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【インチキ論説】不戦の誓い新たに:平和憲法を考える

79回目の終戦の日を前に、平和憲法についてじっくり考えてみようじゃないか―――。こんな趣旨の社説などが、おそらく明日、いくつかの社から出て来るはずです。本稿では先回りし、それらの論説の内容を大胆に予測してみようとする駄文の試みです。ちなみに論説冒頭で「憲法についてじっくり考えてみようじゃないか」と言いながら、本文で深みのある考察が出てこないのは、ご愛嬌です。

予測論説

本稿は、「予測論説」です。

79回目の終戦記念日である明日・8月15日を前に、一部メディアが掲載するであろう社説などを予測し、憲法改正を批判する立場から、ちょっとした駄文を書き連ねてみました。

敗戦記念日

明日・8月15日は、日本が敗戦した記念日である。不戦の誓いを新たにしつつ、平和憲法についてじっくり考える良い機会だ。

太平洋戦争では、戦線は数多くの日本の軍人・軍属らが犠牲となっただけでなく、日本は本土を攻撃され、東京、大阪などの主要都市が空襲で焼け野原にされたうえ、沖縄では地上戦が繰り広げられ、広島、長崎にはそれぞれ原子爆弾が投下された。

ただ、日本人にも多くの犠牲者が出たが、それだけではない。

中国の南京では大虐殺が行われ、一説によると30万人もの方々が、日本軍による犠牲となったとされる。当時の南京市の人口が20万人だったことを思い起こしておくと、なんと都市住民の1.5倍という方々が日本軍の手により命を落としたわけだ。

一方、朝鮮半島では20万人を超える少女が日本軍の手によって戦場に強制連行され、性的奴隷とされるという悲惨な被害に遭ったし、一部の女性は終戦後も日本軍による徴発が続き、1948年には日本軍のジープに乗せられたという証言もある。

また、同じく朝鮮半島では日本軍により強制徴用され、奴隷労働を強いられるという被害に遭った方も多く、彼らの多くは自らの意に反して連れて来られ、強制的に働かされたことを、日本の外務省自身も認めているほどだ。外務省自身が認めている以上、違法な強制徴用があったことは、間違いない。

汚れた手で憲法を触るな

いずれにせよ、太平洋戦争やそれに先立つ日中戦争では、日本は「被害者」であるだけでなく、「加害者」としての側面を持ち合わせている。そんな私たちの先人が、憲法第9条に不戦の誓いを立てたことは、過去に対する痛切な反省に立脚したものだ。

それなのに、最近ではこの不磨の大典である日本国憲法を、強引に変えようとする動きがある。

言うまでもない、岸田文雄首相が自身の総裁選への再選を目指し、この憲法改悪を政治的な材料にしようとしているのだ。

不戦の誓いを歪めてはならない。

裏金事件を起こした自民党が、汚れた手で憲法を触る資格などないのだ。

だいいち、日本国憲法の精神に照らし、国会議員が改憲を議論することは、憲法違反である。国民の総意は平和憲法を支持しており、この憲法を変えようとする岸田首相は今すぐ政権を返上し、自民党はただちに解散しなければならない。

「攻めてきたらどうするんだ」?そんなことは聞いて以内

そもそも、本稿を読んでいる日本市民に聞きたい。

「あなたは戦争に反対ですか?」

私は戦争反対だ。断固として反対。というか、戦争に反対しない人がいるのが信じられない。

え?「攻めてきたらどうするんだ」?

ここでは、そんなことは論点にしていない。

読者の皆さんにも、あなたは戦争に反対か、それともしたいのかを聞きたいと思う。

そして、日本は今こそ、憲法第9条の精神を生かし、平和外交の道を歩まねばならない。

そのために、まずは外交努力で戦争を終わらせることを望みたい。そのモデルケースのひとつが、ウクライナだろう。

ロシアがウクライナで行っている特殊軍事作戦、戦況はいまのところ、ロシアが圧倒的な優位で進んでいることは、ロシア政府高官も認めるところだ。

この点、仮に日本の降伏が1945年8月15日ではなく、半年早い2月15日のタイミングであったならば、東京大空襲もなかったし、沖縄戦も、そして広島・長崎の原爆もなかったはずだ。日本政府はまず、この知見をウクライナと共有し、ウクライナに早期停戦を呼び掛けてみるべきだろう。

「岸田首相の元での改憲反対」と連帯しよう!

