テクノロジーの進歩を拒絶するマスゴミの倒産は間近

先日から当ウェブサイトでは、「報道」をテーマにした記事を多く公表しています。それだけ多くの人々が報道の公正性に関心を持っているという証拠かもしれません。本日は情報通信に関連し、先週土曜日の記事『埼玉県民様から:「日本の広告費2017」を読む』で取り上げ切れなかった話題をいくつかフォロー・アップしておきたいと思います。

偏向報道が社会的関心事に

放送法第4条と電波自由化

私は、最近のマス・メディア各社が仕掛けて来ている「もりかけ報道」が、一種の「報道テロ」ではないかと考えています。こうしたなか、先日執筆した『【速報】いい加減にしろ!朝日新聞による報道テロ』が某大手オピニオン・サイトに転載されたらしく、SNSなどでちょっとした話題にしていただいているようです。

それはともかくとして、マス・メディアによる政権攻撃に対し、安倍政権が打ち出してきたのは、「放送法第4条の改正」という議論です。そして、この放送法第4条第1項には、次のような規定が設けられています。

放送法第4条第1項

放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一 公安及び善良な風俗を害しないこと。

二 政治的に公平であること。

三 報道は事実をまげないですること。

四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

現在、放送事業に参入できる業者は限定されていますが、放送事業の独占とこの条文はセットで考えるべきものでしょう。新規参入がない以上、法律で放送内容に制限を設けることで、公序良俗を乱し、政治的に偏ったテレビ局が出現することを防ぐ、という措置です。

しかし、残念ながら、とくに第2号(政治的公平)や第4号(多角的報道)については、事実上、まったく守られていません。しかも、テレビ業界側は、これらの条文は「倫理規定」(つまり守らなくてもよい規定)だと言い張ってきたのです。

私自身は以前から、「条文が守られていないならばいっそのこと廃止し、経済競争を促すというのが筋ではないか?」と考えていたのですが、どうやら安倍政権の立場もこれに近いものだったようです。

ところが、最近、放送法第4条の改正という議論が出て来たためでしょうか、マス・メディアが急に浮き足立っているようです。マス・メディア各社は、今までは「放送法第4条は単なる倫理規定だ」と言い張ってきたにも関わらず、放送法第4条の廃止に対しては「公正な報道が出来なくなる」と猛反発しています。

実際には放送法第4条改正とテレビの新規参入(例:電波オークション制度導入)などがセットなのだと思うのですが、やはり、既得権益にアグラをかいてきたテレビ業界がこれに猛反発しているのは当然のことでしょう。

テクノロジーの進歩は既得権益を破壊する

技術が進んでいくと既得権益は必ず崩れる」――。

これは世の中の鉄則です。

テレビ業界が既得権益を守ろうと、どれほど頑張ったとしても、テクノロジーの進歩は既得権益を容赦なく破壊していきます。もう少し正確に申し上げるならば、近年、インターネットというテクノロジーの進歩が著しく、すでにテレビとインターネットの垣根は低くなり始めています。

家電メーカーも「売れる商品」を作らなければ倒産してしまいます。業界がいかに頑張って「インターネットが映らないテレビ」を販売させようとしたとしても、必ずどこかの会社が「インターネットが映るテレビ」、いや、それどころか「地上波が映らないインターネット特化型テレビ」という代物を販売するはずです。

実際、スマートTV(地上波とインターネット双方が映るテレビ)、あるいはTVチューナーのついていないテレビ(つまり地上波が映らないテレビ)なんて代物まで発売され始めています。そうなると、視聴者が面白いインターネット番組を発見するなどして、地上波から視聴者が逃げてしまうのも時間の問題です。

テレビ業界が「テレビチューナーのついていないテレビ」の発売を妨害し、あるいはテレビチューナーの内蔵を法律などで義務付けさせようとしているという話も聞きますが、こうした姑息な規制を掛けようとしたところで、視聴者が逃げることを止めることはできません。経済合理性に反した規制は必ず破綻するからです。

ソフト・ランディングか、ハード・ランディングか?

