先日の『野党再編、誰のため?有権者よ、政治家の資質を見抜け』では少しだけ「職業論」を取り上げたのですが、読者コメント欄でリクエストがあったので、本稿では時事的な話題から離れ、当ウェブサイトとしては珍しく、「社会人と仕事」について考えてみたいと思います。好きこそものの上手なれ、という格言にもありますが、せっかく仕事をするのならば、「好きなこと」で生きていくというのは非常に幸せなことではないかと思う次第です。
目次
たまには仕事論も…
経済学から見た「仕事と賃金の関係」
先日の『野党再編、誰のため?有権者よ、政治家の資質を見抜け』では、「野党再編」という時事的な話題を取り上げました。
その際、本論と無関係なところで、独断と偏見に基づく個人的な「職業論」を、ほんの少しだけ展開しました。
あらためて指摘しておきますが、もしも人間が経済学のモデルなどに存在する「極端に合理的な存在」だったとしたら、その人は「自分の能力、自分が働きたいと思う時間などに照らし、最も効率的にカネを稼ぐことができる仕事」を選ぶはずだ、というのが、そもそもの疑問の出発点です。
もう少しきちんとモデル化しておきましょう。ここでは、2つの仮定を置きます。
- (A)人間にとって仕事時間は苦痛であり、余暇時間が増えるほど嬉しい
- (B)仕事をしないとカネがもらえないし、人間はカネがもらえるほど嬉しい
当たり前の話ですが、すべての人にとって1日は等しく24時間です。そして、通勤時間や食事時間、休憩時間、睡眠時間、休日などの議論を一切無視し、この24時間を単純に「1日の労働時間W」と「1日の余暇時間L」に分けると、Lは次の①式で定義されます。
W=24-L…①
その一方で、その人の給料が、単純に「時給R×働いた時間W」だけで決定されるとしましょう。このとき、この人が稼げるおカネ(G)は、次の②式で決定されます。
G=RW…②
ここで、(B)式を変形すると、次の③式が成り立ちます。
G=R(24−L)…③
この③式、じっくり眺めてみると興味深いです。
稼ぐおカネ(G)を最大化しようと思えば余暇時間(L)をゼロにするしかありませんし、余暇時間を最大化しようと思えば稼げるおカネ(G)はゼロになってしまうからです。
そして、人々は自身の「効用関数」(LとGの最適配分を決める計算式)に従い、最適な労働時間Wを決定している、というのが、経済学の典型的な考え方なのです。
現実の人間は経済学に当てはまらない!?
ところが、人間、必ずしもこの「効用関数」とやらに従った働き方をしているとは限りません。
多くの人は、「カネにもならないのにやたらと一生懸命働いている」という事例を、ひとつやふたつは知っているのではないでしょうか(自分の周囲にそのような人がいるという場合もあれば、自分自身がそうである、という場合もあります)。
その理由とは、結局のところ、「人間は合理的な存在である」、「労働時間は効用関数によってきめられている」、などとする経済学の仮定自体が間違っているから(あるいは物事を単純化しすぎているから)だと思います。
これについて考えるヒントとして、先日の議論では、とりあえずその入り口として、マズローの「欲求5段階説」を紹介しました。これは、人間には生物としての本能に基づく欲求だけでなく、「人間社会において認められたい」という欲求がある、とする議論です。
マズローの「5段階の欲求」
- ①生理的欲求
- ②安全の欲求
- ③社会的欲求
- ④承認の欲求
- ⑤自己実現欲求
本稿では、この5つの欲求について、学問的に詳しく突き詰めて説明するつもりはありません。
ただ、ごくおおざっぱに分類すれば、人間はカスミを食って生きているわけではなく、やはり、日々、ご飯を食べたり、服を着たり、風呂に入ったりして生きていますし、健康で文化的な暮らしを営むためには、ある程度の広さに家に住み、便利な家電などを揃えたりする必要もあるでしょう(上記①、②)。
さらに、こうした最低限の欲求が満たされたら、今度は「この社会で自分の居場所が欲しい」、「自分がこの社会で必要とされているという実感が欲しい」、という具合に、欲求が次第に高レベル化していきます(上記③、④)。
そのうえで、最終的には「自分自身の潜在能力を最大限に生かし、自分を実現する」という欲求が、上記⑤の「自己実現欲求」なのだそうです。
このマズローの仮説、個人的には違和感を覚える部分もないではありませんが、「カネのためにならない仕事を一生懸命にやる」という人間の行動に対する説明としては、部分的には納得がいくものでもあります。
雇われ人としての生き方