さて、平和憲法と平和主義国家・日本を愛する日本市民の皆さんに、非常に良い知らせがひとつある。憲法改悪に普段なら賛成するネトウヨ諸氏のなかには、「岸田首相のもとでの改憲に反対」、などと言い出す人が出現しているのである。

憲法改悪は、いちど実行されてしまえば改憲へのハードルが一気に下がるため、取り返しがつかない。今後、さらなる憲法改悪を通じて、将来的に徴兵制が復活し、日本が再び侵略戦争を始めるかもしれないからだ。

極右勢力のなかでも、「憲法改正には賛成だが、岸田首相の元での改憲には反対する」、などと主張している人たちとは、「岸田政権下での改憲を阻止する」という意味では、目的を共有できるはずだ。

そして、来年80回目を迎える終戦記念日に、私たち日本市民は過去の日本の蛮行を反省・謝罪するとともに、戦争を絶対に起こさず、子供たちを戦場に送り込まないためにも、この憲法の精神を大切にするという誓いを新たにしようではないか。

知的ゲーム

…。

というのが本日のインチキ論考です。

知的ゲームとして、相手が考えている内容を予見し、相手の立場に立って論考を書いたり、読んだりしてみると、相手の思考パターンが見えて来るかもしれません。

冒頭に「平和憲法についてじっくり考える良い機会だ」と言いながら、本文で憲法について深みのある考察がほとんど出てこないのはご愛嬌として、おそらく、「憲法改正を阻止したい」と考える人たちは、多くの場合、「日本が加害者になるのを防ぐ」という視点からアップデートできていないのだと思います。

現実が見えていないというべきでしょうか。

いずれにせよ、そのような視点から読んでみれば、彼らの思考パターンがなんとなくわかるかもしれません(それがわかったところであまりうれしくはありませんが…)。

新宿会計士:

View Comments (11)

  • ちょっとコマセ撒き過ぎ。ダボハゼじゃないんだから(笑)。

    どうせ、明日になれば、大手新聞各紙が、足元隠した大同小異の記事、社説を掲載するでしょうが、もう今の時世、サイト主さんがそのインチキ具合を事前に周知しなければいけないほどの、影響力なんてないでしょう。

    • うふふ
      もちろん、インチキ論考だけやないでwww

      >ちょっとコマセ撒き過ぎ。ダボハゼじゃないんだから

      ダボハゼ、言うたな!
      うまく揚げればおいしいんやで!!

  • いつもお疲れ様です。
    昔読んだ本のうろ覚えですが、明治憲法には「天皇陛下は陸海軍を指揮統帥なされる(→旧日本軍は首相に従う必要はないと勘違いして暴走した)」・行政のトップたる首相の存在が憲法に明文化されていなかった(明文化されていないので立場が弱く、国務大臣が一人でも反対すれば罷免できた)などの問題点があったそうです。対して現行の憲法、現状に照らし合わせて問題点は一つもないのでしょうか。
    会計士さんのなりすまし左派、向こうの意識の高さや論点のワンパターンさが再現されていて面白いです

  • 大手新聞社は、もし自社が外国軍に攻撃されたら、某会計士から批判されないように「戦争は放棄したが、特別軍事作戦は放棄していない」と言い出すでしょう。結論、憲法9条は祝詞である。(井沢元彦(著)の「逆説の日本史」を読んでください)

    • 毎度、ばかばかしいお話を。
      新聞社:「明日の社説を考えるのが面倒なので、某会計士の文書を、そのまま採用しよう」
      もしや。

  • ・早田ひな選手「鹿児島の特攻資料館に行って、自分が生きていること、卓球を当たり前にできていることは当たり前じゃないことを感じたい」(動画3分ごろ)

    https://www.youtube.com/watch?v=KN37gNiuEfA
    https://encount.press/archives/663937/

