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蓮舫氏は「みなし国籍宣言」を使えないのか?

蓮舫議員の「二重国籍問題」を巡って、本日私は「サムライ業が読む国籍法」と題した評論記事を掲載しました。この内容は、「国籍法」上、日本と外国の「二重国籍状態」が生じることを当然の前提としていること、および、昭和60年1月1日時点で「二重国籍状態」だった場合には、「みなし国籍宣言」の規定が存在することを説明しました。しかし、私自身の法律の読み込みが甘く(誠に申し訳ありません!)、蓮舫氏の場合は、この「みなし国籍宣言」の規定は使えない可能性がある、ということがわかりました。ただし、既に公表した記事の記事の訂正・撤回はしません。むしろ、二つの記事を合わせてご参照いただくことで、より理解が深まると思います。

国籍法の関連規定

本日付で掲載した「サムライ業が読む国籍法」の中に、蓮舫氏は「昭和60年1月1日時点で二重国籍者だったのだから、『みなし国籍宣言』の規定が使えるはずではないか?」と申し上げたのですが、もう少し条文を深く読み込んだところ、必ずしもそうとは言えないということが判明しました。

改めて、国籍法の関連規定を紹介します。

国籍法 第14条第1項

外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない。

国籍法 第14条第2項

本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。

昭和59年5月25日国籍法改正附則 第3条

この法律の施行の際現に外国の国籍を有する日本国民は、第一条の規定による改正後の国籍法(以下「新国籍法」という。)第十四条第一項の規定の適用については、この法律の施行の時に外国及び日本の国籍を有することとなつたものとみなす。この場合において、その者は、同項に定める期限内に国籍の選択をしないときは、その期限が到来した時に同条第二項に規定する選択の宣言をしたものとみなす。

昭和59年5月25日国籍法改正附則 第5条

昭和40年1月1日からこの法律の施行の日(以下「施行日」という。【※注:昭和60年1月1日のこと】)の前日までに生まれた者(日本国民であつた者を除く。)でその出生の時に母が日本国民であつたものは、母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、施行日から三年以内に、法務省令で定めるところにより法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。

先ほどの議論では、国籍法改正附則第3条だけを参照し、「第14条第1項に定める期限内(未成年者の場合は22歳まで)」に国籍選択をしない時には、「国籍選択をしたものとみなす」とする規定だけを引用しました。しかし、迂闊なことに私は、もう一つの重要な条文を失念していました。それは、「改正附則第5条」です。

どうやらそれ以前の国籍法では、「父親が外国人で母親が日本人だった場合」には、日本国籍を取得するという規定が存在しなかったようなのです。さすがに「男女平等に反する」ためでしょうか、付け加えられたのが「改正附則第5条」なのです。

蓮舫氏は国籍選択をすることが必要だった

これはもう完全に私のミスなのですが、この「以前の法律」と「昭和59年改正附則第5条」の存在を完全に失念していたため、蓮舫氏が「いつ」、「どのような方法で」日本国籍を取得していたのかによって、議論が大きく変わって来ます。

仮に、蓮舫氏が「昭和59年改正国籍法」が施行された時点(昭和60年1月1日)までに日本国籍を取得していた場合、「改正附則第3条」に従って、蓮舫氏が22歳に達した日に、自動的に「国籍選択宣言」をしたことになるのです(これは先ほどの議論と同じ)。しかし、仮にそうでなかった場合には、「みなし国籍宣言」の規定は使えません。

確かに蓮舫氏が「昭和59年国籍法改正附則第5条」に従って、「昭和63年12月31日までに」法務大臣に届け出をしていれば、日本国籍の取得は可能です。しかし、この場合は昭和60年1月1日時点で二重国籍者だったわけではありませんので、この「改正附則第3条」に示された「みなし国籍選択宣言」の規定は使えません。さらに、「改正附則第5条」の届け出を失念していた場合、蓮舫氏が日本国籍を取得するためには「帰化」の手続が必要だったはずです。

※なお、現在の法律では父親か母親のどちらかが日本人であれば、基本的には帰化の手続なしに日本国籍の取得が可能です。

ただ、私自身の議論はここで泊ってしまいます。というのも、インターネット・ユーザーを中心とする有権者が蓮舫氏を追及している通り、蓮舫氏がいつ時点で日本国籍を取得したのかが全く分からないからです。彼女は発言を二転三転させていますし、自分自身の戸籍の開示を頑なに拒んでいます。とても公党(それも野党第一党)の党首としての説明責任を果たしているようには見えません。

いずれにせよ、私自身の「勘違い」の要点は、「蓮舫氏は昭和59年国籍法改正時点で二重国籍者」だったのではなく、その時点で日本国籍を持たない「台湾国籍者」だった可能性があった、という点なのです。昨日の議論については、ただしくいえば、

  • 蓮舫氏は母親が日本人だが父親が日本人ではないため、旧国籍法の規定上、自動的に日本国籍が付与されるわけではなかった(旧国籍法第2条第1号)
  • 蓮舫氏ご本人の説明によると、台湾国籍を保持していたことはほぼ間違いない

という二点であり、そのうえで、議論としては次の3つのパターンが成り立ちます。

  1. 仮に蓮舫氏が昭和59年法改正以前に日本国籍を取得済みであれば、昨日の議論通り、その時点で「二重国籍者」となるため、改正附則第3条の効力により22歳の時点で自動的に「国籍選択宣言」をしていたことになり(いわゆる「みなし選択宣言」)、したがって台湾国籍の離脱も単なる「努力規定」に過ぎないことになる
  2. 仮に蓮舫氏が昭和59年改正法に従い昭和63年12月31日までに日本国籍取得の届け出をしていれば、その届け出時点で「二重国籍状態」が発生するが、この場合には改正附則第3条の「みなし選択宣言」は適用されない
  3. 仮に蓮舫氏が日本国籍を取得したのが昭和64年1月1日以降であったとしたら、蓮舫氏は「改正附則第5条の届け出」ではなく、「帰化」手続(具体的には国籍法第8条の手続)により日本国籍を取得しているはずであり、「みなし選択宣言」は適用されない

不誠実な蓮舫氏

ただ、先ほどの記事の中で私は「マス・メディア、民進党、蓮舫氏いずれも『みなし国籍選択宣言』に言及しないのは不思議だ」と述べましたが、こうした状況証拠もあわせて考えるならば、やはり可能性が一番高いのは、蓮舫氏が「昭和60年1月1日時点で二重国籍状態ではなかった」、つまり「日本国籍を持たず、純然たる台湾国籍保持者だった、ということです。

いずれにせよ、蓮舫氏ご自身が「いつ」(具体的には昭和60年より前か後か)、「どのような方法で」(「帰化」か「届け出」か)、日本国籍を取得したのかを、証明書付きで話してくれないため、私自身も上記3つのどのパターンに該当するのかはわかりません。そして、説明を二転三転させ、戸籍の開示なども拒む蓮舫氏、その蓮舫氏を党首に当選させた民進党にはいずれも説明責任が欠落しています。

この説明責任の欠如した民進党が、いつまでも国会での「野党第一党」の座に居座ることは、大いに問題です。是非、日本国民にはこのことについて問題意識を持ち、次回国政選挙では賢明な判断に基づく適切な行動を求めたいと思います。

新宿会計士: