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「万葉集は新羅の郷歌と判明」=韓国の衝撃の最新研究

世にトンデモのタネは尽きまじ

先日の『歴史は繰り返す:「新発見・万葉集は韓国語だった!」』で報告したとおり、「万葉集は(古代新羅の)郷歌だった」とするトンデモ説がこのほど韓国で出版されたそうですが、その、「続報」が出てきました。なんと、「万葉集の4516首からランダムに選んだ650首が、ひとつの例外もなく『郷歌創作法』により作られていることを確認した」、というのです。な、なんだって~!?

「日本語の由来」は知的好奇心の源泉

当ウェブサイトの管理人は、高校生時代には「にわか言語学者」を気取っていて、一時、本気で言語学部に進学しようと考えていたほどでした。そんな自分自身にとって最も興味のあったテーマが、「日本語がどこから来たのか」、「日本語にはどんな特徴があるのか」、です。

といっても、高校でそんなことは教えてくれません。

情報源の多くは、住んでいた区内の図書館にありました。金田一春彦先生、大野晋先生らの日本語論考は、それこそやっと学問の面白さに目覚めつつあった高校生にとっては、知的好奇心を大いに刺激する題材だったのです。

ただ、結局、紆余曲折もあり、進学したのは某総合私立大学の商学部で、その後の進路も言語学者ではなく、国家Ⅰ種試験を経済職で受験して経済官庁を目指したという、なんだかよくわからない結果になりました(しかも官僚として就職することもできなかったというオマケまで付きました)。

しかし、今でも言語学の話題を目にすると、個人的には知的好奇心を大いに刺激されます。

とくに、大野晋先生が提唱した「日本語=タミル語説」は、なかなか興味深いものでした。あくまでも記憶ベースですが、日本語やパプアニューギニア語の起源は南インドのドラヴィダ語族、とりわけタミル語と、発音、語彙、文法などの面でさまざまな共通点がある、とするものです。

こうした「タミル語→日本語」説に対しては、「インドと日本が地理的に離れすぎている」といった批判に加え、言語学界ではさまざまな批判・反論が加えられているとのことも事実です。

とくに、大野晋先生が両言語間の歴史的な交流関係にほとんど言及せず、文法、単語といった言語の特徴だけに着目した比較の手法が、言語学における主流的な手法から外れている、といった批判もかなりあります。

科学の世界は試行錯誤の繰り返し

しかしながら、言語学の世界に限らず、一般に学問の世界においては、「何らかの発見がある」→「仮説を立てる」→「その仮説に合致しない証拠が見つかる」→「仮説が修正される」、といった作業がひたすら繰り返されていきます。

言語学の話から、思いっきり脱線しておきましょう。脱線する先は物理学と経済学です。

思えば、今日では「正しい」とされる、アインシュタインの相対性理論についても、発表された当時はじつに多くの批判がありました。「光に近い速度の慣性系では時間の進み方が変わる」と言われても、多くの人は「そんなバカなこと、あるか!」と、ときとして感情的に反発したりもするのです。

もっとも、それを言い出せば、「地球は太陽の周りを回っている」というコペルニクスが提唱した「地動説」も大いに批判されましたし、カトリック教会は宗教裁判でガリレオ・ガリレイに対し、1633年に異端判決を下し、2008年にそれを撤回するまで、地動説を認めていなかったほどです。

また、財政学の世界においては、自国通貨で発行した国債がデフォルトするというカルト宗教が信じられているようであり、わが国の場合も、そのカルト宗教の総本山である財務省に財政を乗っ取られ、財務省はこの誤った宗教に基づいて、増税など、日本経済に対する破壊活動を続けています。

オウム真理教に破防法を適用したのと同様、財務省に対しても破防法を適用したら良いのに、と思う今日この頃です。

古代日本語を現代韓国語で読むというトンデモ説

さて、ハチャメチャに脱線した議論を、言語学に戻しましょう。

以前の『歴史は繰り返す:「新発見・万葉集は韓国語だった!」』では、1980年代から90年代にかけて「万葉集は韓国語で読める」とする書籍日韓で大流行したとする話題に関連し、1988年に刊行された『もう一つの万葉集』という書籍について取り上げました。