    予想外の展開に、このコメントをカットしたメディアもあったとか。
    世界と戦うアスリートなので、戦うこと自体を放棄するという思想には進まないと信じたいです。

    • そうはならないと思いますよ。
      むしろ、選手生活の密度は高くなると思います。
      元プロ野球選手で当時はコーチだった高橋慶彦さんも西岡剛選手を知覧に連れて行っています。

      第八話 慶彦さんが西岡剛を知覧に連れて行った理由
      https://www.youtube.com/watch?v=5FazSPIStvM

  • 今年もこんな「反戦!反戦!とにかく反戦!憲法9条を死守しろー!」な記事を
    書きたがっている勢力は居そうですが……赤旗を除けば、これよりも大人しくなると予想します。

    とにかく過激、過激、過激でなくてはならない赤旗以外は、もはや朝日ですら
    毎日毎日減っていく寿命におびえていく日々。更にウクライナの件を持ち出されると
    いわゆる”9条教徒”は大弱りになってしまうらしいので、
    朝日や毎日あたりは「なんだ、随分控えめじゃないか、つまらん」と
    言いたくなる様な記事になると言うのが私の予想です。

  • 「戰爭放棄」の標語とともにあらゆる「醜い」兵器がコルドロン(大釜)の中に投げこまれ、そしてあらゆる産業の成果がキラキラと生まれ出てくる。
    当時の社会科の公民の授業で登場した味わい深い挿絵は、多くの小中学生の記憶に残っていることでしょう。
    高度経済成長の70年代、80年代、日本は戦争に負けて戦争を放棄したおかげで日本の皆が平和に豊かに生活できるようになった、と当時の教師は真顔で語っていたものです。
    ですが、自分が当たった社会科の教師はとても辛気臭かったのが印象的でした。そして、それを聞く生徒側も「日本は平和だ」と聞いて「はい、そうですか」と素直に頷いていた生徒も少なかったのです。

    「素晴らしい憲法があるのですから、争いごとはいけません」と学校でしっかり教わっても、自宅に帰りテレビのスイッチを「引っ張り上げれば」(当時、リモコンはありません)、画面の中ではプロレスラーが血しぶきを上げ、観客はヤンヤヤンヤの大喝采を上げているのですね。タイガージェットシンやアブドラ・ザ・ブッチャーが血だらけになり、男の子たちもそんな姿に大声援を送っているわけです。
    「争いごとはいけません」なんて辛気臭い教師が一生懸命教えたことは、その日のうちに完全に否定されてしまっていたのが当時の日本の状況でありました。
    当時の自分はこの矛盾した二つの事象は、ともに真実なのだ、と折り合いを付けることができました。しかし、折り合いが付けられない生徒も自分の周囲にはたくさんいたと思います。
    特に家庭の状況や交友関係が修羅場だと、周囲で毎日毎日争うところを見せつけられているのに、「日本は平和だ」と教えられても嘘を教えられているようにしか思えないのは仕方のないところでしょう。何故ならその当人にとっては、「日本と言われる世界」とは、地図上における日本列島のことではなく、家庭や知人との間の世界のことなのですから。
    教師に不信感を蓄えた当時のいわゆる「不良」たちは卒業後にお礼参りをしていたのが、教育程度がよろしくない地域の世相でありました。
    不良たちはどの程度まで憲法の内容を勉強し、理解していたのか未だにわかりません。
    また、国公立大学や官公庁を目指して勉強していた生徒も憲法や法律の内容は丸暗記でどこまで理解しているのか、未だによくわかりません。
    ただ、70年代、80年代生まれの人々は、今の日本国憲法のままでは流石にまずい、と自分と同じように本能で感じとっていて欲しいと思います。

  • トロイア戦争で、
    「木馬を場内に入れろ!」
    と、強硬に主張している人たち、に見えますね。

    コロナに対して、
    「マスクするな」
    「うがいするな」
    「手洗いするな」
    「アルコールを常備するな」
    と言ってたら罹患しない!のであれば、やってみたらエエかと思いますが。
    どうぞどうぞ。