韓国が一方的に悪い時に「双方に反省すべき点がある」と屁理屈を述べるのも韓国の特徴
普段から当ウェブサイトでは、韓国や北朝鮮が大好きな詭弁のことを、「ゼロ対100理論」と呼んでいます。これは、自分たちの側に純粋に100%の過失がある場合でも、たとえば「韓日お互いに悪いところがある」と言い募る屁理屈のことですが、なぜその議論を本稿で説明するのかといえば、その具体的な事例が本当に多いからです。
目次
ゼロ対100理論
普段から当ウェブサイトでは、日韓関係においては「韓国側が『どっちもどっち論』に持ち込もうとする傾向がある」、と申し上げて来ています。あるいは、「ゼロ対100」理論とでも言えばよいでしょうか。
ゼロ対100理論とは?
自分たちの側に100%の過失がある場合でも、インチキ外交の数々を駆使し、過失割合を「50対50」、あるいは「ゼロ対100」だと言い募るなど、まるで相手側にも落ち度があるかのように持っていく、韓国や北朝鮮が好んで使う屁理屈のこと。
この「ゼロ対100」理論、2月に発刊した拙著『韓国がなくても日本経済はまったく心配ない』の57ページ目にも転載したのですが、書評などを拝読する限り、かなり多くの方々に「ああ、なるほど」と納得していただけたようです。
なぜなら、韓国は日本に対し、かなり頻繁に、この「ゼロ対100」に基づいた非難を仕掛けて来るからです。日韓で議論が白熱し、形勢不利と見るや、決まって出てくる「韓日お互いに反省するところはあるが~」、といった表現などは、その典型例でしょう。
そして、この「ゼロ対100」を好んで使うのは、なにも韓国政府関係者に限られません。
韓国メディアの報道などを見ていても、自分の国の悪さを全面的に棚に上げ、相手国のちょっとした言動などを針小棒大に取り上げ、「わが国もたしかに悪いが、日本のこういうところにも反省すべき点がある」、などとやるのを、本当によく見かけます。
東京総局長経験者の「韓日どっちもどっち」論
「本当によく見かける」と申し上げたのは、韓国メディア『中央日報』(日本語版)に本日、そういう典型例があったからです。
【時視各角】賢い韓日外交
―――2021.06.24 10:37付 中央日報日本語版より
記事末尾に「金玄基(キム・ヒョンギ)/巡回特派員」とあります。
この金玄基(きん・げんき)氏という人物は、個人的記憶ベースですが、たしか中央日報の東京総局長を歴任された人物だったはずです。「巡回特派員」ということは、現在は各国を廻っておられるのでしょうか。
ただ、「東京総局長」を経験なさっているほどですから、日本に対する理解も深いのかといえば、まことに失礼ながら、文面からはそのように感じ取ることはできません。
記事冒頭で、刑事事件の被疑者について、韓国では「8割が容疑を否認」するのに対し、日本では「8割が容疑を自白する」という「統計値」を持ち出し、次のように述べるからです。
「この統計値は両国の国民性、文化の違いを見せる。政治と外交のスタイルも同じだ。韓国が主観的な結果を重視するのなら、日本は集団的な手続きに執着する」。
金玄基氏のいう出所不明の「統計値」とやらが正しいのかどうかは知りません。しかし、「執着」という日本に対する悪意が感じられる表現への違和感もさることながら、少なくともこの文章、まったく論理的ではありません。
「韓国が主観的な結果を重視するなら」とくれば、「日本は客観的な結果を重視する」、などと持ってこなければ、対比になりません。あるいは、「日本は集団的な手続を重視するなら」と比べるなら、「韓国はスタンドプレーを重視する」、と来なければおかしい気がします。
ただ、ここであえて、金玄基氏の言わんとするところの意を汲み取るならば、こんなことを主張しているのではないでしょうか。
「韓国は自分にとって『正しい』と主観的に思う事柄に拘泥する一方、日本は集団に対し、客観的に説明できるような手続を重視する」。
このように言い換えると、たしかに、客観的に確認できる事実関係とは非常に整合していますね。
「日韓首脳会談見送り」論を巡る屁理屈
金玄基氏の議論の問題点は、それだけではありません。