なにより通信技術は日進月歩であり、既得権益にしがみつけばしがみつくほど、テレビ業界は技術に取り残されていきます。そうなると、ある日突然、経営が行き詰まり、倒産してしまうという事態も生じかねません。これは、要するに「ハード・ランディング」シナリオですね。

一方、押し寄せる技術革新の流れを受け入れ、新時代に対応しようと準備するならば、既得権益を失うことによって経営が苦しくなるかもしれませんが、いきなり倒産してしまうという事態を避けることはできます。これが「ソフト・ランディング」です。

私は「超小企業」のオーナーとして、「ハード・ランディング」よりも「ソフト・ランディング」を強くお勧めしたいと思います。テレビ局にはかつての映像コンテンツが山のように残されていますし、うまく活用すれば、たとえばかつての人気番組を有料コンテンツとしてオンデマンド配信するなどのビジネスも考えられます。

しかし、既得権益にしがみつき、テクノロジーの進歩を妨害する方向に行けば、テレビ業界自体、社会から排除されてしまいます。その典型例はNHKでしょう。

今は確かにテレビの影響力はまだ侮れません。しかし、NHKなどは受信料という名目で事実上の血税を巻き上げ、従業員1人当たり2000万円近い超高給を支払い、しかも反日的なコンテンツを垂れ流している組織です。私に言わせれば「真っ先に廃止すべき日本国民の敵」です(『超高給取りのNHK職員は「正当な努力」をしているのか?』参照)。

郵便と通信の融合

インターネット時代と年賀状

ただ、インターネットという新テクノロジーを巡っては、テレビよりも一足早く対処せざるを得なくなっている業界があります。それが郵便局です。

最近、私の周囲では、年賀状のやり取りをしなくなったという人が増えています。これについて、「なぜ年賀状のやり取りをしなくなったのか」と聞いてみると、圧倒的に多くの答えが、「面倒くさいから」、だそうです。

師走のただなか、郵便局に行って年賀状を買ってきて、それに相手の住所氏名、差出人の住所氏名、裏面に新年のメッセージを書いて、郵便ポストに投函する――。

たしかに面倒な作業に見えます。

2010年前後からスマートフォンが急速に普及し、メールやSMSなどの手段で、気軽にメッセージをやり取りしている人が増えています。そのように考えると、紙にメッセージを書いて配達してもらうという行為自体、前時代的なものであるようにも見えます。

もちろん、こうした「前時代的なのんびりさ」を楽しむ人もいます。地方に住む私の高齢の親戚は、「最近はメールとかが発達しているのもわかるけど、慌ただしい現代、年1回くらい、面倒くさくても、お世話になった人には手書きでメッセージを送るべき」などと言って、あくまでも年賀ハガキにこだわっています。

ただ、私はその高齢の親戚が、「ハガキや手紙は昔からあるけれど、電話やメールは最近になってできたものだからね」と言っているのを聞いて、違和感を覚えたのも事実です。というのも、事実関係を調べてみると、日本の場合、近代的な郵便制度と電話は、ほぼ同時並行的に発展してきたからです。

前島密の建議により、日本で初めて近代的な郵便制度が創設されたのは1871年(明治4年)のことだそうですが、その6年後の1877年には、原始的ながらも、さっそく、わが国に電話が導入されています。そして、明治後半、あるいは大正時代には、電話や電報などの通信手段はかなり普及しました。

このため、すべての通信手段が郵便に限られていたわけではなく、「明治、大正期は、ハガキや手紙しか通信手段がなかった」という認識は、歴史的事実に照らして間違いなのです。

年賀状もテクノロジーの成果?

