20人以上に跳ね上がります(【出所】衆議院『議案の審査』)。

したがって、「国会でまず議席を獲得する」(=1議席の壁)、「政党要件の壁」(=2%の壁または5議席の壁)、「参院10議席の壁」、「衆院20議席の壁」、「参院20議席の壁」、「衆院50議席の壁」などを次々に突破しなければならないのです(図表3)。

図表3 新興政党が突破すべき「壁」
条件 備考
1議席の壁 衆参いずれかで1議席以上 まずは「国政政党」を名乗るために必要
2%の壁 衆参いずれかで得票率2%以上 政党交付金の交付要件のひとつ
5議席の壁 衆参いずれかで5議席以上 政党交付金の交付要件のひとつ
参院10議席の壁 参院で10議席以上 参院で予算を伴わない議員立法の提出権
衆院20議席の壁 衆院で20議席以上 衆院で予算を伴わない議員立法の提出権
参院20議席の壁 参院で20議席以上 参院で予算を伴う議員立法の提出権
衆院50議席の壁 衆院で50議席以上 衆院で予算を伴わない議員立法の提出権

(【出所】著者調べ)

出ては消え、出ては消えた泡沫政党

それでは、現実に新興政党が出現し、その政党がこれらの壁を破って生き延びる可能性は、どれだけあるのか――。

これまで選挙のたびに、多くの新興政党が出現しては消えていきました。たいていの場合は「1議席の壁」、「2%の壁」あたりを突破することができても、「5議席の壁」の突破には至らず、また、運よく「5議席の壁」を突破しても、そこから先は伸び悩むケースが多いようです。

多くのパターンは、自民党に吸収されるか、最大野党に吸収されるか、そのどちらかでしょう。

たとえば過去に自民党が連立を組んだ相手としては、新自由クラブ、新党さきがけ、自由党、保守党など、さまざまな例がありますが、これらについてはたいていの場合は自民党に吸収されたり、あるいは逆にその当時の最大野党(たとえば旧・民主党)に吸収されたりしています。

かつては自民党に対抗する最大野党だった日本社会党ですら、自民党と連立を組んで以降、党勢の退潮に歯止めがかからなくなり、最後は四分五裂し、当時の民主党に合流したり、「新社会党」なる政党を結党したり、社民党に名前を変えた本体も立憲民主党に分裂したりして、勢力を縮小し続けています。

自民党と連立を組んで生き延びている政党の例外といえば、公明党くらいなものでしょう。

いずれにせよ、当ウェブサイトとしては、「新しい政党を作って日本を良い方向に変えていく」という発想自体を否定するつもりはまったくありませんが、それとともに、「リアリスト」的な立場からすれば、その道は極めてハードルが高いものである、という点については指摘しておきたいと思います。

議論できない人は政治家に向いていない

都合が悪いとブロック

以上の議論をまとめましょう。

政治家には志もさることながら、高い実務能力が何よりも必要です。どんな崇高な理想を掲げたとしても、それらを現実の政策レベルに落とし込む過程で、とくに法律、経済、金融などに関する高度な専門能力は必須でしょう。

話はそれだけではありません。

法案を一本通すだけで、必ず現実の法制度との調整を行う場面が出てきますし、加えて複雑に絡み合い、対立する利害関係を考慮する交渉能力が必要です。場合によっては条約との整合性を図らねばならなくなり、そのためには外国政治家との交渉も必要となるかもしれません(とくに通商分野や金融分野はそうです)。

新興政党が掲げる政策――「憲法改正」でも「NHK廃止」でも「社会保険料引き下げ」でも何でも構いません――に関しては、それらの理念ももちろん大事ですが、それらを実現するまでの具体的なハードルも非常に重要なのです。

その意味では、評論家と政治家は、本来、似て非なる世界に生きています。

評論家ならば、X(旧ツイッター)などでも、自分にとって気に喰わない投稿があれば、そのような投稿を非表示(ミュート)処理することもできますし、その気になればブロックしてしまうことだって可能です。

現在のところ、少なくとも日本においては、国会議員や閣僚、公党の党首らが一般人をSNS上でブロックする行為は違法ではありません。そして、立憲民主党の某小西洋之・参議院議員のように、いとも簡単に一般ユーザーをブロックしてしまう御仁もいらっしゃいます。

しかし、政治家であれば、自身が提唱した政策により影響を受ける人が出て来ることもあるわけですから、可能な限り、ブロックをせず、そのような主張にも耳を傾ける義務があります。

