先日の『ウェブ評論「11年」の御礼と「違法行為という逆風」』でも報告しましたが、当ウェブサイトでは日々、数万件のページビュー(PV)をいただいており、読者の皆さまには感謝の念しかありません。あらためて御礼申し上げます。ただ、読者数が増えるのは嬉しいのですが、とくにここ1年、ルールやマナーから逸脱したコメントも目立つようになりました。
目次
ウェブサイトの読者の皆さまへの、改めての御礼
当『新宿会計士の政治経済評論』は、「読んで下さった方々の知的好奇心を刺激すること」を目的に運営している独立系のウェブ評論サイトであり、おかげさまで先日、開設から6年を迎えることができました(『ウェブ評論「11年」の御礼と「違法行為という逆風」』参照)。
ここまで続けることができたのも、ひとえに、日々、当ウェブサイトにアクセスしてくださる読者の皆さまのおかげであり、本当に感謝以外の言葉は見つかりません。当ウェブサイトは、当初想定していたよりもはるかに多くのアクセスをいただくサイトに成長しました。あらためて御礼申し上げます。
さて、アクセス数が増えること自体は、ウェブサイト運営者としては、大変にうれしい話です。
読者コメント「完全自由」の趣旨
ただ、それと同時に、やはり多くのアクセスが得られるようになったことで、さまざまな問題が生じていることもたしかです。
そのひとつが、読者コメントです。
当ウェブサイトでは、当初から一貫して、読者コメントについてはよっぽど反社会的なものなどでないかぎり、自由に入力していただけるという状況を大切にしてきました。
ウェブサイトによっては、入力したコメントについてはウェブ主管理人が承認しなければ反映されない、という事例も多いのが実情です。たとえば米メディアのウォール・ストリート・ジャーナルなどがその典型例ですが、大手ウェブサイトだととくにそのような傾向が強いように思えてなりません。
また、わが国のメディアだと、読者コメント欄を設けているケースはほとんどありません。少なくとも主要5紙(日経、読売、朝日、毎日、産経)については読者コメント欄がなく、「この記事を読んだ他の読者がどう思っているか」を知る機会自体が存在しない、というわけです。
(※もっとも、ツイッターのURL検索機能などを使えば、記事に対する読者コメントの一部をうかがい知ることはできますが…。)
だからこそ、大手マスメディア(新聞、テレビなど)とはまったく違う言論プラットフォームを目指すならば、「自由な読者投稿」は必須だと考え、それと同時に当ウェブサイト側にて最低限のルールだけ設け、それを守っていただく限りは自由にコメントをどうぞ、という運営に徹してきたつもりです。
ルール、マナーに違反する問題コメント
ただ、やはり日々、数万のPVが発生するなか、どうしてもルールを逸脱するコメントも出て来ました。
とくにここ1年、当ウェブサイトにおいて定めるルール、あるいは最低限のマナーすら守れない、問題のあるコメントが発生するようになりました。
その大きなパターンは、次のとおりです。
①記事本文とまったく関係のないコメント
唐突に動画サイトなどのリンクを張り付け、「政府が特定勢力と結託してXX人と一緒に日本を乗っ取ろうとしている」、などと「告発」(?)するコメントが、その典型例です。
個人的には「陰謀論」と位置付けているたぐいのコメントですが、記事本文とはもちろんまったく関係がないものであり、かつ、ほぼ同じ趣旨のコメントを、1日に何件も投稿して来るユーザーです。
申し訳ないのですが、スパムコメントと認定し、排除しています。
②特定国を過度に貶めるコメント
一方で、最近になって増えて来たのが、特定国を過度に貶めるコメントです。なかには「XX人種は奴隷根性で…」云々、と、なにやら意味不明に罵倒している文章も見かけますし、酷い場合には「XX民族は滅亡すべきである」、など、ジェノサイドをうかがわせるようなケースもあります。
この点、某国が数年前から日本に対し、さまざまな不法行為を仕掛けていることは事実であり、そのことによって、少なくない日本国民が某国に対し、嫌悪感を募らせていること自体は、某国の自業自得であり、やむを得ない話でしょう。
ただ、不思議なことに、この手の特定国・特定民族を過度に貶めるようなコメントが目立ち始めたのは、ここ数ヵ月の話です。個人的感覚では、某国メディアのわが国を貶めるような態度は「平常運転」として、この数ヵ月、むしろ某国のわが国に対する不法行為はかなり落ち着いていると思うのですが…。
③他のコメント主に対する罵倒
