天皇陛下は8月8日、国民に向けてメッセージを発出されました。このメッセージは、いわば政治権能を持たない「天皇という立場」にある陛下が、政治的発言にならないよう慎重に配慮しつつも、我々国民に対して「国の在り方を考えよ」と諭されたものだ、と考えるべきでしょう。そうであれば我々国民は、憲法議論を恐れず、積極的に「国の在り方」を議論していく必要があるはずです。
今日は祝日―
本日は「山の日」なのだそうです。およそ2年前の平成26年(2014年)5月に改正された「国民の祝日に関する法律」が今年から施行されることにより、今後は8月11日が「山の日」の休みとなります。
個人的には、8月といえばお盆休みもあるし、むしろ祝日のない6月に何らかの祝日を設けてはどうかと思ったこともあります。また、「山の日」を制定する根拠となった報道等を見ても、なぜ今日が「山の日」なのか、いまひとつよくわかりません。
「海だ山だ、祝日多すぎる」慎重論もあった「山の日」 意義浸透が今後の課題(2014.5.23 22:04付 産経ニュースより)
いずれにせよ、せっかくの祝日ですので、有意義に過ごしたいものですね。
メディアの「生前退位」に苦言を呈す
さて、今週・8月8日(月)、天皇陛下がお気持ちを述べられました。
象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日付 宮内庁ウェブサイトより)
全文はすでに公表されている通りですが、ポイントを要約しておきますと:
- 戦後70年が過ぎ、2年後に平成30年を迎える節目となった
- 即位後28年、80歳を超え、天皇の任務に制約が生じるようになった
- 天皇が重病・未成年などの場合、社会が停滞し、また、天皇の終焉後には2か月の殯(もがり)をはじめ、国民の生活に懸念が及ぶ
- 憲政下で天皇には国政に関する権能がないが、皇室と国民が相たずさえて日本の未来を築き、象徴天皇の務めが途切れぬことを念じて話した次第である
といったところでしょうか。ただ、文章からは陛下のお気持ちがひしひしと伝わってきます。10分少々のビデオレターですし、お時間の許す限り、直接、陛下のメッセージを視聴されることを強くお勧めいたします。
ところで、これを日本のマス・メディアは「生前退位」と報じましたが、考えてみれば失礼極まりない報じ方ですね。まるで「死ぬこと」を前提としているかのようであり、これらの報道に接していると不愉快極まりないです。この報道は諸外国でも注目されており、英語メディアの場合は「abdicate」(退位する)という用語が使われていますが、「退位」ないしは「譲位」は自発的に行われるものであり、「生前」などという不愉快な表現を伴いません(事例として、次のWSJオンラインの記事をご参照ください)。
Japanese Emperor Akihito Indicates He Is Ready to Abdicate(米国時間2016/08/08(月) 20:05付 WSJオンラインより)
いずれにせよ、「生前」退位という用語は、一般の人に対して使うときであっても無礼極まりないものです。マス・メディア産業に従事する全ての関係者に、猛省を促すとともに、この用語を使わないよう苦言を呈しておきたいと思います。
象徴天皇としての権能
さて、陛下のおことばに戻ります。
今回のメッセージは、単に、「天皇もまた高齢となった」から「退位したい」、というものではありません。陛下の思いは、もっと深いところにあります。放送の中で陛下は「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有さない」という点を強調されており、あくまでも政治的な発言ではなく、ご自身のお気持ちを我々国民にお伝えになる、という姿勢です。しかし、発言の内容を読めばわかりますが、「皇室が常に国民とともに歩むためには、象徴天皇としての務めが途切れず、安定的に続いていくことが必要」だという点に、陛下の思いが凝縮されているのだと思います。
まさに、平成が始まってからの28年間、陛下は皇后陛下とともに、離島などを含め、それこそ全国各地を精力的に廻られました。また、外国を訪問される際にも、太平洋戦争の激戦地などで慰霊碑に献花を所望されるなど、平和を愛し、常に国民とともにあろうとするお姿は、我々国民の深い尊敬の対象でもあります。
ただ、陛下のお言葉の中にもある通り、幼少の宮様が即位された場合や、天皇陛下が重病に倒れた場合などには、国民生活にも大きな停滞が生じます。昭和天皇が吐血されてから崩御され、さらに大喪の礼が営まれるまで、確かに日本は国を挙げて「自粛ムード」となり、経済活動も停滞しました。陛下がご懸念になられているのは、まさにこの点でしょう。
そして、政治的なご発言に制約がある陛下に、ここまでのことを言わせた歴代政権の無為・無策を、私は強く批判します。さらには、憲法を含めた国の在り方の議論をしようとするときに、「憲法を守る」の一点張りで議論に応じようとしない野党議員、面倒くさい議論から逃げまわる与党議員を含めた国会議員たち、さらには彼らを議員に選び出した我々有権者にこそ、強い反省が求められているのです。
憲法第7条を改正せよ!
