本稿では、某新党(仮)を巡る、例の「支離滅裂なコメント主」に関する騒動を、簡単に振り返っておきたいと思います。該当する新党については、X(旧ツイッター)に開設したアカウントに短期間で20万人近いフォロワーを集めるなどの「ポジティブな材料」もあるにせよ、正直、現時点では「期待できる」とも「期待できない」とも断定が難しいところです。それより問題なのは、このコメント主の議論と呼べない姿勢でしょう。このコメント主自身が一種の風評加害者となっているようなものだからです。
目次
政党批評の自由
日本は自由・民主主義国
※本稿では前半と後半で少し議論の内容が変わりますので、ご注意ください。
日本は思想、信条の自由が保障されている国です。政治的主張についても全く同様であり、極端な話、よっぽど反社会的な政党・政治家などでないかぎり、どんな政党や政治家を支持するのも(あるいは「支持しない」のも)、その人の自由です。
それに、そもそも国会議員などの政治家は相応の権力を持っていて、私たち国民の将来を託すべき相手でもあるため、その政治家や政党に対する批評の自由は最大限尊重されるべきですし、極端な話、人格の批判も自由であるべきでしょう。
これが、一般人と政治家の最大の違いです。
もちろん、批評にあたって最低限の礼儀は必要ですし、それが批判の範囲に収まるようにしなければならないことはいうまでもありませんが(たとえばその政治家に危害を加えるかのようなコメントは、批評ではなく犯罪予告に該当する可能性があります)、こうした点に気を付けていれば、批評の自由は最大限認められます。
なお、当たり前の話ですが、こうした「批判の自由」は、財務省を筆頭とする中央省庁、あるいは財務官僚や裁判官など、「事実上の権力を持っている組織や人物」に対しても、当然に認められます。財務省の増税原理主義を徹底的に批判するのも自由です。
これが、自由・民主主義国における基本的な原理です。
自由主義と民主主義はセットで機能する
というよりも、自由主義と民主主義はセットで機能する考え方です。民主主義国とは、国の方向性は国民の代表者が決めるという仕組みを採用する国のことであり、自由主義国においては、国民の代表者を選ぶために、その代表者になろうとする者たちに対する批判の自由が保障されるのです。
冒頭に述べた、「どんな政治家・政党を支持する/しないもその人の自由」、という原理は、自由・民主主義国においては当たり前すぎる発想です。
もちろん、世界にはこれが認められない国もあります。
国王が実質的な独裁者として権力を握っているサウジアラビアのように、あからさまに民主主義的な制度を採用していない国もあれば、民主主義の体裁を取りながら事実上の一党独裁国家であるシンガポール、さらに民主制度は西側のものと似ても似つかない中国、北朝鮮のような国もあります。
報道の自由度を下げているのはメディア自身
実際のところ、米国の非政府組織「フリーダムハウス」が実施した調査によれば、日本は100点満点中96点で、G7諸国のなかではカナダに次いで高い自由度を誇っている(『なぜか日本のメディアが頑なに報じない「自由な日本」』)ことからもわかるとおり、日本は世界のなかでもとくに自由度が高い社会なのです。
2023年におけるフリーダムハウスの自由度調査が公表されました。日本は100点満点中96点という高い点数を獲得し、世界11位と上位にランクインしています。これはG7諸国、G20諸国と比べても、カナダに次いで2番目に高い地位であり、それだけ日本社会が自由で透明である証拠でもあります。ただ、ここで不可思議な点があるとしたら、大手メディアがこのフリーダムハウスの自由度をほとんど報じている形跡がないことです。フリーダムハウスvsRSFフリーダムハウスの調査結果先週の『日本の「自由度」かなり上位に=フリーダムハウ... なぜか日本のメディアが頑なに報じない「自由な日本」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
※どうでも良い余談ですが、このフリーダムハウスの調査と、「国境なき記者団」による「報道の自由度調査」の乖離は極めて大きく、しかも日本のメディアはこれを頑なに報じようとしない(『「報道の自由度はG7最低」に一般人のツッコミが多数』等参照)のは、不思議というほかありません。
いずれにせよ、私たち日本人は、世界でも最も自由度が高い日本社会を大切にしていくべきであり、この社会を自分たちで壊さないよう、インターネット言論空間を自制しながら運営していくようにしたいものです(言論の自由に脅威を与えているのは、どちらかといえばマスメディアといえるのかもしれませんね)。
報道の自由度を引き下げているのはメディア自身では?
―――2022/05/06 10:00付 当ウェブサイトより
日本の言論の自由度を引き下げているのはメディア自身だった――。「国境なき記者団」が公表したランキングによると、今年の日本の報道の自由度は昨年からさらに下がって71位だったそうです。ただ、その原文を読むと、どうもこれは日本政府の問題というよりも、明らかに日本のメディアの問題ではないかと思えてならないのです。RSFの昨年の「報道の自由度ランキング」当ウェブサイトで「定点観測」的に取り上げている話題のひとつが、フランスに本部を置く団体「国境なき記者団」(reporters sans frontières)が公表する「報道の自由... 報道の自由度を引き下げているのはメディア自身では? - 新宿会計士の政治経済評論 |
政治家の4類型
さて、言論が自由であることはわかるのですが、その自由を、私たち一般人はいったいどのように行使すれば良いのでしょうか。
これについては、当ウェブサイトのオリジナルの考え方で恐縮ですが、政治家の4類型というものが参考になるかもしれません。先般の『弁が立つ、しかし実務能力がない者ほど始末に負えない』でも提示したとおり、政治家というものを、「志の有無」、「実務能力の有無」という2つの軸から、4つの類型に分けるのです。
- ①志がある・実務能力がある
- ②志がある・実務能力がない
- ③志がない・実務能力がある
- ④志がない・実務能力がない
この「志の有無」の部分は、なかなかに難しいところです。その「良し悪し」の判定が一律に決められるものではないからです。
たとえば、憲法に関しても、「憲法第9条を絶対に変えてやる」という強い信念を持っている人は「志が高い」といえるかもしれませんが、同様に、「憲法第9条を絶対に守ってやる」という強い信念を持っている人も同様に、ある意味では「志は高い」のです。
早い話が、この「志が高いかどうか」は、その政治家が自分自身にとっての大切にする原理原則(プリンシプル)を持っているかどうか、という論点と、ほぼ同じようなものです。
逆にいえば、「憲法第9条については正直、どちらでも良い」、「それよりも自分自身が首相になって権力を握る(国会議員になって高給をもらう、閣僚になって名誉欲を満たす)ことが、自分自身の目的だ」、という人がいるとすれば、その人は「志が低い」と評価できるかもしれません。
そして、当ウェブサイトなりに世の中に対して少し苦言を呈しておくならば、この「志が高い/低い」はその政治家を見極めるうえで重要な要素ではあるものの「決定的な要素ではない」、という点を理解していない人が、一定数は存在しているようなのです。
①~④のどれが最も排除すべき類型か
じつは、政治家として重要な要素はもうひとつあり、それが「実務能力のあり、なし」です。
上記①~④の類型に関し、①のような政治家(名宰相である故・安倍晋三総理大臣のような政治家でしょうか?)は間違いなく日本国民が大事にすべき人物ですが、それと同時に、この類型の政治家は、それこそ「滅多に出現しない」人物です。
