ブ評論活動用のメモを読み返していると、『週刊東洋経済(2011年2月19日号)』の記事をもとに、『テレビ局は進化しないで滅びる』と題したメモを発見しました。驚くことに、先週の『テレビ業界の「コロナ減益」は業界没落の始まりなのか』などでも述べたのと同じような内容が、10年前の時点で書かれていたのです。
ウェブ評論10年の「成果」
著者自身、「新宿会計士」名義でウェブ評論活動を開始したのが2010年7月のことであり、それ以来、時期的に「波」はあったものの、何とか途切れずにウェブ評論活動を続けてきました。
といっても、ごく初期のころは、大手ブログサービスを利用してブログを解説していたものの、まったく無名に近い状態であり、アクセス数は本当に限られたものでした。手元メモを確認してみると、多い日でも1日数百ページビュー(PV)に過ぎなかったのです。
ただ、ウェブ評論をやっていると、多くの場合、さまざまな報道記事やデータなどをもとに手元メモや各種資料を作成しますし、それらの多くはデータの形で現在のPCにも引き継いでいます。これらのデータやメモを読み返すと、その時点の最新データに基づくその時点の判断過程などの記憶が蘇ってきたりもするのです。
これこそ、長くウェブ評論をやっていて「良かった」と思える点のひとつでしょう。
テレビ局の退潮に歯止めかからず
こうしたなか、今月11日には東日本大震災から10年の節目を迎えました。その関係で、2011年3月11日前後の自分自身のメモを読み返していたのですが、こんな話題を発見しました。
「テレビ局の退潮に歯止めがかからない」。
これは、いったいどういうことでしょうか。
このメモは、こんな書き出しで始まります。
「最新版の『週刊東洋経済』(2011年2月19日号)P47によれば、在京キー局5社の2011年3月期における業績予想によれば、営業利益は合計800億円台で、これは2010年3月期の400億円台と比べ、倍近い水準だ」。
なんだ、営業利益が倍増するのなら、「テレビ局の退潮」ではないじゃないか。
そう思ってしまいますが、これには続きがあります。
「しかし、その業績の急回復は、売上が伸びたことによるものではない。東洋経済の記事によれば、あくまでも制作費を削ったことが原因だそうだ。もしこの記事の記載が正しければ、これなど、テレビ局で一種の『負のスパイラル』が生じている証拠ではないだろうか」。
そのうえで、この「負のスパイラル」については、次のような説明が続くのです。
- ①テレビのコンテンツのレベルが下がる
- ②知的水準が高い人や比較的所得が高い層がテレビの視聴を止める
- ③それらの層を対象としたスポンサーがテレビから離れる
- ④テレビ局の利益が減る
- ⑤番組制作費を削減する
- ⑥①に戻る
…。
この文章、時期と金額を変えれば、「現在の文章です」といっても通用しそうな気がします。
実際、当ウェブサイトにちょうど先週掲載した『テレビ業界の「コロナ減益」は業界没落の始まりなのか』で取り上げた内容とも整合しているのですが、改めて自分自身の10年前のメモを読んで、すでに当時からその兆候があったことに改めて驚いた次第です。
「TV局は進化せず滅びる」?