それはともかくとして、江戸時代に存在していた「飛脚」という制度は、明治維新後に郵便制度ができたことにより消滅しました。やはり、安価な費用で遠方まで書面や荷物を届けてくれる制度は、きわめて便利であることは言うまでもありません。

そのように考えたら、郵便とは、まさに「世の中を便利にするための制度」として発達してきたものなのです。私の仮説ですが、年賀状も「年始のあいさつに出掛けるという面倒くささ」を省略するため、つまり「楽をするため」の手段として、習慣化されてきたものだと思います。

おそらく、まだ世の中に江戸時代生まれの人が存在していた時代、「最近は郵便とかが発達しているのもわかるけど、慌ただしい現代、年1回くらい、面倒くさくても、お世話になった人にはわざわざ挨拶に出掛けるべき」などと主張する人もいたのかもしれません。

このように考えたら、たかだか百年少々の歴史しかない「年賀はがき」というものをやり取りする人の数は、今後、減ることはあっても増えることはないのではないか、と思ってしまいます。自宅に居ながらにして、遠く離れた人に、瞬時にメッセージを送ることができるという、インターネットの仕組みは便利だからです。

郵便代の値上げは裏目に出るのか?

ところで、昨年、はがきの郵便代が62円に値上げされました。これによって年賀状にも大きな打撃が生じるのかと予想していたのですが、日本郵便は、年賀状の期間だけ、郵便代を52円に戻すという措置を講じたようです。

実際、テクノロジーがどれほど進化しても、古い手段はすぐになくなるというものではありません。電報は今でも結婚式や役員の就任祝い、葬儀など、冠婚葬祭の場を中心に活用されていますし、年賀はがきに家族写真を載せ、近況を綴って出すという文化になじんだ人は相当に多いのではないかと思います。

しかし、あくまでも一般論ですが、市場が縮小することで経営難に陥りつつある会社が値上げをすれば、顧客を喪失することに繋がります。

日本郵便は現在、上場会社であり、もう少しすれば、決算書が公表されるはずです。この決算書を見れば、郵便代の値上げがうまく行ったのか、そうでなかったのかの答えが見つかると考えています。余裕があれば、決算分析をやってみたいと思います。

押し紙問題と「第三種郵便」の承認

第三種郵便とは?

ところで、「郵便」とは、手紙や荷物を、物理的に送り届ける仕組みのことです。そして、紙媒体の新聞自体も郵便物です。新聞の多くは、「第三種郵便」の承認を受けています。この「第三種郵便」とは、次の3つの条件を満たしたものでなければなりません(郵便法第22条第3項)。

  • ①毎年4回以上、号を追って定期に発行するものであること。
  • ②掲載事項の性質上発行の終期を予定し得ないものであること。
  • ③政治、経済、文化その他公共的な事項を報道し、または論議することを目的とし、あまねく発売されるものであること。

新聞の多くは日刊紙であり、「①年4回以上発行される」という条件を満たしていますし、「②発行の終期を予定していない」という条件も満たしています。ただし、③の条件については、少し詳細の説明が必要です。

この③の具体的条件について、日本郵便のウェブサイトには次の5つが列挙されています。

  1. 会報、会誌、社報その他団体が発行するもので、その団体又は団体の構成員の消息、意見の交換等を主たる内容とするものでないこと
  2. 全体の印刷部分に占める広告の割合が5割以下であること
  3. 1回の発行部数が500部以上であること
  4. 1回の発行部数に占める発売部数の割合が8割以上であること
  5. 定価を付していること

あれ?「1回の発行部数に占める発売部数の割合が8割以上であること」、これ、日本の新聞は大丈夫ですかね?『埼玉県民様から:「日本の広告費2017」を読む』でも触れたとおり、どうも日本の新聞は「押し紙」で部数をかさ上げしているのではないかとの疑いがあるからです。

新聞の押し紙問題とは?