必然的に、世の中のほとんどの政治家は、上記②~④のどれかに当てはまるのですが、「よりマシな政治家」という意味では、間違いなく③の類型――、つまり志は高くないかもしれないけれども、実務能力が非常に高い政治家ではないかと思います。
実務能力が高い政治家が首相になれば、課題を次々と解決していくことができます。
たとえば、菅義偉総理大臣を巡っては、「志が高い政治家」なのか、「志が低い政治家」なのかについては諸説あるかもしれませんが、少なくとも実務能力が極めて高かったことは間違いなく、現にたった384日の在任期間で、岸田文雄・現首相よりも多くの仕事をしたことは間違いなさそうです。
たかが384日、されど384日。この384日には、日本の歴史を変えるほどのインパクトをもたらしました。今月4日で辞任(内閣総辞職)した菅義偉総理大臣の個人ブログサイトが更新されていたのですが、菅内閣の1年間の「功績」が24個ほど列挙されており、これが圧巻というほかありません。そんな有能な宰相を辞めさせた私たち日本国民に、反省点はないのでしょうか。東京オリパラを強行したスガは辞めろ!今年7~8月頃がピークでしたでしょうか、世間では、菅義偉内閣に対する批判が殺到し、各メディアの調査による内閣支持率も、昨年9... 菅義偉総理大臣の事績集:「日本を変えた384日間」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
これに対し、④に属する、志も低く、実務能力も低い人物の場合だと、首相などの複雑な判断を迫られる地位に就くのは困りものかもしれませんが、「一兵卒」としてくらいならばそこそこ使い物になることもあります(なかには「エッフェル塔おばさん」や「ブライダルおばさん」のような事例もあるかもしれませんが…)。
しかし、②に属する、志はやたらと高い(またはそう見せかける能力がやたらと高い)けれども実務能力が伴っていない政治家の場合は、正直、始末に負えません。
「自分には志がある」という妙な自信はあるものの、実務能力が伴っていないため、現実には風呂敷を広げるだけ広げて収拾がつかなくなることもあるからです。
実名を挙げるのは控えますが、2021年頃に「韓国に対し苦痛を与える」と宣言(『「自民党が韓国に金融制裁検討」:外為法改正の実現を』等参照)しておきながら、その後何の音沙汰もない政治家などは、その典型例でしょう。
この方もご自身が何を話したのか忘れてしまっているようですが、このインターネット時代において、賢明な有権者をいつまでも騙し続けることはできないものと信じたいところです。
(※もっとも、参議院議員にはほかにも「落選すべき人物」は何人かいるようであるため、場合によっては問題の人物も次回選挙で再選される可能性はありますが、それはそれで仕方がありません。)
主張するならご自身でどうぞ
強烈過ぎる読者コメント
さて、こうした議論について、先日の『続・「政治家の志と実務能力」論』でも取り上げたとおり、当ウェブサイトの記事になかなか強烈なコメントがつきました。
強烈というか、支離滅裂なコメントですが、要するにこの「弁は立つけれども実務能力を伴っていない政治家」が、最近話題の某保守作家による新党のことを意味していて、こうした記事を掲載した目的も、私怨からその作家先生が立ち上げる予定の新党を批判するものだ、とする「決めつけ」です。
元コメント自体が支離滅裂であるため、何が何やらよくわかりませんが、そのやり取りについては第三者でもトレースできるよう、下記記事のコメント欄にそのまま残していますので、ご興味があれば直接ご参照ください。
弁が立つ、しかし実務能力がない者ほど始末に負えない
―――2023/09/03 05:00付 当ウェブサイトより
思うに政治家に必要な素養は、「志(こころざし)」と「実務能力」です。安倍晋三総理大臣がこの双方を兼ね備えていたことはおそらく間違いないと思われますが、多くの政治家はそのいずれかを欠いています。こうしたなか、最も恐れるべきは、「志が高い(あるいはそう装っている)が実務能力はない」という者です。下手に便が立つので支持を集めるものの、能力は低いので、結局、保守勢力の分断を招くのが関の山だからです。政治家に必要な2つの素養政治家に必要な資質とは、いったい何か――。「政治家でも何でもない東京・山手線の駅... 弁が立つ、しかし実務能力がない者ほど始末に負えない - 新宿会計士の政治経済評論 |
(※なお、当ウェブサイトの記事は、情報源を明記していただければ、引用・転載はすべて自由ですので、どなたかが時系列にコメントをまとめてくださっても結構です。著者自身には、そんな気力はありませんが…。)
なぜか140文字云々を指摘すると怒るコメント主もいる
ちなみにその作家について、上記記事のなかで実名を挙げて批判したつもりはありません。
強いていえば、当ウェブサイトでは過去に、「自分は他人に『140文字で言いたいことは言い尽くせない』などと主張しながら、他人に対しては『140文字で説明して』と要求する自己矛盾」を指摘したことはありますが、それだけです。
現時点においてその政党がどういう理念を掲げ、どういう人材を集めるつもりなのかがよくわからないなかで、正直、「140文字騒動」以外にこれといって論じるべき内容は見当たりません。(どちらかといえばネガティブですが、)結論的にいえば、現時点ではその「政党」が良いとも悪いとも言えないのが実情でしょう。
余談ですが、この「140文字」の話題を持ち出すと、決まって「もうやめませんか?」、「しつこすぎます」、「いい加減やめたらいかがですか?」など、その話題をやめるようにしつこく要求してくるコメント主も、ほかに約1名いるようです。この「140文字騒動」を持ち出すと、なにか都合でも悪いのでしょうか?
いずれにせよ、もしもその政党が結党され、国政にも影響を与え得る立場になってくれば、そのときに論じれば良い話でしょう。当然、「140文字騒動」についても、必要があれば、何度でも取り上げ続けていくつもりです(取り上げる必要がなければ、取り上げるつもりはありません)。
議論以前の「日本語力の問題」?
さて、余談はともかくとして、例の支離滅裂なコメント主に話を戻しましょう。
このコメント主、相手が述べてもいないことを「こう言った!」、「こういう意味だ!」などと決めつけ、自分で勝手に「あなたはこう言っただろう」、「あなたのこの記述はこういう意味に違いない」、と勝手に議論を広げ、「あなたが自分でこう言ったことに反論してみろ」、などと挑発するのです。
正直、議論以前に日本語能力の問題ではないかと疑わしくなります。
ただ、このコメント主が某新党を支持しているらしいことは何となくわかるのですが(一連のコメントの中にそのような記述もありました)、ご自身が当ウェブサイトにコメントを残すことで、「その政党を支持している人はこんなに支離滅裂なんだよ」、と見せつける結果になってはいないでしょうか。
これも実名は伏せますが、現在国会に議席を持っている自称某保守政党の支持者と思しき人物とツイッター(現在の「X」)で対話したときと、議論のパターンがほとんどまったく同じなのです。いや、もっといえば、パターンとしては日本共産党の支持者ともソックリです。
逆にいえば、「この政党を支持しているのは、こういうレベルの人なんですよ」、ということを、自ら証明していることにつながりかねませんし、そのことは逆に同新党(仮)にとってはリスクではないでしょうか。
敢えて論評するなら「期待できる部分」もある(かも)
ちなみにこのコメント主からは、「同新党を論評する記事を書け」、といった趣旨の内容(だと思います)を要求されてしまったのですが、なぜ当ウェブサイトでそんな記事を書かなければならないのか、理解に苦しみます。