仕事を決める「4つの要素」
ではなぜ、人間の欲求と仕事を絡めて議論する必要があるのでしょうか。
その理由はおそらく、人間にとって仕事とは、1日のうちの非常に長い時間を過ごすものであるとともに、下手をすれば一生涯付き合っていくようなものだからです。
そして、「自分が好きなこと・やっていて苦ではないこと」を自分自身の仕事にできるならば、その人の人生はとっても幸せなものではないか、という気がします。
ただし、現実には、世の中のすべての人々が、「好きなこと」を仕事にすることができるわけではありませんし、現在の自分自身の仕事が「大好き」だと即答できる社会人が世の中の多数派を占めているとは思えません。多くの人は、何らかの妥協を強いられているようです。
とくに、自営業者や起業家などでない限り、たいていの人は会社なり役所なりに入り、雇われ人として働くことにならざるを得ません。
では、その「妥協」とは、いったい何なのでしょうか。また、人々が退職に追い込まれる要因とは、いったい何なのでしょうか。
この点、「新宿会計士」自身は単なる金融評論家に過ぎず、転職コンサルタントでもなければ、心理学者でも社会学者でもありません。しかし、これまでの経験や観察を通じ、人が雇われ人として仕事を続ける理由は、大きく「4つの要素」があるのではないか、と思うようになりました。
それは、①給料(カネ)、②仕事内容、③職責、④職場の人間関係です。
冒頭で紹介した関数「給料=時給×労働時間」は、このうちの①の部分についてしか説明していません。現実には、おそらく①以外にも②~④のような要素が存在するのです。
仕事内容が大事!
このうち、①以外で特に重要なのが、「②仕事内容」の部分だと思います。
これは、その仕事をするうえでの専門性、その仕事をすること自体がその人にとって楽しいかどうか、その仕事を通じてその人が成長できているという実感を持つことができるかどうか、といった側面があり、マズローの「欲求5段階説」でいうところの「⑤自己実現欲求」に相当するものでしょう。
あるいは、その仕事を通じてその人が成長していけるならば、時間あたりで稼げるカネも増えますし、仕事を通じて多くの人の尊敬を集めることだって可能です。
また、「③職責」とは、その人が自身の仕事でどれだけの裁量を持っているか、どのくらいの地位にいるか、という言い方をしてもよいかもしれません。人間、誰だって他人に頼られたり、他人に指図を出す立場になったりすれば、嬉しいと思うものです。
最後の「④人間関係」については、言わずもがなでしょう。
つまり、上記仮説に基づけば、人々が働く動機は、カネだけでなく、仕事内容そのもの、その仕事に伴う職責、人間関係などに大きく依存するのであり、このうちのいずれかに対する満足度が欠けると、その人はその仕事(あるいはその職場)に魅力を感じなくなります。
あくまでも個人的な経験や主観ですが、4つの要素(①給料、②仕事内容、③職責、④人間関係)のうち3つが損なわれると、その人は仕事を辞めてしまうか、あるいは極端に無気力になってしまうか、そのいずれかです。
ちなみにある人物の転職経歴は、次のとおりです。
- とある業界の小規模な事務所に入社したが、仕事のスケールが小さくてつまらないと感じたことに加え、給料も低く、かつ、小さな事務所特有の人間関係に嫌気がさして、2年で退職し、同業の大規模事務所に転職
- 転職先の大規模事務所は仕事のスケールも大きく、残業代を稼ぐこともできたので、給料は倍増したが、業界自体の将来性に限界を感じたため、4年で退職し、今度は他業界に転職
- 転職先の企業では、前職、前々職の経歴を生かしつつ、新たな業務経験を積むことができたが、どうしても自分自身でビジネスを展開したいと思うようになったため、勤務が10年目に入ったことを契機に退職し、独立
ちなみにこの「4つの要素」という考え方については、経営学の本などで学習したものではなく、あくまでも一人の社会人としての視線で、自分自身や他人の転職などの事例を整理するなかで確信に至ったものです。
逆に経営者の立場で言えば、仕事内容ではその人の希望内容に最大限配慮する、職場の人間関係を良好に保つなどの配慮をすることで、給料で報いることが難しい場合であっても、従業員をなんとかつなぎとめることができるのではないか、という仮説が成り立ちます。
(もっといえば、辞めてほしい人材にはそれと逆のことをすればよい、という仮説も成り立つのですが、この点については本稿ではあえて議論しないことにしたいと思います。)
「やりがい詐欺」にはご用心!
