理想の葬儀を望むなら終活とエンディングノートが必要

「自身の葬儀は盛大にやってほしい」――こんな内容が書かれた遺言(いごん)書が、葬儀から1ヵ月後に発見されてしまった。家族葬でこじんまりと見送ったのに…。喪主の長男に対しては明確な非難の言葉もあった。こんな話がありました。正直申し上げて、喪主であるご長男が批判されるようなものではないと思いますが、こうした行き違いを防ぐためにも、やはり就活のようなものは必要なのかもしれません。

2024/11/23 0:01追記

記事タイトルが誤っていましたので修正しています。

終活の重要性

社会全体が高齢化してくると、どうしても私たちが身近な課題として考えておかねばならないのが、「終活(しゅうかつ)」かもしれません。

俗に「終活」とは、自分自身の人生の終わりを迎えるにあたり、諸々の準備をしておくことを意味します。

詳細は明かしませんが、著者自身も実家じまいをしたことがありますし、大震災で自宅が崩壊してしまい、モノを持つことの儚(はかな)さに気付き、ミニマリストに転じてしまったという事例も数名、存じ上げています。

とりわけ生前の遺品については、一部の価値があるもの(現預金や有価証券、資料的価値の高い文献や美術品など)を除けば、多くは廃棄せざるを得なくなることが一般的でしょう。ちゃんと統計を取ったわけではありませんが、ひとりの人が亡くなると、平均してやはり数トンのゴミが出ると思います。

著者自身が知っている事例だと、今世紀初頭に他界した明治生まれの女性は物持ちが良く、客用布団、昔の着物やアルバムを多く持っていました。このため、子供、孫、曾孫、玄孫への形見分けをしたものの、それでも分けきれず、最終的には2トントラックで何回かに分けて業者に持って行ってもらいました。

また、こうした遺品には衣類、アルバム、食器などが典型例ですが、なかには故人の趣味で大きな楽器を演奏していた、(素人ながらも)油絵作品をたくさん残していた、といった具合に、本人以外には捨てるに捨てられない(しかし場所を取る)、といったものもあるようです。

さいわい、現代だとスマートフォンなどの電子デバイスもあるため、絵画などの場合はスマホで写真を撮り、絵画は捨ててフレームは再利用業者に売却する、といった処分方法も、考えられなくはありません(が、限界もあるでしょう)。

このように考えていくと、私たちは常に断捨離を続けるべきであり、使わなくなった家電・食器、読まなくなった書籍などについては少しずつ処分していくべきなのでしょう。

そして、「終活」は、身の回りのモノの整理だけではありません。

ある程度の資産を持っている人であれば、自身の老後に必要な資金を除き、残額については誰にいくら残すのかを考えておくべきですし、常日頃から家族とコミュニケーションを取りつつ、可能ならば遺言(いごん)書を残しておくことが望ましいといえるのではないでしょうか。

エンディングノートとは?

こうしたなかで、最近流行っているのが「エンディングノート」と呼ばれる覚書です。

これは遺言書とは別に執筆するもので、たとえば財産分与以外の細かい希望(葬儀をしてほしいかどうか、葬儀をするならどのくらいの規模で誰を読んでほしいか、墓はどうしてほしいか、など)に加え、自分が他界した際の注意点(たとえばSNSのパスワードなど)を書いておくものです。

遺言書の場合は裁判所に検認を依頼しなければならないこともある(『遺言書の検認』等参照)など、法的に厳正な取り扱いが求められ、手間がかかりますが、エンディングノートの場合は机の引き出しの一番上などにおいておけば良い話です。

家族葬にしたことを後悔する長男

こうしたなかで、ちょっと気になったのが、『THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)』というサイトが配信した、こんな記事です。

「家族葬」ではなく普通の葬儀にしておけば…89歳元会社役員、尊敬する父を見送った59歳息子の「取り返しのつかない後悔」【FPの助言】

―――2024/11/22 09:02付 Yahoo!ニュースより【THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)配信】

記事の分量は『Yahoo!ニュース』で3ページ分であり、すぐ読めると思いますが、59歳の息子が突然他界した父を家族葬で見送ることを決断したものの、葬儀から1ヵ月経って発見した遺言書のなかで「多くの人に見送られたい」、「知人にお別れの言葉を読んでほしい」、などと記載されていた、というものです。

そして、父の訃報を聞いた多くの知人や元同僚・部下から連絡が入り始め、「なぜ連絡してくれなかったのか」、「最期のお別れができなかた」といった声に加え、なかには「明確な非難の言葉」もあった、というのです。

記事によるとこの息子は、「父の最期にふさわしくなかった」と深く後悔している、とのことですが、これをどう考えるべきでしょうか。

それって息子さんの責任ではないですよ!