何を書くかは当ウェブサイト側の判断であり、同新党について何らかの論評をする必要性が生じたと判断すれば、そのような記事を書くかもしれませんし、そのような状況になければ、わざわざそのためにウェブサイトのメモリを使用する必要はない、というだけのことです。
というよりも、先ほども述べたとおり、現時点において、例の「140文字騒動」などを除けば、その「新党」を批判も評価もするだけの材料はほとんどありませんので、正直、論評が難しい状況であるといえます。
ただ、この支離滅裂なコメント主からの「難癖コメント」も、見方を変えれば、ちょっとした機会でもありますので、現時点で調べられる内容をもとに、敢えてウェブ評論的に同新党(仮)を少しだけ取り上げておきましょう。
まず、同新党(仮)を巡っては、このコメント主の主張を裏付けるような「期待できる材料」や「前向きな材料」もたしかにあります。
たとえば、同新党がX(旧ツイッター)に開設したアカウントは開設からたった1週間で17万人近いフォロワーを集めるなど、好調な滑り出しを見せており、それだけ期待している人が多いことを意味しています。
これに加えて同新党(仮)には著名な人たちも顧問として名を連ねるとする話題もあり、たとえば高名な数量政策学者が「財政政策顧問」に就任する、といった情報もあるのですが、その反面、この点についてはご本人が否定されたとの情報も飛び交うなど、まだ情報としてはよくわかりません。
その一方で、ネガティブな材料もあります。その典型例が、『(旧)真相深入り!虎ノ門ニュース』の出演者らから、これといった反応が出て来ていないことではないでしょうか。
著者自身も旧虎ノ門系の出演者が関わっているネット番組等を(全部ではないにせよ)いくつか視聴していますが、パッと見た限り、同新党について話題として取り上げている番組を見つけることはできませんでした(しらみつぶしに探せば見つかるのかもしれませんが…)。
強烈な自己矛盾も…何ならご自身でどうぞ
ちなみにこのコメント主は「まだ正式な党名も政策も発表されていない」としたうえで、「批判、誹謗中傷はそれから(※発表されてから)でも遅くあるまい」と自分で書いておきながら、別のコメントでは「わたしは未だ全貌が明らかにされていないが、●●新党を支持している」とも述べるなど、言動は矛盾だらけです。
このコメント主はまた、「●●新党(仮)に関する記事、楽しみにしているよ」、などと当ウェブサイトに書き捨てていったのですが、当ウェブサイトでは現状、これ以上深く議論するつもりはありません。いみじくもこのコメント主が述べている通り、現時点でその政党について深く議論するだけの材料はないからです。
ただ、この支離滅裂な匿名コメント主との対話を通じ、逆になぜその人物がその新党を強く推すのか、疑問を覚えたのもまた事実です。一連のコメントでは、その政党のどこがどう素晴らしいのか、あるいはなぜこの人物がその政党を支持しているのかについて、ほぼまったくと言って良いほど何も書かれていないからです。
このように考えると、なぜこの人物がここまでその政党を推しているのかについて、ご自身で文章にしたためてみられることを強くお勧めする次第です。文章化していくと、意外と自分のなかの思考をスッキリ整理することができる(かもしれない)からです。
ちなみに当ウェブサイトのポリシーとして、当ウェブサイトに掲載された内容については、基本的に引用元さえ明示していただければ、商業出版等でないかぎり、引用も転載も自由に行っていただくことが可能です(『引用・転載ポリシーおよび読者コメント要領』等参照)。
極端な話、当ウェブサイトの記事本文や読者コメント欄でかわされたさまざまなやり取りを再構成し、それを通じて、その「新党」がどんなにすばらしい政党であるかを議論していただく形式でも構わないと思います。
この点、XやフェイスブックなどのSNSであれば、基本的には無料で開設できますし、もっと自由に文章を書こうと思うのならば、アメーバブログ、はてなブログ、gooブログ、楽天ブログなど、無料で開設できるブログサイトも充実しています。
PCやネットのスキルがなくても気軽に使用できるものもあるでしょうから、これらのなかからお好きな手段を選択し、自分で思う存分に文章をしたため、それを公開なさってはいかがでしょうか。
当然、文章を公開するのであれば、当ウェブサイトの『読者雑談専用記事』あたりに、ご自身のブログの宣伝リンクを貼っていただいても構いません。もしも内容が面白ければそれなりの人が閲覧するでしょうし、説得力があれば、その政党に対する支持者が増えるなどの効果も得られるでしょう。
当ウェブサイトでさんざん、偉そうに(支離滅裂なりにも)さまざまなコメントを残したのですから、これに関して説明責任を果たすためには、そのくらいの努力をしても良いのではないでしょうか。
当ウェブサイトに言われても困ります
さて、「他ブログ」の話が出たついでに、上記コメント主とは無関係の、わりとどうでも良い注意喚起です。
つい最近、当ウェブサイトにこんな趣旨の「告発」がありました。
- とある政治系のブログで、著名なブロガーが作成したグラフが無断転載される事案が発生した
- 同ブログではしばしばニューズサイトの全文が無断転載されるなど、著作権を無視した構成が目立つ
- ついては『新宿会計士の政治経済評論』として、その旨注意喚起をしてほしい
…。
ちなみにこのコメントに記載されたURLのせいで、当該読者コメントは承認されずに弾かれたのですが、その理由について、約2年前の「騒動」を覚えていらっしゃる方ならばピンと来るかもしれません。
じつは該当するブログ、当ウェブサイトに頻繁に宣伝をしに来ていた人物のものだったのですが、「無断転載」、「著作権侵害」など、違法行為の可能性が極めて強いブログだったとして、当ウェブサイトの読者コメント欄が「大荒れ」になり、やむなく当該ブログの宣伝をやめていただいたという経緯があります。
ただ、この「告発」を受けて当該ブログをチェックしてみると、たしかにそのブログでは相変わらず著作権侵害がなされているようではあるのですが、だからといって、当ウエブサイトが何らかのアクションを講じるべきという話にはなりません。
べつに当ウェブサイトが著作権侵害を行っているわけでも、著作権侵害の被害を受けているわけでもないからです。
結局、インターネット言論空間は、ウェブサイトなり、ブログサイトなりの個々の運営者が基準を守り、適切に運営していけば良い話であり、上記ブログサイトが仮に「著作権侵害の常習犯」だったとしても、それはそのブログサイトの運営者が負うべきリスクです。
したがって、そんな「告発」を当ウェブサイトに展開していただいても、正直、アクションの講じようがありません。
大変申し訳ないのですが、「告発」をしていただく分には自由ですが、それは当ウェブサイトに対してなさっていただくのではなく、たとえば当該ブログ主やブログ運営事業者、あるいは著作権侵害の被害を受けていると思しき当該著名ブロガーの方などに、直接連絡していただきたいと思います。
当ウェブサイトはべつにインターネット上のパトロールサイトではありませんので、悪しからずご了承ください。
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また気に入らない意見を晒上げて身内でボコボコにしてんのか
こういう所がアカっぽくて嫌いなんだよねえ、ここ
ニュースへの書き込みと違って、
個人のブログなんだから、
当たり前かと。
アカっぽいというのであれば「気に入らない身内を」ボコボコにするべきです。
>アカっぽくて嫌いなんだよねえ、ここ
だったら見なければよろしいかと。それなのになぜ見るの?
嫌いなら来なければ良いだけの話では?
貴重なお時間を割いてまで来る上にコメントまで残すのは何故ですか?
気に入らない意見もなにも匿名でコメントをすると普通の人でも偏差値は10は下がりますので匿名(旅)の恥は書き捨てとばかり、無礼に絡む方が未熟者です。
さらに大学入学共通試験の国語では確実にアウトであろう読み込みをし、勝手な思い込みに基づいて、私は知っているのだハッハハと嘲笑しながら糾弾してくる変な方でしたので悪目立ちしたのでしょう。
大体、このサイトは云々というのも間違っていて変な防衛本能を持った働きアリは主に頼まれずとも勝手に暴れまわりますのでこのサイトはというのは不適当です。人間とはそんなものだと理解しましょう理想主義的な青臭いことを言わないで下さい。
だって、方向性が違うだけで同レベルなんだもの。
共通しているでしょ? 自分は絶対に正しいということになっているから、自分の何が問題でそれを招いたのかとは考えられない。相手の問題しか見えないところが。
だから、行き着く先はそれらと同じじゃない? その過程をたま~に定点観察するくらいには、サンプルとしてここを覗く価値があるとは思うけどね。
立てこもり犯が興奮して支離滅裂な事を言っていた場合に例えると。
そこから犯人を宥めて落ち着かせ、会話を出来る状況にして要求や主張を聞き出し、(飲むわけじゃない)説得し、互いの理解や納得という着地点を探すのがセオリー。
でもここは、犯人を煽って暴れさせるような真似するからね。着地点を探すどころか、現場や相手を燃やし尽くすことを論破だと考えている。
議論も、互いの理解という着地点を求めるという点で同じなんだけど。そんな意識や能力があったら、こういう真似してないでしょ。最低限、感情を排した事務的な回答ぐらいして。互いの理解なんて、最初から求める気が無いんだよ。
貴方が指向しているのは「議論」ではなく「協議」だと思います。例示の犯人を説得し実被害を一旦抑えることや、他者と仲良くするのには確かに協議による理解や妥結が必要です。
しかし議論は全く別です。相手の理解を得んがために自分の意見を妥協するのは議論ではありません。「犯人と議論」などしてはなりません。テロリストの要求に応ずる第一歩のようなものです。
ここで行われているのは、協議や布教などではなく、議論なのでは?議論に慣れていれば意見の差異如きでカッカしませんし、協議をしてやっているのにという意識が働いていれば、意見を譲らない態度を悪や非効率と捉えると思います。協議では意見の食い違いは優しく諭し、議論では意見の違いをぶつけるのです。
まず、こっちは例として立てこもり犯としか書いていないです。
犯人の姿はテロリスト、酔っ払い、借金苦の末の自殺志願者、お魚咥えたどら猫。色々なケースがあるでしょう。
それらの可能性も確認もせず、テロリストに絞った回答しかしないというのは、早合点というものでは?
それともあなた、そういう確認も区別もせず、一様に会話を拒否して燃やし尽くすのが正しいという価値観ですか?
こっちは、説得(要求は飲まない)と書いているのに、なんで譲歩などと、言ってもいないことに反論しているんですか?
テロリストの対応をするにしても、要求を聞いて、目的を理解した上で対策を打ちませんか?
こっちは、まず「相手の主張を理解し、正体を明らかにした上で、相応の対応をしましょう」しか言っていないんです。それを要求に応じる第一歩とは、発想が飛躍していませんか?
話が噛み合ってないと思います。
ちなみに、テロリストやどら猫は、相手の正体が判明した解した後は、それ以上のコミュニケーションが取れない相手という例で出しています。
(事情が合って私も匿名です)
横入失礼。
このブログは議論の場であって塩サバとかの勝手な妄想を罵詈雑言まくしたてる場じゃない。塩サバが最初から議論のルールを守っていない以上ブログ主とか他のコメント主がこの塩サバに配慮する謂れはない。
>話が噛み合ってないと思います。
つ鏡
もう一回農民氏の文章を百田回読んで出直すことをお勧めする
あわわしまった
誤 百田回
正 百回
横やりの匿名さん
塩鯖さんが議論のルールを守らなかったことなどは、同意しますよ。
勿論、妄想や暴言はダメですよね。
その上で。
>塩サバに配慮する謂れはない。
つまりは、立てこもり犯の例で言うなら、意味不明な要求を捲し立ててきたから、テロリスト認定して配慮せずに即射殺するのが正しい。
こういう感じの主張だと思いますが。認識合っていますか?
それならそれで、別にいいんですよ。それが、ここの共通的な価値観だというのなら、それをこれ以上、どうこう言うつもりも無いですし。
単に、やっぱり自分の価値観とは合わないなあと思うだけで。自分も、また極たまに生存確認する存在に戻るだけですから。
興奮した支離滅裂な立てこもり犯とテロリストに大差は無いように思えますが、さておいてそもそも私の想定もその立てこもり犯です。貴方が例示されたからです。
テロリストの例は回答を絞ったものなどではなく「犯人との要求に応じる愚かさ」の極端な例として挙げたものですが、分かりづらい文章でしたでしょうか。テロリストだろうが立てこもり犯だろうが万引き犯だろうが議論などしてはならず、隙を探る行為はやはり協議かあるいは懐柔かと思います。万引きをしてしまった可哀想な独居老人の事情を聞くのは"議論"ではないのではないでしょうか。
↑書いてて気づきましたが、これを新宿会計士様は解説の必要なしとして「日本語が不十分」と切り捨てたということですかね。私も匿名様を下に見る意図など微塵もありませんが、相手に訂正を向けるというのはやはり憚られはします。「わかっていないじゃないか」という意味ですから。
>「相手の主張を理解し、正体を明らかにした上で、相応の対応をしましょう」
はい、つまりそれは議論ではなく協議だ、というのが私の主張です。
>議論も、互いの理解という着地点を求めるという点で同じなんだけど
これに異を唱えるのが私の論旨です。
そして私も燃やし尽くすのが正しい価値観であるなどとは申し上げてはいないのですが……燃やされぬようにしっかり論理構築をするのが議論だとは思います。燃えぬよう互いに配慮をすべきなのは協議であり、実生活にはむしろこちらの方が大切です。このウェブサイトはどちらでしょう?という捉え方の差が大きいかと思います。
以前も"テロ"を引き合いに出したら「テロをしろなんて言っていない!」と噛み合わない反論が来たのだけど、これ例には使わないほうが良い何かがあるんですかね……
農民さん
>>「相手の主張を理解し、正体を明らかにした上で、相応の対応をしましょう」
>はい、つまりそれは議論ではなく協議だ、というのが私の主張です。
なるほど。では、自分の主張というのは、あなたの言う協議ということになるのでしょう。
そして、正体不明の立てこもり犯みたいなのは、まず協議を図るのが適切だというのが、自分の価値観であり主張です。
>燃えぬよう互いに配慮をすべきなのは協議であり、実生活にはむしろこちらの方が大切です。
これも、同意です。更に言うと、塩鯖さんは初手でそこの配慮が欠落していたと思います。
ただ、配慮が欠落していた相手だから、どんな真似を仕返ししてもいいってもんじゃない。というのが、自分の価値観です。
配慮が欠落している相手に対して、しばらくはコミュニケーションが取れるように、配慮をするというのが自分の価値観であり実生活の生き方でもあります。
事態が問答無用でエスカレートするし、最初からコミュニケーションの可能性を切り捨てるのも寂しいので、自分は実生活でもネットでも、そんな真似しないように心がけているつもりです。
だから、あくまでも、出方に応じて相応の対応をするだけです。
そして、こちらのやり方は問答無用で、相手の非があれば徹底的に仕返しをするように見えるので。
実生活とは乖離した基準で動いているように見えるし、故に自分の価値観とは合わないというだけです。
これには意見の相違があると思いますが、どれだけ言葉を交わそうと、これの他諸々で価値観が埋めようが無いものと思っているので、そろそろ失礼致します。
大まかな文章認識の齟齬は解消されて安堵しております。やはり価値観というところですね。私は議論は保証されるべき権利であると同時に、実際には苛烈で覚悟を要するものだと思っています。その方がより充実した内容になると思っています。しかし協議や日常会話には絶対にその基準は用いません。そんな度胸はありませんし。
私も相手に非があれば何を言っても良いとは思いませんが、こちらの風潮(?)は許容できるものです。このへんは不思議ですね。相手の品位が落ちれば自らを利することもありますし、テクニックとして見ている面が強く、議論内容には影響を与えないのかもしれません。
>つまりは、立てこもり犯の例で言うなら、意味不明な要求を捲し立ててきたから、テロリスト認定して配慮せずに即射殺するのが正しい。
>こういう感じの主張だと思いますが。認識合っていますか?