6月11日から13日に英国・コーンウォールで開かれたG7サミットのサイドラインでは、日韓首脳会談は実現しませんでしたが、その理由を巡っては韓国側から「首脳会談開催が決まっていたのに日本が一方的にキャンセルした」とする報道が一方的に流れて来ました。
詳しくは『鈴置論考の文在寅氏「ストーカー」説と韓国の「狙い」』などでも取り上げたとおりですが、ここではいちおう、いくつかの韓国メディアが報じた内容の共通点をまとめたものを再掲しておきましょう。
「韓国の外交部当局者は、両国が11~13日に英南西部のコーンウォールで開かれたG7首脳会議の期間中、略式会談を行うことで暫定的に合意していたが、韓国が例年実施している東海・独島の領土守備訓練を理由に、これを一方的にキャンセルしたと明らかにした」。
これについては、日本政府側から即日、「事実ではない」とする反論も出ているわけですが、なぜか韓国ではこれが「事実だ」と完全に定着してしまっているようなのです。
金玄基氏の論考でも、「ソウルと東京の複数の外交筋を通じて確認した前後の事情」と称して、長々、その経緯について振り返ったうえで、こう結論付けます。
「それで結論。韓国と日本の言葉は、共に間違っていない。韓国側から見ると、日本が東海守護訓練を理由に取り消しを建議し、アドリブ会談も避けたので『問題は日本』というのが合う。一方、日本側から見ると、『中止、そしてその理由まで両国が事前に合意したが、どうしてこれが一方的な中止なのか』と反論するのが合う。韓国は結果、日本は手続きだけを見るためにそうだ。それぞれ別のところを見ていたのだ」。
全然違います。
そもそも「日韓両国が事前に首脳会談実施で合意していた」とする韓国メディアの報道は「事実ではない」、というのが日本政府側の主張です。その点に関する説明を避け、「韓日双方が別のところを見ていたのだ」、とは、議論が支離滅裂すぎます。
いったい何をどうやったらこんなメチャクチャな結論になるのでしょうか。
この金玄基氏の議論も、要するに、「韓日首脳会談が開かれなかったことの責任を巡り、双方が激しく言い合った」、などといいたいのだと思いますが、大変残念ながら、日本はそもそも韓国側の議論の土俵にすら乗っていないのです。
「無知と悪意」は韓国のことでしょう
金玄基氏はそのうえで、菅義偉総理が「現地で最も警戒したのは韓国だった」とする朝日新聞の報道(『鈴置論考に反応?韓国政府高官「文在寅氏訪日は未定」』等参照)を引用したうえで、こんな風に述べます。
「韓国も同じだ。青瓦台と政府の関係者が総出動して『意地が悪い』『誘致燦爛』など日本を嘲弄する言葉を次々と出した。これほどになると相手に対する悪意だ」。
これも、「ゼロ対100」の典型的な詭弁でしょう。
日本側では菅総理が本当に韓国を「警戒した」のかどうかはわかりません(※情報源も情報源ですし)。ただ、もし朝日新聞の報道が事実だったとしても、べつに日本が「悪意を持って韓国を批判した」という話にはなりません。
そもそも韓国大統領府や与党政治家、国立外交院長らの「意地が悪い」、「小児病的」、「外交無礼」といった口汚い暴言の数々は、これは客観的に見れば「韓国の日本に対する悪意」そのものでしょう。この点は認めます。
しかし、日本が韓国を「警戒」したことを、同列に扱われても困ります。もしかして、菅総理の意図が、「過去の実例に照らし、迂闊に会って対話をしたら、あとから『あることないこと』をベラベラと喧伝される」のを警戒したのだとすれば、これは正当な行動と呼ぶべきだからです。
それなのに、金玄基氏は記事の末尾の段落で、こう指摘します。
「無知と悪意の韓日外交がまともに進むはずがない」。
ここでいう「無知と悪意」が「韓日両国」を指すことは、文脈上、明らかです。
しかし、少なくとも客観的に見て、現在の韓国政府の言動が「無知と悪意」と批判されても仕方がない点はそのとおりですが、同じ罵倒語を日本政府に対して向けられるいわれはありません。
そもそも日本政府が求めているのは、たとえば「1965年の条約をそのまま受け入れよ、慰安婦合意をそのまま受け入れよ、強制徴用で譲歩せよ」という、近代主権国家としてはごく当たり前の条件であり、それを「外交無礼」と逆ギレするような政府と対話できないのも、仕方がない話でしょう。
文在寅氏訪日なるか?