さらに問題なのは、他のコメント主に対する罵倒です。
「バカ」だの「アホ」だのといった程度の低い侮蔑語を伴い、「黙ってろ」、などと罵るのは、読者コメントの態度としては到底許されるものではありません。なぜなら、当ウェブサイトの読者投稿欄の品位が著しく損なわれるだけでなく、罵られたコメント主やそれを読んだ読者が、当ウェブサイトから離脱するかもしれないからです。
お互い顔が見えないウェブ言論空間において、この手の罵倒語を使うことは、相手を過度に傷つけるだけでなく、ときとして言論を委縮させ、議論を封殺します。当ウェブサイトとしては、いかなるコメントの流れであっても、この手の罵倒語を使った時点で、そのコメント主の「負け」と認定したいと思います。
匿名コメントに関する考え方の補足
なお、これに関連して、一部のコメント主様の間で、「匿名のコメントに対しては何を書き込んでも良い」という誤解が蔓延しているようですので、これについても補足しておきます。
当ウェブサイトでは、匿名でのコメントを禁止した覚えはありません。
というよりも、あくまでも個人的な理解に基づけば、インターネット言論空間では一部のジャーナリストらを除けば、情報発信については基本的に「実名」ではなく「匿名」が基本です(それを言い出せば、そもそも「新宿会計士」自体が匿名です)。
当ウェブサイトによくコメントをくださる方であれば、独自のハンドル名を付けていただく方が議論がスムーズになることは間違いありませんが、ハンドル名を入力していたとしても、多くの場合は「ハンドル名を名乗った匿名」であり、「匿名である」という点はまったく同じです。
もちろん、「ハンドル名を名乗っていないコメント主との議論は無視する」、などの態度を取るのは、各コメント主様の自由ですが、ハンドル名を名乗っていないからという理由で「書き捨ての卑怯者」などと罵倒すること自体、言語道断です。
なお、当ウェブサイトでは、同じコメント主が複数のハンドル名を使い分け、ひとつの議論で賛同コメントがたくさん生じているかのような「自作自演」行為をすることを禁止しています。
ただ、逆にいえば、「複数ハンドル名の使い分け」は、議論の流れを偽装することを禁じる趣旨であり、かかる弊害が生じない限りは、ハンドル名を使い分けていただいても問題ありませんし、あるときはハンドル名なし、あるときはハンドル名あり、などと使い分けることも問題ありません。
ウェブサイトのなかの言論空間として…
さて、当ウェブサイトでは昨年5月の検索エンジンのアルゴリズム変更により、ページビュー(PV)は一時、ガタッと落ちましたが、その後はじわじわと回復し、最近では月間150~200万件前後に戻っています。
検索エンジンのアルゴリズム変更前だと、ある日いきなりアクセスが増加し、ある日いきなりアクセスが減少する、といった「乱高下」が見られましたが、ウェブサイト運営者としては、現在のゆっくりした成長の方が、じつはやりやすいと思います。
もちろん、このまま成長を続け、数年後は月間500万~1000万PVを達成したら、それはそれで面白いとは思いますが、それと同時に当ウェブサイトの最大の目的は「読んで下さる方々の知的好奇心を刺激すること」にありますので、基本的にPVについては目標に掲げていません。
あくまでも、ウェブ言論空間における数あるウェブ評論サイトのひとつとして、日本の民主主義の発展に寄与することを意識したいと考えている次第です。
読者コメント欄についても引き続き、「事前承認制の導入」や「コメント欄閉鎖」を避けるためにも、ルールやマナーを守り、快適な言論空間の実現にご協力くださいますと幸いです。
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ブログ主さんに言いたいことをすべて代弁してもらい勇気づけられています。
最近、一部の常連コメント主さんたちが「匿名コメントは卑劣」とか「バカ」とか「黙ってろ」とか書いているのを見て、げんなりしていたのですが、ここまで毅然としてくれたことには感謝しかありません。
それに他のコメント主さんのコメントにもありますが、一部の常連コメント主さんたちが韓国問題とかで韓国の民族性はこうだ、みたいな議論を決めつけ、それに反するコメント主をコメントで攻撃しているように見受けられた(攻撃はブログ主さんにも向けられていた?)のは、自由闊達とは言えず、言論弾圧のファシズムみたいでした。
とこrで、くだんのコメント主さん、自分が暴言を吐いたことについて謝罪したんですかね?