逆に立てこもり犯云々は意味不明なたとえだがテロリストと交渉しようとするやつはバカ。
本件はよくある口論や炎上騒動に見えても、何かと示唆に富んだ出来事であったように思います。立場による世界の見え方の違いや、その人が何を重視し行動しているか、よく「思考回路」と表現されますが、これを垣間見ました。
私はこのウェブサイトの「客観的観測可能事実を基にし、歯に衣着せぬ対等な議論行う」という姿勢を好んでお邪魔させていただいています。付け加えれば、ウェブ主が、事実について断定できるもの(~~なので投票をしましょう等)は指摘し、明確に「XX党に投票してください」といった方針は取らない点も。いつぞや「ウェブ主は責任を持って◯◯党を推すべきだ」などというコメントを見かけた気がしますが、それをやるようになったらむしろ信用するのをやめます。
しかし今回は、"政党支持方針を持ち短期間の過去の記事と絡めて考えたいち読者"と、"政党支持は不干渉とし個別で事実を述べる著者"とで齟齬が生じました。単純にウェブサイトはウェブ主のものであり、コメント欄は善意で他者を招いているだけのその庭、基準は主催者にあるものです。つまり大暴れした匿名改め鯖塩様のウェブサイトで新宿会計士様がコメントしていたのであれば、当然立場も逆でした。(この場合は推測を重視し、出ている事実だけで考えるなど不十分だ、といった事になるでしょうか。どちらが正しいという話ではありません。)
齟齬は逆に言えばただこれだけのことでしたが、そこに煽り文句が入ったことによって無駄に複雑化しました。延々と「事実はどの部分ですか?」と「どこが誹謗中傷だっていうんだ?」という問答になりました。
自分の庭で事実を曲げられた新宿会計士様の対応は当然といえます。鯖塩様の疑問に丁寧に答えれば問題は解決するかもしれませんが(むしろ私個人としてはもう少し対応してあげても良かった気もします。ただしこれは実は塩対応よりも相手を見下す行為でもあります。また駆け引きという面でもただ不利なだけのサービスです)、解決しないかもしれない上にその対応をする意味も義務も一切ありません。しかし鯖塩様は自分の姿勢を曲げずそのまま突き進みます。
こう書くと私が一方の肩をもつ、最近よく見る表現で言えば「新宿会計士の信者」のように見えるかもしれませんが、前述のようにもしここが塩鯖様のウェブサイトであれば逆になるだけのことです。(余談ながら、礼賛に近いコメントは見受けられるものの、正しいものを正しいと評せないのもまた不健全、逆張りに過ぎません。意見が異なった場合は「煽りなしで」真摯なコメントをつけるか、独自・公共的なプラットフォームで発信も可能です。)
※と、投稿前にリロードしたらまさにそんなコメントがついていますね。何も本質をついていませんし、なぜ嫌いなところを見ているのか理解に苦しみます。
そして、これも私の立場からの世界の見え方に過ぎません。
齟齬がものすごいので逆に興味を惹かれ、何やら訴訟問題までいけそうな雰囲気になってきたので調停者を気取るわけではありませんが何かとコメントをしてしまいましたが……結果として、応酬の末は、何も伝わっていないとても残念なものでした。
かといって、ネットの顔のない口論に横槍など、本来何の得も無い行為とわかっていながらしたのでこんなものかとも思います。得られたものは内容と別の所にありました。
ここにコメントする人の一部と、新聞に投稿を繰り返す人、それに有名人(?)、(自称)知識人の一部の行動パターンは、同じではないでしょうか。
「行動パターンは、同じではないでしょうか。」
何が「同じ」か分かりません。
引きこもり中年様が「同じ」と思われる具体例をお願いします。
上の本文によると、「自分で(「作家先生が立ち上げ予定の新党を批判するものだ」という)ストーリーを作り上げて、支離滅裂なコメントを繰り返す」とあります。
つまり、推しを批判する人の存在を叩くことで高揚感で舞い上がってしまう、ということです。(その推しが、人によっては、この新党なのかもしれないし、別の国かもしれません)
蛇足ですが、下手をすると、私も、このサイトを批判する人の存在を叩いて、高揚感を得ようとするかもしれません。
>X(旧ツイッター)に開設したアカウントに短期間で20万人近いフォロワーを集めるなどの「ポジティブな材料」
これって笑う所
それだけ百田信者の情弱が多いってこと
フォローしている人=信者
というのは、短絡過ぎやしませんか?
自分はどんな政党になるのか見極めようとフォローしてます。
そういった人も多いのかなと考えています。
百田尚樹の新政党が話題のようだが、発足してから活動状況をみてから評価すればよい。それだけ、日本国民は政治家に裏切られ、失望させられた。公明党の政教分離はあきらかに違反しているのに、自民党議員は自らの当選と党勢拡大に利用手を結んできた。公明党はバックボーンの創価学会しいては池田大作やら最高幹部のご意向で政策を実行してきた。存在が法令違反なら粛々と対処すればいい。
あるブログが自分が気に入らないこと(主観)を書いているからと言って、
「書くな!俺はこれだけ怒っているんだムキー!」
とネット上の言葉で表明したところで、相手の考えが変わるわけもなく。
これがネットではなくリアルであれば、胸ぐらを掴んで脅して自分の意思を強制するような行動に転化しているかも知れません。
いずれにせよ、自分の考えを故なく他人に強制して自由な言論を曲げようとする行為でしかないんですよね。
何か客観的に妥当な理由や根拠を示して、「・・・なので、新党のことを書くべきでない」とでも言えば、初めて議論が始まりうる(願いが叶うわけではない)と思いますが。激論を交わしたつもりかも知れませんが、議論のスタートラインにもついていません。
ブログ運営方針にも表れていますが、自由な言論もメインメッセージの一つとして発しているこちらのブログが、この手の主張を受けいれるわけがないですね。そういった主張に1mmでも配慮するならブログの信頼性に傷が付くと思います。
相変わらず「煽るな」のコメントを見かけますが、そういうレベルの問題ではないことを理解すべきでしょう。
冒頭の"(主観)"は、その後の「書くな!」以降が主観に基づく主張、という意味で書いています。"あるブログ"の記事のことではありません。
>相変わらず「煽るな」のコメント
主に煽った本人が「煽るな」と言っていたことを指しています。
まったく他意無しであることを補足しておきます。(笑)
我ら眺むるに"故"無くとも御当人におかれましては"故"有りと確信されておらるるが故の"自説"を"強制"と愚察いたしまする…
♪目が眩むほど何かを信じることは 時に自由を脅かす
俺に説教垂れるその前に 鏡を覗いたらどうだ
©️真島昌利
私自身は誰かに「○○するな」「○○すべき」という行為の要求をしていないことは強調しておきます。(笑)
以下、引用が多くなりますが、
>一連のコメントでは、その政党のどこがどう素晴らしいのか、あるいはなぜこの人物がその政党を支持して
いるのかについて、ほぼまったくと言って良いほど何も書かれていないからです。
>ご自身で文章にしたためてみられることを強くお勧めする次第です。文章化していくと、意外と自分のなかの
思考をスッキリ整理することができる(かもしれない)からです。
>XやフェイスブックなどのSNSであれば、基本的には無料で開設できますし、もっと自由に文章を書こうと
思うのならば、無料で開設できるブログサイトも充実しています。これらのなかからお好きな手段を選択し、
自分で思う存分に文章をしたため、それを公開なさってはいかがでしょうか。
>当然、文章を公開するのであれば、当ウェブサイトの『読者雑談専用記事』あたりに、ご自身のブログの宣伝
リンクを貼っていただいても構いません。
以上、本文の引用です。
ネットのブログサイトを熱心に見ることも無かったのですが、不思議とこのサイトは、今の所、継続して見るよ
うになりました。
このサイトは、ブログ主が、精力的に日に何本のも記事をアップし、テーマも幅が広いことが大前提としてあり、
また、読者コメント欄も面白いからだと思います。
それで、気が付いたのですが、コメントのタイプには幾つかの種類がある、ということです。
1. 自分の意見や考えをきちんと書いている。(意見の対象は様々でも、自分の意見である)
2. 自分に係わる経験や出来事を書いている。
3. 他の人のコメントに対する、自分の意見や感想を書いている。
4. 他の人のコメントから想起したり、派生したりすることを書いている。
5. 論考記事のコメント欄と、雑談欄を使い分けてコメント欄を利用している。