さて、このメモで言及されている『週刊東洋経済(2011年2月19日号)』のキャッチコピーは「進化しないTV局は滅びる!」というものだったのだそうであり、これに自分で「『TVは進化しないで滅びる』に見えてしまった」というツッコミを入れているのですが、あながち間違いではなかったのかもしれませんね。
もっとも、残念ながらその号については捨ててしまい、すでに手元には残っていません。この点、場所を選ばずに仕事ができるという電子媒体の強さに慣れると、紙媒体の限界を感じずにはいられないのです。
ところで、今から10年前といえば、現在とは比べ物にならないほど、テレビ局の経営には余裕があったはずです。ただ、一般論ですが、危機が近づいていたとしても、経営に余裕があるうちは、それに気づかないものかもしれません。
実際、手元メモには、こんな趣旨の記述もあります。
「とはいえ、新聞社もテレビ局も、まだまだ経営には余裕がある。それに、テレビの視聴者離れ、新聞の読者離れは、まだ始まったばかりだ。彼らが今すぐこれに気付いて、適切に対処すれば、このスパイラルを抜け出すことは不可能ではない、という見方もあるかもしれない」。
「しかし、私はそのような見方に同意しない。テレビ番組とはテレビのコンテンツであり、テレビの存在意義そのものだからだ。その存在意義であるところのテレビ番組を作るコストをケチるのは、自分で自分の存在意義を否定しているのと同じである」。
我ながら、よくそこまでの認識を得ていたものだと思います。
定点観測の強み
そういえば、テレビ局が「我が世の春」を謳歌していたのは、1980年代から90年代あたりまでの話だったのではないかと思いますが、当時を知る人からは、歌番組にしろトーク番組にしろ、スタジオセットが非常に豪華だった、とする思い出を聞くこともあります。
こうした「長い目で見た変化」を補助線にすれば、業界そのものがどこに向かっているのかを、かなりの確度を伴って予想することができるのかもしれません。おそらく今から10年後には、経営体力のない地方局のなかには廃局(または在京局などの傘下入り)を選ぶケースも出てくるでしょう。
そして、10年から20年というタームで見れば、在京キー局にしたって、経営は安泰ではないのではないかと思う次第です(いや、もう少し早いかな…?)。
View Comments (17)
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
(そう自分に言い聞かせないと、テレビ業界と同じく、自分は間違えない存在と自惚れそうなので)
10年前からの問題を引きずっていることが、テレビ業界衰退の象徴ではないでしょうか。もしかしたら、10年前は「自分の定年まで、後10年だから、改革は、その後にしてくれ」と言っていたのではないでしょうか。(そして、今は別の人が同じことを言っているのです)
駄文にて失礼しました。
新聞は完全に構造不況ですが、テレビはまだ需要があると思います。まあ私は見ませんし、若者もだいぶテレビ離れしていますが。テレビ離れは不況になりテレビ制作費を削減せざるを得なくなったからだと私も思います。GDPが500兆円から20年成長していませんから。
新聞社・テレビ局は財務省に言われるまま消費税増税と緊縮財政をプロパガンダしてきました。その当然の帰結です。年3%経済成長していればGDPは1000兆円を越えていましたし、テレビ局も制作費を削減してつまらないからテレビ離れが進むという悪循環に陥らなかったでしょう。経済が落ち込めば苦しむのは国民だけではないのです。
マスコミが誤った主張を繰り返したことにより日本の地盤沈下が起きた記事を貼っておきます。
テレビも最終的には広告なしの有料配信に移行するしかないでしょう。その場合,電波を使った8K, 16K方法に意味があるかどうか怪しいです。PCやスマホでテレビを視聴するのも,それほど悪くないです。
そもそも「広告」の方法が新聞・雑誌・テレビを使う効果が低減してきて,WEB上のうるさい広告もユーザーらか嫌われるだけで,宣伝費をかける意味はないと思います。賢い消費者は,カタログを比較したり,ユーザーの口コミ分析して購入商品を決めるので,情報弱者の減少を共に,従来型の広告産業も衰退すると思います。自分自身,広告を見て購入した,というもんが思い当たりません。WEBで検索しているうちに発見した商品は沢山ありますが,商品比較記事が元になっているものが多いです。食べ物だと「美味しいもの」だけ繰り返し購入します。いくら広告費をかけても,おいしくないとダメです。余談ですが,コロナのせいで高級料亭専用の食料品が少数ながら市場に出回っていて,家庭で料理して食べても一般的な食料品よりずっと美味しかったです。
P.S. 今日のお昼はサクラを眺めていました。