『新党をつくる』と高らかに宣言したわりに、現時点で公表されているのは党名のみ。党綱領も公約も政策もほとんど具体的なものを出しておらず、それどころか立候補予定者すら明らかにされていない。ましてや、代表者は自分に議論を挑んて来た都合の悪いユーザーを、SNS上でブロックしてしまう」――。

もしそのような政党が存在したとしたら、誠に残念ながら、「志」云々以前の段階として、実務能力は著しく低いと判断せざるを得ないでしょう。現実の政治は、自分と対立する相手とも冷静に話をしながら、落としどころを探っていくプロセスが欠かせないからです。

評論家時代ならば、自分にとって気に入らない意見を出す人物をブロックしておけば済んだかもしれませんが、その人が政治家(あるいは政治結社の指導者)を目指すならば、その見どころのひとつは、「議論」と「妥協」がどこまでできるようになるか、にあると思われます。

妥協もできない、対立する相手を味方につけることもできないならば、先鋭化した集団と化してしまいますが、リスクはそれだけではありません。逆に対立集団に配慮すると、先鋭化してしまった自分たちの支持者自体を敵に回すことになりかねないのです。

先鋭化した集団が失望すれば、次により過激な主張の政党に向かうかもしれません。

その文脈で、「政策を見てから判断すればよい」、「政策が公表されていない現時点でその政党を議論しても意味はない」、などと騙る人もいますが、こうした意見は完全な間違いです。

通常であれば、まずは理念と、少なくとも経済政策(たとえば増税するのか、減税するのか、など)、外交・安全保障(とくに日中関係や日米関係)などに関する基本的なガイドラインくらいは示しておくべきでしょう。

それすら示さなければ、支持者にとっては「期待先行でその政党を支持してみたけれども、政策の中身を見て失望する」、というパターンも生じ得るからです(あるいはそれすら生じないくらいの薄っぺらい政策に留まるのかもしれませんが…)。

その意味で、「党名だけ先に公表してしまい、党綱領の公表を後回しにしてしまう」という政党が仮に存在したとしたら、その時点で、かなりの悪手であり、実務能力のなさは明白なのです。

政治家の「ブロック」を非合法化せよ!

なお、「政治家によるブロック」に関連し、最後にちょっとだけ余談です。

今後は政治家が一般ユーザーをブロックすること自体が民主主義のルールに背く行為であるとみなされる可能性が出てきたことについても指摘しておきましょう。

カナダのメディア『ナショナル・ポスト』は先月12日、カナダの『レベル・ニューズ』社の創業者であるエズラ・レバント氏が「ツイッター(現・X)」上でブロックされたとしてスティーブン・ギルボー現環境相を訴えていた件で、ブロックを解除したうえで賠償金を支払う和解が成立したと報じています。

Guilbeault ordered by court to stop blocking Rebel News founder after settlement

―――2023/09/12付 NATIONAL POSTより

この和解文のなかで、レバント氏はギルボー氏やその事務所スタッフらに対し、国会議員としての任期中はX上でブロックしないことを求め、ギルボー氏がこれを受け入れたのだそうですが、この和解は民主主義国における政治家のSNSの在り方に一石を投じるものとなり得ます。

冷静に考えてみたら、国政に大きな影響を与え得る、そして私たち有権者の納めた血税を歳費として受け取っている、国会議員のような立場にある人物が、私たち一般人をブロックすることは、やはりおかしな話です。

日本でも、少なくとも国会議員、都道府県知事・都道府県議会議員、市区町村長・市区町村議会議員、裁判官、国政政党の党首などのアカウントは、SNSでの一般人に対するブロックを違法化する、というのはひとつのアイデアでしょう(政党や官庁、裁判所などの公式アカウントも同様の扱いとすべきです)。

要するに、政治家になる以上、自分にとって都合が良い意見だけを聞き入れるのではなく、都合が悪い意見についても耳を傾けなければならないのです。都合が良い意見しか聞かないのだとしたら、もはやウラジミル・プーチン、習近平(きん・しょうおん)、そして金正恩(しゅう・きんぺい)ら専制国家の独裁者とまったく同じです。

そして、異なる意見に耳を傾けることができないならば、民主主義国において国会議員になるな、公党の党首になるな、ということではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

新宿会計士:

View Comments (24)