結論からいえば、噴飯物の議論です。

個人的に、過去にこの手の書籍を数冊、読んだ経験があるのですが、古代日本語を現代韓国語で解釈しようとするなど、学術的なプロセスを一切無視した代物ばかり。学生だった自分自身の目から見ても、明らかに「トンデモ本」とわかるからです。

また、この手の書籍を執筆している人たちの多くは韓国人(在日韓国人や、本国の韓国人)であり、なかには明らかに思い付きで、「韓国語と日本語はこんなに似ている!」「だから、明らかに同じ言語だ!」などと主張するものも数多く見られました。

これに対して、「『説明』と『証明』の区別もついていないのに、よく書籍を出版できるな」、といった感想を抱いたことも事実です。

ただし、言語学の世界で明らかに学術的なプロセスを無視したトンデモ本が数多く出版されている分野というのは、べつに日本語と韓国語の関係に限られません。「日本語=英語」説も数多く出版されていたのではないかと思います。

たとえば:

  • kennel(ケンネル)…犬小屋=犬(ケン)が寝るところ
  • typhoon(タイフーン)…台風
  • tavern(タヴァーン)…居酒屋、酒場=食べるな

といった具合に、日本語と英語にも、「関係があるに違いない」と思しき事例は、探せば何十も何百も出てきます。

いちおう、真面目に突っ込んでおくと、人間が発音できる音素には限りがあるため、数多くの語彙のなかに、たまたま似たような意味・発音のものがあっても不思議ではありません(ちなみに「台風」という単語自体は英語の “typhoon” の音訳で、「台風」という表記が日本語に定着したのは戦後のことだそうです)。

また、tavernはラテン語のtaberna(タベルナ)が由来だそうですが、もしも「tavern=食べるな」説をもって「日本語と英語が同祖だ」と言い張るならば、日本語とラテン語の関係についても同様に論じなければおかしいでしょう。

ご冥福をお祈りします…が!!

こうしたなか、『もう一つの万葉集』の著者の方が先月25日、89歳で亡くなっていたようです。

作家の李寧煕氏死去 「もう一つの万葉集」

―――2021.4.26 17:11付 産経ニュースより

本件に関しては、心からご冥福をお祈りしたいと思います。

ただ、世代交代したとしても、やっぱりインチキ本のタネは尽きません。日本のゴールデンウィーク中に相当する5月2日、韓国メディア『中央日報』(日本語版)には、こんな記事が掲載されていました。

日本の「万葉集」の秘密、新羅郷歌がカギだ

―――2021.05.02 12:16付 中央日報日本語版より【韓国経済新聞配信】

歴史は繰り返す:「新発見・万葉集は韓国語だった!」』でも紹介した、『日本の万葉集は郷歌だった』という書籍の日本語版解説記事ですが、これもなかなかに強烈です。

配信した韓国経済新聞(韓経)によると、この書籍は「新羅郷歌分析」を適用して「『万葉集』から無作為で抽出した作品650首」を分析したところ、「ひとつの例外もなく『郷歌創作法』により作られていることを確認」した、というのです。

そもそもこの「郷歌」、つまり「新羅時代の朝鮮語の歌謡」なる代物自体、現存するのは数十首程度に過ぎないらしく、しかもそのわずか数十の歌を使って4500首を超える万葉集の和かを解読するという試み自体、言語の専門家でなくても「かなり無理がある」と感じずにはいられません。

しかも、韓経によると、この新たな著書によれば、「郷歌」は「現代のミュージカルや演劇、マダンノリのような公演の台本だった」というのですから、もうメチャクチャです(笑)

しかも、さりげなく「新羅郷歌」だけでなく「高麗郷歌」とも記載されていますが、「新羅」と「高麗」だと全然時代が違います。高麗王朝は紀元918年に建国され、1392年、李氏朝鮮により滅ぼされたとされる国ですが、そのころの日本は平安・鎌倉・室町時代です。