匿名 さま
私も、一部の常連さんの行き過ぎたコメントが気になっていました。
(本当に一部の常連さんです。ほとんどの常連さんは、相手のことを気遣いながら
紳士的にコメントをされています!)
私を含め多くの読者様が、新宿会計士さまの「知的好奇心を刺激するブログ」に
賛同し、こちらへ投稿をさせていただいいることに感謝しています。
しかし、一部の常連さんから、「自分の考え方」「自分たち常連グループの考え方」
に少し合わないのか、全否定するかのような書き込みをする方がいらっしゃいます。
それは、他の一般読者から見れば、常連さんしか、または常連さんと同じ考え方を
持つ人しか書き込みをするなという警告にも感じ取られます。
このブログは、多様な考え方を持つ方々が自由に自分の考えを書き込める場として
残してほしいと希望します。もちろん、反論は歓迎しますが、反論の書き方には、
相手を尊重し、相手を傷つけることなく、最低限の礼儀は守って欲しいと思います。
自分こそ正論や正義だとか、だから、自分の考え方とは違う書き込みに対しては
徹底的に罵るような書き込みをするのは、不快でしかありません。
ハンドルネームを使う意味が無くなって来ているように思えます。雑談版以外であれば罵詈雑言を集める機能にしか役立っていないのではないでしょうか?
匿名による煽りと挑発による一撃離脱が横行する懸念が拭えません。「貴君は不勉である」「いやいや貴君の方がもっと不勉だ」等の堂々巡りや、便所の落書き、立小便の様に勝利宣言して爽やかに去って行く人物が多発するように思えます。
とはいえ、初めてこのサイトを訪れる人に取っては常連さんがオラついて横暴の限りを尽し暴れ回っているように見えるという視点は新鮮でした。
何はともあれ、私は引き続き「替え歌」作成に励んで、訪れる方に新鮮な笑いを届けようと思います(*´ω`)♪
最近演歌で作ってないですけど、演歌だと情緒が有って良い感じになるんですよねぇ(。-ω-。)
アホボケカスなどの罵倒語の使用は控える方が良いのでしょうが、辛口のコメントや独りよがりのコメントだからと言って忌避する必要も無いと思ってます。
確かに毒舌からユーモア交じりまで色んな常連さんがいらっしゃいますが、これは個々の芸風と言うもので、気に入らなければ無視したって構わないので、このサイトはそういうお約束だと思っています。
常連同士のやり取りについて行けないと言われれば、初心者(このサイトの)にとってはそうかも知れませんが、何処のサイトも最初はなかなか入り難いものです。
そのサイトの目指す方向性と言うものがあるので、それを掴むまでは的外れであったり空回りであったりするのですが、コツを掴めばどうってことは無いし、掴めなくとも、KYでも、自分の芸風と割り切って投稿して頂ければ、お互いに知的好奇心を満足させる結果になると思います。
勿論一撃離脱もそれはそれでサイトの花だと思います。
ただ最近、匿名諸氏の投稿が増えてきている様に思うのですが、これはレスが書きにくいし、その人の芸風も判り難いので困るのです。
といって匿名の意見なんかまともに取り合う必要なしとも思いません。そういう厳しい人も居られるでしょうし、それはそれで見識です。
ただ私はじゃれ合う以上は相手の顔を見ながらやりたいと思うので、ぜひHNを名乗って頂きたいと思う次第です。
本サイト記事や他者のコメントなどに否定的な見解をコメントする場合でも、匿名にせずハンドル名を記した上で私はコメントしています。
(サイトの古参、常連さんは皆そうであろうと思います)
自分のコメントに対する否定的意見が書き込まれたり、叩かれたりすることになっても構わんよ、という自己責任的な観点・覚悟からそうしていますし、そうあるべきだろうとも思っています。
故に「書き捨ての卑怯者」という考え方やその心情は、私的には納得できるものです。
固定ハンネでも匿名性は保証されるのに
「匿名」にするのは
①内容が後ろめたい
②不精
どちらかだと思います
「匿名」の廃止
名前になんらかの入力がなければコメントできない
の方が良いと思います
「123」とか「いろは」とか名前の入力ってそんなに面倒?
ん〜。
実名で書けないのは後ろめたいからではないですかね?
と言われたらどうですかね。
実名で書けないのは、色々とトラブルがおきるからでしょ。
匿名も同じ。大半の人は、コテにして変に絡まれるのが煩わしいだけなんですよ。
匿名派からすれば、コテは自己主張が強いだけで、それを責任という装飾で正当化しているという見方もできます。
まあ、管理人が匿名ウェルカムと言ってるのに不毛な話。
いや、なぜdefaultの名前から変更するのがイヤなのかというレベルの話ですよ。
変数の型宣言が必要かどうかとかいう技術論ですね。
スコープの概念が理解できるかみたいな話になります。
スコープとは。
明確に区切られた物理的範囲の中で、その外側に優先してIDを上書き使用できる仕組み。
スコープ内の事象は、その外側からは見えず認知されないが、スコープ内ではユニークなIDとして有効。
スコープ内からその外側のスコープは完全に見えている。外側とIDが被っているときは最も内側にあるIDが持っているオブジェクトが有効。ただし、IDが同じでも型が違えば例外発生で機能停止。
C++などのコンパイラでは、同名のIDでも型(種類つーか)が違えば別物として扱われるが、そのような同名ID命名をするときは相当な腕と度胸を要するし、そこにエネルギーを使うメリットはほぼ無く周囲の理解は得られない。
そのようなスコープの概念から「匿名」を考えると、その「匿名」と名付けられたオブジェクト(コメント)は、その「匿名」さんが自ら書いたコメント内に限って有効とも考えられなくもなく。
匿名さんを代表して「絡まれるのが煩わしい」と仰っていることでもありますし、自らの発言における議論を望まな独り言と捉えて、反論したいところを自主的にターミナル抵抗を噛ませるのが賢明なのかもしれません。
少なくとも、相手を特定の個人と想定して相対するのは間違いで、正体不明な「世論」的な存在として対応しておくのが無難なのかなと。
そんなわけで、サイト筆者氏が自らも本名でなく匿名だからコメントも匿名でいいのだという理論には反対です。匿名による特定の自称名と、名無しの「誰でもない」匿名は違うと思う。
このサイトは「新宿会計士」を名乗る主体(個人とは限らないかもしれない)によるもので、執筆者の匿名が「新宿会計士」であることが論考の一貫性を保障しているはずです。
名無し匿名コメントが悪いことだとは思いません。ただし、そのコメントは自らのコメントへの議論に責任を持つつもりがないという表明でもあることには注意が必要と思います。
ななしの解釈としては、そうなんだろうね。
コテが責任を持たないから、こんな話になってる。
コテが暴言を吐き、その責任を取らない、だから今後は暴言自体をゆるさないと。
匿名のコテがどんな責任を持ち、取るのか自体が眉唾ですがね。
違法行為の責任なら、ななしだろうがコテだろうが同じこと。
ラスタ 様
>正体不明な「世論」的な存在として対応
そう言われればそうですね。
私は、先月からコメント欄に参加し始めたばかりの新参者ですが、いわゆる常連の皆様方には、とても快く受け入れていただいたと感じております。まあ何と言っても、コメントのレベルが高いですね。専門誌・研究誌なみです。生半可な知識だとついていけなくて、コメントを入れる時に若干緊張しないとも言えません(笑)。
ただ、扱われるテーマが韓国や北朝鮮だったりすると、コメント欄も、ほのぼのする感じというより、どうしてもキツめのコメントになるのは、ある意味仕方がないような気もします。しかし、彼ら特定3国の土俵に引きずり下ろされず、日本人として節度やマナーを持って分析・評価していくのも大事だと思います。ただ、彼らを道徳や礼節・日本的な美徳をもって分析できるか、という大きなテーマが横たわっているようにも思います(笑)。サイト主さまの記事を中心に、みなさまのコメントは大変有意義です。こちらのサイトが、長く続くことを期待しております。