ここまでが、正当なコメント欄の使い方であると思われます。次に、コメント欄とは何をする所か分かっていないと思われるもの。
6. 言葉遣いが荒い、粗野で明らかに他人を見下していて、そもそも日本語の使い方を知っているのか?というレベルの言葉遣い。
7. 揶揄したり、突っ込むだけの内容。
こういう発言には、何故、そのような揶揄や突っ込みをするかという自分の論理的な説明が必要であることは、大人であれば常識であるはずだが、そんな記述は一切無し。
8. 単に、〇カ、〇ホ、とかという誹謗言葉やレッテル言葉を投げつけるだけのもの。(罵詈雑言もあり)
又、自分の意見を言っているように見えて、最後は、レッテル言葉を付け加えないと、自分の意見を表現しきれないもの。(これは、癖かも)
9.自分の勝手な思い込みによる見解を、上記の6~8を加えて、批難調の文章で書き投げて来るもの。
この場合は、大概何を言っているかが理解できない。論理ではなく、感情をぶつけるだけが目的のもの。
10.一番は、他人を批判することが、自分の意見の表明だと勘違いしているもの。
6~10、について共通することは、自分の意見・考えが全く書かれていないことです。
さらに、6~10、のようなことを書いてくる人に、それを指摘してもその意味が分からないことです。それは、
多分、自分で考えるということをしたことがないので、自分の意見を持つとはどういうことかが分からない人ではないかと思われます。
更に、自分の独自の意見や考えとはどういうものかが分かっていない人の中には、
11.自分の「知っていること」が、自分の「意見や考え」だと勘違いしている人がいます。
12.10にも書いたように、他人や他人の意見への批判や、ダメ出しをすることを自分の意見や考えだと勘違いし、そう思い込んでしまっている人がいます。
日本の野党は、皆これのように見えてしまうのが、国民としてはとても残念です。
● 本日の論稿の中で、サイト主様が言われている、このコメントの冒頭の引用部分(>以降)の主旨は、上記の1~5に纏めたように、とにかく「自分の意見を発信しなさい」ということです。
● そして、それが、我々が、インターネット社会で得た、「表現の自由(の場)」だ、ということです。
結局、インターネット時代で、「自由表現の場と機会」を得ても、「自分の考えと意見」が無い人は、他人を非難したりすることしかできなくなる、ということですね。
そして、ここで気が付くことは、日本の野党は、公党であるが故に、自由な表現の場を、インターネット時代の遥か前から、持っていたのにも拘らず、「批難すること」にしか、その自由を使ってこなかったということです。
これは、野党が如何に自らの考えや意見を持っていないかの証明にもなるから、皮肉なことです。
さらに、これが、日本のマスコミにも言えることなので、更に、皮肉なことです。
つまり、本論稿の本文にもあるように、日本のマスコミは、自らの意見や考えがないが故に、自ら、表現の自由を放棄しているということなのですが、それを自ら悟ることが嫌なものだから、国家に表現の自由が無いというすり替えをすることで、胡麻化しているのです。
これが、インターネット時代に、マスゴミも、野党も生き残っていけない理由です。
つまり、インターネット時代は、自らの考えと意見を持っていなければ、排除されるということです。
私がここ最近思う事を文章化していただいたような気分です。
特に「自分の意見を持っているか」が重要と感じております。これはその発言者の発信内容が自分(読者)の意に沿っているいないに関わらずです。
例えば、日本の野党やマスコミ、あるいは中国韓国の有り様というのは、ほとんどが実際に批判されるべきものです。ゆえに、自分の意見を持たぬ者でも、容易にマウントをとりやすい(これ最近すっかり普及した造語で日本語の乱れともとれますが、とてもしっくりくる普及するのが納得できる表現です。優位を取るとか悦に入るとかとは趣を異にする。)対象です。これにより、仮に上記を敵と表現するのであれば、味方側にも彼らとさほど差のない本質を持った人間(マウントをとりたいのが主目的)が増えた気がします。信者論も同じ根です。無理筋な同調を批判するのであればわかりますが、考えに根が無いほど、何度も続く同調を信者的と捉えるのではないでしょうか。(そういえば数日前に新宿会計士様の法解釈の指摘がコメント欄にありましたが、あの件は私には門外漢すぎて触れようがありませんでした。)
全体主義期に敗戦した日本にとって過去の反省らしくはあるのですが、日本は必ずしも全体主義を原因に敗けたわけではない。
さより様には幾度となく返信をいただき最近の楽しみとなっていますが、同調主義ではない証明というわけでもありませんが、たまには意見が異なる話題でぶつかってみても面白いかもと思っています。
先日の三波春夫の解釈では一応別意見という形でしたが、すんなりと意見交換できました。あれも無駄な煽りが無かったおかげかと思います。もし「そんなことも知らないのか?」だの「お前は考え方がおかしいんだよ」などと無駄な事を書いていれば、ああはならなかったでしょう。
>私がここ最近思う事を文章化していただいたような気分です。
一番嬉しい返信の言葉です。農民様のコメントは、必ず拝読しております。理由は、
1.いつも(多分、四六時中)、深く本質的に物事を考え洞察されているのだろうと感じられる深い論旨があります。
2.文章の展開の仕方が、論理的で論理構成がはっきりしているので、読みやすいです。
主にこの2点です。
わたしの本日のコメントは、主に、本稿の「自分の意見を発信しなさい」という主旨が、常々考えていたことと一致していたので書き始めましたら、最後の方で、日本のマスコミが何故、日本の「報道の自由度」を低いと腐すのかの理由が分かって来たのでびっくりしました。
それで、会計士様が、わざわざ、
「※本稿では前半と後半で少し議論の内容が変わりますので、ご注意ください。」
と但し書きをして、本日の論稿を書き始めた理由が分かったような気がしました。何故なら、前半の方で、報道の自由度に関する記述が無ければ、「報道の自由度」に関することは思いも付かなかったからです。
本日の論稿の筋立ては、なかなかの深謀遠慮ものだなと感心しました。
(これを書くと、親衛隊と捉える偏向者がいるらしいので、直球で物事を視るのが嫌いな層がいるようです。)
これからも、農民様のコメントで返信ポイントがあれば、返信コメントをさせて頂きます。
基本的には御説に賛同しますが、他人の言葉で自分を飾り立て、悦に入っている者、エラソーにしている者、自分を一角の人物と思い込んでいる者など、昔から有名無名問わずいくらでもいました。まあ、主にサヨク界隈にその手の人種の生息密度が高かったような印象はありますが、非サヨクにだって決して少なくはありませんでした。現代との違いは、"うろ覚え"か"(物理的な)コピペ"かの違いに過ぎません。
自戒の念を込めつつ言えば、自分の頭で考え、自分の言葉で表現するというのは、昔も今もそんなに簡単なことではないのです。もちろん、だからと言って、自分の頭で考えないことを容認したり、推奨したりするつもりは毛頭ありませんが、「そうであるべき」と「そうでなければならない」とでは、かなりスタンスが変わってくるだろうと思います。
情報処理技術は間違いなく進歩しましたし、個人にとっての情報空間もまた大幅に拡大しました。でも、個人としての情報処理能力がそれほどまでの進歩を遂げたなんてことはありません。その意味では、インターネットが普及したからというのは、言い訳にすらなっていないのではないかと思います。
書き込み前に何度もググって確認しなければ断言ができぬ身としては耳の痛い話です。昨日「誹謗中傷」の定義も、警察庁HPを頼りましたし。
「あるべき」と「ならない」どちらが適用されるかは、議論に対する姿勢が閾値に思えます。より多くの人間に伝え、理解を得たいのであれば「ならない」かと思いますし、頭の体操程度に気軽に取り組むのであれば「あるべき」でしょうか。
猫や狸の話題の時くらいは気を抜きたいものですが、むしろあの話題の時の方が気ままに「自分の意見」を出せている気がします。
農民様
>私がここ最近思う事を文章化していただいたような気分です。
一番嬉しい返信の言葉です。農民様のコメントは、必ず拝読しております。理由は、
1.いつも(多分、四六時中)、深く本質的に物事を考え洞察されているのだろうと感じられる深い論旨があります。
2.文章の展開の仕方が、論理的で論理構成がはっきりしているので、読みやすいです。
主にこの2点です。