愛読者様
媒体を限定せず露出量を増やそうと考えた「広告」が、消費者に受け入れられなくなっているのかもしれませんね。新聞、雑誌、テレビはそもそも媒体自体が見られなくなっていますし、ネットにしても目的があって閲覧中に出るポップアップ広告は、内容なんか見ないでただウザいとしか思えません。キャリアがスマホへやたらと送ってくるメールやニュースも同じで、1割も開封していない気がします。
そういえば、当サイトでもポータルからコンテンツに移る前に、中間広告ページが出てくることがありますね。スポンサーなのかもしれませんが、早くコンテンツを読みたいと思っている時は、本当に邪魔だと思ってネガティブに見てしまっています。
大筋には賛同いたしますが、幾つか異論があります。
> 賢い消費者は,カタログを比較したり,ユーザーの口コミ分析して購入商品を決めるので
まず、多くの消費者はそれほど賢くありません。調べてから買う人は案外少ないのです。PTA役員をやったとき、職場の同僚と違い、考えない大人の多いことに驚きました。
それから、口コミがどれくらい当てになるかも微妙です。私は価格.comやAmazonのレビューを信じません。嘘だらけという意味ではなく、見る目の確かさを疑っています。
カタログ比較、あるいは、メーカー・サイトの商品ページでスペックを比較する人は、口コミは参考程度にしていると思います。
前にも話題にしましたが、「記事は読まないが新聞紙は必要だ」といって、使い切れない量の雑紙に毎月4千円を払い、「チラシが必要だから新聞購読を止めない」といって、10円安い特売品を求めて高いガソリンをまき散らす人々が沢山居るのです。「経済合理性、何それ美味しいの」です。
何も考えたくない人にとって、一方通行の広告はまだまだ威力があると思います。何も考えない人の割合は、人類が人類である限り変わりませんので、押し付け広告は、媒体・手段は違っても、今後も有効でしょう。
TV局が生き残るか否かは、単純に企業からのCM収入にかかっているかと思いますが、競合のネット配信コンテンツの質が上がる一方なので、どう考えても下がっていくとしか思えませんね。
芸能人を一切使わずにコスト削減を行い、良質なニュースや社会テーマを扱う迫真のノンフィクション番組、本当の専門家による時事番組等を流すのなら、一定の視聴者数はキープされるでしょうから、TV局が死に絶えることも無いでしょう。
しかし今のように、電通や芸能事務所のごり押しで、観たくもない芸の無い高ギャラ芸能人を使った下らないクイズ番組やワイドショー等が続くならば、いずれ死に絶えるでしょうね、アーメン。。
TV屋さんは少し前、「地デジ化」を大革新かのように踊っていました。結果は単に技術方式が変わっただけで、制作内容はなーんも変わりませんでした。個人的には地デ鹿のセコい著作権やらの横暴から生まれたアナロ熊で笑ったくらいですかね。
双方向通信を活かすとか、番組に干渉させずに枠外でCMを映すとかユーザー嗜好に結び付けるとか、新たに得たはずの「デジタルデータ利用」の方法は何も活かしませんでした。視聴数(not率)などを簡単に正確にカウントできるようになっただろうに、むしろ忌避したとすら思えます。
あ、ひとつ素晴らしい機能はありましたね。リモコンの色ボタンを押してアンケート!ジャンケン!わあ楽しい(無感情) でも正解を貯めるとプレゼントがもらえる?そんなもん昔からハガキでやってたろ。
総務省騒動でも見えたように、TV業界を動かしているのはTV局(キー大手)だけです。しかも実情をなるべく変えたくない人たち。芸能界は華やかで金額が大きそうでも、くっついてるだけ。対して、伸びが著しいネット媒体はあらゆる団体・個人が参画し、最先端の技術を創り続ける企業があらゆる手法を投入し続けています。それぞれの未来に差が出ない方がおかしい。
何年も前にフジの社長だったか、TVは必要なんだーとか言ってた気がしますが、なればこそスクラップ&ビルドの覚悟をしたら如何かと思います。
外資が法律をかいくぐってでも20%を超えて投資する価値が有る程度には、プロパガンダの片棒を担げる力がテレビにはあるのでしょう。大半の人からは鼻つまみもの扱いされたとしても、残りの人に毒水を流し続けて、全体としては一定の(悪)影響を保つように思います。
Aljazeera のドキュメンタリー番組、硬派でしびれますよ。
「ジャーナリズムぶっている」「ふりをしている」じゃまるでないからです。
アメリカに媚びる、アメリカに頭が上がらない、そうゆう視点で「ぶってる」わけでない。つきつめるとそうゆうことです。
フランスのテレビとか
イギリスのテレビとか
ドイツのテレビとか
イタリアのテレビとか
カナダのテレビってどうなってるんでしょうね
更新ありがとうございます。