その根拠をもういちど確認しておきましょう。これは、一般社団法人日本新聞協会ウェブサイトのウェブサイトに掲載されている、『新聞の発行部数と世帯数の推移』というデータです。データが遡れる2000年時点のものと、最新の2017年時点のもので比較したものが、次の図表1です。

図表1 新聞部数の比較
項目2000年時点2017年時点増減率
合計部数53,708,83142,128,189-21.56%
(一般紙)47,401,66938,763,641-18.22%
(スポーツ紙)6,307,1623,364,548-46.66%
セット部数18,187,4989,700,510-46.66%
朝刊単独部数33,702,72731,487,725-6.57%
夕刊単独部数1,818,606939,954-48.31%
セット+朝刊部数51,890,22541,188,235-20.62%

(【出所】一般社団法人日本新聞協会ウェブサイト『新聞の発行部数と世帯数の推移』より著者作成)

2000年と比べると、新聞の部数は、一般紙が18%落ち込んでいるのに対し、スポーツ紙の落ち込みは47%、つまりおよそ半減している格好です。また、朝夕刊セット部数も47%、夕刊単独部数も48%落ち込んでいます。

しかし、朝夕刊セット部数と朝刊単独部数をあわせた場合の落ち込みは21%程度ですが、朝刊単独部数だと、7%弱しか落ち込んでいません。このことから、2つの仮説が成り立ちます。

  • ①この約20年で部数が激減したのはスポーツ紙と夕刊であり、朝刊の部数についてはそれほど落ち込んでいない。
  • ②実はこの約20年で朝刊もスポーツ紙とおなじくらい部数が激減しているが、新聞各社がウソをついている。

この点、データ間の整合性を考えるならば、①の仮説は不自然です。というのも、スポーツ紙という集計区分、夕刊という集計区分が50%近い落ち込みを示しているのに、朝刊単独では7%しか落ち込んでおらず、朝夕刊セット部数と合わせても20%しか落ち込んでいないからです。

私は、新聞社が部数でウソをついている可能性があると疑っているものの、これについては確たる根拠はありません。ただし、朝夕刊セット部数、夕刊単独部数、スポーツ紙が50%近く減少しているのに、朝刊単独部数が7%、朝刊全体で20%しか減少していないと考えるには、データの整合性に無理が生じます。

このため、仮に――あくまでも「仮に」、ですが――、一般紙全体の減少率が18%ではなく、スポーツ紙と同じく47%だったとした場合、一般紙の販売部数は1364万部減少して2512万部、実売率は64.8%にまで低下します(図表2

図表2 一般紙の本当の部数は?
区分数値備考
①2000年時点の発表部数47,401,669公式発表数値
②2017年時点の発表部数38,763,641公式発表数値
③2017年時点の試算部数25,122,885①×(1-0.47)
④2017年時点の水増し部数13,640,756②-③
⑤2017年時点の実売率64.8%③÷②
⑥2017年時点の水増し率54.3%④÷③

(【出所】著者作成)

第三種郵便の指定解除の影響

つまり、図表2の計算が正しければ、実際には2512万部しか売れていないのに、実売部数よりも54%も水増しし、3876万部も売れているかのように装っていることになります。万が一これが事実であれば、これはもう立派な詐欺です。

もちろん、図表2の部数は「全国の一般紙の合計」であり、すべての新聞社がこのような詐欺犯罪を働いているとは限りません。産経新聞のように「押し紙解消」を宣言した新聞もあるためです。しかし、なかには実売部数を相当に水増ししている例もあるでしょう。

そこで問題となるのが、先ほどの「1回の発行部数に占める発売部数の割合が8割以上である」という条件です。仮に一般紙の実売率が64.8%だとすれば、明らかにこの条件を満たさなくなり、第三種郵便の指定も解除しなければなりません。

では、具体的にどこに影響が出てくるのでしょうか?

まず、部数を詐称していたのですから、広告主に対する詐欺罪が成立しかねませんし、民事上も広告主から損害賠償を請求されてもおかしくありません。なにより、普段、一般企業の不祥事をあげつらう新聞社のことですから、最低限、自らの不祥事には社長以下全役員の辞任が必要でしょう。

それだけではありません。公職選挙法上の「選挙報道」にも影響が出て来ます。

公職選挙法によると、選挙報道を行っても良い新聞紙や雑誌の条件には、「第三種郵便の承認」が必要とされています(公選法第148条第3項第1号ロ)。逆に言えば、第三種郵便の承認がない状態で選挙報道を行うことはできないのです。

つまり、「一般紙が部数を詐称している」というのが事実であれば、広告主に対する大掛かりな詐欺と不当利得(または不法行為)、さらには本来、選挙報道を行う資格がないはずなのに、選挙報道を行い、選挙民を欺くという公選法の脱法行為などを行っている、ということです。

普通に考えるならば、廃刊で応えなければ理屈に合わないと思うのですが、いかがでしょうか?

