今年7月に、証券会社のアナリストらが、企業の業績にかかわる未公開情報を取材すること自体が禁止される、新しいガイドラインが公表されました。これは、いわばアナリストらに「自由な取材」を禁止するものであり、一種の「報道の自由」の制限と見ることもできます。しかし、「特定秘密保護法」に強硬に反対してきた一部のメディアが、この新しいアナリスト規制を批判したという話は、寡聞にして知りません。いわば、「特定秘密保護法」もアナリスト規制も、「無節操な取材」を認めた場合に弊害があるから導入されている規制ですが、「特定秘密保護法」を批判するなら「アナリスト規制」も「個人情報保護法」も批判するのが筋でしょう。この一件を見るだけでも、左派メディアの「ダブル・スタンダード」には呆れ返るばかりです。
取材規制の導入
少し古い話ですが、「アナリスト規制」が強化されました。ニューズウィーク日本版の記事のリンクを紹介しておきましょう。
焦点:アナリスト新指針で投資情報に懸念、企業側の開示がカギ(2016年07月21日(木)19時13分付 ニューズウィーク日本版より)
ニューズウィークといっても、記事を配信したのはロイターです。これによると、証券会社のアナリストに対する日本証券業協会(日証協)のガイドラインが改定され、「アナリストは原則として未公表の企業決算情報について取材できなくなる」ことになった、とあります。これについて日証協のウェブサイトを調べてみると、7月20日付で「協会員のアナリストによる発行体への取材等及び情報伝達行為に関するガイドライン」というものが公表されており、確かに記事の記載通り、アナリストに対して「未公表の決算期の業績に関する情報」や「業績が容易に把握できる情報」については、そもそも「取材してはならない」という取り扱いとなるようです。
私に言わせれば、今までそれができていたという方が不思議です。証券業界には「儲かれば何をしても良い」という風潮に染まった人もいるようであり、企業が一般には公表していない業績(例えば月次の売上高など)をこっそり入手して、それを仲の良いお客さんに「耳打ち」でもすれば、「インサイダー取引」が成立しかねないからです。そんな危険な状況が放置されていたということの方が、私にはむしろ驚きです。
ロイターの配信記事によれば、この新規制は
「市場の公正性を高める狙いだが、情報を出す側の企業が、開示していい情報について過度に慎重になり、投資家への情報量が減る懸念も浮上。今後は企業の情報開示を抜本的に促すための新たなルールや、東証の開示ルール強化といった対応もカギを握りそうだ。」
としていますが、これは杞憂というものでしょう。過渡期では当然、企業側も自社の情報開示に慎重になるかもしれませんが、公正なアナリストの取材慣行が定着すれば、企業側も「開示して良い情報」「開示してはならない情報」を判断することができるようになるはずです。
情報へのアクセス制限は良いことか、悪いことか?
この新しいアナリスト規制は、わかりやすく言えば、「証券会社のアナリスト」という職に就く人たちに対し、証券会社の営業員や証券会社の顧客に「秘密情報を漏らさないようにしなさい」、という義務を課すものです。こんなことは当たり前なのですが、実は、「報道の自由」とも関連する重要な概念です。
ここで、少しだけ本論から脱線します。
私自身、「報道の自由」なる概念は、戦後、報道各紙が勝手に捏造した概念だと考えています。左派系メディアではよく、「報道の自由は絶対不可侵だ」とでも言いたげな主張を目にすることがあります。たとえば、2013年(平成25年)12月に成立した「特定秘密保護法」を巡っては、東京新聞が今年も、「この法律は報道の自由に対し重大な懸念だ」などとする報道を行っています。
「特定秘密保護法は報道に重大な脅威」 国連報告者が初調査(2016年4月20日付 東京新聞朝刊より)
ただ、「報道の自由」という概念について調べてみても、「報道の自由」は日本国憲法に定めがありません。憲法第21条第1項には
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」
とありますが、自由が保障されているのは「集会、結社、言論、出版」であって、「報道」ではないのです。では、ここで「報道」とはいったい何を指しているのでしょうか?