わたしの本日のコメントは、主に、本稿の「自分の意見を発信しなさい」という主旨が、常々考えていたことと一致していたので書き始めましたら、最後の方で、日本のマスコミが何故、日本の「報道の自由度」を低いと腐すのかの理由が分かって来たのでびっくりしました。
それで、会計士様が、わざわざ、
「※本稿では前半と後半で少し議論の内容が変わりますので、ご注意ください。」
と但し書きをして、本日の論稿を書き始めた理由が分かったような気がしました。何故なら、前半の方で、報道の自由度に関する記述が無ければ、「報道の自由度」に関することは思いも付かなかったからです。
本日の論稿の筋立ては、なかなかの深謀遠慮ものだなと感心しました。
(これを書くと、親衛隊と捉える偏向者がいるらしいので、直球で物事を視るのが嫌いな層がいるようです。)
これからも、農民様のコメントで返信ポイントがあれば、返信コメントをさせて頂きます。
農民様
このコメントは、一つ上の農民様の返信コメントへの返信でした。場所を間違えました。そのつもりでお読みくだされば幸いです。
龍様
>自分の頭で考え、自分の言葉で表現するというのは、昔も今もそんなに簡単なことではないのです。
流石に、「思考」の専門家でいらっしゃるので、ポイントの深掘りをされますね。これについては、同じ見解です。哲学がご専門の龍様であれば既にご存じかもしれませんが、フランスでは、「バカロレア試験」というものがあって、
>>フランスの大学入学資格試験のバカロレア(高等学校卒業資格、大学入学資格)試験では、文・理系を問わず哲学小論文(=ディセルタシオン)が課されます。(アマゾンから引用)
これは、
「バカロレアの哲学 「思考の型」で自ら考え、書く」(坂本尚志著/日本実業出版社/2022年)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E3%80%8C%E6%80%9D%E8%80%83%E3%81%AE%E5%9E%8B%E3%80%8D%E3%81%A7%E8%87%AA%E3%82%89%E8%80%83%E3%81%88%E3%80%81%E6%9B%B8%E3%81%8F-%E5%9D%82%E6%9C%AC-%E5%B0%9A%E5%BF%97/dp/4534059035/ref=sr_1_3?crid=3U7SC6RIM0DG9&keywords=%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%A2&qid=1694068388&s=books&sprefix=%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%A2%2Cstripbooks%2C949&sr=1-3
という書籍の説明文の一分です。
フランスでは、このような思考訓練の国家レベルの試験があるようです。
流石に、「自由、平等、博愛」のフランス革命の国です。
今、我々自由主義圏の国民が享受している、「自由主義と民主主義」は、フランスとイギリスで生まれた思想に依拠している訳ですから、「自由主義と民主主義」は、個々人・国民の「自分で考える力=自由な思考力」にその源泉がある訳です。
片や、日本では、小中高大の教育期間の中で、思考訓練に関する授業があるでしょうか?
所で、この返信コメントでも、本日の論稿の前半部分の「自由主義と民主主義」に行き着きました。
ここでも、本日の論稿の筋立ては、なかなかの深謀遠慮ものだなと感心しました、という言葉が出てきます。
(更に又、親衛隊と非難されちゃうかな?)
Amazonのリンク、そのままコピペだとなっがーい暗号になってしまうので、co.jp/後にdp/をつけ
https://www.amazon.co.jp/dp/
その商品の登録情報(商品情報の末、レビューの上程に記載)ISBN-10の数値をコピーしますと、
https://www.amazon.co.jp/dp/4534059035
短いリンクにできますよ。
ホントですね。これは、便利!
ありがとうございました。
ギャグコメントを投稿する人が抜けているぞ!
ユーモアギャグは、OKでしょう。
百田新党について
まず、勝手な想像です。
元々、百田氏は政党を作る気などなかったと思います。
が、安倍総理が暗殺され自民党が壊れやむにやまれず立ち上げた様にみえます。
大体政党など金もかかるし労力も時間もかかります。それに自民党という巨大企業と戦っても勝てる見込みはほぼゼロです。
やる前からわかりきってます。
普通に考えたら、既存の政党で考えの近いとこを応援するほうがよっぽど楽です。
それでも作るというのは、凄い覚悟だと素直に尊敬するし賞賛します。
で、体をはって努力してる者を、何もしない外野がバカだチョンだ無意味だなどと批判したりするのは卑怯の様にみえます。
くだんのコメント主さんは、会計士様のブログをこの様に受け取り正義の心で反撃に撃って出たと想像します。
ただ問題は、会計士様のブログから百田新党への批判が くだんのコメント主さんがもつ特殊能力でしか読めないと言うことです。
くだんのコメント主しかその批判を読めないので、誰も味方しないし出来ないのです。
しかも、百田新党への批判を誰もが皆読めると信じてるので、その説明をせずに会計士様への悪口レッテル貼りに終始して 誰の共感も得られず空回りしてる様に見えました。
ただ、これもコメントの応酬をみて自分が勝手に想像してるだけなので間違ってる可能性大です。
色々想像して、これが正解ぽいのを提示してるだけなので 間違ってたら謝罪します。
明確に読み取れないことを決めつけて行動するのは、実社会において何かとリスクがあると思います。実際に失敗をされたことがある人もいると思いますが、大暴れしたくだんのコメント主様は本当に大丈夫なのか心配になります。
「党首が魅力的だから」というのは、熱烈な信者以外は何がいいのかよく理解できません。相手や第三者を説得するために「根拠を示す」という姿勢は大事ですね。気持ちばかり高ぶって、理由をきちんと説明できないという人は実際よくいます。たとえ、相手が議論を拒否しても、第三者に対して「根拠を示す」という姿勢は大事です。
KN様
自分も昔、人の言葉を勝手に悪口と受け取り頭に血がのぼった事があります。
その時は、その言葉に言い返さなかったが 後から考えると 親切な指摘を否定と勝手に受け取っただけで よく言い返さなくて良かったと思います。
人は頭に血がのぼると、そうとしか考えず、他の可能性を一切排除してしまうのかもしれません。
いったん落ち着く事がどれだけ大切かがわかります。
小職は、この二人が揃って定量評価が出来なくさらに簡単な統計(差があるなし)さえも理解していない件を危惧します。これから掲げる政策が見ものだと思っております。
定量評価理解してなかったら、簡単に騙されますもんね。
現段階ではあの西宮維新の「ののちゃん」と同じ志でしょうか。
大変失礼いたしました。
小説家が行動を共しているジャーナリストと新党を立ち上げるという。この小説家の言動には失望させらたことが何度もある。たとえば安倍首相暗殺直後の彼の言動には怒りを覚えた。どっかの自称会計士が束になってかかっても敵わないベストセラー寓話の続編を無料で公開してしまうお茶目な愛すべき人物でもある。
その全貌は明らかでは無いが他に期待出来る存在は今のところ、わたしには見当たらない。ここは一つ応援してみるか。でも批判はそれからにしようや。
↑どこに矛盾がある?頭ごなしに上から目線で面罵する前に具体的に簡潔に指摘してくれ。
以上だ。
以下は蛇足、駄文。
キミはわたしに「日本語が不自由、社会経験がない、大暴れ、矛盾」などと罵詈雑言を浴びせ続けた。「こいつなんでこんなに怒ってんだ?」がわたしの素直な感想だった。で、過去記事の中にその遠因と思われる部分を見つけ、それに基づいて幾つかコメントした。全くの邪推である。だから謝罪した。キミに受け入れてはもらえなかったが。
(あらためて断っておくが、キミが思うほど熱心な読者ではない。投稿も今回が初めてだった。)
そういえば、コメントが珍しく100超えたね。初めて?良かったね。おめでとう〜と言って良いのかな?知らんけど。
キミは新党について書かずにはいられない。そしてその全貌が明らかになった暁には血眼になってマクドを頬張りながら粗探しをし、批判を繰り広げる。(残念ながらわたしは書かないよ。君ほどの文才は無いからね)
キミの記事を見かけたら必ず読んでコメントしてあげるよ。コメントするに値すればネ。目指せ!200コメント〜知らんけど。
(多分その記事の中にまた「わたし」を登場させて批判の取っ掛かりに利用する算段かもしれないが、しない方が賢明だと思うよ。批判の矛先が鈍るだろう?)