ただし、この「4つの要素」、従業員という立場からは、必ずしも良いことばかりとは限りません。
とくに、個人的には職業柄、「こんなに優秀な人が、なぜこの会社で働いているのかな?」と疑問に感じるような事例に出くわすことも多いのですが、そのヒントが、「やりがい詐欺」にあります。
この「やりがい詐欺」とは、「仕事の報酬を仕事で払う」という考え方であり、「この仕事を達成したら、もっと高度な仕事を担当させてやる」、「この仕事を成功させたら、昇格させてやる」、といった形でのインセンティブの与え方です。
この「やりがい詐欺」、必ずしも悪いことばかりではありません。実際に大企業の場合だと、管理職ないし執行役員などに昇格すれば、かなり大きな予算に加え、人事権などの権限などが与えられることもあるからです。
しかし、日本の大企業の場合は、得てして職位をやたらと細かく設定しています。某社の事例でいえば、次のような具合です。
- 新卒から3年目まで→アソシエイト職階
- 4年目以降→シニアアソシエイト職階
- 7年目以降→シニア職階
- 11年目以降→マネージャー職階(早ければ課長などの管理職になる)
- 15年目以降→シニアマネージャー職階(早ければ部長などの管理職になる)
- 22年目以降→エグゼクティブ職階(早ければ執行役員に昇格する)
企業によっては、職階が上がるごとに給料も跳ね上がるというケースもあるようですが、職階や管理職が「名ばかり」というケースもあるようです。
不労所得と起業
おなじ月収30万円でも…!?
さて、ここではもうひとつ、「不労所得」と「起業」についても考えておきましょう。
資産を持っている家庭に生まれた人などのように、何らかの不労所得があるという人が、必ずしも幸せそうな人生を送っているわけではない(らしい)、という事実です。逆に、「好きなこと」を仕事にしている人は、最初の収入が低くても、いずれどこかの段階でビジネスが大きく拡大することがあるようです。
詳しい事情については敢えて説明を省きますが、ここでは仮にAさん、Bさんという2人の人物がいたとしましょう。そして、2人とも月収は30万円という共通点があったとしましょう(税金、社会保険料などについては無視します)。
現代の日本において、月収30万円といえば、高額所得者とはいえないと思いますが、その他の諸条件(たとえば持ち家/公営住宅に暮らしている、それほどカネを使う機会はない、など)によっては、最低限文化的な暮らしを営むことができる水準でもあります。
ただし、この2人の最大の違いは、その収入の源泉です。
Aさんはこれまでの人生でマトモに働いたこともないのですが、先祖伝来の土地を所有しており、その土地を第三者に貸すことで月額30万円の賃料収入を得ています。これに対しBさんは、自分自身が「好き」だと思えるようなことを生業にしており、それで月額30万円の賃料収入を得ています。
この2人、同じような月収ですが、ここで、マズローが言うところの「自己実現」ができているのは、AさんとBさんの、果たしてどちらの方でしょうか。おそらく、100人に尋ねれば、うちの99人が「Bさん」と答えると思います(※これも主観です)。
毎月30万円自動的に振り込まれるのが幸せなのか?
じつは、このAさんとBさん、金額と収入源については、いずれも実在する事例です。
Aさんの場合は、両親が実業家でかつ資産家だったという事情あり、生まれたときから仕事をしなくてもカネが手に入るという環境にいたにも関わらず、第三者的にみて、正直、あまり幸せな人生だったとはいえません。なぜならば、彼は「真面目に努力をする」ということをしてこなかったからです。
たとえば、Aさんは大学を中退していますし、就職をしたこともありません。生涯、無職を貫きました。
そして、マトモな社会人経験もないためか、さまざまな社会常識が欠落しており、他人の保証人になって親から受け継いだ財産の一部を巻き上げられたこともありますし、趣味で高価なバイクや自動車を持っていますが、それらの維持費だけで賃料収入が飛んでいく、ということもあったようです。
さらに、こうした社会常識のなさに加え、晩年は性格がどんどんと粗暴になり、身内や他人に対して理不尽なほどに「キレる」などの行動を取ったため、子供たちからも絶縁され、孤独のうちに人生を終えたようです。
これに対して同じ月収30万円でも、Bさんの場合は興味深い経過をたどりました。
Bさんはちょうど就職氷河期にぶち当たった不幸な世代に属しており、せっかく大学を卒業したにも関わらずまともな企業に就職できなかったのですが、幸いにしてPCのスキルがあったため、ウェブデザイナーとして暮らすことを選びました。