もっとも、金玄基氏の論考で、賛同できる部分もないわけではありません。それが、次の記述です。
「率直にこうした状況では文大統領が来月、東京オリンピック(五輪)の開会式に行っても両首脳、両国民ともに愉快でないはずだ」。
珍しく、同意します。
日韓関係は、文在寅(ぶん・ざいいん)氏が大統領として在任した2017年5月以降の4年間で、ずいぶんと破壊されました。これには、文在寅氏自身の政権が、2015年12月の慰安婦合意などの約束を反故にしたことも含まれます。
あるいは、過去に天皇陛下を「日王」呼ばわりした男を、日本政府のアグレマンすら得られていない段階で駐日大使に勝手に「内定」して公表したことについても、不法行為と呼ぶ以外に方法はありません。
ただし、中央日報に昨日掲載された次の記事にもあるとおり、文在寅氏が東京五輪の機会を捉えて日本にやってくる、という観測報道はたびたび流れています。
日本、東京五輪時の文大統領訪日を想定して韓国と協議へ
―――2021.06.23 11:19付 中央日報日本語版より
どんな不快な相手国であっても、首脳がやってくる以上は最低限の礼遇をしなければなりません(本当は「礼遇」ではなく「冷遇」と呼びたいところですが…)。
もっとも、2年前の大阪G20サミットのときに、安倍晋三総理大臣が文在寅氏と「8秒間の握手」だけ交わしてあとは放置した、という実例もありますので、菅義偉総理が文在寅氏との首脳会談に応じなくてもなにも不思議はありません。
そして、天皇陛下への謁見を許すかどうかについては、くれぐれも慎重に判断していただきたいところです。
今日のオマケ:「独島で戦犯旗を粉砕」
さて、上記で議論を閉じようと思ったのですが、東京五輪に関連するのでしょうか、いくつか極めて低レベルな話題がありました。そのなかのひとつを、「オマケ」として紹介しておきましょう。
韓国体育関係者、独島で「旭日旗」粉々に…「日本、領土表示の是正を」
―――2021.06.24 11:00付 中央日報日本語版より
内容は、記事タイトルそのままです。
韓国が不法占拠する島根県竹島で「オリンピックの日」である23日、「旭日旗」が描かれた板を、「テコンドー」関係者が足で粉砕した、という記事です。
しかも、中央日報自身も、「旭日旗は第2次世界大戦当時、旧日本軍が使っていた軍国主義を象徴する戦犯旗だ」と、平気でウソを書いているのにも驚きます。
この集団は、「日本は独島が明白な韓国領土であることを認め、誤った地図を直ちに是正せよ」、「歴史歪曲を中断して大韓民国国民に深く謝罪せよ」などと求めたのだそうですが、もはや五輪を政治利用しているのは純粋に韓国の側でしょう。
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このように思考回路や価値観が全く合わず、常に我が国を攻撃してくる隣国が存在する。
こうした関係を正常に戻すためには、ルトワックの「戦争にチャンスを与えよ」的にやはり戦しかないような気がします。
我が国は憲法9条があるので、自ら戦いを行うことはできませんが、自衛権はあります。
地道に正論を発信して行けば、誇大妄想に陥っているかの国は米韓同盟があろうとなかろうと自ら暴発してきます。
韓国との関係はそこからしか修復できないでしょうね。
とくに関係を修復する必要性も見当たりませんので、粛々と非韓三原則を体現してゆくだけで良いかと
北朝鮮が韓国に侵攻したら、韓国は日本に宣戦布告すると思いますよ。
私は「ゼロ対100理論」と言うよりも「縄張圏外における三下ヤクザのいちゃもんつけ」と認識しております。
距離的には自分の周り2メートル、時間的には過去5秒程度しか見えない、そして辺縁系本能に操られてかつ因果関係が理解出来ない輩の所業でしょう。
さらに、私見では「韓国との友好関係関係修復」は「ゴキブリさん達との友好関係関係修復」と同様に不要だと思います。
ゴキブリさん達も、お互いの生活圏外で生息すのなら我々と平和に共存出来ますが、我々の構築した生活圏を侵して悪さをし続けるなら「イミプロトリン」の出番です。