ところで、唐突で申し訳ないのだが、わたしはキミのことが好きになってしまっている。全くの片思いである。だってわざわざ今時、フォント変えて文字色変えて煽ってくるブログ主なんてカワイイじゃん?
何度かわたしに真摯な忠告をしてくれた「忠告をした匿名」様、まあこんな事情なんでご容赦下さい。かれのパーソナリティはあなた同様理解しています。
あっ、このコメント、誹謗中傷に当たらないよな?
クワバラクワバラ
>どっかの自称会計士が束になってかかっても敵わない
だからこれをやるなと延々申し上げているのです。あれだけ文章を書いて何一つ伝わっていないようで自分の無力さに絶望しました。
またコロナ渦にあってコメント数が200ほどにもなる事も過去にありました。しかも炎上などではなく大変身のある議論内容で、です。貴方が知らないのは仕方ないかもしれませんが、また想像の内容によって事実と異なる難癖を付けられましたね。
新宿会計士様が法的措置をする気が毛頭無いのはあの時点であそこまでの事です。今後も確実に訴訟などしないとは一言も仰っていません。迷惑行為・運営妨害にまでエスカレートしたと受け取られたらどうするのですか。もし新宿会計士様がまた反応したとしても、ギリギリのラインを保って煽るかもしれませんよ。貴方は更に不利になるし、心情的に放っても置けなくなります更にエスカレートするでしょう。
もはや新宿会計士様が多忙であることを祈るのみです。
農民さん、この方を許してあげましょう。
日本人は1億いるのです。このような方もいます。それだけのことです。この方の今後を思い、共に祈りましょう。
ソーメン、あいや間違えた。アメーン
アメーンやない、アーメンや
絶対ばかにしとるやろ!w
農民様へ
わたしがブログ主に謝罪したのは訴訟リスク云々からではありません。自分の邪推からのコメントに対して多くの方から指摘があり、納得して謝罪したまでです。
>どっかの自称会計士が束になってかかっても敵わない
↑これは許容範囲内と考え書き加えました。ブログ主がどう判断するかは分かりません。しかしわたしは彼からこれ以上の面罵を受けています。
彼がこれからもわたしをネタに記事を書くのかもしれませんし、それは止められません。しかし個人攻撃では無い、もっと穏やかな筆致の記事を期待したところです。が、その可能性は限りなく低いでしょう。
自業自得という言葉をこれ程までに理解していない事に驚きです。
そもそもご自身が罵倒を開始したのにこの後に及んで責任転嫁ですか。
>しかしわたしは彼からこれ以上の面罵を受けています。
定量的に証明して下さい。結局貴方の主観で主張しているに過ぎない事です。
散々自分から罵倒をしておきながら、相手の方が悪いとかいう被害者面は最早見苦しいです。
自分のことを省みれない人は見ていて本当に残念に思います。
あれ?撤退したんじゃないの?やっぱり気になって戻って来てるのかな?ww
下の匿名さんの
>ソーメン、あいや間違えた。アメーン
にもワロタ
A.よくわからないものを批判するな
B.よくわからないが応援している
この矛盾が記事に書いてあるのに、それが読めないのが日本語が不自由という実例で、社会経験がないから恥を上塗りしてしまう。
志あって実務能力を欠く政治家が面倒という先の記事に、それが政治家に限らないというコメント芸を見せつけたことを含め、自爆をもって実例を挙げていく芸風は大事にしてほしいと思う。
鯖塩さま
めっちゃ出遅れた感はありますが・・・
>どこに矛盾がある?頭ごなしに上から目線で面罵する前に具体的に簡潔に指摘してくれ。
とのことでしたので、当事者ではない一読者としての私見です。
まず鯖塩さまの上記文章を分解してみました。
【客観的事実と思われるもの】
小説家が行動を共しているジャーナリストと新党を立ち上げる
寓話の続編を無料で公開してしまう
その全貌は明らかでは無い
【鯖塩さまの主観(感想)】
この小説家の言動には失望させらたことが何度もある。
たとえば安倍首相暗殺直後の彼の言動には怒りを覚えた。
お茶目な愛すべき人物でもある。
他に期待出来る存在は今のところ、わたしには見当たらない。
ここは一つ応援してみるか。でも批判はそれからにしようや。
【鯖塩さまの主観(感想)に見えるが誹謗中傷】
どっかの自称会計士が束になってかかっても敵わない
如何でしょうか。
あくまで当事者ではない第三者が読んでみても、客観的事実はほんの一部だけであって、その多くは鯖塩さまの主観(感想)で占められています。
よって、鯖塩さまの中で矛盾はないでしょう。なにせご自身の主観ですから。
客観的事実と主観が混じった文章ですから、鯖塩さまの「主観(感想)=主張」に共感する方はその文章に矛盾を感じないでしょうし、主張に共感できない方はその文章に矛盾を感じることでしょう。
如何でしょうか。
転勤族様
真摯なコメントありがとうございます。
転勤族様のわたしの駄文の「分解」に対して、改めてわたしなりに「再分解」して論を始める不躾をお許し下さい。
以下の通りです。
1)客感的事実の提示
2)結論に導くための主張(含む、誹謗中傷)
3)結論(全貌が明らかになるまで批判は控えよう)
さて、1)については議論の余地は無いと思います。
2)と3)については賛成か反対かで、以下の4つのグループに分けられます。
A)2)と3)ともに反対
B)2)は反対だが3)は賛成
C)2)は賛成だが3)は反対
D)2)と3)ともに賛成
如何でしょうか?
わたしの新たな「再分解」による考察が、そもそもそれ自体がナンセンスであれば、それでおしまいです。
しかしこの考察が成り立つとすれば、わたしはグループB)かD)が多数派を占めること、もしくはわたしの結論に対して賛同者が少数でも存在すればと思っています。
わたしの「結論」は全貌が明らかになるまで批判は控えようですが、だからと言って期待してならないとはならないと考えます。
いやいやそれこそが矛盾なのだと言われればこれでおしまい。
小説家が途中、投げ出す可能性が無きにしも非ずですが、わたしは期待しています。
鯖塩さま
コメントありがとうございます。
鯖塩さまの問いかけ「どこに矛盾がある?」に対し、私見を申し上げた次第です。
鯖塩さまの「再分解」によって論点(矛盾点)が変わってしまいましたので、「再分解」の是非は触れません。
「百田新党(仮)」に対する現在の気持ちは、
「相応に期待している」ですね。
お付き合い、ありがとうございました。
ま、いいんじゃないですか。発言自由で。
その発言は責任を伴うということで。
大人の世界であって、学校の教室じゃない。