  • 独裁者のふりがなが逆になってますね。
    人間性という意味では本質は変わりませんが。

  • >裁判官

    ブロックするしない以前に、裁判官が公のSNSをやる事には違和感があります。同じく検事も。これらの職は、法に則って中立であるべきだから。

  • 人というには、政治家に(自分にはできない)高い志と高い実務能力を求めるものであり、もしあっても、更に高いものを求めるのではないでしょうか。

  • いつもながら論理立てて納得の記事を
    ありがとうございます。

    政治家の資質分類で、
    リーダーばかりいてもまとまらないので
    志も能力もない④の人たちもいても
    良いと思います。
    ただ、社会においても、
    能力・志なくてもふつうにまじめに
    生きていればいいのですが、
    なかにはグレたりチンピラに墜ちる
    ものも居てしまうのが世の中です。
    政治家でいうと…と思いめぐらしたら、
    記事タイトル一覧のところに
    お顔がありました。(^^)
    THE小西議員さん(以下略称ザコニシ)は
    あれ以来食器棚の隅で息を潜めて
    おみえのようです。

    ただ、私は、人も政党もそのありように
    正直であるべきで、そうした支持者が
    いる以上、今の泉代表では意味不明です。

    そうした観点で、
    〜党風と支持者の生きざまを体現した〜
    #ザコニシ立憲民主党党首実現を応援します
                (^^)/

  •  志を達したい故に最適な妥協を探り確実に前進していく、というのが理想ですが、志が高いほど妥協しにくく、妥協を見せると志を疑われる、というジレンマはありそうです。この場合、理想的なほど華は無いでしょうし。口先の詐欺師のほうが華々しく映りますから。
     重要なのはやはり、正確な情報と、"国民側の"高い判断力になると思います。

    • 当時の鳩山由紀夫(民主党)党首のことを考えると、自分の聞きたいことを言ってくれる政治家が、高い志を持っているか、高い実務能力を持っているかを判断するのは難しく、自分が信じたくない正確な情報を受け入れるのも難しいのではないでしょうか。

  •  私は、岸田内閣を支持出来ず、来るべき総選挙では、自民党には投票しません。
     そう決意した直接の契機は①レーダー照射事件の棚上げ②日韓金融スワップの締結ですが、より本質的なところで、”首相のやりたいこと”が見えない、ことにあります。高度成長時代ならともかく現在の状況で、このような良く言えば”現実主義”、悪く言えば”情勢押し流され主義”のトップを頂くことは、不幸以外の何ものでもない、と考えるからです。
     そのためには何をするべきか、本当に立民が政権を奪回しそうなら、それでもよりましな政権ということで、自民党に投票することも、”あり”でしょう。そのリスクがほとんどないのであれば、「自民党内の政権交代」に期待して、自民党に投票してはならない、と考えるものです。
     年末か年明けに予想される総選挙で、自民党を惨敗(ギリギリ過半数程度)に追い込み、来年秋の総裁選挙での岸田再選は阻止すべき、と考えております(現状では、再選の可能性がそこそこ高いことは確か)。そうなっても、国民民主もいれば、維新もいますから、政権運営に大きな支障(米国のような)は出ない、と考えております。

    • 私の地元選挙区では、前回2021年総選挙で立候補したのは、自民、共産、維新の3人でした。共産に入れるような真似はしませんし、維新もイマイチ信用ならんと思っているので、ほぼ自動的に自民に投票せざるを得ません。次回の総選挙も同じような組み合わせだったら、自民に投票するでしょうね、多分。まあ、比例選の方では他党に入れるかも。

      中選挙区制の頃であれば、仮に自民に入れるにしても、どの派閥所属かで色合いを変えられましたが、小選挙区制ではどうにもなりません。いくら現政権に不満があろうとも、腹立ちまぎれに泡沫政党に投票するくらいならば棄権しますよ。

      • 龍さま
        コメントありがとうございます。
        私の地元選挙区は、自民、立憲、維新、国民民主と勢揃いです。まだ決めていませんが、まだしも維新かな(イマイチ信用ならんは同感なんですが)。
        比例も悩ましいですね。百田新党には、政治とは別の理由で、百田氏を信用していないので、投票しませんが。

  • 論旨明快、ほぼ100%賛同なのですが、少し異論を。
    小川榮太郎さんの最近の論旨も、新宿会計士さんと同じような主張をされています。
    確かにそうなのですが、
    毎日これでもかと言うくらいにC国、K国からの誹謗中傷に接し、毎日仕事に追われ,
    とてもじゃないが時間をかけて反論など用意できない私にとっては、このブログでご意見を拝聴し、本当に僅かばかりの心の安寧を得ているのです。しかし、政治家や官僚やNHKなどは税金でその組織を維持している訳です。
    そうした組織、政治家は、国民のそうした感情に配慮してもっと行動してもらう事が出来るはずではないか。ただただ言われっぱなし、では忍耐ゲームではありませんか。
    そうした、国民の感情レベルの怒りに応える事のない政治とは、例え政治が権謀術数で運用されるもの、結果が良ければ我慢しなければ、であっても、納得出来るものではないのですが。
    一番危惧するのは、そうしたフラストレーションがいずれ、「耐えに耐えて」爆発し会計士さんが危惧される最悪の結果に至る引き金になることを心配します。
    やはりバランスの問題なのでしょうが、そうした意味での「駆け引き」「プロパガンダ」は少し左巻きのやり方を学んで反論して欲しいと思うのですが。