あのー、お約束ですから申し上げます。
あんな連中をゴキブリさんに喩えるなんてゴキブリさんに失礼です。
ゴキブリさんに謝罪と倍賞してください。
ゴキブリさん達、ごめんなさい🙇。
(少し考えてみたら、ゴキブリさん達は自らの生き方に正直であり、平気で約束を破るなんて破廉恥な事はしないですからね。)
ゴキブリさんは、約束なんかしないでしょうけどね。
突き詰めると道理とかではなく、
日本は戦犯国だから主張は一切するなという要求。
これは彼らの中で凝り固まった思考であり、絶対に除去不可。
なのに韓国と対話とか勧める左翼国内メディアはアホかと。
たけさま
対話をした結果が、日韓協定や慰安婦合意です。
対話は、合意が履行される前提でなされるべき。日本政府は、その前提条件を守れと言い、擁韓派はその前提条件を無しに対話をしろと言う。
おかしな話だと思いますよね。
ルールを守らない国と対話しろと言う人は、ルールを守らない人なんですね。
ペテン師にとっては「対話」というのは「相手を騙すチャンスと言う必要不可欠なモノ」なのでしょう。
「ペテン師との対話」を推奨する「朝日」や「日経」は最低でも「未必の故意」を持っているか、悪くすると「共犯者」では?
まさに「ゼロ対100」の屁理屈ですね。かの国はゴールポストどころかもはやスタートラインさえ動かす事も恥じない(そもそも気が付かない?)国だと思うようになりました。
日韓W杯前後の頃は政治や外交などは興味が無かったので
うわべの情報だけ適当に見て、日韓のイザコザも
「お互い仲良くやっとけよ」くらいにしか思ってませんでしたけど、
こちらに落ち度が無いのに「お互い」「双方」って腹立ちますね。
こういうのって国際社会ではあまり認識されてないのかな?
「まぁまぁ日本も意地張るなよ」みたいな感じなんでしょうかね?
そもそも日韓のイザコザなんかより中国のほうが気になるんでしょうけど。
問題を起こしておいて相手にも責任をなすりつける
韓国(や中国)の常套手段をもっと知って欲しいですね。
朝鮮脳で「日本が会談をキャンセルした」が真実になるというのは、私や阿野煮鱒さん、龍さんが最初から言ってました。再三、龍さんが言ってますが、「事実では無く、真実になる」のです。
ですから、この手の社説が出る事は想定内で、朝鮮脳で考えた事をいちいち相手にしても仕方有りません。
新宿会計士さんの赤太字ツッコミは、珍しいですね。
また新宿会計士さんが、細かく反論をしてるので少し。
>この統計値は両国の国民性、文化の違いを見せる。
韓国が主観的な結果を重視する
→主観や感情を重視するだけですね。
日本は集団的な手続きに固執する
→客観的な事実に基づき判断する。
単純に韓国人が、嘘(事実)を認めない事の現れだと思います。
また、日本人は悪い事をしたら反省して罪を償うという意識の現れだと思います。
併合中に悪い事をしていなくても、反省して謝ったように、過剰に反省する民族と、過剰に自己愛の強い民族の対決のような構図ですね。
新宿会計士さまは、国対国の関係と人間同士の関係のアナロジーを論じておられるので、K国も擬人化して論じることができる気がします。
とすると、やっぱり「自己愛性パーソナリティ障害」って言葉が浮かんでしまいますが、私自身、自己愛性パーソナリティ障害の人とどのように接したら良いのか知見がなく、K国に応用しようがない、と思ってしまいます。
朝鮮は、中世も封建制も経験せず、古代社会のまま李朝末期まで過ごし、日本によっていきなり近代化を「強制」されました。
朱子学は、支那では中世に興った思想ですが、古代からあった儒教の焼き直しです。それを朝鮮式にこねくり回して拗らせただけで、到底中世の思想とは言えません。
自称半万年のあいだ古代人でいた人々が、僅か35年の「強制」近代化で近代人になれるはずがありません。実際、日米からのドーピングを受けていない北朝鮮は、たちまちに古代的専制君主社会に先祖返りしました。中国とロシア(ソ連)には自由な社会を注入するつもりはありませんので。