私自身、民主主義という制度は、この日本に適合していると思います。というのも、日本人は合意を積み上げる形で組織を運営することに慣れており、その意味で、様々な意見を代表する国会議員が国の方針を決めていくというやり方は、日本の風土に合致していると思うのです。
一方、日本が日本であるために、やはり精神的な支柱としての天皇陛下は必要でしょう。日本国憲法第1条によれば、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とされていますが、我々日本国民の総意は「天皇陛下を慕い、敬う」というものであり、実際に現在の天皇の地位が、それに即したものとなっていることは間違いないでしょう。非常に皮肉な話ですが、私自身はGHQに「押し付けられた」とされる日本国憲法についても、意外と日本に合致している部分もあると考えています。
ただ、日本国憲法には大きな問題点がいくつかあります。その一つが、「天皇の国事行為」について定めた憲法第7条です。「天皇の国事行為」は10項目もあります(図表1)。
図表1 憲法第7条にいう「天皇の国事行為」
号数 | 項目 | 備考 |
1 | 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること | 法律はともかく政令まで天皇の公布とされるのは負担が重過ぎる |
2 | 国会を召集すること | ― |
3 | 衆議院を解散すること | ― |
4 | 国会議員の総選挙の施行を公示すること | 「総選挙」は衆議院のみに使われる用語。憲法の欠陥の一つ |
5 | 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること | 内閣改造のたびに皇居での認証が必要となってしまうが、国務大臣の任命は首相に一任すべきでは? |
6 | 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること | 刑の執行の中断等は法務大臣が認証すれば良いはず |
7 | 栄典を授与すること | ― |
8 | 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること | 外交文書は国会承認により「みなし認証」とすべき |
9 | 外国の大使及び公使を接受すること | 外務大臣で十分 |
10 | 儀式を行うこと | ― |
いかがでしょうか?「備考」欄に私自身の思いを書きましたが、とにかく天皇陛下には細かい国事行為が多すぎます。法律の公布は国会で決議されたものである以上、陛下の認証を求めるのはまだ理解できますが、政令など時の内閣が決定するものです。法律が内閣に詳細の決定をゆだねている以上、わざわざ天皇陛下が政令の公布まで担うのは過剰です。
また、同様に、「衆議院の解散」は内閣総理大臣が行えば良いだけの話ですし、「国会の召集」に至っては、フランス共和国憲法のように「国会議員選挙の30日後に当然国会が開かれる」という具合に、国政が自動的に動く法的仕組みにしておけば済むだけの話です。
そのように考えていくと、天皇陛下が現在、果たされているお務めのうち、国事行為のかなりの項目は削減可能ではないでしょうか?
国の在り方の議論を恐れるな
憲法議論に踏み込むと、日本の場合は「護憲派」と呼ばれる勢力が条件反射的に「憲法を守れ!」などと反発してくることが予想されます。しかし、8月8日の天皇陛下による我々国民へのメッセージは、いわば、「憲法議論」といった小手先の法律の議論ではなく、もっと踏み込んで、我々日本国民に対し「国の在り方」を議論することの大切さを、天皇陛下が諭されたとみるべきでしょう。
憲法といえば条件反射のように「第9条をどうするか」といった議論がなされますが、日本国憲法の問題点は第9条だけではありません。たとえば「参議院議員の通常選挙」という用語は憲法中に欠落していますし、憲法上、複数年度にまたがる予算の制定も技術的に難しいという面があります。私自身は日本国憲法中の「予算単年度主義」を是正すべきだと考えていますし、基本的人権のうち人格権については外国人にも適用されるべきである一方、選挙権については日本国民に限定すべきだと考えています。しかし、日本国憲法に定める理念のうち、重要なものは堅持すべきでしょう(図表2)。
図表2 私が堅持すべきだと考える大原則
項目 | 概要 | 備考 |
法治主義 | 国会で決めた法律が最上位の社会規範となる仕組み | 租税・刑罰の法定主義、私法の準則主義なども維持すべき |
自由主義 | 法律の範囲内で経済活動の自由が許される仕組み | 環境権、嫌煙権など、時代に即した権利を考慮することは必要 |
民主主義 | 国会議員や行政・司法の最高責任者は国民が選ぶ仕組み | 裁判官の国民審査の対象を最高裁判事以外にも拡大してはどうか? |
基本的人権 | 全ての国民に対して基本的人権が尊重される社会 | 外国人に対する政治活動の自由の制限は必要 |
平和主義 | 自ら侵略戦争を起こそうとしないという国の在り方 | むしろ時代に合わせて「積極的平和主義」に舵を切っていくべき |
ただ、重要なのは、「憲法をどう変えるか」という議論ではなく、「憲法を含めた国の在り方そのものを見直す」という議論です。これを機に、国会ではぜひ、「国全体の在り方・理念」を見直してほしいと思いますし、我々国民サイドとしても旺盛な議論をしていくのが有益でしょう。私も、自らのウェブサイトを通じて、こうした議論に一石を投じていきたいと考えています。