私なりの定義で恐縮ですが、「報道」とは
「客観的事実を正確に伝えるとともに、それに対する多様な分析・意見・感想などをできるだけ公平に紹介すること」
です。
そのうえで本論に戻りましょう。確かに「ジャーナリスト」という「報道のプロフェッショナル」の社会的な存在意義は極めて大きく、民主主義社会を正常に機能させるためには、これらのジャーナリストらによる取材力と知見に基づいた情報提供が大切であることは間違いありません。しかし、「どんな情報でも報道機関が自由に報じて垂れ流すことができる」ということにでもなれば、弊害が大きいこともあります(図表)。
図表 「報道の自由」が行き過ぎると…?
事例 | 具体的弊害 | 備考 |
---|---|---|
個人情報 | 一般の市民の住所・氏名・職業・電話番号などが無節操に広がれば、個人情報が悪質な勧誘や犯罪などに流用され、健全な社会生活が崩壊しかねない | 一般の個人の情報は「個人情報保護法」により保護される |
法人関係情報 | 誰にも公開されていない上場企業の情報がやり取りされれば、それを利用して株式などを売買し、不当な利益を得る者が出現し、ひいては健全な資本市場が崩壊しかねない | 上場会社の情報は「金融商品取引法」などにより規制される |
国家機密 | 国家機密・軍事情報などが漏洩し、テロリストや外国のスパイらの手に渡ると、国家の安全が脅かされかねない | 「特定秘密保護法」が制定されるまでは情報漏洩の罰則がなかった |
いかがでしょうか?
報道は確かに民主主義社会を健全に機能させるためには必要ですが、行き過ぎた報道がなされると、個人、企業、国家それぞれのレベルで弊害の方が大きすぎるのです。
そういえば、国会が「特定秘密保護法」を審議していた際、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などの左派メディアは一斉にこれに反対の論陣を張っていたという記憶がありますが(※事実誤認ならその旨ご指摘ください)、たとえば「国民の知る権利」をタテに、原発への資材搬入経路や自衛隊の装備品などの情報を入手したところで、そんな情報を知って喜ぶのはテロリストか外国のスパイくらいなものでしょう。このように考えると、「報道の自由」も「絶対」のものではなく、日本社会(個人の市民生活、企業・資本市場、国家の安全保障)の存立に脅威となる情報は、やはり規制するのが正しいのです。
アナリスト規制に噛み付いたメディアは皆無?
ところが、不思議なことに、特定秘密保護法にはあれだけ反対したマス・メディアが、今般のアナリスト規制改正には一言も触れていないようなのです。いちおう、「朝日新聞」「毎日新聞」「東京新聞」で検索を掛けてみたのですが、いずれのメディアも7月20日からの一週間ほど、社説などで
「アナリスト規制の改正は取材の制限につながるものであり、報道の自由の観点からは容認できない」
などと主張した例は、私が調べたところ皆無でした(もしその事例があるということであれば、どうか教えてください)。
私に言わせれば、特定秘密保護法もアナリスト規制も個人情報保護法も、いずれも「表現の自由」(「報道の」自由、ではない)を規制する特別法です。そして、「特定秘密保護法」は日本国憲法第21条第1項に違反していると見る護憲論者らから見れば、金融商品取引法も個人情報保護法も、同じく許されない法律であるはずです。
しかし、私が知る限り、特定秘密保護法を批判するメディア・団体らが、金融商品取引法と個人情報保護法を批判している形跡はありません。この「ダブル・スタンダード」ぶりは不思議です。むしろ、「報道の自由」を後退させているのは、マス・メディアの「都合の良いダブル・スタンダード」に基づく取材姿勢と取材力の低下であり、視聴者・読者らが新聞・テレビなどの既存メディアから離れていくのも当然といえば当然なのかもしれませんね。