容赦のない論破や、論理や前提が不正確であるコメントへの塩対応コメントなどもまた、「新宿会計士の政治経済評論」コメント欄の良さだと考えています。勉強不足ならコメントするな、というのは暴論にしても、勉強不足でのコメントを糺されるのは受け入れるべきです。感謝をしろでは傲慢ですが、その際に優しさを求めるのも贅沢というものですし。
おかげで私は「事実であると言える」場合と「推測でしかない」場合を書き分ける習慣がつきましたし、萎縮はしていません。むしろ丁寧に書くつもりでおればご指摘を頂けたり、質問形式にしてコメントを返していただけた際はとても勉強になりますし。障"碍"の字義の件とか。
「○○人は劣等種、滅ぶべき」などといった偏見による民族差別は論外にしても、「○○人は歴史的に自首独立したことなどない、文化的にヨソから視るとおかしな選択をしてしまう」といった、事実や論理を挙げての民族評などは許されるべきだと考えますが……匙加減は難しいでしょうか。事実提示は名誉毀損になるかというのは人格を伴う場合の議論ですし。
最後に、匿名に嫌悪感まではありませんが、深い議論はしづらいな、とは思います。ID制にしても、IDを変える手段もありますし。HNつき常連さんは普段の思考傾向や専門性がある程度わかるので、議論がしやすいです。
農民 さま
>勉強不足でのコメントを糺されるのは受け入れるべきです。
反論は歓迎しますが、反論の書き方には、相手を尊重し、相手を傷つけることなく、
最低限の礼儀は守って欲しいということが大事なのだと思います。
「某国の国民の道徳心について疑問!」といった記事が某新聞社に掲載されていた
ことを私が紹介しただけなのに・・・・
「そんな、某国の国民に道徳がないことは、このブログの常連さんならみんな
知っており常識だ。知らないのはあんただけだ!」といった上から目線で
コメント書く方もいます。
過去にそのような議論が、このブログでされたのかどうかは知りませんが、
こちらのブログのコメントを過去から全てチェックすることなど、常人には不可能です。
ほんの一部の常連さんなのですが、「知らないのは、あんただけだ!」と書き
込まれたことには驚きと恐怖を感じました。
(ほとんどの常連さんは、相手を尊重し、知的で紳士的な書き込みをされています。)
おっしゃるとおりと思います。なあなあになったりは議論の妨げですが、円満にするのも大事だと考えます。その例であればむしろ「嫌韓は当然などというなあなあ」ですし、せいぜい「そういうものです」くらいが妥当でしょう。どうせそういう趣旨で指摘するのであれば、文化背景を解説してくださると知的好奇心という観点でも良いですしね。
人格攻撃が鍵にあるかなと思います。藤原かずえ氏のリテラシー講座という記事(多数)が参考になりますのでオススメ。
まあ、ちょっと両方の立場が分かるので一言。
>驚きと恐怖を感じました。
ここは、ある意味そういう場なんです。
また、それ以前に、知らない場の話に加わるときにノーケアで行きますか?ってこともありますよね。マナーややり方は、リアルとそう変わらないはずですが。
>上から目線でコメント書く方もいます。
こういうのは禁句にした方が良いと思います。「」内の断言が、その文言で為されたのかは知りませんが。
現 さま
>また、それ以前に、知らない場の話に加わるときにノーケアで行きますか?
いったい、どう言う意味なのでしょうか? 申し訳ありませんが
具体的に、わかりやすく教えていただけますでしょうか?