少し厳しいことを申し上げておくと、そもそも論ですが、遺言書に葬儀の希望を書いてしまったのはお父様の大きなミスですし、ましてや家族でもない部外者が、葬儀の在り方についてイチャモンを付けるというのは、大変に無礼です。

そもそもどんな葬儀形態にするかについて、希望があるのであれば、お父様から家族(とくに喪主になるであろう息子さん)とはもっと話し合っておくべきでしたし、理想をいえばエンディングノートを作っておくべきでした。息子さんに責任はまったくありません。

この点、故人が奥様(つまり息子さんから見たらお母様)と葬儀について話し合っていた可能性はありますが、記事によるとお母様は「軽度の認知症」を患っており(※日常生活は送れるレベル、とのことです)、葬儀の打ち合わせの際にも、おそらくは話にならなかった可能性が濃厚です。

こうした状態で、息子さんが限られた時間のなかで高齢の参列者への配慮やコロナ禍の影響も加味し、葬儀社の担当者との相談のうえで家族葬を選んだことが、そこまで責められるべきものであるとも思えませんし、ましてや「明確な非難」などもってのほかです。

ちなみに著者自身も葬儀をなんどか経験していますが(詳細については明かせません)、亡くなってから葬儀までの時間がは非常に短いことが多く、そのなかで決めるべきことも続々と押し寄せるわけですから、至らない点が出てくるのは当たり前です。

病気で亡くなったときには、検視を終えるとご遺体が自宅に戻ってきます(なじみの葬儀社があるときには、葬儀場に直行することもあります)が、それと並行してやることがいくらでもあります。

喪主や家族・親族は故人の遺影を選び、葬儀のプランを決定しなければなりませんし、個人の生前の連絡先を手繰り、勤めていた会社、所属していた社会人サークル、さらには年賀状の束などから連絡すべき知り合いを探し出しすなど、てんやわんやです。

ましてや個人情報保護の重要性が厳しく謳われる時代ですので、電話番号やメールアドレスなどがわからないというケースもあるでしょうし、このようなケースだと、故人と仲が良かったとしても、連絡が葬儀に間に合わず、事後的にはがきなどで訃報を伝えざるを得ないことだってあります。

正直、記事にも出て来る「何で連絡してくれなかったんだ」、は、ご遺族に対し、絶対に口にしてはならないひとことではないでしょうか。

エンディングノートで備えておくべき?

いずれにせよ、エンディングノートがあれば、たとえば「葬儀は家族葬にしてくれ」と書いておけば、遺族にしても「故人の遺志で家族葬にしました」と突っぱねることができますし、「盛大な葬儀にしてほしい」、「だれそれに連絡してほしい」、などと希望を書いておけば、その連絡先に連絡すれば済みます。

長い人生、転居や電話番号変更などで連絡がつかなくなることもあるため、万全な対策ではありませんが、ひとつの考え方としては「アリ」ではないか、などと思う次第です。

本文は以上です。

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読者コメント一覧

  1. タナカ珈琲 より:

    まぁ、私は子供達3人には、家族葬にしてくれ、と2年に1度は家族葬と言っています。参加者は10人。子供達3人と配偶者3人、孫達5人。

    長男は喪中はがきを出すか?
    喪中はがきみたいなモンは出さんでエエ、とワタシ。

    オヤジの葬儀では、知らない遠い親戚が大きい声で叫んでいた。オレはひとりでオヤジの側に居たかった。

    長男もシンミリひとりでお通夜に居れば良い、と思います。
    モチロン、長女、次女、孫達が居れば十分です。

    1. 呆け老人 より:

      >長男は喪中はがきを出すか?
       喪中はがきをもらった人はどれだけの数の人がその情報を利用するのでしょうね。年賀状を送るのを控える為に使う位かと。それとて喪中はがきを受け取らなければ年賀状が届く事もあるでしょうが、無視しておけばよろしいかと。

       私は喪中はがきを受け取っても迷惑以上の何物でもありませんから、他人も同じかも知れないという事で、身内が亡くなった場合も一切喪中の挨拶状は出しませんでした。近い親類縁者に出さないのは失礼に当たるかも知れませんが、そういう人たちは対象者が亡くなったことを当然知っているので出す意味が無いでしょう。

       と言うことで嘗て父、母、家内が亡くなりましたが、親類縁者には葬儀終了後に無くなったという挨拶状は出しましたが「故人の意向なので香典は難く辞退させていたします」と書いて知らせ、身内だけで葬儀を行いました。身内以外の人には亡くなったことも知らせませんでした。それでも香典を送ってきた人も結構ありましたが。

       誰それの配偶者の兄の、またその子供の配偶者がとか、会ったことも話したことも無く、その人がいたことさえ知らない人の喪中の挨拶状が来てもどうしようも無いのですけどね。従って知っている人は知っているのですから基本的には喪中の挨拶状は一切出す必要は無いと思いますが(但し、そういう形式にうるさい人には出しておいた方が後で釈明する必要が無いので、問題が無いでしょうけど)。