そんなBさんは、苦労人であるはずなのにどこか飄々としていて、月収30万円にも関わらず、たのしげに仕事を続けましたし、何より未来に対して希望を持ち、最新のウェブ言語を積極的に勉強し、トレンドを研究するなどの努力を続けました。
ちなみにBさんの月収が30万円だったのは今から10年前の話であり、現在の話ではありません。というのも、このBさんはその後、自力で会社を立ち上げ、ビジネスを大きく拡大するなどして大成功を収めたからです。
天職に出会える人は幸運
このAさんとBさんの事例、さまざまな示唆があります。
同じ不労所得にしても、自分自身が仕事を通じて稼いだカネを運用するというケースと、先祖から相続した財産(とくに、たまたま昔から所有していた土地や株式が値上がりしたケースなど)を運用するというケースでは、事情が大きく異なります。
この点、親が金持ちで自分自身がちゃんと努力をしていないというAさんのようなケースだと、得てして不幸な人生が待っているように思えてなりません。努力をしないで済む環境というものは、人間を幸せにするとは限らないのでしょう。
これに対し、Bさんのように、「最初は貧しくても良いから、とにかく自分の好きな仕事をして生きていく」というケースもありますが、この場合、「手に入るカネ」は少ないにせよ、仕事でストレスを感じることはないでしょう。冒頭の数式でいうと、「余暇」が24時間あるようなものだからです。
また、Bさんはかつて、「天職は①自分が好きなこと、②自分ができること、③カネになることの3つがそろうことが必要だ」、と述べていたのですが、これなど、じつに示唆に富んだ考え方だと思います。
では、天職はいったどうやって探せば良いのでしょうか。
これについては残念ながら当ウェブサイトとして、読者の皆さま方に、「あなたにとっての転職はこれだ!」と個別具体的なものを提示することはできません。
ただし、一般論としていえば、「雇われ人」として働く際、多くの人にとっては「①給料(カネ)、②仕事内容、③職責、④職場の人間関係」の4つの要素が重要でしょう。
また、起業家・自営業者として働く場合には、「①自分が好きなこと、②自分にできること、③カネになること」を積極的に探すより方法はないのだと思う次第です。
仕事は人生そのもの
さて、本稿冒頭では、「経済学の仮定が正しければ、人々はもらえる給料と自分自身の幸せのバランスで労働時間を決定するはずだ」と申し上げました。
しかし、少なくとも著者自身の経験上、アルバイトや派遣社員などの事例を除けば、「余暇時間」と「賃金」のバランスで労働時間を決定しているという事例は、あまり見たことがありません。
というよりも、とくに最近の若い人たちの間では、会社を過信せず、空いた時間でスキルアップや人材づくりに余念がないようであり、仕事でもプライベートでも全力投球、という人が多いような気がしてなりません。非常に心強いことです。
このため、結局のところ、仕事とは単に「カネを稼ぐ手段」であるだけでなく、「自己実現をする手段」であり、「(苦痛ではなく)楽しいこと」であるべきなのだと思います。もしこの見方が正しければ、人間にとっては仕事とは、人生のお供であり、極端な話、人生そのものでもあります。
もちろん、このような考え方が、世の中のすべての人に当てはまるのかどうかについては、正直、自信がありません。
ただし、「やっていて楽しいこと」を自分自身の仕事にすることができた人こそが、真の意味での「人生の勝ち組」ではないかという点については、多くの人に賛同してもらえることだと確信しています。
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仕事が趣味だと言う人を見ると気の毒になります。
一方、趣味につながることを仕事にしている人は生き生きとしていますね。
よく街中でウーバーイーツで食べ物を届けるために走り回っている人を見かけることが多くなりました。また、アマゾンで一日中走り回されているやそれらを管理する獄卒の求人も多くなったように思えます。
街中を歩いたり、最適な行動を考え続けたり出来るとは思いますが。仕事に関連する領域や深みが狭そうで、それは果たして知的好奇心が満たされるのだろうかと疑問に思っています。とりあえず体が動かしたいという健康志向の人には最適だと思いますけど。
たしかに、使命感に燃え、努力することが喜びであれば「より充実した生き様」を送ることができるのでしょうね。
少なくとも、趣味と実益を兼ねた「天職」にたどり着けるのは、そのための努力を”惜しめない人たち”なのだと思います。
大多数は、やりたいことと出来ることを天秤にかけての妥協点が現在の職業なのかと・・。(私もそうです。)
健康第一。無理は禁物。向上心のない生き様・・。
*幸せのカタチは色々あっていいと思っています。
m(_ _)m
趣味を仕事にできれば幸せというのには疑問があります。