日本に対しては、ことあるごとに「正しい歴史認識を持て」などと言い募る韓国ですが、果たして韓国では学校教育において「正しい歴史的事実」をちゃんと教えているのでしょうか。

ちなみに、韓経は次のようにも述べています。

著者の郷歌解読法で解釈した内容は既存の日本式解釈と同じ作品とみるのが難しいほど違う」。

ま、そりゃそうでしょうな(笑)

共同研究?ま、やりたきゃどうぞ

ちなみに、韓経には次のような記述もあります。

『万葉集は郷歌だった』という彼の主張が認められるならばその波紋は少なくなさそうだ。全4516首に達する『万葉集』は古代日本のアイデンティティとも見なされる。著者は4516首全体を日本の学者と共同研究したいと提案した」。

なんだか、いろいろとツッコミどころが多すぎて困ります。

「万葉集は郷歌だった」という主張が学問の世界で認められるとも思えませんが、両者に何らかの関連が証明されたからといって、自動的に「万葉集は郷歌だった」という結論になるというものでもないでしょう。むしろ「郷歌は万葉集のパクリだった」、という結論になるかもしれません。

また、「4516首全体を日本の学者と共同研究したい」とのことですが、すでに確証バイアスで凝り固まっているであろう研究を、のこりの首について適用したところで、どうせ「万葉集は郷歌だった」という結論に合致するように解釈するのではないかと思う次第です。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ちなみに、一般にトンデモ本と呼ばれているものは、どんな国であろうが、どんな時代であろうが、コンスタントに発行され続けるものなのだと思います(著者私見)。したがって、今回の書籍が「現代韓国人の対日コンプレックスの証拠」とまで拡大解釈すべきではないでしょう。

ただ、日本だとまともなメディアはまず相手にしないであろうトンデモ説が、韓国を代表する「保守系(?)メディア」に堂々と掲載されるというのも、なかなかに興味深い事象であると思わざるを得ないのです。

オマケ:万葉集は英語だった!

ちなみに韓経の主張は「万葉集は韓国語だった」というものだそうですが、じつは、万葉集は英語でこそ説明ができます。

  • 万=many
  • 葉=yodel
  • 集=show

すなわち「万葉集」とは、「多くの(many)ヨーデル(yodel)のような歌をショー(show)にする」、という意味があったのだ!な、なんだって~(以下略

新宿会計士:

View Comments (54)

  • 世界に誇れる文化がないから、すぐ韓国発祥という病気が発症する。本当、しょーもない民族だと思います。恥ずかしくないのかと考えるのは日本人だけで、シナ人や朝鮮人はそう思わないんでしょうね。

  • 更新ありがとうございます。

    朱子学のせいもあるのか、いやその前から朝鮮は前王朝が滅ぶと根こそぎ焼き払い、壊し尽くし、殺し尽くし、埋め尽くして無きものにする。その繰り返しです。だから、何も残らない。

    万葉集は7世紀前半から759年までの約130年間の歌が収録されている。成立はその直後から780年と言われる。対して、韓国の言うところ、統一新羅は676〜935年頃の王朝です。

    ちょっと合致する部分もあるが、まあいつもの戯言だと(嘲笑)言えますね。現存するのが数十首程度に過ぎないのに、4,500もの歌が生まれますかね?どんな創意工夫でしょうか(笑)?

  • >「正しい歴史的事実」をちゃんと教えているのでしょうか。
    *正誤の認識が源流主義に沿ってるかどうかなのでしょうね。

    共同研究っていうのも、「追認しろ!」ってことなんですよね。

  • 清水義範の短編集、『蕎麦ときしめん』の中に、『序文』という作品があります。タイトルどおり、とある著者の序文だけを集めた作品です。その著者は「英語の語源は日本語」という学説を唱えているという設定です。1989年刊行という古い本ですが、今でも十分に笑えます。初期の清水義範が持つ鬼気迫る笑いを集めた傑作だと思います。