横から失礼します。
例えば、魚釣りの大好きな人が、凄い大物が釣れる磯場の事を聞いて、自慢の名竿とリール、実績ルアーだけを持って、普段着のままで行くことはないでしょう、って話。釣り場の足場や、そこへ向かう道のりを調べて、服装や安全装備を工夫しますよね。
新たに議論の場に加わろうとするなら、それまでの議論の流れ、その時点で共有されている認識と現時点の問題意識、その場で暗黙に了解されているマナー、などについて気配りしますよね、というように私は理解しました。
文言や表現に遠慮の無い方は少なからずいらっしゃいますが。
罵倒のようなレスポンスにも「なぜですか。私はこのように考えて先のコメント書いたのです」てな感じで返すと、丁寧に説明してもらえることもあります。
なんつうか、批判されても個人攻撃されたと取らずに、そういう議論プロセスと割り切る胆力みたいなのがないとツラいのかなと思わなくもないです。
それでもって「この人のこの反応は議論なのか気分なのか」というフィルターを通して見ることで、受け止め方も感情的にならずに済みます。
個人的なことですが。
私がこのサイトにはじめてコメントしたとき、無知ゆえに少々ピントがズレたことを書きました。
その際にとある方から、たいへんに丁寧なレスポンスをいただいて、それをキッカケにあれこれコメントを書くようになりました。
初コメントに対するレスポンスの印象というのは、なかなかに重たいと思います。
おっかなびっくり匿名でコメントしたら冷たくされて、それ以来匿名でしか書けなくなったとかいうケースもあるのかなとか。
ラスタ 様
>批判されても個人攻撃されたと取らずに、そういう議論プロセスと割り切る胆力みたいなのがないとツラいのかな
これがなかなか難しいんですね。
最近もこれで(?)退場された方が居られましたが、残念だなあと思いました。
と言って義務教育じゃないんだから・・・
農民 さん
>最後に、匿名に嫌悪感まではありませんが、深い議論はしづらいな、とは思います。ID制にしても、IDを変える手段もありますし。HNつき常連さんは普段の思考傾向や専門性がある程度わかるので、議論がしやすいです。
ここは同意です。
匿名だとその他大勢のひとりになって、同じ人がコメントしてるのか違うのか分からないんですよね。。。
私もおよそ円満な人格とは言えませんので、時に失礼な匿名フォローに激し、品位を欠いたコメントを書いてしまうことがあったという自覚はあります。深く深く反省し、今後は品位を保ったコメントをするよう、肝に銘じておきたいと思います。
ところで、けして異論というわけではありませんが、「匿名氏」の扱いについて一言。
HNであろうと、実名ではなく、一種の匿名である点では同じではないかという点に異論はありませんが、その一方でサイト内で固定したHNを使用するというのは、「識別子」として機能します。そして、識別子を持たない相手とは議論は不可能です。1回だけのやり取りならばまだしも、それ以上になれば論旨の一貫性の確保が難しくなります。ゆえに、私としては、「匿名氏」については、最初から議論することを拒否している人と見做します。「匿名氏」だから読まないということはありませんが、基本的にはフォローしようとは思いません。最初から議論するつもりのない相手に返信しても、その先の発展性が見込めないからです。
なので、けして「匿名氏」を排除すべしなどとは言いませんが(議論などするつもりはなく、単に感想を述べたい人だっていることでしょう)、少なくとも私としては、そうでない人たちと扱いが同じになるということはありません。
龍様
今回問題視しているのは「暴言」であって、その相手が「無礼」だったかどうか、ましてや匿名だったかどうかに関してはまったく関係ありません。以後は暴言に対し厳格に対処します。
龍様の「○○は黙っていろ」という発言が新宿会計士様のサイト運営方針に馴染まないと注意を受けたことを機に、私から見るところの「周回遅れ」勢力が欣喜雀躍しているのが現状かと思います
論理に依らない暴力的な言葉遣いは議論ではありません。一言でいえば暴言です。暴言に共感や同調は致しません。
しかし、議論において暴言に依らず論破されたのであれば、それを受け入れるのも知的態度と言えましょう。
> 常連さんがオラついて横暴の限りを尽し暴れ回っている
とかいう認知の歪みが、真っ当な議論を封殺しないことを祈るのみです。
私も、改めて慇懃(※)な態度に努めようと存じますが、態度と議論内容は連動しません。今後、このサイトの議論がどのように発展するのか、興味深く見て参りたいと思います。
※慇懃の注釈を書き漏らしました。
慇懃: 真心がこもっていて、礼儀正しいこと。
阿野煮鱒様
「周回遅れ」勢力とはどのような人々ですか。匿名であなたに返信する私もその中にはいるのですか。
連投での横からコメント失礼します。
元コメント者様の言われる周回遅れというのは、このブログ(というか、言論サロン?)で幾度となく繰り返されて、参加者の中では結論が出たものと了解されている事柄を無視して、新規な事例や見逃していた事例を挙げることなしに、議論を蒸し返すようなコメント、あるいは、そのコメント者を指すものと、私は理解しました。
もちろん、これだけの人気サイトなので、新規読者が絶えず流入して、古株常連様たちが築き上げてきた業績を知らない方々が多数おられます。そのような方々に、持論を広め、影響力のある世論とすることは、大切なことと思います。周回遅れと切り捨てて議論を閉ざすのではなく、理解、納得される事を目指して対話されるのが望ましいと私は考えます。匿名だから周回遅れという訳ではなく、意見の中身がどうなのか、という事です。