       勿論挨拶状を出さないと年賀状が来る可能性がありますが、自分宛のモノは異論もあるでしょうが、受け取るだけにしておけば良いことでしょう。

       今年も親類で葬儀があり出席しましたが。出席しているので当然無くなったことを知っているのに喪中の挨拶状が届きましたが、田舎の場合は大分簡素化されてきたとは言え、出さないと問題が起きるのかも知れないですが。簡素化と言えば、先代の当主が亡くなったときは葬儀は自宅で行い、埋葬は土葬でした。今回もその家の当主が亡くなりましたが火葬で、しかも遺骨は墓前で骨壺からビニール袋に移してその袋毎納骨室に入れていました。別の地域では骨壺から納骨室に全部空け、それで納骨は終わりで、近い場所なのに違う作法があるようでしたが。

       名古屋、広島、博多などでは遺骨は小さな骨壺に入れて残りは火葬場で処します。茨城では骨壺に入りきらないものは、上から押しつぶして全部入れていました(仏様もさぞかし痛い思いをしているかも。そこまでするなら大きな骨壺を用意すれば良いのに)。博多では火葬は義務だが収骨は義務ではないので一切不要なら後は火葬場で処分するとか言う葬儀屋の説明でした。

    2. 福岡在住者 より:

      タナカ珈琲様 

      面白いコメントですね。 幸せ過ぎの大家族(爆笑)

  2. 引きこもり中年 より:

    毎度、ばかばかしいお話を。
    小学生:「夏休みの宿題は8月31日から始める」
    高齢者:「終活もエンディングノートも遺言書も、亡くなる1日前からはじめる」
    その典型は私でしょうか。

    1. 呆け老人 より:

      夏休みのオワリは決まっているからそれでも良いでしょう。でも亡くなる日は決まってないので問題かも?死んだ日で葬儀前までに行えれば問題無いでしょうけど、ちとそれは難しそうですが。

      私は夏休みの宿題は夏休みに入ると殆ど片付けてからしっかり遊びました。そうすると新学期が来たとき、それまで習ったことを忘れてしまうので夏休み中に何回か登校日がありました。その時でも前の楽器に習ったことを忘れていましたが。

  3. 農民 より:

     今年の農業があらかた片付いたつい先日、少し前に身寄り無く亡くなった方の家の後片付けを手伝う事になりました。良く言えば物持ちが大変に良い方だったらしく、昭和~平成で溜めに溜めた家財一式、仕舞ったままの記念品、貰い物、新品買い置き、等々……いずれも価値のあるものでもなく、ほとんどを廃棄する事になりました。
     大きな家ではないのに、廃棄した量なんと8立米バッカン4台。(4t車のべ4台)
     古くから続いた農家のこと、昭和の頃は親戚近所が集まるのに備えて相当な数の綿布団や食器が用意されていたりするため、土蔵の中は満杯。外に引き出してみると、よくぞここまで収まるものだと感心するほど。その他に家の周囲には木材等々が山のように。
     都市部の平均的家庭とはかなり都合が異なるでしょうが。自分の時は猶予があるのであれば、託すより先にある程度は片付けておかないと、後が大変だなと実感した次第。

     これまた田舎だけ(というかここらだけかも)の都合ですが、土蔵の中でもとりわけ味噌蔵=味噌や漬物、つまり”発酵品”を保管している区画。その”中身”をそのままに人に処分を託しては絶対にいけないなと強く感じました……原形を保っていたりいなかったりの臭気を放つ半液体の処分、二度とやりたくはありませんわ。
     「アレは片付けてから逝ってね」という内容を伝える方向でのエンディングノートもあった方が良いかもしれません……

    1. セクシー〇〇 より:

       切なくなりました。立つ鳥跡を濁さず。でしょうか。

  4. 裏縦貫線 より:

    実家の母親が他界したときのことです。
    母親の小学校時代からの友人とは「病に倒れたり死ぬときにはお互い言うまい」と話していたと聞いていたので、私も子供のときから良くしてもらっており心苦しかったですが、連絡はせず。
    一方、ここ十年かどうかの知人は、故人の意向により家族葬・御香典御供物御供花は辞退していると伝えても、「線香をあげたい御霊前を受け取って」と。そのお気持はありがたいのですが….
    五十年の長きに渡るおつきあいのお隣さんには、家族葬を理解して、静かに見送ってもらえました。

    1. 裏縦貫線 より:

      「モノ」ですが、全部片付け済ではないものの、元気な頃と比べて少なくとも箪笥3棹は無くなり、台所の食品類はほぼ処分してあったので、さいごの入院の前にはそれなりに準備していたようです。
      異動後1箇月経っても元の部署の机が片付いていない息子とは大違い….

      1. 呆け老人 より:

        遺言だからと言って断ってもどうしてもと言う人が多いので、有り難く頂戴して同額をお返ししました。当時は金も安かったので金貨でお返ししたら数年後には2から3倍になり、お返しした方から喜ばれました。モノでおかえしをもらっても、必要なモノであれば良いですが、どれが必要か分りませんので。最近はカタログから選ぶ様になっていますが、もらわなければ多分喪主の出費もないのでしょうから、私はもらったことはありませんが、果たしてどうなっているのでしょうかね。

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