    『蕎麦ときしめん』(講談社文庫)、清水義範 (著)
    https://www.amazon.co.jp/dp/B00GYTHTCI/

    • 上述の『序文』に関連した、こんな論文? を見つけました。笑えます
      http://sils.shoin.ac.jp/~gunji/CR/logs/Kyozai/zyobun/zyobun2.pdf

      恐らく大真面目な主張ではなく、清水義範研究の一環ではないかと思います。
      この中にも
      李寧煕 (1989). 『もうひとつの万葉集』. 文藝春秋
      が参考文献として挙げられています。

      安本美典 (1991). 『新・朝鮮語で万葉集は解読できない』. JICC 出版局
      もあります。

    • 阿野煮鱒 様
      そういえばそういう作家がいましたね。ホント懐かしい名前です。 毒というか灰汁が強そうで読めなかったですが。

  •  一部の鳥は玩具を作って戯れますし、イルカは毒フグをつついてトリップして楽しむそうです。しかし妄想や嘘を使えて且つ娯楽として楽しめるのは、言語・文化が発達した人類ならではでしょうか。……え、アレ本気?
     でもでも、空を飛びたい、宇宙空間に飛び出したい、月まで行ってみたい……いずれも妄想に過ぎなかったものを、極僅かな天才が悪魔的な情熱によって成し遂げてきました。
     またノーベル賞も、実現不能に思われた和平を成したり、科学分野でも誰も見向きもしないニッチな研究からとてつもない利用法が見いだされたした結果であったりです。
     そのまま止まるな突き進め!

  • とんでもないことを、笑わせようとするのと、真剣にするのとでは後者の方がより笑えます。
    半島人は、その後者の方で 常にとんでもないことをまじめに実行します。
    自分に迷惑さえかからなければ 韓国は最高のお笑い芸人だと思うのです。
    ただし、自分に被害が及ばなければですが。

  • 韓国ネット民は、「日本文化はすべて朝鮮から伝わったもの」、「野蛮な日本に文化を教えたのは朝鮮」というのが、スタンダードです。朝鮮を経由せず、中国文化が日本に入って来た「遣唐使」「遣隋使」の事を教えているとは思えません。
    天皇家を朝鮮半島の末裔という国ですから、万葉集の話も「ウリジナル」の一つとして、定着する可能性もあります。最近では日本の茶道が、朝鮮伝来であるという妄想を再開しています。
    以前から気になっているのは、私が朝鮮半島文化らしいもので知ってるのは、仏像と陶器しかありません。
    生活に余裕の無いところで、演劇、音楽などの文化は、発達しなかったんだと思ってます。
    朝鮮宮廷文化とかあるんですかね?

    • パンソリとか、サムルノリの源流となったプンムルノリという農楽があったりします。

      朝鮮人は、歌舞音曲には長けた民族だと思います。生産的なことは好まない分、刹那的な快楽には熱心です。音感、リズム感の良い人は多いですよ。

      ここに集う皆様には認めたがらない方が多いと思いますが、K-pop歌手の多くは、日本のアイドルと違って歌唱力がしっかりとしており、ダンスも巧みです。(ただ、音楽そのものが米国の大衆音楽をパクっているだけで薄っぺらく、私は聴く気になれません。)

      日本でも、沖縄県出身の芸能人、俳優、歌手、ミュージシャンの比率って高いじゃないですか。芸能関係って、「無い」ところから生えるように思います。

      • 日本のアイドルは歌手でもダンサーでもない、ただのバラエティー芸人ですから、それと比べるのはどうかと。
        日本のミュージシャンと比べるべきですが、K-POPはJ-POPやアメリカンポップスのコピーですから音楽性というものが無いですがw
        K-POPは歌手というよりは、その国でウケてる曲をリサーチしてパフォーマンスを演じる音楽職人か出来の良いコピーバンドといったところですかね。

      •  K-Popって言葉自体がJ-Popの真似だし。
         ジャズもロックンロールもビバップもニューウェーブも、近代のポピュラー音楽を経ず、文化的歴史もなしに、最近解禁された海外の流行を頑張ってパクリました、ってとこでしょう。
         歌とダンスが上手くても、そこにソウルはあるのかい、と。
         先進国の工業を表面的にコピーした構造と同じと思います。