私は趣味を仕事に活かすべく、というより若気の至りで、趣味を仕事にしてやろうとその業界の某社に就職しました。
しかし組織と言うのは個人の思いとは関係なく動いていきますし、新卒のアンちゃんにいきなり核心的な仕事が来る筈もなく、自分の思い通りにならない事でフラストレ-ションが溜まるばかり、とうとう会社に合わせるのを優先して趣味を封印する羽目になりました。
趣味を活かして思い通りに仕事をするなら、社長にでもならない限りは無理と悟った次第です。
仕事で稼いだ金を趣味に注ぎ込めるから、辛い仕事もやってられるというものです。
門外漢 様
軍資金調達の手段としての仕事というのが一番多いかと。
(ここ数年の私がそんな感じです)
ボーンズ 様へ
人生半ばで畑違い(趣味と無関係)の業界に転職して、趣味を復活させました。楽しいですww
至言ですね。
好きな事をする(充実した人生を送る)為に、仕事をする(収入を得る)のが多くの人にとっては正解かと思います。
仕事とする以上、様々な制約やしがらみが発生してしまい、好きな事でも嫌いになってしまうケースもありますので。
以前、幸せになる勇気という本を読みました。
たぶん要約すると、「自分がしたことで相手が幸せに思う、と自分が感じていること。」が幸せという結論だったとおもいます。
アミ小さな宇宙人という本では、「愛は宇宙の基本法。
愛は自分から求めても基本出現しない、相手に与えたとき出現する。」だったとおもいます。
やはり仕事をしていて相手が喜んでくれると、嬉しくおもいます。
韓国問題と対極にあると思いました。
構成やパラメーターを弄って結果を追い込んでいく様な仕事は、それ自体がゲームになるので楽しいのですが、出来合いの物を使うだけの仕事はでは楽しくありませんね。
所謂管理職というやつは、どうにも楽しくないです。
インプットに対するアウトプットが十分ではない。
職業柄、知らない分野に行くこともあったけど、やってるうちに楽しくなって来たのでした♪
好きなことなのかは、分かんないけど、お仕事の中で楽しさを見つける事ができてきたのは、恵まれてたんだと思うのです♪
あと、やらかしちゃったことの方が、その時はともかく、振り返ると楽しく思い出せるのは不思議なのです♪
Bさんの月収30万円事業収入あるいは事業所得ではないでしょうか。少なくとも賃料収入では無いような(^_^;)
不労所得があって働かなかったが故に幸福とは言い難い人生を送ったAさんのような事例ですが、若くして不労所得を持つ方のどのくらいの割合がそうなるのでしょうね。
統計は取れないかもしれませんが興味があります。
更新ありがとうございます。
仕事というのは「やっていて楽しいこと」を自分自身の仕事にすることができた人こそが、真の意味での「人生の勝ち組」ではないか、という点には概ね賛同します。
そこに至るまでに、若い方は軍資金を貯める為、また家庭があれば養って行く為に、現在の仕事に打ち込みます。その間は初級職員〜中級管理職として、いろいろな事案にぶつかる事と思います。また、やりたくない不本意な事をあてがわれるでしょう。
転勤なんてのも、そうですね。「全国、世界中何処に行っても同じだ。会社は君達を応援し、見ているぞ」というのは嘘(笑)。
私の会社勤めの場合、まずは地域本社大阪、名古屋、東京(後は地元人の半農企業人みたいな地元人受け入れ場所)、出来れば東京本社入りを狙うのが出世したり、脱サラで何かしようと考えている人でした。
福利厚生も全然本社総合職とローカルは違います。地方出身者は、郷土を捨ててこそ、スタートラインに付けます。コレが今の人には、多少抵抗があるみたい。イキナリ、1年日本に居て、バングラディシュ勤務を命ず、と来たら「考えさせてくれ」になる(笑)。
もう終身雇用なんてありませんし、若い人はドシドシ吸収して、経験値を上げ、やりたい仕事を目指すべきですね。
転職でも自立でも良いですが、出来れば自分ですべて仕切れる方が良いでしょう。出来れば30〜40歳台前半がリミットと思います。
僕は、好きなことをそのまま仕事のメインに据えることができて、大変に幸せを感じています。でも、ほんの少しだけ、頂いている給料に見合う労働なのかどうか、悩むことがあります。まあ、年に一度あるかないかですが。僕の労働によって所属機関が得られる収入に比べて、頂いている給料は多いなぁなんて思うことがあるわけです。いや、頂いている額そのものは、異業種にいる学生時代からの友人達のなかでは平均より少し低いくらいですが。
世の中の為になるような大層なことをしているわけでもなく(自分が関わった人たちの為にはなっていると信じたいですが)、でも自分にはすごくやりがいがある。いつかは世に恩返しをしなければと思うのですが、さて、どんなことができるのだろうか、と、朝の出勤時に少しだけ悩んでしまいました。