明治の青年達は、西洋文明を取り入れて日本社会を近代化し、富国強兵する事に邁進しました。その輝かしい側面だけが取り上げられがちですが、日本の伝統的精神と西洋のそれとの乖離の激しさに絶望を味わい、伝統を捨てなければ西洋文明を取り入れられないと悩み苦しんだ若者が多数いました。ロンドンに留学中に心を病んだ夏目漱石が典型例です。彼は漢籍に精通した教養人であったため、表面的に英語を学ぶに留まるは余りにも深い洞察力があり、彼我の違いに苦しんだのです。だからこそ、“I love you”を「月がきれいですね」と訳すようなユーモラスな考察もできたのでしょう。
翻って朝鮮の両班達はどうでしょうか。現実を軽んじ、空理空論の党争に明け暮れていた彼らに、明治の若者のような煩悶はあったでしょうか(修辞疑問文)。深い洞察やユーモアがあったでしょうか(修辞疑問文)。
つまり、韓国人は、未だに近代合理精神を身につけていないのです。精神の下層には性理学的思考を保ち、華夷秩序に基づき日本を卑下し、中層には戦後に創られた「民族主義」と「反日」を詰め込み、表層に形だけの民主主義と自由主義いわば「ネクタイを締めた古代人」です。何しろ、戦後になっても軍事独裁政権が続き、文民政治が成立したのは1987年6月の金泳三からです。彼らの民主主義は、僅か34年の歴史しかないのです。
> いったい何をどうやったらこんなメチャクチャな結論になるのでしょうか。
だから、新宿会計士様が繰り返し批判するところの論理性の欠如は、なるべくしてなっているのであり、無い袖は振れない、できないものはできないのです。
日本人には、世界の人々は日本人と同じ精神を宿していると信じ込む悪癖があります。良かれ悪しかれ、他国人・他民族は、日本人とは全く異質の精神構造を持っている前提で考えることが、いつになったらできるようになるのでしょうか(修辞疑問文)。
日本人的価値観、日本人的論理で、他国人の思考を批判しても仕方がないのです。異なる思考を受け入れ、同調する必要は必ずしもありません。ただ異なるものと認識して、拒絶するなり無視するなり観察するなりすればよいのです。
G7諸国とFOIP参加国くらいは、意見の一致を目指して相互理解する努力はすべきでしょうが、そうでない諸国、なかんずく特定アジア三国に対しては、一致は不可能と割り切った上で、日本の国益を守るために連中との付き合い方を研ぎ澄ますべきでしょう。
編集ミスがありました。
> 表層に形だけの民主主義と自由主義いわば「ネクタイを締めた古代人」です。
表層に形だけの民主主義と自由主義の薄皮をまとった、いわば「ネクタイを締めた古代人」です。
本筋ではないところで、一つコメントさせて下さい。北朝鮮の疑似王政は、古代的専制君主国家とも言えるでしようが、為政者が意識したのは旧大日本帝国の天皇制でしょう。
戦前の天皇制に恋い焦がれ、劣化コピーした結果が現在の北朝鮮の体制なのです。
同意しません。明治天皇、大正天皇、昭和天皇が、どれほど議会の決定を尊重し、大権を振るわぬように努力なさったことか。金王朝は何も大日本帝国を理解していません。昭和初期から敗戦に至るまでの一時期に猛威を振るった軍国主義は、北朝鮮に大いに影響を与えたと思いますが、それは天皇制の本領ではなく、統帥権干犯などという屁理屈をこねた軍部と立憲政友会の短慮の結果です。
ちょっと同意しかねます。
大日本帝国は立憲君主国家であって、けして専制国家ではありませんでした。そのことを一番よく理解していたのが昭和天皇です。
美濃部達吉の天皇機関説が騒ぎになった頃、昭和天皇が「機関説で何も不都合はない」と漏らしていたという話が、(確か)入江相政氏の著書にありましたし、憲法を少々踏み越えたかもしれないと反省されていた、226事件処理や終戦の聖断にしても、226事件の際は首相が生死不明、さらに統帥部もぐずぐずしているばかりという状況でしたし、聖断の際も、わざわざ枢密院議長を参席させ、条約締結手続きを遵守するようにしています。あるいは天皇大権についても、発動は決して無制限ではなく、さらに議会の協賛を必要としていました。つまり、帝国憲法下の日本では、天皇だって法の下にあり、法を超越した存在では決してありませんでした。