        • 韓国独自の音楽性というのが「アリラン」ぐらいしか無いのがねw
          音楽は聞いてみると国によって違いがあるのがよくわかります。
          だから、「ああ、この音楽はこの国の音楽だな」となんとなくわかるんですよね。
          だけどK-POPはどこの国の音楽なのか、さっぱりわからない。
          新羅の郷歌を万葉集がパクったという彼らの妄想も単に外国から影響を受けた結果でしか無いのがK-POPを聞くとよくわかります。
          朝鮮ほど長い歴史があれば独自の文化や音楽がある筈なのに何も残っていないのは何故なのかを検証するのが先でしょう。

          •  かの国は、主客を逆転して主張するのが得意技みたいですから。
             アメリカチャートの音楽こそがK-Popのパクリなのでしょう。

    • だんな 様

      > 私が朝鮮半島文化らしいもので知ってるのは、仏像と陶器しかありません。

       実はその通りでして……
       朝鮮の伝統文化として現代も残っているものは、高麗時代に起源を持つタルチュム(仮面劇)、朝鮮時代のプンムルノリ(風流遊び、農楽)、朝鮮時代後期の18世紀から始まったパンソリだけです。

       タルチュムは猿楽や狂言、プンムルノリは田楽や盆踊り、パンソリは現代の講談といった感じでしょうか。これらは旅芸人が邑むらを回って庭や広場で公演する形でした。鎌倉時代から戦国時代にかけて琵琶法師や踊り念仏の遊行僧をイメージするといいかもしれません。 
       もっとも、日本でも旅芸人のどさ回りは戦後しばらくまでありましたけれど。

       江戸時代の日本には常設の芝居小屋や寄席がありましたが、朝鮮では仮設の舞台がせいぜい。常設の劇場が作られたのは20世紀に入ってからです。

      >生活に余裕の無いところで、演劇、音楽などの文化は、発達しなかったんだと思ってます。

       おっしゃる通り、朝鮮で文化が発達したのは生活に余裕が出てきた日本統治時代です。韓国で伝統を誇っている店や文化のほとんどは日本統治時代に起源があります。本当に伝統のあるタルチュム、プンムルノリ、パンソリも日本統治時代の影響を相当受けたようです。
       
       余談ですが、李明博が大統領だった頃の韓国政府は朝鮮の宮廷料理を無形文化遺産にしようと画策してましたが失敗しました。なぜならそれは宮廷料理を元に捏造した創作料理でしたから。

       あと、サムルノリが伝統音楽みたいに扱われてますが、あれは1970年代から始まった創作音楽です。

    • 阿野煮鱒さま、 とある福岡市民 さま
      ご教示、ありがとうございます。
      舞で知ってるのは、病身舞しか知りませんでした。
      後で、YouTubeでプンムルノリ探して見ます。

      • 見ましたが、ちょっとね。
        日本のお祭りは、見てられますが。
        朝鮮伝統芸能公演で、和服が出てきたりしてました。

    • 半島の"文化"と呼ぶべきかわかりませんかが…

      円仁の『入唐求法巡礼行記』(にっとうぐほうじゅんれいこうき)は、838年に博多津を出港した場面から始まり、揚州へ向かい、847年に帰国するまでが記されています。

      『行記』の研究者であるライシャワー博士は、円仁の旅行は半島や在唐の新羅人の助けを得て成し遂げられたとし、当時の山東半島周辺に新羅人ネットワークが確立していたことを指摘されています。

      そこに記された新羅人の僧侶、やはり期待を裏切りません。かれの話は眉唾もので、人の行状を自分のことのように話すとあるそうです。(その箇所の日付を失念、申し訳ありません)

      政治家や仏に仕える僧侶など朝鮮半島の人々が平気で嘘八百を並び立てるのは、今に始まったことではなく、1200年も前から相も変わらず続いてきた"伝統"といえるようです。