テクノロジーの前に敗れ去る

古今東西、必ず通用する法則というものがあります。それは、「人々は経済合理性に勝つことはできない、」、というものです。

たとえば、電卓が普及したことで、計算尺メーカーやそろばんメーカーの多くは廃業するか、業態転換を余儀なくされましたし、携帯電話が普及したことで、公衆電話の数は減少し、テレホンカードも売れ行きは低調です。

仮にNTTが携帯電話の子会社(NTTドコモ)を設立していなければ、きっとNTTも郵便業界やテレビ業界、新聞業界と同じく、「斜陽産業」となっていたでしょう。

また、新しい技術が普及しようとするときには、得てして既得権益層がこれに抵抗します。新聞各紙、テレビ各局がインターネットをバッシングするのも、インターネットを脅威と考えているからではないかと思います。しかし、古今東西の鉄則に照らせば、古いテクノロジーにしがみついている業界は滅亡します。

私は、新聞やテレビが生き延びていくためには、インターネットという新たなテクノロジーを敵視するのではなく、むしろ、うまく取り入れるしか方法がないと考えています。

たとえば、韓国メディア『中央日報』日本語版は、日本の読者向けに自由にコメントできるプラットフォームを構築していますが、インターネット時代特有の「双方向性」をウリにして、日々、莫大なアクセスを得ています(もっとも、中央日報の場合、アクセスが多い理由はほかにもあると思いますが…笑)。

テクノロジーの進歩を拒絶して生き延びる、という選択肢はありません。

  • テクノロジーの進歩を受け入れて生き延びるか。
  • テクノロジーの進歩を拒絶して絶滅するか。

好きな方を選んでいただきたいと思います。

本文は以上です。

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読者コメント一覧

  1. 水谷 より:

    私は以前本屋でバイトしてましたが、その頃から年賀状印刷サービスというのが始まってました。スーパーなんかでも年末になると大々的に広告してるあれです。
    あれって、クリスマスケーキなんかと一緒で店員に契約ノルマが課せられるんですよね。で、ノルマ達成出来ないと自爆営業で年賀状ごと買わされて使いもしない年賀ハガキを印刷する羽目になります(私はそもそも営業の時間も取らせてくれない一方的なノルマなんぞ突っぱねましたが、大半の店員は渋々自爆営業します)。
    当時私が居たところで、実際の売上と自爆営業の割合が半々か、自爆の方が多いくらいでした。
    年賀はがき自体も郵便局員に無理やり課せられるノルマと自爆営業が問題になったりしてましたし、実際に使われる年賀状の枚数って販売数と相当隔たっているんじゃないかと思えてなりません。
    おかげで年賀状というものが、伝統という美名を笠に着て、大した給料ももらえてない人間から搾取するだけの最低の制度に成り下がっているという嫌悪感だけが植え付けられましたよ。

  2. くじら13号 より:

    日本郵便の決算分析楽しみにしております。

    年賀状は面倒だと毎年思いつつかろうじて、というところです。
    年賀状が年始参りの代わりだっただろうこと、なるほどと思いました。何事も楽な方・便利な方にながれていくものなのですね。
    昔は年始は店が開いておらず年始は本当に街中静かなものでしたが昨今は年始から開ける店も多く、退屈しない反面あの静けさを懐かしく思うときもあります。

    昔は普通の家庭では新聞をとっているもので、それが当たり前であり一人前の証でもあると思い私も家庭をもった当初は新聞をとっていましたがいつの頃からか取らなくなりました。読むところが無いのと捨てるのもまた面倒で・・・。

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