北朝鮮が体制構築のモデルとしたのは、おそらくスターリン体制でしょう。金日成が世襲という、社会主義にあるまじき権力継承を行うようになった理由の一つが、スターリン死後に巻き起こったスターリン批判です。スターリン批判はスターリンの後継者だったフルシチョフによって行われましたが、金日成は息子が後継者ならば自分の死後に批判されることもあるまいと考えたという説が結構有力です。
血統カリスマによる継承という点では、何も天皇を参考にしなくても、李朝というモデルが存在しました。そして、核心階層による敵対階層の収奪という社会構造は、両班と白丁の関係に似ています。もし、日本の天皇を参考にしたのであれば、一君万民という構造を指向するでしょう。
以上から、北朝鮮の体制が戦前の日本の体制を下手糞に真似たという説には同意しかねます。まず、帝国憲法下の体制への誤解があるように見受けられます。
阿野煮鱒様、龍様、
天皇制に恋い焦がれて劣化コピーすることは、必ずしも天皇制と同じになっているということではありません。
金日成が当初スターリン体制を模していたことは、龍様がご指摘されている通りです。フルシチョフによるスターリン批判後、北朝鮮はチュチェ主義を打ち出し独自路線に走り始めますが、個人崇拝が強化されたのはこの頃です。
国民からの敬意も薄かった李朝ではなく、国民からの信頼が厚い日本の天皇制に憧れ、それを人工的に作りだそうとしたようです。
もにろん、何から何まで天皇制と同じにしようとしたわけではありません。彼らが再現したかったのは、神聖性と国民からの尊敬の部分ですね。
(現実に国民から自発的な尊敬を受けれてるかどうかは、また別の話です。)
天皇の持つ神聖性に憧れたからこそそれを模そうとしたという説には、やはり同意できません。
社会主義にあるまじき血統カリスマによる継承を正当化するために、神聖性を付与するべく様々な「神話」を作ったと解した方が自然だと思います。つまり、まず一番重要だったのが息子への権力継承であり、神聖性は後付けの理屈でしかなかったと考えます。
また、国民からの尊崇を受けたかったからというのも少々疑問です。極端に言えば、金日成あるいは金正日にとって必要なのは、核心階層からの尊崇であり、動揺階層以下にどう思われていようと気にしていなかったのではないかと思えるからです。もしも全国民からの尊崇を得たいと考えていたのであれば、わざわざ54もの「成分」を設定する必要がありません。
神聖性を帯びた血統カリスマという点で、金日成父子が天皇に憧れたという可能性はけして排除しませんが、それはあくまでも結果論であって、そもそもの動機であったと考えるべき要因はないと思います。
龍様、
ご返答ありがとうございます。意見が違っても学ぶことが多い方からの返信は嬉しいですね。
さて、神聖性の訴求は日本の天皇制を真似たのか、たまたまなのかは推察するしかないわけてすが、前体制からの構造を引き継いだと考えるのが説得力があるように思います。
第二次大戦後、日本本土では天皇制の存在が小さくなり、そこにできた精神的真空にマッカーサー、アメリカ、民主主義、空想的平和主義が収まりましたが、北朝鮮では、そこに金日成、スターリン主義、社会主義が収まったということです。
成分の設定はむしろ、金日成への忠誠度≒尊敬を集めるために行っていますね。国民の平等性が高かった日本とは手段が違いますが。
北朝鮮の学校教育で金日成の賛美の仕方は戦前の天皇賛美と類似していることはよく言われます。日本の朝鮮学校でも同様なようでして、戦前の日本の教育を知る在日の人たちは、そこに北朝鮮と戦前の日本の不思議な繋がりを見出すようです。
世襲に関しては金正日が、明確に象徴天皇制を参考にしたそうです。韓国情報部がこれは上記で書いた類似性とは少し異なる話ですが。
https://japan-indepth.jp/?p=34997
「形の上で似ているところがあっても、中身は正反対だ」と、思われるかもしれませんが、そこはやはり劣化コピーだということで。