  • 最近亡くなったトンデモ本作者様の著作は韓国で売れたわけじゃなくて日本でベストセラーになりました。例の反日種族主義だって日本の方が良く売れています。

    そもそも韓国人は本を読まないのです。あまり勉強していない漢字が入ってたら読みづらいですし、全部ハングルだったら、今度は同音異義語の嵐で訳わかりません。日本でいうところの全部ひらがなの本ってことですよね。そりゃ読む気にならない。

    読書大好きな日本人の感覚で、こんなトンデモ本やトンデモ記事が出たらヤバいですけど、韓国だとあまり関係ないのでしょう。なんか反日で自尊心を満たしてくれそうな本なので買いますけど、読むわけでなくて、持ってるだけで満足。そんな感じなんでしょうね。

    韓国人がまともに文章読むのは学校で先生の解説付きで教科書を読むのが最後、あとは仕事で必要な最小限の文章しか読まない。趣味としての読書など、かなりレアな部類なんでしょう。

    だから彼ら教科書教科書うるさいんですね。書物に溢れた日本では教科書とて1つの書物でしかない。教科書に何が書かれようとそれで若者の思想を統制できる感じはしない。私も高校の歴史の教科書山川出版でしたけど、だから反日に洗脳されたりはしませんでしたね。なんでこんな書き方するんだろうとか、あの先生って何で朝日新聞推しな訳?とか今ほど明確じゃないにしろ判別は出来ていました。

  •  私も高校時代は言語の法則や由来を調べる事にハマった時があります。歴史ほどハマりはしませんでしたが。

    > 言語学の世界に限らず、一般に学問の世界においては、「何らかの発見がある」→「仮説を立てる」→「その仮説に合致しない証拠が見つかる」→「仮説が修正される」、といった作業がひたすら繰り返されていきます。

     確かに。高校時代は「日本語と朝鮮語はウラル・アルタイ語族の言語」「日本語は南方系(マレー・ポリネシア語族、今のオーストロネシア語族)の単語とウラル・アルタイ語族の文法が合わさった言語」と習いました。
     それが今ではウラル・アルタイ語族の存在が否定され、日本語は「日本語族」という孤立した言語として扱われます。文法はアルタイ諸語(語族ではなく)の仲間である可能性はあるようです。

    > さりげなく「新羅郷歌」だけでなく「高麗郷歌」とも記載されていますが、「新羅」と「高麗」だと全然時代が違います

     そもそも新羅郷歌を収録した「均如伝」「三国遺事」が高麗の時代、11、12世紀に編纂されたものなので、元の歌にどれだけ正確なのかは疑問です。高麗の郷歌とごちゃ混ぜになっている可能性は十分あります。

     そもそも朝鮮には統一新羅時代(676〜892)以前に書かれた書物が残っていません。百済の歴史書が日本書紀に引用されている程度です。
     仮に残された新羅郷歌が正確であったとしても、その発音を復元したり検証したりする事は困難です。資料が圧倒的に足りませんから。

    > 著者の郷歌解読法で解釈した内容は既存の日本式解釈と同じ作品とみるのが難しいほど違う

     つまり、「まるっきり別物のトンデモ解釈」……

     そういえば契丹族の耶律阿保機がモンゴル高原と満州にまたがる遼王朝を建国した事について、「阿保機はアボジ(父親)に似ている。これは契丹族が朝鮮民族の一派である事の証拠であり、耶律阿保機は韓国人だ、つまり、韓国人が満州から中国人を追い払って建国したのが遼だ。だから満州は韓国の領土だ」と言う「妄言」を言った韓国人のパチもん学者がいたのを思い出しました。

    「阿保か」

     としか思いませんでした。

    • まあ、「百済ない」を真顔で言う連中ですから。

      でも一々否定しないと、テコンドーのように、パクリからオリンピック種目になったりしますので、面倒くさいですね。

    • > 契丹族が朝鮮民族の一派である
      朝鮮民族は,中国の諸民族,満州族などいろいろな北方騎馬民族,ツングース系など,様々な移住民族と,土着の古代人の混血ですので,契丹からの移住民の血も流れていると思います。矢印の方向(支配→被支配, 上位→下位,日本→韓国)を反対にするのが,韓国人の目標です。

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