  • 岸田の「新しい資本主義」、恥ずかしくないのかね?
    これを言い出した時世界は注目したかもしれないが、中身を見て「な~んだ、どこが新しいんだ」
    小泉、安倍のやり方をみてスローガンが大切だと思ったのかもしれない。

    アメリカを旅行してレストランで他の客が:
    「トメィトゥ」 トマトが出てきた
    「ポテイトゥ」 ポテトが出てきた
    ああいうふうに言えば通じるんだな、よし。
    「タメィゴゥ」「タメィゴゥ」。。。あれ?卵出てこないな。 それ日本語だよ。

  • 先日読んだ本の中にこんなことが書いてありました。

    経済人ならば政治を理解しないでも成功できるが、政治家は絶対に経済がわかっていなければならない
    ーーー塩野七生「パクス・ロマーナ ローマ人の物語VI」(新潮社)p.78

    「絶対に」に力がこもってます。

  • 「高い志」という言い回しがいかにも抽象的過ぎて、なにを言わんとしているのか、なんとなくにしかわかりません。これを「高邁な理想と理念を持ち、その実現のための現実的な政策課題を明確に打ち出している人」と言い換えてみましょうか。実はこれでもまだ「高邁な」の部分に主観的な判断要素が大きく、厳密な定義とは言い難いのですが、とりあえず「金儲けのために政治家になった人」、「利権の確保や維持のために政治家になった人」や「なんとなくエラソーな肩書が欲しくて政治家になった人」を篩にかけることくらいはできるでしょう。ただし、人間はそう単純な生き物でもないので、上記に挙げたような低俗な主目的で政治家になった人が、同時に「高邁な理想」を持っていないと決めつけることはできません。例えば、少なくとも私から見れば、政党補助金を貰うために政党を立ち上げたのではないかと思しき某氏だって、何一つ理念らしきものを持ってないとは断定できません。少なくとも、政策らしきものをぶち上げ、議席を獲得できる程度には支持を集めたわけですから。

    さて、議会制民主主義においては、誰かまたは特定の政党の意思や意見が100%通る、通り続けるということは基本的にはありません。そんなことが罷り通るのであれば、それは独裁制と呼ばれるべきものであり、形式的にはどうあれ、議会が機能していないことに他なりません。従って、議会制民主主義における政治的リーダーは、多くの場合妥協を強いられることになります。ゆえに、「100%は実現できなかったけど、80%は実現できたから、まあいいか」とする姿勢が重要になります。その意味では、議会制民主主義において政治家にとって重要なのは「妥協の技術」であり、多くの人が「これなら仕方ないね」と思えるような結論を導けるような能力だということができるでしょう。少なくとも、「なんでも足して2で割る」というのは政治的妥協術でも何でもなく、全員に不満を残す単なる問題の先送りと言うべきです。

    と、ここまでは良いのですが、「妥協の技術」だけでは望ましい政治家とは必ずしも言えません。というのも、国会は法律を作る機関であって、執行機関ではありません。つまり、どれほど立派な法律を作っても、行政府がそれを執行しなければ、何一つ実現できないのです。そして、行政府、つまりは官僚機構もまた人間の集団であることを忘れてはいけません。「やれ」という命令一つで官僚機構がその通り動くわけではないのです。言い換えれば、政治家が「妥協の技術」を駆使して素晴らしい政策や法律を作ったとしても、官僚機構を動かすことができなければ、何一つ実現などしないのです。つまり、政治家の実務能力とは、ただ政策や法案を作るばかりではなく、どれだけ官僚機構を動かすことができるかが問われなければなりません。政治家の責任が常に結果によって問われる以上、結果を出すことのできない政治家は、無責任なヒョーロンカと何も変わるところはありません。

    ところで、官僚は自分の意思など一切持たず、与えられた命令を粛々と実行するだけのロボットであれば良い、むしろそうあるべきだと議論もあるかと思います。その当否は議論の余地が十分あると思いますが、現実の官僚機構はけしてそうではありませんし、人間の集まりである以上、今後ともそうはならないでしょう。ならば、政治家はその現実の官僚機構を動かし、政策や法律を実現することが求められます。それができて、初めて実務能力があると認定できるのではないでしょうか。

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