なお、北朝鮮と大日本帝国の類似性に関する冗談、ご存知かもしれませんが、ご紹介しておきます。
https://fknews-2ch.net/archives/36503822.html
あくまで冗談ですが、意外と鋭いと思う点もあります。
韓国や韓国のマスコミは、G7で日韓の首脳会談が決まっていたのに竹島での軍事演習を名目に日本が断ったと言っている、ということですよね。
これって首脳会談が決まっていたのが本当だとしても、それに合わせた日程で竹島での軍事演習をするのなら、会談を断って当然ではないでしょうか。
G7で立ち話でも良いから会談をして、そこに軍事演習をぶつけてやろうと考えていたということでしょう。
韓国は友好を装ったところにこういう姑息なことをするのが得意ですよね。
自衛隊がイラクに派遣されていた時に、末端の隊員と韓国隊の末端の隊員が撮った記念写真(当然友好を装った)で、後側に立った韓国の隊員が「独島は我が領土」と書いた横断幕を掲げていたのを思い出しました。
嫌がらせの技術だけは天才的で、何も考えず自然に出てくるのでしょう。
価値観が全然違い、反日行為を是とする朝鮮人と、何度も謝罪させられ韓国に配慮ばかりして来た日本人とは、話し合っても文章にしても、また蒸し返されるだけ。最早「断交」に行くしかないと思います。今はその過渡期です。
何が言いたいのか、韓国新聞の社説(日本もなんだが)一つ取っても、無駄に長文で修飾語が多く、古代ローマ帝国やケルト人(は無いか)、チンギス・ハーンの事とかを現在の韓国情勢を混ぜて書く、お花畑理論にはとても付いていけません。要は自分の立ち位置が根無草で、ふわふわ流動しているのです。
局長級、次官級、大臣級の日韓会談しても、すべて徒労に終わります。何しろ0対100ですから。
金玄基氏の発言を意訳していただき、「韓国は自分にとって『正しい』と主観的に思う事柄に拘泥する一方、日本は集団に対し、客観的に説明できるような手続を重視する」と会計士さん。
ん〜そうですね。私はもう朝鮮人に何の期待もしてないので、ざっくばらんに言うと、韓国は『自分さえ良ければいい、我を通す。通るまで屁理屈言う、通らねば夜叉の如く怒り出す』じゃないですか?
日本は『周囲を納得出来るような事実関係と、一方的に口撃するでなく、相手の立場も尊重する』でしょう。世界中を渡り鳥しているという、このおっさん「アドリブ会談(首脳会談がアドリブで出来るんですか?ケッコーな人らですな〜笑)は韓日双方が別のところを見ていた」(笑)。いや、ハナから会談無いし。もう言いがかりのレベルを越えてまっせ!
最後に、ちょっと読者の皆様からお叱りを受けるようなコトを書きます。一言で言うと、『東京五輪は全然盛り上がってないのでは?』です。首都圏なら話題になっているのでしょうが、私の住む関西エリアでは、巨大なポスターや液晶の掲示板、幟、日程、その他目に入るモノ、まったくありません。嘘じゃないです。
モールや商店街、百貨店、ターミナル駅でも同じです。かと言って「ヤメロ」という空気でも無いです。何か遠い所で日本のオリンピックがあるねんな〜。やっぱり開催するのがいいと思うよ、という感じです。東京だから関心ナシではありません。
このままで開催していいんでしょうか?いいと思います(笑)。今回はコロナ禍を乗り越え、粛々と日程をこなす。コレだけで大成功。あ、そういえば2025大阪万博のポスターや広告は良く目立ってます。 オワリ。
韓国人の嫌がらせ=反日行為は、愛国と結び付いていました(現在は微妙)。
旭日旗の猿も、「愛国者アピール」の部分が有ります。
何故かというと愛国者は、韓国内で特別扱いされるんです。
日帝に抵抗した独立運動家の家系は特権階級となり、親日派の家系は財産を奪われる。
大口さんのブログです。
https://sp.ch.nicovideo.jp/ooguchib/blomaga/ar1123868
反日=愛国者になっているところが、日本にとっての問題点です。
だんだんと、韓国左右葛藤の道具になりつつ有り、私は反日階層化社会になると妄想しています。