テレビが視聴者からソッポ向かれ、見ない人(家に無い人、あっても見ない人)が増えたのは、詰まるところ自業自得で知恵の足りなさから、回復は不可能だと思います。テレビジョンが今や廃局も出ようかというご時世になりましたが、主たる原因を以下の通り考えてみました。
①NHK以外の民放局では、収益をスポンサー(CM)から得ている為、スポンサーのイメージダウンに繋がる事は放送出来なかった。
②電波が民間に解放された時、認可のハードルが高く、それまでのマスコミをほぼ独占していた大手新聞社の傘下として生まれ、その後新規参入は殆ど出来なかった。つまりテレビー新聞社ーラジオというマスメディアを僅か数グループに握らせてしまった(地方紙ー独立局を除く)。
③テレビジョンの進出前は映画産業が国民のほぼ唯一の気軽に接するメディアだった。しかしコンテンツは娯楽映画とニュース程度。テレビジョンの誕生で、数年で王座から陥落。しかし、テレビ局は、映画の衰退の二の舞を演ずる事になってしまいました。
④映画産業は、それまで舞台でしか見れない俳優をスクリーンを通して大画面で見れる。しかし大衆娯楽の映画(興行物)にとどまり、幕間にニュースを流す程度でした。戦後スグから米国の影響を受けてカラー化も進んでいたのに、大小スクリーンはさまざまで、不衛生な小屋、臭い汚い小屋も多数あった(冷房は何故かあった 笑)。
⑤テレビジョンは、それこそ初期15年ほどは白黒画面だったが、ドラマあり歌番組ありクイズ番組ありニュースあり天気予報ありで、娯楽の王様に君臨しました。でも映画の失敗を繰り返した。テレビ局トップがもっと真剣に考えれば、「何でもアリの総花」では、低劣な作りではやがて廃れるのは分かっていたはず。
⑥しかし、安楽直の路線を突っ走ってしまいます。テレビの全盛期は昭和39年〜平成22年頃(1964〜2010年)かと勝手に推測しています。39年は言わずとも東京五輪の年、22年は平成生まれが成人した時(正確には21年)。新しい世代が中心になり始めた頃で、電子ゲーム、携帯、スマホが当たり前の子達です。テレビ不要世代が増えました。
⑦私見ですが、テレビの衰退は地デジ化も影響したのではないかと思います。ブラウン管から液晶テレビに買い替える、確かに高輝度で細かい所まで明細に視れますが、内容は全然進化して無い。薄い。確か20年前ならプラズマでも液晶でも32型日本製で20万円以上しました。とても買えません。でも購入した人は多いでしょう。
⑧ここ数年は安普請の造りのクイズ番組や地方をブラブラするだけの「旅行記」(あんなん来たら邪魔やろ)、政権批判のワイドショーとコメンテーターの低脳ぶり、ドラマは若手の安っすい俳優の起用。ニュースはNHK始め左傾化が著しい。とても見れません。 以上。
テレビも進化しませんがドラマも邦画もこの10年変わり映えがしませんね。
邦画、特有の画面が暗い。何を喋っているか聞き取れない(字幕が必要)男優が絶叫する。感動の押し売り。等、悪癖はついに治らなかったようです。10年後も同じ様なことをしていたらと思うとゾッとします。
一週間ほど前に、物心ついた頃からPC・スマホに接している世代に置き換わって行く旨コメントしましたが、そもそもテレビ・映画業界を目指す人は、皆同じような思想・思考様式なのでしょうかね…
案件が何であれ恋愛沙汰か政府批判のどちらかを押し込んでくる映画に辟易したのが十数年前ですが、変わったかもと感じられる情報も届いていないです。
ちゃんと見てから意見を述べろって?混雑と勤務態度と遵法闘争に辟易して国鉄からマイカー・高速バスに転移した人にとっては、ちょっと愛想が良くなったからといって電車に戻る義理はありません。昭和62年4月に匹敵する変革を遂げて、やっと振り向いて貰えるのではないでしょうか。
地デジ化にあたり、家に「一人1台」置いていた固定TVのうち1台だけ地デジ対応に更新して残りはワンセグ携帯電話で代用、その後スマホに買換えた時点で個人用TVが消滅したご家庭もあると推察します。と言いつつ、私の実家は固定TVを全部更新してしまい、地デジ普及率300%!!になってしてしまいました。
TVという電気製品を NHK 放送技研と政府が「自分たちの道具」と誤解しているらしいことに数年前ようやく気が付いて、あきれたことがあります。
電機業界は TV なんてどうでもいいと考えている。儲からないから。売れないし。利益でるはずないし。これまでは NHK 放送技研や政府のいいつけをまもって商品開発してきたが、もう耳を貸すつもりは一切ないのです。アウトですよね。NHK 放送技研のひとが講演で新しい TV を作ってくださいと真顔で言ってました。畑違いの場にのこのこ出て来て、きっと誰にも相手されてないからこんなことを。黙って拝聴していた技術者たちはしれっとスルーしてましたよ。